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2018年夏アニメ感想 Free!-Dive to the Future-

 『Free!』シリーズ第3期。大学生になった七瀬遥たちのその後、まだ高校に残っている葉月や竜ヶ崎たちのその後、さらにオーストラリアに渡った松岡凜たちのその後が描かれる。

 最近の京都アニメは、テレビアニメ→映画→テレビアニメ→映画と1シーズンおきに体勢を変えながら作品を発表しているが、映画を間に挟むようになってから作画のポテンシャルをどんどん上がっているように感じられる。もともとクオリティが高かった京都アニメだがさらにスケールを上げようとしていて、だんだん恐ろしさを感じる。

 『Free!』は相変わらずの筋肉描写。キャラごとに裸……胸筋、腹筋の形が違うし、色も微妙に違う。水着姿の男達がずらっと並ぶと、みんな微妙に肌の色が違う。色指定が発狂しそうだ(しかも1カットに描かれるキャラ数が多い!)。
 服を着ていても、筋肉はしっかり描かれる。特に気になるのは手首の骨張った線から、拳のごつごつした骨の感覚まで、よくもここまで描くな……と感心する。ProductionIGでもこのように掌回りは描かない。『Free!』はもともと筋肉表現をフェティッシュに捉える、誇張して描くというテーマを持っているが、描写の細かさ、デッサンの正確さにはただただ感心するしかない。

 そもそも身体描写がしっかりしているから、体の動き、衣服の皺の動き、どのカットでも説得力がある。女性キャラクターを描くにしても、身体の動きや皺のなんでもない動きがものすごい説得力がある。持久戦になりがちなテレビアニメでこうやって絵のクオリティを落とさないのは凄い。

 毎回力の入った水泳シーンだが、第3期では水面が波打った動き、風景の映り込みまで表現されるようになった。たぶん、第2期までここは描かれていなかったような記憶がある(だいぶ曖昧です)。
 こういった質感を載せるのは撮影の仕事だが……どうやって処理しているのだろう? コマ送りで見ると、作画の動きに対して波紋が周囲に広がっていくような動きが足されている。一部のシーンでは水滴の粒一つ一つに反射が入っていた。こんな細かい仕事、どうやって処理されているのかよくわからない。何かの魔法のようにすら感じられる。
 水面に風景が映り込み表現は、見た目にも美しいし、凄い。こちらも撮影の仕事だが、どうやって処理しているのかわからない。なんかとんでもない技術を身につけつつあるなぁ、ここは。

 ストーリーだが、今回はド恋愛。男性同士のホモセクシャルを正面から描いている。
 ヒロイン桐島郁也を「人魚姫」に見立てて、王子様役に七瀬遥。桐島郁也の少年時代の、美少年というかもはや美少女ともいうべきルックス。それに思わせぶりな表情と台詞。「友情」ではなく、それを越えて「恋愛もの」の雰囲気をたっぷり臭わせている。
 間に割って入るのが遠野日和。表向きには「友人である」桐島の精神状態を気にかけているふうだが、その過保護っぷりはもは正気ではないレベル。そのうちにも「私の恋人に手を出すんじゃないわよ!」と言い出すのかと思った。
 女の子キャラは多少出てくるのだが、あくまでも添え物。男達の関係に割って入るような野暮は犯さない。女達は遠くで男達の筋肉をただただ眺めているだけだ。

 そもそも日本は、男性同士の結びつき、ホモセクシャルに美意識を置くところがあった。
 ……と、ここで「若衆」や「衆道」の歴史を語ればそれっぽくなるのだけど、私にそっち方面に知識はない。
 雑な知識で書くと……室町時代には貴族文化として、若衆と呼ばれる10代の少年達を性の対象とする文化があった。有名どころでは室町幕府第3将軍足利義満に寵愛された世阿弥。
 もちろん「性の対象」とはただ単に「性処理」として「使う」というだけではなく、恋愛の対象……口説いたりラブレターを送ったりもした。「恋の駆け引き」もあって、「恋の駆け引き」は男女間でするものではなく、もともと男同士の間でするものだった。
 室町幕府が滅んで戦国時代に入った後も、男性同士の恋愛・性愛は連綿と受け継がれていった。男性同士の恋愛が流行したのは、戦場には男性しかおらず、男性を性処理の対象にするしかなかった……という現実問題だけではなく、男性同士の恋愛を美しいものと考える風習があったから、とされる。単に少年を性処理として扱ったのではなく、美学として愛していた……という。
 江戸時代に入ってから、男色は武家や貴族だけではなく、庶民の間に拡散されていく。江戸時代には「女形」文化があったから、というのもあるが男娼を提供する店もあった。女装した美少年……「陰間茶屋」という、今でいう男の娘喫茶のようなものもあった。春画でも美少年ものはわりと描かれがちなテーマだった。
 こうした男色文化は、太平の時代が続いたことによる女性の増加……と、女性が“美しくなった”ことで次第に衰退。……と、いくつかの文献にそのように書かれていたのだが、どうも江戸時代までは女性よりも、美少年のほうが美しかったらしい。ホンマかいな。
 もっと詳しい知識はWikipediaに書いているので、そちらを参考に。私もWikipedia見ながら書いてたし。
Wikipedia:衆道

 で、衆道の精神は漫画の世界では、特に少年漫画の世界で薄く受け継がれていった。少年漫画は登場人物のほとんどが男だらけで、男達の厚い友情、結びつきがドラマの中心となる。状況的には戦国時代みたいなものだ。女性は登場するものの、男達の関係にはほぼ関わってこない。少年漫画に描かれる男女恋愛は、“いつの間にか”で成立しているものだった。もちろん漫画の描写としては、そこに性愛的なものはあまり臭わせないように描かれてはいる。
 最近では少年漫画でも女性ヒロインは多くなり、男同士の友情とは別軸として異性愛も描かれるようになった。が、少年漫画の歴史としてはそういった展開はむしろ異端。
 少年の読者は単純に男達の友情と絆の物語に憧れるが、女性達はそこに美しき性愛を見出していた。衆道の精神を現代に甦らせたのは、女性の読者達だった。
 で、『Free!』は少年漫画が描きがちな過度な友情と絆の物語の中に、女性読者が見ている視点を追加している。そもそも『Free!』は女性の目線を再現した作品だが、第3期に入って恋愛がくっきりとしたシルエットを持つようになった。遥と郁也はいつキスをするのだろう……と思って見てしまった。

 と、堂々たる恋愛物として描かれた『Free!』第3期だが、引っ掛かる点として登場人物の多さ。遥たち大学生グループ、葉月・竜ヶ崎たち高校生グループ、松岡凜オーストラリアグループ……。大学生グループにしても大会に出るためにトレーニングを積む遥と、小学生のコーチになった真琴と別れているので常に一緒というわけではない。進行している物語のラインがかなり多い。
 ちょうど群像劇ような構成になっているのだが……そこまで作品に強い思い入れもないので、キャラクターを把握するのが大変で……。何人か「誰だっけ?」みたいなキャラクターもいて困った(見覚えはあるのだが……)。ここまでしっかり作品を追ってきた人なら問題ないのだが、私にはちょっと厳しい。
 遥、郁也との恋愛パートを追えて、最後には未知の強敵と遭遇。群像劇らしい伏線の張り方が最終的に結実するような構成を取っている。この構成自体は悪くないのだが……私はあまり感情移入して見ることができなかった。ごめん。いい作品だとは思うよ。

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