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淫蕩学校に学ぶ

『淫蕩学校 (ホラー・ドラコニア少女小説集成) 』
マルキ・ド・サド原作 澁澤龍彦訳 町田久美絵
平凡社、2004年

もちろん、おれたちがそこまで乱暴することはめったにないが、どんなことをされても、嫌な顔ひとつしないことが大切だ。眉ひとつ動かさずに、唯々諾々と身をまかせ、忍耐、従順、勇気をもって、すべての困苦に耐えねばならぬ。(99p)
なおまた、おれたちはおまえたちにしてもらいたいと思うことを、いつもはっきりとは言わないから、さように心得ておくがよい。身ぶりや目つきや、ときによってはほんの些細なおれたちの心の動きによって、おまえたちは、おれたちが何を望んでいるかを判断せねばならぬ。もし合図があったにもかかわらず、そうした命令を実行しなかったり、また合図を理解できなかったりした場合には、やはり罰を受けることになろう。おれたちの感情の動きや、眼ざしや、身ぶりなどを識別し、おれたちの顔色を読みとることこそ、おまえたちの勤めなのだ。とくに大事なことは、おれたちの欲望がどんなことを期待しているかを誤りなく見抜くことだ。(101~102p)

吹きました。

私は淫蕩学校ではなく、公立の小学校、中学校に通っていましたが、概ねそういうルールだと理解していたと、言えなくもありません。

スピリチュアル系の方の見立てによると、私はエンパスとか、憑依体質だそうで。
なるほど、確かに児童だった私は、ある種の能力によって先生方が何を望んでいるかを洞察し、どう振る舞うべきかを判断する能力に長けていました。

先生による「授業」という名の舞台中は、指名された時は勿論、「合図」を読み取っても挙手をし、私がそうと言うのを先生が欲しているところを、パクパクと口で再生することもありました。

先生は、私を褒めました。
いえ、私は「私」が褒められたとは思いませんでした。
私が先生の頭の中をセリフとして言って、先生がそのセリフを褒めるのは、先生が自分で自分を褒めているだけです。

なんの猿芝居だよ。

とは、思いこそすれ、言いませんでした。

「私」をではなく、「芝居」を先生に褒められ、優等生扱いされる自分に吐き気がしましたが、それをクラスメイトに「悩み」として打ち明ける、なんてことはしませんでした。
なんせ、空気読めますから。

テストも結局は、出題者がそうと答えて欲しいと思うところを答えなければ、マルがもらえません。

大学生の頃、家庭教師や塾講師のアルバイトをしていましたが、所詮テストはそんなものだと、そこが理解できなければ点が取れないと、小学生や中学生の生徒さんに告げることは出来ませんでした。

憑依体質と言われた私はまた、今どきはもしかしたらHSPとかHSCとか呼ばれるのかもしれません。
「心を殺す」ことを覚えれば、淫蕩学校でもやっていけるかもしれないよと、年若い同類に告げることは、やはり、出来ません。

就学前、保育所において既に「心を殺す」ことを身に着けていた私ですが、そうでなかったら、不登校になっていたかもしれません。

自分もそうだったからと、自分より新しい世代の子どもたちも心を殺せばよいと思う発想は、私にはありません。
「心を殺す」という戦略をとらないお子さんと、そのお子さんを守ろうとする親御さんをはじめとする大人が増えることは、喜ばしいと存じます。

平凡社より、現代アートで読む澁澤龍彦第3弾として発売された淫蕩学校 (ホラー・ドラコニア少女小説集成) は、「ソドムの百二十日」の抄訳になります。
四人の道楽者が、外道ぶりを正確に規定し分類するworkのために、淫楽のなぶり者にされるべく集められた大勢の男女に対してなされた説教が、冒頭で引用した部分です。
百二十日も催すつもりなのね・・・私、途中で読むのリタイアしそう。
抄訳で大丈夫です!

実家で兄の書棚に並んでいた、河出文庫版の澁澤龍彦訳のサドは、暇なときにパラパラと読んでいましたが、ほとんど記憶にありません。
・・・執拗な分類には興味がないし、も〜うんざり!!と思わせて変態を変態でなくすサドの策略に、まんまとハマった結果かもしれません。

こちらの淫蕩学校ですが、画家町田久美の挿絵を楽しむ絵本仕立てと思われます。
町田久美は、芥川賞受賞の藤野可織著『爪と目』(新潮文庫、2015/12/23)の表紙も手掛けていますが、こちらの「目ん玉」の絵も印象的でした。

雲肌麻紙に、墨で筆の線、これは日本画になるんでしょうか。
球体関節人形を思わせる人びとが描かれています。

ちょっと、塗り絵したくなります。
とは冗談で、塗り絵をしちゃたら、台無しです。

線が主たる画ですが、ほんの少しの彩色は、墨の濃淡、白、金、銀、さらに少しで青、赤、緑等が入っている感じで、すごくいいです!

以前、江戸時代後期に高級遊女の間で流行ったという、「笹紅」なる化粧法があることを、NHK日曜美術館で知りました。
ただでさえ高級品である紅を、何度も塗り重ねると、光の加減によっては緑にも見える玉虫色になり、それを笹紅色というそうです。
上唇には紅を、下唇には紅を重ねて笹紅色にした遊女の絵を、喜多川歌麿の「深川の雪」で見たのですが、(ハイビジョンTVでね!)、江戸の色気が印象に残っていました。

一方、淫蕩学校の挿絵では、非常にポップと感じる笹紅の表現があり、「おぉ~っ!」と唸りました。
こうきたか、と。
一番お気に入りの挿絵です。

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