見出し画像

9月28日 芝居のことはなんにも知らねーが……声優のナレーションについて考えてみた

 この頃はアニメを専門にやっている声優がバラエティ番組のナレーションをやることも多くなり、そこで声優のナレーションは聞きづらい……というような意見がある。
 うーん、「ナレーター」も「声優」なんだけどなぁ……。
 という話はさて置きとして、私は芝居のことはさっぱりなんにもわからないのだけど、「もしかすると理由はあれかな?」と思うものがあったので、メモっぽく書き残そう。

 まずは次の文章をお読みください。

 石坂浩二自身も、ナレーションにはこだわりがあると言っています。もともと彼は声がわりに失敗して、自分の声をうまく出せない時期があった。そこでボイストレーニングに通って、音域を広げる練習を始めます。その時に気付いたのが、声にも実はメジャー、マイナーがあるということ。つまり長調、単調がある、と。これを使い分けられるようになったら、幅広い表現ができるんじゃないかと思うようになる。
(春日太一『市川崑と『犬神家の一族』』 133ページ)

 人の声にもメジャーとマイナーがある。メジャーとマイナーとは「構成音」のことで、メジャーコードは明るく調和した音の響きのこと、マイナーコードとは暗く悲しみを表現するときの音の響きのことを指す。
 もっと詳しい解説は、まあ音楽に詳しい人にでも聞いておくれ。
 石坂浩二さんはこの発見があったから、共演者の声を聞いて、その時々の演技を決めていた。例えば共演者の声が低かったら自分は高い声を出し、共演者の声が明るかったら自分は低い声を出す。この話を聞いて、改めて石坂浩二主演の『犬神家の一族』を見ると、本当に共演者によって声のトーンを使い分けていた。
 石坂浩二さんは他の共演者がどんなに喋っているシーンでも、自分の声を前面化させる技術を持っていて、実践していたというわけだ(だからやたらと聞き取りやすい)。なんでそんなことができるのかというと、ナレーションの技術があったから。
 ナレーションをやるときに、音楽がメジャーで自分もメジャーの声を出したらぶつかりあって聞き取りづらくなる。音楽がメジャーであれば、自分の声はマイナーでやる。こういう発想法は、ナレーターとしての経験があるから身についたものだった。

 それで、「声優のナレーションは聞き取りづらい」という話を聞いたとき、確かに声優の声は音楽の埋没しちゃって聞き取りづらくなっている場合がある(前から気になっていた)。これはなんでだろう……もしかしたらその理由は、自分の声をメジャー/マイナーと使い分けて発声するという発想がないからではないか。というか、演技の世界にそんな発想なんてあるわけがない。
 これは声優に限らず、実写の俳優でも同じ話。声優や俳優は、周りの空気と“調和”させて音を出すというテクニックに長けている。つまり、その時々の共演者とタイミングや息を合わせて声を出して芝居をする。「合わせる」ほうを中心に考える。またアニメキャラクターの場合、基本的にはキャラの声トーンは固定でなければならない(変えてしまうと「キャラブレ」と認識されてしまう)。この発想法だから、周りの音を聞いてメジャー/マイナーを使い分けようとは思わない。
 この辺りの発想法が、いざナレーションになると、周りの音に埋没して聞き取りづらくなる原因じゃないか……と推測する。
 芝居の発声法と、ナレーションの発声法が違う……ということに気付かねばならない。

 知らんけど。
 芝居のことは何にも知らんから。ここに書いた話でも正しいかどうか私はなんにも知らん。

 なんにしても、専門職に勝るものはない。こういうのは、一番うまい人にお任せするのが手っ取り早く確実。
 そこで今の時代、「人気」や「話題」が重視されちゃって、「中身」が軽視されがちなのが難しいところだけど。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。