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1月16日 ジグソーパズルのゲームってなにが面白いの? ストレスと快楽の関係性

 『初音ミクのいっしょにジグソーパズル』……またやり始めました!
 新しいゲームを買うお金もないし、時間の掛かるゲームを遊ぶほどの余裕もないし、なんとなく隙間時間に遊べるゲーム……ってことでなんとなくこのゲームに手が伸びてしまった。私、このゲームをそんなに気に入ってたんだな……。
 そんな感じでまたこのゲームをもう一周したところ、新しい記録がバンバン出てしまった。そうすると楽しくなってしまい、新しい記録を出すために毎日すこしずつ遊んでしまった。

 一番いいクリアタイムが出たのがこのステージ。

かんたん……2分46秒
ふつう……6分59秒
むずかしい……19分33秒

 前のプレイ時のクリアタイムは、むずかしいで41分57秒。クリアタイムが半分以下に縮まった。
 他のステージも軒並み20分ちかくタイムが縮まった。ジグソーパズルの腕が良くなる……なんてことあるんだな……。なんでも続けてみるものだ。
 これ以上のタイムを出すことは不可能ではない。ピースを見て迷う時間や、間違えて置いてしまう時などがあるので、それなどをもっと縮めて、より早く正しい場所にピースを置く……というのを極めていけば19分以下クリアも可能性はある。ただ私はそこまで1本のゲームを極めたいとは思わないので、「これくらいで良いでしょう」と満足することに。
 なにごとも“ホドホド”が一番、が私の信条だ。

 でもこのゲームを再び遊んでいて、疑問が一つ。

 何が面白いの?

 だって、ただのジグソーパズルでしょ。ただの絵合わせでしょ。いったいどこに面白要素があるの? もしもこのゲームの面白さが分解可能なものとして、それを別の要素に組み替えて再現可能か?

 でもジグソーパズルの面白さなんてどこにあるのかわからなんてわからない。ではお話しをもうちょっと単純化して、「どのタイミングでストレスを感じているか」「どのタイミングで快楽を感じているか」……という話から掘り下げていこう。

 まずゲームを始めた瞬間。「ゲームを始めた瞬間」……というのはストレスを感じていない。「よしやるぞ」という前向きな気分からスタートしているので、ゲームを始めた直後にはストレスはない。

 ジグソーパズルのセオリーとして、まず端っこを探す。ついでに一番わかりやすいキャラクターの顔も探す。この時、「快感」よりもじわじわとした「ストレス」を感じている。
 ちなみに、ストレスの測定器とか使わず、プレイしながら自分に対してストレスを感じながら問いながらやっている感じです。

 少しゲームが進んでいるように見えるが、実はストレスを感じている。探しているピースがなかなか見つからない。合わせようとしても間違えている。試行錯誤をしているタイミングで、実はかなりモヤモヤしている。

 全体の形がはっきり見えてきて、ようやくストレスが解消されている。

 ほぼ完成状態。ほぼストレスを感じていない。

 完成直前。やっと終わった……ストレスから解放される瞬間だ。

 ちょっと別ステージの例。
 このステージは左半分以上がほとんど同系色の幾何学模様となっている。残りピースを見ても、どれがどのピースなのかさっぱりわからない。
 こういうステージの攻略時は、もうえんえんんにストレスを感じ続けている。“攻略の方針”が見えないゲームもストレスが大きくなり過ぎる原因だ。

 ……あれ? ずっとストレスがかかりっぱなしで快感を感じている瞬間がほとんどなかったぞ?
 実は“そういうもの”なのだ。ジグソーパズルの快楽は“ストレスから解放されること”にあると考えられる。
 ジグソーパズルの場合、ゲームを始めて間もなくストレスがじわーっと広がっていく。そこから少しずつストレスが解消され、快楽に変わっていく。ゲームの中で素早いストレスと快楽の解消という展開がない。ゲーム全体の中で「ストレスと解消」について考えていかねばならない。
 ただしジグソーパズルをやっている最中に快楽を感じる瞬間というものがあって、それがピースがはまる瞬間。ピースがはまる瞬間は一瞬ストレスから解放され、快感を感じる。さらにこのピースがはまる瞬間が連続すると、つまり“コンボ”みたいな状態になると快楽がどんどんと来る。

 例えばこちらのステージ。19分ほどの素早さでクリアすると、ピースが次々と連続でハマる……ということが何度も続き、結構気持ちいい。

 こうしたことから、「ゲームの快感とは?」どういうものか考えることができる。ゲームの快感は、実はストレスをかけて、そのストレスから解放される瞬間に感じるもの……ではないか。

 桜井政博さんは「ゲーム性とは?」という問いに対し「リスクとリターン」と定義づけた。リスクを振り込んで、リターンを得ること。よりシビアなリスクを振り込むと、より大きなリターンが得られる。それがより良いスコアを得たり、レースゲームならよりよいタイムが得られる結果となる。これ自体はパーフェクトアンサーなので、足したり引いたりする必要がない。
 この話をちょっと言い換えてみると、「ストレスを振り込んで、そこから解消される瞬間」がゲームの快楽だともいえる。なぜならリスクを振り込む瞬間、ストレスを感じるはずだから。
 より高いスコアを得ようとする瞬間、プレイヤーはより高いストレスを自分にかけている。高難易度への挑戦や、より早いタイムアタックの挑戦や……。その挑戦時のストレスから解放される瞬間に快楽を感じている。
 例え話をすると、自分のストレスを「掛け金」にしてギャンブルしているような感覚だ。より多くのストレスをベットすると、より多くの快楽が得られるという仕組みだ。
 単にストレスをかけて、解消されるだけ……ではダメ。ストレスが解消されるときに、プラスにならなくてはならない。例えば100のストレスをかけるとして、それが解消されるときにストレス値が0になるのではなく、プラスのなにかが起きるようにならなければならない。例えば通常より高いスコアであったり、レースゲームならより良いタイムであったり。報酬が出ると、プラスに、つまり快楽が発生する。自分のストレスを掛け金にしてギャンブルしているわけだから、戻ってくる時の快楽が同じであってはいけない。常にプラスになっていなければ賭ける価値がない。
(ちょっと不思議な話をすると、格闘ゲームのコンボなどで、“自分に課した目標通りのコンボ”が出ないと、“不快を感じる”というのがある。ある程度うまくいっていたとしても不快を感じる。偶発的にコンボが出た場合にはこの不快は感じない。自分に「これだけのコンボを出すぞ」とストレスを課して、思った通りの結果が得られなかった場合に不快を感じる。こういう時の快感・不快はコンボシステムが導入されていないゲームの頃にはなかった感覚だ。これはレースゲームで自分にかけた「目標タイム」が出なかったときに発生するストレスに近い)
 もちろんそういうストレスを振り込むことなく快感を得られるケースはある。破壊の快楽や、猛スピードで駆け抜ける快楽や……。しかしながら、そうした場合の快感はわりとすぐに飽きる。あえてストレスをかけて、そのストレスから解消された瞬間のほうが得られる快感は大きい。
 だから「リスクとリターン」の考えは、そのゲーム中にどれだけ《ストレスとストレスからの解消》を展開よく収められたか……そのための考え方であるともいえる。言うまでもなく、「ストレスとストレスの解消」が一度のプレイングのなかで何度も展開として収まっているゲームが良いゲームだ。

 しかしながら「ストレス耐性」というのは人それぞれである。
 弱いストレスで充分、という人もいれば、強烈なストレスを課せられていないと満足できない……という人もいる。
 そこで出てくるのが「難易度」。
 ある程度ゲームがうまくなっていくと、そのゲームからなかなか快感が得られなくなる。すると難易度をどんどん上げて、「ストレス負荷」をどんどん強めてしまう。この調整が難しいところで、当然ながら難易度を上げてクリアできなかったら、それはそれで不快な体験となる。一方で、自分が潜在的に持っているストレス耐性に対して、難易度がゆるいとクリアできたとしても充分な快感が得られない。この関係性は常に「ギリギリ」であったほうがよい。
 これはわかっていたとしても、設計が非常に難しい。(昔ながらのアクションゲームは)ゲームは進行していくと無制限に難易度が上がり続けてしまい、やがてプレイヤーが潜在的に持っているストレス耐性を超えてしまう。ちょうど良いところで難易度上昇が止まればいいのだけど、そんなゲームは見たことがない。難易度が上がっていき、最終的にゲームオーバーを突きつけられ、「ストレスからの解放」つまり「快感」が得られないままゲーム終了となってしまう。これだとゲームをやっていても、なーんかスッキリしないなぁという感じで終わってしまう。経過はどうであれ、最終的に「クリアする」という「ストレスの解放」がなければいけない。
 ゲーム中でプレイヤーの腕前を診断して、ちょうどいいギリギリの難易度で「難易度上昇を止める」……これがゲームの理想型だけど、そんなゲーム、私もお目にかかったことがない。いつかそういう設計のゲームを楽しんでみたいものだ。
(あり得ないわけではない。AIでプレイヤーの腕前を診断し、「ちょうどいい難易度」に調整し、ステージを提供する手法も存在している)

 ストレスを仮定として数値化してみるという手はあるかも知れない。一回のミスでストレスが100積み上がるとして、並のプレイヤーは10回ミスしてゲームのスタート地点からやり直しをさせられる。それでクリアしたときに、そこまで積み上がったストレス値1000を解消するだけの快楽/解放感があるか。もしなかったら、そのゲームは「面白くない」ということになる。
 1000のストレスがあって、1000を越える快楽がないゲームは1回クリアしたらそれでおしまい、もう一回やってもらえることはないはずだ。プレイヤーがゲームの過程で感じているであろうストレスを仮定し、それを越える快楽のあるゲームデザインになっているかどうかを考えねばならない。

 さて、そろそろジグソーパズルゲームのなにが面白のか? どの瞬間が面白いのか……という答えに向かって行こう。
 ジグソーパズルのゲームは、ステージ全体がストレスの全体像になっていて、進行過程でストレスから解放され、最終的に快感に変わる……というゲームだ。ゲーム性の定義である「リスクとリターン」をステージの全体でやっている……という感じだ(ただし、ジグソーパズルなのでゲーム進行中に「リスクとリターン」という展開がないわけだが)。
 例えば300ピースのパズルの場合、300のストレスがプレイヤーに負荷としてかかっていて、そのストレスが最終的に解消されるから快楽を感じる。

 ちょっとオマケ。
 これも「難易度」というのかも知れないが、こちらのタイプのステージは非常にストレスがかかる。というのも、背景に細々としたパターンが描いているのだが、これが細かなピースになると何が何だかわからなくなる。ほとんど「同系色の幾何学模様」を解いている時と感覚が一緒。こういうステージは非常にストレスが強く、ゲームをクリアした後もさほど快楽は感じない。
 300ピースのパズルの場合、ストレスの総量が300と仮定するが、こういうステージの場合、ストレスが400くらいに感じてしまう。しかし300ピースのジグソーパズルの場合クリアしても300ぶんのストレスしか解消されないから、100くらいのストレスが溜まって持ち越しになってしまう……という感じになってしまう。

 やっぱり「わかりやすい、解きやすい」ステージの方が快楽を感じやすい。
 ただし、それは私が潜在的なストレス負荷がその辺りだ……ともいえる。より強いストレスを求める人は、より難しいステージを求めて、それをクリアすることで快楽が得られるだろう。無意識的にそういう難易度のステージをきっと求めることだろう。

 またさっきの絵をあげるが、この絵は非常にわかりやすいので、ゲーム中でどんどん「コンボ」に似た状況が起きる。ストレスから解消される展開が早い。こういうステージだと最終的に300以上のストレスが解消されたように感じられる。
 ストレスの総量が最大300と仮定して、最終的に解消されるストレスは300が限界値ではない。それ以上のストレスを解消させることができる……というのも作り手側のテクニックとしてあるかも知れない。

 番外編。
 例外中の例外の話だが、クリア達成目標が「男」になると、急にモチベーションが下がる。これは私がそういう嗜好だからでしょう。
 クリア目標がなにであればモチベーションを維持できるのか? これも案外大事。可愛い女の子を目標に進みたいんじゃ~!

 それでは次に、ジグソーパズルの面白さをどうやって要素を組み替えて、他のゲームに組み込むことができるのか?
 これは「文法」をいかにしてパクるのか……という話だ。メロディをパクるのはダメだけど、コード進行はパクっても良い(文法はパクるな……と言われると何も書けなくなる)。「パクリ」という言葉に過剰反応してしまう人は、この違いをまず理解して頂きたい。
 リスクとリターンのゲーム文法は基本的には捨てる。ステージ全体にストレスの総体があって、それが解消されていくことで快楽が得られる構造とする。この場合、ゲーム全体に与えられたミッションがなかなか解けない……ということがストレスの全体像となる。それに対してプレイヤーは、停滞なく前へと進む。いわゆるな謎解きパズルだと、「考える時間」が発生し、そこでゲームの展開は停滞する。一方、ジグソーパズルの場合、こういう停滞はほとんどなく、ひたすら前へ前へと進める。この前へ進めるという展開の良さがストレスの解消へと繋がっている。お邪魔キャラの妨害とかやらなくても、ステージ全体がストレスの総体になっているから、「敵キャラの妨害」は必要がない。

 ここまでの要素を分解し、別のゲームを作るとしたらどんなイメージが想定できるか?
 ここからはみんなの課題。ここまで分解したら、要素を変更して別のものを構築するのはさほど難しくもないでしょう。「リスクとリターン」のゲーム文法だとプレイヤーが自らストレスを振り込まないと快感が得られない。それはどうしても上級者の遊びとなってしまう。それとはもう少し別のゲームの快感について考える切っ掛けになるかも知れない。

 最後に、私はこのゲームを長くやり続けているけど、ではずっとこのゲームで快楽を感じ続けられるのか……というとそうではない。
 というのも、クリアしたときに「クリアタイム更新!」が出なくなってきた。この「クリアタイム更新」が出たときが300以上のストレスから解放された瞬間になっていた。このゲームで再び快感を得ようと思ったら、自分に対してストレスを課すことになる。それで、思った通りのクリアタイムが出なければ快楽が得られない、なんかモヤモヤして終わる、ということになる。もしも頑張って良タイムを出したところで、次に快楽を得ようと思ったら、さらに自分に対してストレスを課すことになる。そこでさらなる良タイムが出たところで、快楽の応酬が大きくなるか……というとそんなことはない。しんどくなるだけで、得られる快楽の応酬は以前と一緒だ。最終的にはストレスの度合いのほうが大きくなるだろう。
 普通のプレイだと、300あったストレスが最終的に0になっただけ。これだとゲームの体験だといまいち薄い。プラスにならなければならない。それがないと、このゲームをこれ以上繰り返しやったところで、もう快楽が得られない……ということが確定的になってしまう。
 こういう状態になるともうこのゲームから快感を得ることができない。「飽きる」という状態になる。
 ではこういう快感が永続的に得られるゲーム設計はあるだろうか? クリアしたときに、300あったストレス以上の快感が得られるなにかはあるだろうか? これが最終的に残った問いになってしまった。


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