2023年春アニメ感想 鬼滅の刃 刀鍛冶の里編
本編の感想文に入る前に、ちょっとその周辺の話。
『無限列車編』から気になっていたことだけど、予告編の編集……あまりにも下手すぎないか?
予告編動画を見ても、テロップと回想シーンばかり。テロップはワンフレーズ出てくるたびに「バーン! バーン!」と派手な音の繰り返し。そういう回想シーンとテロップだけの映像が数分続いて、やっと数秒の新規映像が出てくる……。
なに、この素人編集……。でもufotableの優秀な編集スタッフがあんな素人編集するわけがない(ufotableの他のアニメも見ているが、あんな下手なのはない)。おそらくテレビ局の編集スタッフとかその辺りだろうな……。『鬼滅の刃』は人気が出すぎたせいで、大手テレビメディアも介入してくるし、大手広告会社も入ってくる。しかしあの辺りのスタッフって今のアニメスタッフから見ると、はっきりいって素人レベル。明らかに技術が一段下……しかし社会的地位は彼らのほうが上だから(しかも技術面で一段下という認識がない)、その彼らの言い分を聞いて仕事をしなければならない。
それに付随してなのか、『鬼滅の刃』関連の広告ってどうしてあんな感じなのだろう……といろいろ引っ掛かる。『刀鍛冶の里編』のテレビ放送前に劇場公開があったけど、ほぼ『遊郭編』の再編集に新規シーンをちょっと入れただけ。それをアメリカでも公開したとか……。素材ができていないのに、無理矢理な宣伝。広告のセンスがない。総集編+新規映像でお茶を濁すのは昭和感覚。そういうのはどうなんだ?
(テレビの界隈がどうなっているか知らなかったが……いまだに昭和の世界から抜けられてないんだな……)
これもあまりにも作品が一般層に知られるようになったから。大衆人気を獲得するためには、そういうところも受け入れなければならないのか。
では本編の話。
いま日本でもっとも知られているアニメ作品となってしまった『鬼滅の刃』。アニメシリーズは2019年に始まり、ほぼ1年おきに少しずつ進行する……という形態になっている。
お話の進行が年に1回というのはどうなんだ……という気がするけど、それはさて置こう。
ええっと、視聴してから時間が経っちゃったからあらすじが思い出せないや。
公式サイトで確認すると……「もう働きたくないんや~」と逃亡した鋼鐵塚に解雇通知を言い渡すために、炭治郎達は刀鍛冶の里へ向かうのだった。そこで高額な買い物をして人柱になってしまったために感情を喪った透無一郎と遭遇するのだった。
なにか間違っているような気がするけど、鋼鐵塚に会うために刀鍛冶の里に向かったことと、そこで時透無一郎と会ったのは事実であるから、だいたい合っている……としよう。
(いまいちボケが冴えてなくてスマン)
今回はいつものメンバーである雷少年と猪頭が別行動。まああまりにも登場人物が多いと渋滞を起こすので、時にはそういう展開があってもいいでしょう。特に今回は柱が2人も登場するので、その2人を立たせるために登場人物を減らす……というのも悪くないでしょう。
山奥の隠れ里のような刀鍛冶の里。まず風景を見て……妙にのっぺりしているのが気になる。遊郭編の時は建物の起伏や、夜の賑やかさがうまく表現されているのに対し、刀鍛冶編は風景の描写にあまり力が入っていない。
特に森の描写。この時代の森にしては幹が細く、木も低い。10年~20年程度のずいぶん若い森だ。樹間距離も短すぎる。自然の森にしては地形がならされすぎている。奥行き感もない。下草が茂りすぎ……というのも気になる。どこのアニメでも見かけるようなテンプレート的な森……という印象だ。
普通のアニメであれば森の描写にこんなに引っ掛かりはしないのだけど、並のアニメよりも大きな予算が出ている……と考えると少し気になる。『鬼滅の刃』はどちらかといえば土着的な視点のある作品だから、こういう森の描写にこだわって欲しかった感じがある。遊郭編は街そのものをデジタル上で再現するほどの力の入れようだったのに……それと比較すると見劣り感がある。
もう一つ気になったのは、「鉄」そのものの生産が描写されていないこと。刀を作り出すためには「鉧」が必要であるはずだが、その鉧はどこで生産しているのだろうか。刀鍛冶の里は「加工場」であって、鉄の生産の場ではない。
(鉧=けら。鉄器の原料となる。鉧の鋼含有量が多いものを「玉鋼」という)
もしかすると、鉄そのものを生産する場所と、鍛冶の現場は別……ということかも知れないけど。立地が山奥で温泉があるということは火山が近い……この辺りまで鉄生産の場として正しい描写なのだけど、鉄そのものを生産する場が描写されてない……というのが気になる。
刀鍛冶編の第1のテーマは、感情を喪った時透無一郎が感情を取り戻すまでのお話しだ。第2話、第3話で訓練用カラクリ人形を破壊してしまうが、感情を喪っている彼は、回りが愕然するのも意に介さない。とことん空気の読めない人間として描かれる。
その後、炭治郎との交流ですこし感情の兆しを取り戻すが……。
そんな交流もそこそこに、鬼が襲来する。
ここからは戦いながら何度も回想シーンが挿入される構成となる。ここで時透無一郎の過去が改めて掘り下げられるが……今までもそういう構成だったし、少年ジャンプ漫画の王道的な作法ではあるのだけど……。
この手法のいいところは、ドラマを長引かせず、間を置かず次の展開へ進めて、バトルシーンの緊張感を維持したままそれぞれのキャラクターを掘り下げられる。毎週16ページしか進行せず、そのなかで盛り上がりを作らなければならない少年ジャンプという媒体ならではの手法だ。
だけど、あまりにも何度も繰り返すので「またか」となる。しかもその回想シーンがあまりにも長いので、バトルシーンに戻った時、「はて、なんだったかな」と状況がわからなくなる。回想シーンをやるにしても、「やりすぎ」だ。展開が悪くなっている。
同じくジャンプアニメである『銀魂』では、こちらもあまりにも回想シーンが多いので、ある時「この回想シーン、いる?」とキャラクター自身で言わせて、回想シーンそのものを途中で終わらせる……ということもあった。『銀魂』はいかに王道をからかうか、というところにテーマを置いていたので、『銀魂』らしい外し方だ。
『鬼滅の刃』は回想シーンが多すぎなのだ。あまりにも回想シーンが多く、しかも長いので、現在進行形の物語が間延びしているような印象になってしまっている。
回想シーンの中では、時透無一郎が実は双子であったことが明かされる。父と母を喪い、自分と同じ顔をしていながら、相容れない双子とともに過ごすが、その双子も鬼に襲われて死んでしまう……。
……うーん、そこまで意外な過去でもないな……。、みんな似たような宿命を背負って、ここまでやってきているわけだから。炭治郎だって親兄弟みんな殺されて、鬼となった妹を背負いながら戦いだし。
時透無一郎がどうしてここまでの強さを獲得したのか、ただ単に「才能がありました」というだけではなく、それだけの宿命の重さを見せてほしかった。さらに向き合っている敵・玉壺となにかしら因縁があれば、バチッとハマるんだけど……。そういうものもないから、何となく拍子抜けな印象になってしまっている。
時透無一郎の回想シーンで一番の注目ポイントは、いつも見せている太もも。着物の丈が短すぎ。でも「少年の太もも」という美味しいものが見られたので、良しとしよう。(フェミニストは“こっちの方”にはぜんぜん騒がないね)
もう一人の恋柱、桃色髪の色ボケ姉さん・甘露寺蜜璃。こちらは割り切った「アニメキャラ」。過去がどうこう……という話にほとんど意味がない。なぜか大食らい。なぜか強い。桃色の髪は、桜餅を食べ過ぎた結果だという。そんなバカな。理由らしい理由はなく、「それはそういうもの」という「設定」だけで作り上げているキャラクター。鬼と戦う「理由」も特になく、馬鹿力な自分でも自分らしく生きたいから……という理由は語られるのだけど、だとしても鬼殺隊である必要がない。この作品の中で、唯一なんの宿命も背負っていない、お気楽なキャラクターである。
でもここまで割り切ってくれると、逆に面白い。こういう作品だからこそ、中には甘露寺蜜璃のようなデタラメなキャラクターもいていいだろう。似たような過去のキャラクターばかり……になってしまうよりかはいい。
使っている武器は、「刀」というより「ムチ」に近いのだろうか。いや、新体操の「リボン」? デタラメに作り上げられたキャラクターだから、武器も突飛なものでいい。キャラクターのデタラメさをほどよく補強してくれている。
さらに良かったのは声優、花澤香菜の演技。なにもかもがデタラメなキャラクターに存在感を与えている。いつも力が抜けたような演技が、このキャラクターらしかった。
エンディングの1コマ。悲しい場面……なのになぜか「面白い顔」になっている甘露寺蜜璃。作り手も面白がっているのがわかる。
アクションを見てみよう。オープニングシーンの竜の首を切り落とすアクションをピックアップした。
斬撃の直後で、力を逃がしているポーズ。刀があり得なほど伸びている。正しい設定よりも、その瞬間の画面映えを重視した描き方だ。刀にはゆるめの発光処理が施されている。
全身で勢いを付けて……
バチッと一撃。ムチのように叩きつけて、火花が散っている。
叩きつけた刀身が画面手前を横切る。竜の胴体に光一線が横切っている。あそこが切った場所。画面左上に描かれている刀身と向きが逆なのが良い。そこを中心に火花が飛び散っている。
竜の胴体が真っ二つに分かれる。甘露寺蜜璃が次の攻撃に備えて、刀を振り上げている。
次の攻撃ポイントに狙いを定めて……
バチッと一撃。画面手前にヒットエフェクトが瞬く。
甘露寺蜜璃のアクションは1コマごとにキャラのポーズも変化するし、刀の形が変化する。フルコマ作画なので肉眼で捕らえるのはまず無理。動画として見ると、ものすごい速度で画面一杯に刀エフェクトが無数に描かれているように見える。画面が賑やかだし、柱としての凄さも感じられる。
宇随天元のアクションと比較してみよう。宇随天元は実際の手の動きとは別に、周囲に無数のエフェクトが出現する。フィルムのコマよりも早く手が動いている……ということを表現している。それを動画としていて違和感なく表現されているのが凄い。
最初に甘露寺蜜璃のアクションを見た時、宇随天元のアクションと近い手法かな……と思って見ていたけど、分解して見るとまったく違っていた。ムチのような形の刀だから、1コマごとに刀の形が大きく変化する。それが動画になった時、画面のあちこちに刀のエフェクトや斬撃エフェクトが散らされているように見えて、それが賑やかで激しい印象を作り出している。
キャラクターごとにアクションのスタイルがまったく違う……というのは見ていて楽しい。
ただアクションシーンの展開が面白かったか……というとやや微妙。状況の変化が乏しい。回想シーンが何度も挿入され、なんとなくドラマがあったかのような作りになっている。アクションそれ自体があまり展開していない……ということをごまかされたよな感じになっている。
それでなんとなく鬼に勝利した……という描かれ方になっていて納得感が薄い。戦いの中での展開があまり描かれてないから、「激戦の果てに勝利した」という感じが薄い。『遊郭編』のクライマックスはもっと死力を尽くしてぶつかり合っていたが、あの激しさとくらべるとだいぶ拍子抜け。
第11話のクライマックス。禰豆子が炭治郎を蹴り上げる、象徴的な場面。画はすごく良い。ものすごく美しい場面が描かれている。
シチュエーションもよかった。朝日が昇ろうとする。辺りは隠れる場所のない平原。炭治郎は禰豆子を守るか? それとも鬼に襲われようとしている人を助けるべきか――。
まるで「トロッコ問題」のような問い(炭治郎にとっての『トロッコ問題』だ)。こういう主人公に重い選択肢が突き付けられる瞬間こそ、エンタメとして輝く瞬間だ。これで何を選ぶか、でその作品の資質が問われる。とにかくもシーン作りとして最高の場面で、このシーンがやって来たときから私はゾクゾクとしていた。
ただ……長くないか? この後、禰豆子の歌が流れながら、回想シーンへと入っていく。……長くないか? というか、ここで回想シーン、いる? 無理矢理泣かそうとしてない?
ここまで長引かせると気分も冷める。作為的に感じられる。画が出てきた瞬間の感動は薄れる。歌や回想シーンは余計な付け足し。「感動ポルノ」になっちゃってる。感動ポルノ的な演出をザックリ抜き取って、シーンの力強さだけで見せた方がいい。上に載せたホイップクリーム的演出のせいで残念なことになっている。画の力は間違いなく強いんだから、それだけで勝負した方が良い。
作画チームが描いた素晴らしい画面を、演出で台無しにするのはよくない。……でも『鬼滅の刃』のようにあまりにも大衆人気の高い作品は、その大衆向けの演出をしなくちゃいけないんだろうな……。
『刀鍛冶の里編』は全体を通してどこか気が抜けるような作りだった。上弦の鬼が2体も登場するのだけど、ずいぶんあっさりと倒せてしまう。『無限列車編』や『遊郭編』のあの激しい死闘はなんだったのか……というくらい。どうしてそうなるのかというと、時透無一郎や甘露寺蜜璃にそれだけのドラマがなかったから。だからお話しとしても締まりがない。
甘露寺蜜璃はああいうキャラクターだからさておくとして、引っ掛かりは時透無一郎。上弦の鬼・玉壺の技にまんまと引っ掛かり、かと思ったらいとも簡単に抜け出せてしまう。玉壺の弱点を見出して勝利……というより、単に時透無一郎の内的問題のお話しになってしまっている。
それも少年バトル漫画ではよくあるやつだけど……一番納得感の弱いやつ。『ジョジョの奇妙な冒険』では絶対にやらない。少年バトル漫画の悪手をやってしまってる。
作劇で力が抜ける場面が多かった『刀鍛冶の里編』だが、アクション作画は素晴らしかった。動画自体がアートになっている。いいものを見たな……という気分にさせてくれる。『鬼滅の刃』はあのアクション作画を見るためにあるのだな……と思わせてくれる。
さて、この続きは『柱稽古編』ということだが……また1年後だろうか。あまりにも間隔が長すぎると、ユーザーの気分も冷める。実際に、新しいエピソードが公開されるたびに、メディアの取り扱いは減ってしまっている。作品に対するこだわりも良いのだけど、もう少し早く発表してほしいものだ。
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