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1月24日 ストライクウィッチーズ1&2を見たので感想。

ニコニコ動画でなぜか『ストライクウィッチーズ』シリーズが無料公開されていたので、この機会に視聴。
『アリス・ギア・アイギス』……はて? 知らないですね

 今まで『ストライクウィッチーズ2(第2期のこと)』『ブレイブウィッチーズ』の2作は見ていたけれども、原点となる『ストライクウィッチーズ1(第1期のこと)』を見るのは初めて。
 第1期シリーズから、続けて第2期シリーズとまとめて見たけれど、見てよかった。やっぱりこういうものは最初から見るべきだな……。私は『ストライクウィッチーズ2』から見ていたのだけど、内容についていまいちピンと来ていなかった。とりあえず有名作品だから見ておこうか……くらいの感じ。キャラクターの設定とか、シーン一つ一つの意味とか、いまいち掴み切れていなかった。
 例えば『第2期第1話』の宮藤芳佳「守りたいんです!」の台詞……第1期シリーズを見ていなかったから、意味がわからなかった。なんであれで同行が許可されるのか……最初に見たときは不思議だった。『第2期第2話』ではキャラクターが全員集合するが、第1期シリーズをちゃんと見た後だと非常に胸躍るシーンになっている。最初に『第2期第2話』見たときはぜんぜんわからなかった。やっぱりこういうものは、最初から見るべきだった。
 第2期シリーズだけだと謎の台詞も、第1期シリーズを見ればちゃんとわかる。第2期シリーズから見ていたからキャラクターもいまいちよくわからなくて……。ハルトマンなんて2期シリーズではほとんどのシーンで寝ているだけなので、どういうキャラクターかわかっていなかった。私は宮藤芳佳だけは可愛くて好きだったのだが(べ、別にセーラー服着ているからじゃないぞ。一番可愛いと思ったからだ。今でも一番だ)、今となっては全員が愛おしい。全員好き。今さらながら、『ストライクウィッチーズ』シリーズに対する価値観が変わった。

 『ストライクウィッチーズ』はパンツをズボンと言い張ることで、下着を常に露出しているのにも関わらず、「健全な光景」に変えてしまった作品である。パンチラ率0%の非常に健全な作品として描かれている。
(「パンツじゃないから恥ずかしくないもん」というコピーはアニメ史上もっとも有名でもっともインパクトのあるコピーであった。これに並ぶコピーといえば『もののけ姫』の「生きろ!」くらいなもの)
 作中、不必要に股間がクローズアップ、カットイン、激しいアクションの最中でも隙あらば股間がクローズアップされる。
 以前に、この作品の動画をコマ送りで見ていたのだが、飛翔シーン、キャラクターの全身を舐めるような付けPANは非常に多いのだが、分解してみると顔のアップに3コマ、胴体に1コマ、股間に3コマ……と顔と股間の配分が等価になっている。ここまで来ると立派。映像作品なんてものは、女優さんをいかに魅力的に見せるか、制作者のフェチをいかに画面に刻印するか、某監督曰く「誰にも気付かれないようにパンツを脱ぐこと」だから股間と尻に対する魅力、描写に全振りした作品は非常に映像制作の理念に合っている。股間描写が作品全体の個性的にしているし魅力的なものにもしていると確実に言える。
 じゃあ私もこの作品を見習って、パンツをズボンと言い張ってみようか。

 ……ムリだな。

 ところで、素朴な疑問。パンツがズボンである……というのはわかるが、じゃあこれはなんだろう?

 さすがにこれは「ストッキング」と呼ぶべきじゃないかと。でも作中ではこれをまとめて「ズボン」と呼んでいる。この作品世界には「ストッキング」や「タイツ」もまとめて「ズボン」カテゴリなのかな……?
 すると疑問なのが「パンツ」の存在。あの世界にパンツは存在しないのだろうか?(男性キャラクターはパンツを穿いて……?) あの子たちはノーパンという実にはしたない状態になるのだが……。

 宮藤芳佳のアップショット。かわいい。ただ、目の大きさ、輪郭線が優先されて、耳がかなり変な位置になっている。耳にフェチはないのかな……。

 第1期第5話『はやい・おっきい・やわらかい』
 冒頭のシーン。ここで宮藤芳佳は友人のおっぱいで「性の目覚め」を体験してしまったようだ(自分の性癖の萌芽を捉えきれず、戸惑う姿がなんともかわいい)。
 こういう思春期初期の頃の、「目覚める切っ掛け」となったものは色んな意味で厄介。若い頃は気力が充実しているのでいろいろ浮気するものだが、結局は最初の「目覚める切っ掛け」になったものに戻ってくる。「三つ子の魂百まで」のようなもので、「最初のもの」からは絶対に逃れることはできない。
  少年の物語でこういう性の目覚めをテーマにした作品はまああるのだが(『マレーナ』ジュゼッペ・トルナーレ監督……とか)、少女の性の目覚めの決定的瞬間を描いた作品は珍しいんじゃないだろうか。
 ただ、宮藤芳佳はこの後、特に紆余曲折もなく真っ直ぐにおっぱい好きとして(ハーレムもの主人公のような) 「おっぱいサーチ」「おっぱいタッチ」「おっぱいダイブ」(※)というアビリティをラーニングする。これは根が素直すぎるからなのか……。おっぱい好きが宮藤芳佳のキャラ属性の1つとして付け加えられただけ。もうちょっと深いところまで描いてほしい気がしたのだが……いやいやこの作品は「性の目覚め」がメインテーマではないから、この部分を描きすぎると余計なものになってしまう。
 なんにしても、宮藤芳佳のルックスで無節操なおっぱい好きというのが可愛い。宮藤芳佳が好きなポイントの1つだ。
(日本の漫画はエロ漫画が異常発達しているが、「全年齢作品」の中で少年、あるいは少女の性の目覚めと戸惑いを描いた作品はあまりないような気がする。漫画はもはや星の数ほどあるから、私が知らないだけで存在しているのだとは思うけど。「性の目覚め」の話というと、どうしても「性行為」そのものをエンターテインメントとして描く……という方向に行ってしまう)

※ スキル説明。
「おっぱいサーチ」…視覚が塞がれている状態、あるいは視覚外であってもおっぱいを発見することができる。
「おっぱいタッチ」…手を伸ばした場所に偶然おっぱいが来る確率が飛躍的に上がる。
「おっぱいダイブ」…振り向いたとき、転んだときなど、おっぱいに触れられる確率が飛躍的に上がる。
いずれも「ハーレムもの」作品の主人公がデフォルトで持っているスキルである。特殊スキルのため、ハーレムもの主人公以外ではなかなか獲得できないスキルとなっている。

 さてさて、『ストライクウィッチーズ2』放送時の感想にも書いたが、この作品における飛翔シーンは非常に美しい。「飛翔シーン」というか、飛翔している姿そのもの。あの形が良い。ストライカーユニットを足に装着し、ストライカーユニットを優先するとスカートやズボンは邪魔だから大胆にも剥ぎ取り、パンツをズボンと言い張る(さらに常にパンツをデフォルト設定にしてしまったこと)。パンツ+ストライカーユニット、あの形を絵にしたこと。あのデザインに行き着いた時点で『ストライクウィッチーズ』はもはや成功したと言ってもいい。会心のデザインである。「メカ+美少女」の究極形でもある。後のコンテンツに対して多大な勇気を与えてくれた。
 しかしなぜあの少女たちは空を飛べるのか。答えを言ってしまうと「美少女」だからである。「美少女」だから、あの少女達は空を飛べるのだ。
 アニメの美少女というのは現実世界における「女性」とはまったくの別物。この世に実在せず、地面に足を付けず、「理想」だけで存在する。生身の「人間」というより「人形」に近い。この世ならざるもの――「美少女」だから空を飛べる。「魔法」とか「魔力」といった設定はとってつけたもので、あの少女たちが空を飛べるのは「美少女」だからだ。
(で、アイドルはこの世ならざるものである「美少女」を生身の人間が演じること……かな。アイドルは舞台上ではなくプライベートも込みで演じ続けなければならないから、大変だ)
 『ストライクウィッチーズ』には男性キャラクターもそれなりに登場するのだが、宮藤芳佳たちとは明らかに存在が違う。「存在」というか背景となる「世界観」が明らかに違う。並んで立っているところを見ると、「種」すら違って見える。あの男性キャラクター達は地上に足を付けた、背景に現実的な世界観を持った存在だ。だから『ストライクウィッチーズ』の男達は空を飛べない。もしもあの姿で空を飛んでしまったらギャグにしかならない。

 だからこそ『ストライクウィッチーズ』の物語はいつも難ありだった。なにしろ美少女は背景となっている「世界」がない。宙に浮いた存在だ。そんなふわふわしたものをシリアスな物語に放り込もうとすると、どうにもうまく行かない。シリアスな芝居を演じています……というようなわざとらしさ、紙芝居感がえんえんついて回る。『ストライクウィッチーズ』の物語に入り込むには、作品が描いていない感情や経緯を観る側が忖度して接ぎ穂してやらなければならない(そういう想像から、おそらく二次創作は生まれるんだと思う。二次創作込みで、コンテンツは完全なものになるのだ)。
 アニメのこうした美少女ものをドラマ的に展開させるのは、なかなか難しい。あれだけたくさん作られているのにも関わらず、成功例は少ない。
 多くの場合、シリーズの最終話に向けて、美少女達の「外の世界」……「現実」が介入してきて美少女達の終わらない日常を浸食してくる……。という形を取ってくる。この描き方はたぶん、あまり得策ではない。得策ではないと思う。あくまでも少女達の内面的なものから延長してドラマを作り上げたほうがうまく行く。
 『けいおん!!』第2期はその好例だったとは思うが、他の成功例は……なんかあったかな。『ゆるキャン』はなかなか良かった。『ヤマノススメ』第3期はドラマを作ろうとしてわざとらしさが出ちゃってたな……。

 難しいのは『ストライクウィッチーズ』はあくまでも戦闘、戦場を舞台にした物語。シリアスなドラマを完全分離して描くわけにはいかない。どう描けば誰もが納得のドラマ作として描けるのか、今の私には対案を示すだけの知恵がない。そうしたドラマの成功例って、色んな作品を見てきたが『魔法少女まどか☆マギカ』くらいしか成功例を見たことがないし、『魔法少女まどか☆マギカ』の技法を解体して提示できるほど解読(言語化・体系化)は進んでいない。非常に難しい。
 『ストライクウィッチーズ』のコメディ回はどれも楽しいんだけどな……。

 気になるのはネウロイの扱い方。第1期シリーズでは「ネウロイとは何なのか?」というエピソードが伏流として描かれていた。ネウロイは作中、完全な謎の存在。SFとはその世界観における謎を解き明かすことが本題なので、ネウロイの謎を追究する描き方はSFとしても正しい。
 しかし第2期シリーズに入って、第1期シリーズが組み立てた展開を完全に白紙。第2期シリーズにおけるネウロイは都合良く展開を盛り上げるためにやってくる障害でしかなかった。
 ネウロイとはなんなのか、あるいはその先にウィッチとはなんなのか――という追求をしていけばかなり面白い物語があったんじゃないか……という気がしていたから、ネウロイの謎を追求する伏流が消えてしまったのは非常に残念。
 これでは『ストライクウィッチーズ』を「終わらないシリーズ」にするため、という大人の都合しか見えてこない。下手に外部が作品の核となる部分を弄り回してはならない。そうやって盛り上がるものも盛り上がらず、展開を広げようとした挙げ句、最後はぼんやりとした線香花火の後みたいな終わり方をしてしまった作品がたくさんある(『踊る大捜査線』とかね)。
 やるなら大きな風呂敷を。10年くらいの大きな展開を見据えた上でしっかり企画を練り上げた上でやってほしいものだ。『ストライクウィッチーズ』のような楽しい作品を、小さな花火にしてはならない。「コンテンツの最後」を見据えて、それに進むように今後のストーリーを練り上げてほしいものだ(最近のKADOKAWAはこの辺り、非常に心配)。

(『踊る大捜査線』は劇場版パート『2』までは確かに盛り上がっていたのに、その後のスピンオフ展開・大量投入で明らかに失速していたし、作品もつまらなくなっていった。最終的にうすらぼんやりした完結編で地味に終わってしまった。製作サイドが弄り倒した結果、作品を駄目にした典型例。作品とは、“摩耗”するものなのである。手堅く安全牌を作ったつもりでは、確実に失速する。成功している例と言えばマーベルシリーズだが、あちらはかなり大きな流れを見ながら企画全体を構想している。マーベルは大きな展開で作品を作るときの素晴らしいお手本となっている。あのような構想力が必要だ)

 『ストライクウィッチーズ2』8話。ペイント弾による模擬戦。
 音が完全にスプラシューターだわ。

 それはそれとして――。
 視聴していて忌々しかったのは濃すぎる湯気と、どこでにでも入ってくる入射光。ハダカミタカッタナーオッパイミタカッタナー。
 実は『ストライクウィッチーズ2』のDVD第1巻持っている。昔イラストを作ったから、その時の資料用で買ったんだったな。あの時、ものすごい値引きされていたから資料として購入してイラストを作った――ということだったんだけど。あの当時から宮藤芳佳だけは好きだったから。
 いま改めてDVDを買い集めようかな……という気になっている。まずは第2期7話からだ(カワイイオンナノコノハダカガミタイカラ)。そんなお金、どこにあるんだ、という話だが。

 どこか機会を作って、また宮藤芳佳を描きたい。

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