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日本人の"お気持ち"と、台湾人の気質と

えー、ついぞ一昨日に、30日連続投稿しました!などと言ったそばから、やってしまいました…。

友人と「まん防」開始前に、しっかり飲んでました。楽しかったです、ハイ。

さて、本題に入りますが、最近ラジオやPodcastを良く聞くようになったのですが、その中で、タイトルが気になって聴いたのがこちら。

簡単に説明すると、

・日本人は「何を話すか」より「誰が話すか」に関心が行きがち

・特に、「気持ち」を分かって「共感」を求めるという空気が蔓延しており、このままでは日本人はあらゆる面で強くなれない

・一方で、台湾人は日本人と同じようなメンタルでありながら、オードリー・タンの政策が市民の皆が積極的に参画することで成功しており、その背景として、個人の「気持ち」よりも「事実」に目を向ける気質がある

・しかもその気質は、台湾では、とある“諺“?として存在しており、子供の時から人々に浸透している

ということで、調べましたよ。“諺“を。
あまりに気になったので。

「叱るという行為は、その人の態度についてではなく、ある物事に対して行われるべきです。その人に対する批評と、間違った行為を正すことは異なる行為だからです。

たとえば、誰かがはみ出し駐車をしている時も、赤信号で横断歩道を渡っている時も、その人を否定するのではなく、その出来事に対する批評であれば人前であっても行っていいと私は思いますよ。

このことを表す『對事不對人(ドゥイシーブドゥイレン。人ではなく、物事に対して行おうという意味)』という台湾の流行語があります。英語だと〈Don’t take it personally〉といったところですね。台湾でこの漢字五文字を知らない人はほとんどいないでしょう。誰もが100回は聞いたことがあると思います」

そう言いながら、この言葉を日本に紹介することが面白くてたまらないといったように、おかしそうに笑う。

「對事不對人」は、台湾で昔から標語のように使い古された言葉で、あえて言葉に出して説明するものでもないからだ。小学生の長男は知っていたが、この言葉を知らなかった私は、これまでなぜ道端で見知らぬ人々から声をかけられていたのかがわかった気がした。

人ではなく、物事に。

ああ、耳が痛い。
これが我々にできていれば、あらゆる物事がもっと楽に解決できてそう。

最近、ネットでもよく聞く、「お気持ち○クザ」「繊細チンピラ」。これらは、共感を迫るやり口ですな。我が国特有と言ってもいいかもしれません。

自分に限らず、もっとこう、人格と事実とを分けて考える訓練なり教育などが普及すれば、いじめも減るし、会社のストレスも減って、労働効率向上、医療費軽減、自殺者減少…と良いことずくめにおもえるんですけどね。

無理か。
それこそ上の世代が「察しと思いやり」の精神の体現者?ですから。そんなドライな気風は受け入れ難そう。

話は冒頭に戻りますが、このnoteには、「予約投稿」なるものがあるのですな。
もっと早く知って使っておけば…。

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