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2022年春アニメ感想 阿波連さんははかれない

 水あさと原作による『阿波連さんははかれない』は「少年ジャンプ+」にて連載している作品である。水あさと作品といえば2014年に『デンキ街の本屋さん』がアニメ化され、私としてもpixivを中心にお馴染んでいる作家である。『阿波連さんははかれない』が始まったごく初期の頃も、pixivに一部掲載されていて、そこで作品を読んでいた。水あさとは代えがたい感性の持ち主ではあるが、しかしその才能はニッチなパロディに向けられ、なかなかオリジナリティある作品で能力が発揮されることは少なかった。『デンキ街の本屋さん』にしても、「内輪受け」的なネタを目一杯並べただけで、オリジナル作品としては弱く感じていた。
 そこで『阿波連さんははかれない』でキャラクターも世界観もパロディではなく、完全なるオリジナル作品だ。水あさとが得意とする可愛いキャラクターとシュールギャグが十全に発揮される世界観を、ようやくこの作品において表現された……そんな印象があった。

 『阿波連さんははかれない』は2022年春にアニメ化。製作は中国発の動画共有サイトbilibili。bilibiliはニコニコ動画に影響を受け、その中国版として開設されたサイトだが、そのbilibiliが資本となり日本の漫画がアニメ化、それを私たちがニコニコ動画で見る……という不思議な構図が生まれている。
 なぜニコニコ動画でこの作品のアニメ化企画が出せなかったのだろうか……。という問いに対する答えは簡単、ドワンゴの中の人に企画力がないからだ。
(ドワンゴの中の人が企画すると、せいぜい『バーチャルさんは見ている』くらいのつまんないものしか生まれないからなぁ……。中途半端に「ニコニコらしさ」なんて幻想を意識すると、つまらなくなる)
 製作がbilibiliだが実際のアニメーション制作は日本。東京都三鷹に拠点を置くFelixFilmが制作を請け負った。制作の中心地は日本だが、製作がbilibiliということもあって、中国人アニメーターが多く参加。日本が主導になって中国が下請け……というのは一昔前の構図で、本作では作画監督もひょっとすると中国の人かな……というエピソードも。中国アニメ産業の成長は凄まじく、やがて中国が主導となり、日本が下請けになる、という逆転現象も見られるようになるかも知れない。
 これも一つの文化的交流なのかな……と思えば、まあ肯定的に見るべき事象かも知れない。この先はどうなっていくか、わからないが。

 本作の大雑把なあらすじを紹介すると、主人公であるライドウ君は隣の席の阿波連れいなと仲良くなりたい。しかし阿波連れいなは少し素行の変わった女の子で……。この女の子の珍妙な素行にツッコミを入れて楽しむ作品かと思えば、実はライドウ君の思考回路が斜め上の珍妙さで、女の子のボケに対してライドウ君のボケが重なってさらに珍妙な展開に発展していく……というお話だ。

 キャラクターが可愛く、珍妙な描写も愛らしい。この個性的な感性は原作からしっかり受け継がれている。ただ一つ引っ掛かるのは――。原作ではシュールな描写を置いて、ツッコミ台詞を入れればそれだけで一つの笑いは成立する。しかしこれをアニメに持ってくると、ワンテンポ遅れる現象が起きてしまう。
 漫画ではシュールな絵とツッコミ台詞が同時に出てくる。絵と台詞が同時に提示されるから、読んでいると心地良い速度感で「ボケ」と「ツッコミ」が頭の中に入ってくる。この速度感は漫才のボケ・ツッコミの速度感くらい感覚で見ることができる。
 ところがこれがアニメでやると「時間」が発生する。シュールな映像が出てきて、ワンテンポ置いて「○○じゃね」というツッコミ台詞が出てくる。これでどうしても笑いのテンポが一個ずらされている感じが出てしまう。珍妙な絵が出ていて、そこで笑いたいのに、ツッコミのテンポが遅れるから、笑いのテンポがずらされる感じ。
 しかし常にローテンションで、淡々とボケとツッコミが折り重なっていく……これが本作の個性だ。そうすると、ややテンション落とし気味にシュールな映像に対してツッコミを入れる……というのが本作の映像化として最適解となる。ところが、実際にやってみると、いつもワンテンポ遅れる。これが一つ一つは面白いのに、いまひとつ弾けきれない原因となっている。

 ではどうすればいいのか……というのは難しい。私は「笑い」に対してそこまで詳しいわけではない。どうすれば正解なのか……は私にもわからない。
 ギャグアニメの映像化で、なんとなく原作を読んでいるリズム感を再現しきれない……というのはよくある話だ。漫画ではシュールな絵とツッコミ台詞がいつも同時に示される。アニメでは時間軸が発生するから、シュールな絵が出てワンテンポ遅らせてツッコミ台詞を入れる。これは正しい作法だ。アニメ『阿波連さんははかれない』は作法に基づいてきちんと構築されている。なのにギャグ作品として弾けきれないのはなぜなのだろう……。

 間もなく大城みつきが登場する。阿波連れいなを遠くから愛でているストーカー少女だ。
 大城みつきの視線には、作者の視線がいくらか混じっている。作者の阿波連れいなを慈しむ感情をキャラクター化した存在が大城みつきだ。
 こういうキャラクターは私の作品にも登場するので、ダメとは言わないけれども……ただ大城みつきの登場によって、どうしても内容が内輪的になりやすい。大城みつきが登場したことによって笑いの相乗効果が起きるわけではなく、むしろ余計な視点がただただ増えただけ……のように感じらてしまう。
 大城みつきというキャラクター自体可愛いし、阿波連れいなとのやりとりも可愛いのだけど……。可愛いけれども、そこで阿波連れいな×ライドウの関係性で生まれたような笑いが成立しているか、というと……。
 いつも変なところに隠れている。――という、それ以上の笑いのフックを提供していない。
 キャラクターとしては可愛いのだけれど……。

 本作は中盤からギャグ作品から「恋愛もの」に変化していく。その変化が表面化していくよりも先に(阿波連れいな×ライドウが恋愛を自覚する前に)、桃原先生が2人の関係性の「あはれ」さを見出してしまう。
 桃原先生による「あはれ」による吐血が2人の関係性より先走っちゃった……というのもちょっと引っ掛かることだが……。

 阿波連れいな×ライドウとの関係が【ボケ×ツッコミ(ボケ)】によるコンビから恋愛に発展していくのは、物語的な帰結というよりも、作者が2人の関係性に愛情を持ってしまったから。どこか自分で作り出したキャラクターに、同人誌的なカップリングを作るような感性に近い。
 そこで桃原先生の登場のおかげで、阿波連れいな×ライドウという恋愛に発展していく関係性を笑いに変えてくれている。阿波連れいな×ライドウという関係性に()を付けて、そこからさらに桃原先生による笑いを掛けていくような感覚だ。

 阿波連れいな×ライドウの関係性が恋愛に発展していくこと自体はいい。ただ、そこに至るまでの物語が弱い。
 2人のボケ×ツッコミ(ボケ)の関係性の中に少しずつ恋愛の意識が混じり込んでくる。それがある時、自身で自覚するようになっていく……という構造だが、その点描がどこか場当たり的。計画的な物語の導線を感じない。
 物語後半に入り、「告白」の場面を物語のクライマックスとしておいているのだけど、そこに感動はない。ありきたりなシーンを描きました……以上の感慨はそこにない。
 『阿波連さんははかれない』は類い希なる個性を持った作品なのだけど、その感性はギャグに向けられて、恋愛まで個性的には描いていない。恋愛の描写になると、途端に平凡。どこの漫画でもありそうな描写に終始してしまっている。
 阿波連れいな×ライドウが恋愛を意識し始めた以降は、どうしてもギャグも散漫になりがちだ。初期の頃の、畳みかけるようなギャグの応酬が作品から消えてしまった。あまり面白味のない恋愛シーンを描かれ、その合間にいまいち弾けきれないギャグを描く……という感じだ。アニメシリーズの後半に入ると、恋愛を描きたいのか、ギャグを描きたいのか、どっちにしても物語動線が弱いから、次第に精彩を喪っていくように感じられたのが残念だ。

 ではどう描けば良かったのか……というとかなり難しい。ギャグと恋愛が物語として連なっていけば、この二つの要素が乖離せず、相乗効果を生み出していけるのだが、そんな脚本、私にも描けない。ギャグと恋愛は水と油。この二つを馴染ませつつ、物語を紡ぎ出すのは相当に難しい。
 本作の引っ掛かりは、ギャグが恋愛に変化していく……この過程に計画性が感じられないこと。ここに計画性が感じられないから、シリーズ後半がなんとなく残念なふうになっていく。
 漫画は漫画というフォーマットだから成立しうるものもある。アニメシリーズに置き換えるならば、物語としての動線が必要になるが、そこが構想されていない。

 と、厳しく書いてみたものの、基本的には『阿波連さんははかれない』は楽しい作品だ。キャラクターはみんな可愛い。どのギャグも楽しい。水あさとらしい、シュールさと可愛らしさがうまく組み合わされた作品だ。このキャラクター達をその後もまだまだ見ていたい気持ちにさせてくれる。好きか嫌いかで言えば、はっきり「好き」な作品だ。ただ引っ掛かりはある。少々の引っ掛かりはあるけれども、そこを気にしなければ、愛すべき作品だ。この物語が、まだまだ発展していくことが楽しみでもある。


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