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2018年春期アニメ感想 ダーリン・イン・ザ・フランキス

 pixiv界隈にいると、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』の二次創作をたくさん見かける。一番よく見かけたのはゼロツー。実際、キャラクターの造形はクリティカルだった。どのキャラクターも個性がくっきりしてるし、可愛らしいし、物語を追っていて描写の一つ一つにストレスを感じることはなかった。キャラクターや、キャラクターの関係性を描くことに慎重で、気を配っているのがよくわかる。
 pixivでのゼロツー人気は、やはりそのキャラクターの存在感。デザインの良さや、設定の作り方。長身でスタイルが良く、長いピンクの髪、そこに加わってくる2本の角という異物感。戸松遥の演技も冴えている。それぞれの素材が見事なくらいマッチして、カットの中で映えるし、ある意味で“フォトジェニック”な存在だといえるだろう。

 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』はどこかしら旧ガイナックスの空気が感じられる。もったい付けた用語の使い方や、象徴化した描写、思春期のナイーブさを前面に押し出したところなど符合するポイントが多い。カットを一つ一つひろってみても、「エヴァンゲリオンでそっくりな構図を見た」と毎回どこかに共通点が見付かる。
 そこにTRIGGERらしい柔らかさを持ったキャラクターの感触。「今時……」と言いたくなるが手書きで作られたメカのアクションは力強く素晴らしい。

 ただ作劇が弱い。初期の数話は、ロボットアニメにありがちな展開を型どおりに踏襲しただけ。物語としてのカタルシスは弱い。
 後半戦、13話『まものと王子様』でゼロツーとヒロの過去が語られるが、この回想が唐突で、直前に起きているアクションとの連なりがシームレスに感じられない。無理矢理エピソードを突っ込まれたように見えたし、特に障害もなくキャラクター同士の中で共有してしまう。脈絡があったとしても物語がそこへ向かっていく力が弱く、エピソードが始まったとき「あれ? 前回見逃したかな?」と困惑してしまった。
 14話『罪と告白』ではすれ違いのエピソードが入るが、ドラマの動きがわざとらしく、キャラクター同士の対立を描くために無理矢理作られたシチュエーションにしか見えない。
 そんなこんながあって16話、ヒロ達に平穏さが戻ってくる。直前まであんなに荒れていたゼロツーはすっかり大人しくなり、当たり前のようにヒロ達のコミュニティに加わって朗らかに笑っているが……違和感。誰だお前。簡単に変わりすぎだし、極端だ。
 アニメのキャラクターは生身の人間ではなく、“キャラクター”という虚ろな存在であり、ある意味での“人形”だ。下手に描いてしまうとそこに人間的な一貫性が失われ、変化が成長や覚醒によるものではなく、別のキャラクターのようになってしまう。“人間”ではなく、“ただのキャラクター”という印象になってしまう。ゼロツーの描写にはそういうぎこちなさが感じられた。人間のドラマ、それぞれの立場が変節していく物語とは感じにくい。
 ミツルとココロの関係にしても感情が触れ合う過程が充分とはいえず、そういう関係を作るという結論ありきの描写にしか感じられなかった。関係が成立するまでの物語がなく、成立した瞬間の描写にカタルシスがない。安っぽいテレビドラマみたいなクライマックスだった。

 ただ、キャラクター同士の関係性にはかなり気を遣っているように感じられた。対立させるという目的ありきのキャラクターの描き方をしていない。軽めには対立する……ゾロメとミクがそうだが、しかしある一定以上は険悪になることはない。それぞれのキャラクターがお互いの距離感を意識しあっている印象がずっとあった。キャラクターが持っている善良さに、嫌な感じがしない。
 振られる方がむしろ聖人。お互いの関係が変わることがあっても、むしろ受け止めようとする。不思議と大人なところがこの子供たちにはある。さすがに聖人すぎる(特にゴローとフトシの2人)……というところもあったが、この描写にはかなり好印象だった。
 その一方で、引っ掛かるのは人間のドラマが予定調和的に感じられてしまうこと。ミツルとココロの関係、あるいはイチゴとイクノの同性愛関係……。どちらもそういう結論ありきもの展開のように感じられる。感情の動きがシームレスに感じられない。ミツルとココロの関係を見ると、フトシに対してココロがあまりにも薄情に感じられる。

 第19話『人ならざるモノたち』で過去に遡っていくが……そんなに遠い未来のお話ではなかった!!
 フランクス博士は意外にも少し未来の人で、その後の大変化で世界が改変されて、それ以前の社会が急速に黒歴史化していくのだが……さすがに極端だ。
 まさかひと世代で変化した世界だとは思っていなかった。ここもどうも結論ありき、イメージ先行で無理やり肉付けされた設定という印象がしてしまって、キャラクター描写と同じく、変節にシームレスな鮮やかさが感じられない。
 これならもういっそ、過去については謎のままにしてくれたほうがよかった。この極端さはもはやギャグになってしまっている。

 さて、そんな色々があって21話『大好きなあなたのために』で唐突にこれまでの全設定がひっくり返され、宇宙からやってきた侵略者が突如現れ、戦う物語に変わる。
 おいおい、じゃあ今までのお話はなんだったんだ……。
 いや、むしろTRIGGERらしい。いや、むしろTRIGGERはこうじゃなきゃ!
 おかえりTRIGGER! こういう破天荒なTRIGGERを待っていたんだ。「難解なSF」の振りをするのはらしくない。「そんなのはいいから」と直角で話を変えるのがTRIGGERだ。荒唐無稽で豪快でアクロバティックな面白さを描くべきなんだ。『エヴァ』じゃなくてこれはTRIGGERの『ダーリン・イン・ザ・フランキス』なんだ。
 じゃあここまでの20話くらいはなんだったんだろう……という気はするが。その全部を捨ててしまう潔さがいい。“意外性”の演出に滑っただけ……という気はしないでもないが、その滑り具合の豪快さを含めてTRIGGERらしい無茶苦茶さが最後の最後で光った。

 TRIGGER作品に普通の物語を求めたってしょうがない。TRIGGER作品はどういうわけかドラマが下手というか、ドラマのつもりが「設定の説明」になってしまう。『キズナイーバー』の時に強く感じたが、キャラクターが感情的になって捲し立てるシーン、聞いているとただの「キャラ設定説明」でしかない。そんなキャラ説明を声高にやられても……。クライマックスもいかにも段取り臭くて、わざとらしさしかなかった。
 TRIGGERにとっての不幸は、ただの設定説明、キャラ説明をしているだけでもシーンとして成立してしまうこと。それくらい作り手のポテンシャルが高すぎる。平凡なドラマでも画に力がありすぎる。
 だからゆえに、ドラマとしての弱さに作っている方も見ているほうも気付かず騙されてしまう。結果的に後には何も残らない作品になってしまうし、その瞬間は気付かれずに終わってしまう。出来の悪いお祭りっぽくなってしまう。
 だからこそ『キルラキル』みたいに直角から直角へ、明後日の方向から明明後日の方向へひたすら飛躍し続ける……そういう全力で破天荒ストーリーを描くとこれ以上ないくらいにはまる。『キルラキル』の場合、中島かずきという希代のストーリーテラーがいて、TRIGGERの性格とはまった……というのはあるが。
 TRIGGERは変に大人しく優等生ぶるよりかは、ずっと破天荒でいて欲しい。破天荒な自身の性質に気付いて欲しい。

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