見出し画像

写真日記/相手がどうであれ

 ――写真日記、なんて題をつけたのは、記事を書くのがしんどいからで。書きたいことはあるのに、どうにも書く気が起きない。疲れているのかな、疲れているんですよね。今まで楽しめたことが、楽しめなくなってしまう、くらいには。VRゲームには、最近ログインできていない。カメラでさえ、持ち出さない週末が続いていて。このままでは防湿庫の肥やしという始末。

 と言いながら、だらだらと過ごし、自然と元気になるのを待つのも良い。そんな風にも思っていて。どうしてかって「人間はよくできている」から。どんなに疲れたとしても、ちゃんと休めば回復する。これは本当にすごい。疲れていたって、ひと晩ぐっすり眠れば元気になるのですから(もちろん、必ずしもそうではないけれど……)

 ただ、この「ちゃんと休む」というのが難しい。疲れの原因をそのままにしていたら、当然、回復するわけがありません。眠っても疲れが取れない、それどころか眠れない、食べられない。こうなってしまうと事態は深刻で。睡眠と食事は「健康のバロメーター」。何より大切にして欲しいものです。

 閑話休題。写真日記としたのは、記事を書く負担を少しでも減らすため。写真を多めにして、文章を減らしたら、書く方も、読んでくれる人だって、楽じゃないかなって。いま抱える疲れに対する「対症療法的」なアプローチとして記事の書き方を変えてみよう。そのとき思ったことや感じたことを、写真と一緒に載せようと思ったわけです。

 ところで、その疲れの「根本的な原因」は何かという話もあって。仕事が忙しいとか、残業が続いているからみたいな話だったら。ちゃんと食べて、よく眠れば何とでもなるもの。何ともならないのはいつだって「人間関係のトラブル」なんですよね。

 最近悩んでいるのは、職場のとある後輩のことで。何と言うか、考え方が違い過ぎて戸惑っています。次のステップにつながるような、新しい仕事を任せようとすると、露骨に嫌がる。仕方なく手伝いを頼むと、黙って帰る。後輩と僕の二人で取り組んでいる業務なのに、他の先輩に教わろうとする。

 嫌われているのかなと思っていると、ご飯行きましょうと誘ってきたり、恋人の話を聞かせてきたりと、何を考えているのか、本当に理解できない。「○○世代」というのはあてにならない「個人差」だと思っているけれど、この子は「価値観が違い過ぎる」と痛感していて。やり取りをしていると、突飛な言動が多すぎて、理解に苦しみます(お互い様なんだろうけどね)

 いまの時代、厳しく言っても駄目だし、だからと言ってご機嫌を取るのもおかしい。けれど上司からは「ちゃんと面倒見てやれ」なんて言われたり。もう何ともならないんじゃないのかな、なんて考えているときに、ふと気が付いたのです。そもそも「何とかしようとする」のがおかしいのかもと。

 相手がどうであれ、自分の立場でできることをする。教えられることは、教える。質問されたら答える。様子をみてフォローする。自分が教えたか、ではなく、業務が遂行できればまずは充分。誰が教えたのかなんてことは、大した問題じゃないんだなって。そうしてできることをやっても、どうにもならなかったとしたら仕方ない。どんな結果も、甘んじて受け入れようと。

 僕は好き嫌いの激しい方ですが。相手が好みのタイプかどうかではなく。言い換えれば「共感できるかどうか」ではなく。何が目的か、何のためか、優先順位はどうか、そんな基本的なところに立ち返ることが大事なんだと。教えているつもりが、教わっていた。そんな話でした。
 

電車に乗ってるときに限って、撮りたくなる問題(撮れてない)

X100F

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?