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2022年秋アニメ感想 チェンソーマン

 ああ、これってデビルマンね。

 『チェンソーマン』という作品についてはよく知らないのだが、最近やたらと売れているらしい。原作漫画は12巻で累計1800万部……すげーな。その作品がMAPPAでアニメ化する、というから前評判はとんでもない高さだった。その前にプロモーションPVが出てきたのだが、その時点で並のアニメとはまるきり別のもの。ものすごいクリエイターにものすごい予算が集まっている……というのがすぐにわかる。いったいどんな作品なんだ……がぜん興味が出てアニメを見ることになった。

 第1話。
 どっかの田舎町の様子。あー私が住んでいる地域に風景がよく似ているわ。ようするに、「どこにでも当てはまる街」を描いている。それはあなたのいる街かもよ……という。
 デンジがポチタと一緒に歩いているわけだが、すれ違う人の姿がない。街が荒廃して人がほとんどいなくなっている……というわけだが、第1話やデンジや回想シーンは「心象風景」という意識が強い。ある意味で内面描写になっている。
 そのデンジ君、売れる内蔵はだいたい売っちゃってるし、金玉も売っちゃっている。体はボロボロ。それ以前にまともな教育も受けておらず、まっとうな社会からの関係性が立たれて孤独。声をかけてくるのは気の許せないヤクザだけ。唯一友人と言える存在は、悪魔のポチタだけ……。つまり社会から見捨てられた存在だ。そうした立場を描いているから、街の描写にしてもデンジ君の寝床周辺にしても他人がまったく描かれていない。
 そんなデンジ君が第1話の時に願うのは、真っ当なご飯。真っ当な寝床。第1話の頃のデンジは“人間”ですらない。だから人間としての生活がしたい……それが願いだった。
 第1話はそういうデンジ君の立場や心象を映しているから、やたらと荒廃している。
 デンジ君がどうしてそういう状況に陥ったのか……詳しく描かれていないが親世代の負債。内臓を売っているのもそのためだし、そのうえで働いても負債は返せる見込みがない。親世代の問題が子供世代も抱えることになって、最底辺の暮らししかできなくなる……というのは今世代の若者の心象そのもの。生まれたときから理不尽だけど、それが当たり前になっている貧困だ。
(政府も早くどうにかしないと、デンジ君みたいな人間をリアルに生むことになるよ。そこで「自己責任だ」とか言ってないで、放り出すんじゃなくてさ。政府が動け!)
 で、第1話においてポチタと融合。デビルマン……いや違ったチェンソーマンに変身して悪魔達と戦うことになる。

 要するに現代版デビルマン。現代の世相を映してデビルマンを描いたらチェンーソマンになった……という感じ。
 デンジ君は一回悪魔に殺されて、チェンソーマンになってしまう。デンジ君は努力とか苦労をして這い上がってチェンソーマンになったのではなく、「死」といういったん“人生の終わり”というところまで堕ちてチェンソーマンになる。

 それで不思議なことに、デンジ君はチェンソーマンとなったところで、初めて“人間扱い”されることになる。堕ちるところまで堕ちて、むしろ逆に貧困脱出のチャンスを掴むことになる。
 第2話に入ってやっと普通の街にやってくるのだけど、これはデンジ君が人間になったから。人間扱いされるから真っ当な寝床や真っ当なご飯にありつける。
 そんなデンジ君が次なる目標が「セックス」。なぜセックスしたいのか、ただの性欲のお話しなのか……というとそうではなく、これも人間になりたいから。人間として認められたいからセックスしたい。人間であるという確証が欲しい。
 私は前から話しているように、“性”は人間の本質部分に結びついている。そこを否定されたり、生活の中から欠落していると、どこか人として欠陥を抱えているような感覚になる。だからセックスをして、自分が確かにそこにいて、認められているという確証が欲しい。現代人はセックスというと“性欲”というファクターしか見ないけど、セックスをしたいという欲求にはそういうものも含まれている。
 デンジ君はチェンソーマンになったことでようやく人間としての暮らしが認められるけど、でもそれは「兵器」として利用価値ありと判断されただけに過ぎない。努力の末に貧困から這い上がって獲得できたものではなく、堕ちた末に獲得してしまったもの。
 だから微妙なところでデンジ君は人間扱いされていない。社会関係は希薄なまま。公安デビスバスターたちとの関係ができあがってくるが、実はそのデビルバスター達はみんな底辺下層民。みんな社会との関係性を立たれて、転落して、仕方なくやってきた人たちに過ぎない。
 といってもデンジ君はそこまで気付くことはなく、思考が単純だから、無邪気にセックスに向けて邁進を始める。

 デンジ君は相変わらずその後もそんな感じでお話しが進んでいくが……。この段階で気になったのは、物語に大目標がないこと。デンジ君には人間性の回復や社会活動の復帰というテーマが与えられているけど、それは少年漫画のテーマとしてあまり良いものではない。
 例えば『北斗の拳』では許嫁だったユリアを殺された復讐に、南斗六聖拳の継承者抹殺を目標にする。
 『進撃の巨人』ではエレンは故郷を踏みにじり、母親を殺した巨人をすべて根絶やしにしてやる……と調査兵団を志望する。
 『ワンピース』では海賊ロジャーが残したと言われる、ひと連なりのお宝・ワンピースを獲得するために冒険の旅に出る。
 『鋼の錬金術師』では禁忌に触れてしまったために体を奪われてしまった兄弟が、自身の体を取り返すための旅をはじめる。
 『鬼滅の刃』は鬼になってしまった妹のために、その根源たる鬼舞辻󠄀無惨を倒す旅をはじめる。
 ……とこんなふうに、少年漫画の主人公には、自身の宿命と結びついた「大目標」があるもの。「宿命」のお話しだから、絶対に向き合わなくてはならない。そのためにどんな努力を払い、乗り越えて目標を達成するのか。それを見守ることが醍醐味となる。
 チェンソーマンの場合は、「セックスがしたい」ということが目標になるのだが、でもそれは物語が抱えている問題と結びついていない。それが果たされたところで、悪魔が巣喰うその世界観が救われるわけではない。
 これでいいのか?
 現代、第7話まで視聴しているが、ようやく「銃の悪魔」というものが出てきて、それがどうやら物語の大目標に結びついてくるような感じ。でもその銃の悪魔を退治する……という大目標を持っているのは早川アキや姫野。早川アキが抱えている宿命が、どうやってデンジ君のテーマと結びついていくのか……それは現時点ではよくわからない。

 『チェンソーマン』の物語は今のところ「様子見」という感じ。というのも、さほど物語が盛り上がっている感じがない。悪魔との戦いはあったものの、その戦いは作画自体はものすごいけれども、戦いそのものに緊張感がさほどない。悪魔の脅威に圧倒されて、そこからの逆転劇……とかデンジ君や公安の機転で一発逆転、というような展開がない。どこか予定調和的に進んで、終わっていく……という感じ。
 第6話、第7話にまたがってホテルに巣喰う悪魔との対決が描かれたが、あれだけ展開を引っ張っておいて、あっさり勝利。あのエピソード、2話も使う必要あった? 各登場人物を掘り下げることにも貢献していない。
 それに不用意に入ってくる回想シーン。物語の流れをブツ切りにして回想シーンが入ってくる。回想シーンを入れること自体は問題ないのだが、そこに持ち込むまでの“流れ”がなく、いきなり入ってくる。回想シーンが目の前に物語と乖離しているような気がしてしまって、あまり気分が乗らないし、物語の大きな盛り上がりに貢献しているようにも見えない。
 これは、これから何か大きな展開がある……ということかな? 7話時点ではまだ何も見えてこない。

 その一方、作画は間違いなく最高クオリティ。アクションシーンは言うまでもないが、日常描写も凄い。皺の入り方、影の入り方があまりにも見事で、一瞬ロトスコープのアニメかと思うくらい。それくらいに絵が作り込んでいる。そこで圧倒されるものが大きい。
 間違いなく実力のあるアニメーターが集まっている。MAPPAの本気がわかるアニメーションだ。いま一番贅沢な視聴体験をもたらしてくれるのは、『チェンソーマン』であることは間違いない。
 ただ『チェンソーマン』人気の秘訣はいまだ見付けられていない。たぶんデンジ君の立場への“共感”だと思うのだが……。


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