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自分が世界の創造主

 光の国から来たことを急に思い出してから、宇宙真理が全部、聖書に書いてあることが分かった。
イエス・キリストは、あの時既に宇宙の仕組みに気づいていて、「私たち地球人は皆が光の国からやってきた。そして、神とはハイヤーセルフ(自分自身)のことであって、実は今見ている現実も、自身で創り出している妄想に過ぎない。だから、自分自身で思い通りの人生を描けば良いだけなのだ」ということを、当時の人々に伝えたかったのだ。
つまり、彼は、神を信じろとは言っておらず、「この世界は君が創っている。神とは君の事なんだ。」と言い続けた。
私が知りたかったことは、結局はイエス・キリストが全部言っていた。ただ、彼の言葉をまとめた弟子たち(聖書)は言葉という手段以外では後世に残せない。そして、他の本や数学と同じで、ピンと来なければ読んでも読んでも、正しくは理解できず、なんとなく別の理解で納得することになる(これを聖書では、精霊が来るのを待つしかないと言っている)
 
ちなみに、日本では、キリスト教が哲学思想を説いているところだと誤解されてしまっている。それは、仏教であり、キリスト教や他の大体の宗教の目的ではない。
実際、イエスの当時の思考/行動とその後に建立された組織であるキリスト教(教会)とは関係がない。寧ろ教会は、イエスが人々に伝えたかった事とは、実は真逆の存在で、バチカンに代表されるように、これは、神の名の元に統治をするための、謂わば、政治的システムでしかない。(昔の日本が天皇の名の元に統治していたのを想像すればなんとなく分かるかも知れない。ただ、天皇は生存している存在で、イエスキリストはもう居なかったので、そこの部分の概念は違うが。)
イエスは、「この政治システムは君の地球生活には本当は必要はなく、君は全てを自分で創造出来る」と言っていたのであって、つまり、彼は無宗教(なぜなら自分自身が神なのだから)をお勧めしていた。
仏陀が偶像崇拝をしないことを勧めたのと、つまりは同じである。
自分自身が神で、全てを創り出すことができるのだから、社会などの組織にグループの一員として所属して“助けて”もらう必要は本当はないのだ。
 
簡単に言うと、例えば、
私は海が大好きだから、地球暮らしの最終日まで毎日ただぼーっと、海を好きな人と眺めていたいと決めれば、空から最愛の人が降ってきて、食べ物も降ってきて、理想の地球暮らしを毎日楽しむだけという事になる。
 
ただ、これを信じるのは難しい。
なぜなら、地球という星には産まれた時からトラップがある。そのトラップとは、先ずは、この地球には社会という助け合いのグループがあり、自分は産まれた時からその環境に所属していると信じ込むトラップ。
こう書くと、まるで社会が赤ん坊を洗脳して、悪いように響くだろうが、それもまた違う。
 

私は、これを今読んでいるあなたたちに何かを伝えたくて書いているわけではない


なぜなら、このトラップを創ったのも私。このトラップにはまって、これが現実の地球暮らしだと信じている大半の人を作ったのも私。地球の歴史を作ったのも私(氷河期も戦争も、本当は無かった)。従いたくない法律も、年金制度などの納得の行かない、しかし、なぜそれがあるのか理解は出来るシステムも、赤信号も、学校の制服も、ぜーんぶ嫌いなものを、実は私がわざわざ創ったのだ。
 
なぜ?
 
地球暮らしで、この謎解きをしたかったから。
 
宇宙から来たのだから宇宙の真理をもともと知っていたのに、地球に来るときに一旦それを忘れて、違和感のあるものをわざわざ自分で創って、そこに押し込められながら、なぞ解き(宇宙の真理の探究)を始める。解けた時のスッキリ感を味わうため。
その謎解きのヒントとして、真理を語った人たち(イエス・キリストや仏陀)が居る。つまり、この存在も、私が創ったのだ。
 
なるべく謎解きを長く楽しみたかった私は、間にまたトラップを創って、解答に辿り着くことを難解にして行く -社会的な考えに固執している人たち、承認欲求のかたまりの人たち、エゴを大切に育む人たち、自分の外ばかりに価値観を置く人たち、これらをもっと浮彫にさせるための馬鹿げたソーシャルネットワーキングサービス、戦争…- これらの不快なものをまた創って、自分をそこに押し込めて、謎解きをスムーズに行かないようにする。
 
小さい時に、信号機のルールを教えられた時や、幼稚園で地球儀を見せられて、私の立っている地球は球体であると習った時や、退屈な社会科で戦争について習った時の、空からキーンと音がする違和感はこれだったのだ。私が自分で、この世にあって欲しくないものをわざわざ創った合図だった。
 
さて、私が好きなもの、イエスキリストでさえも、仏陀でさえも、大好きなアマデウス・モーツアルトやマイケル・ジャクソンでさえも、私が創った偶像に過ぎなかった。
 
今、こうして書いている最中に窓の外から聞こえてくる、工事の音も、私がまるで地球で生きているかのように感じられるように、自分で創ってみている。
地球が丸いというのも、わざわざ見つけた人のストーリーまで創って、丸いと自分に信じ込ませてみたり、一体、地球に何しに来たのか分からない『かぐや姫』の話も、謎解きのヒントになるように創ってみた。
通りで、メトロに乗るたびに、どの国籍であれ、どの年齢であれ、私の顔以外は、見たことのある顔の繰り返しなわけだ。私の人間の顔に対する想像力のバリエーションが少ないというわけだ(笑)
通りで、大好きな『ちいかわ』のキャラクターも、見ず知らずの他人が描いたアニメなのに、私の知っている行動をするわけだ。
通りで、雨空でも、望めば太陽が出てくるわけだ。

さて・・・・私は自分が創ったものに囲まれて生きている・・・・
こうして謎が解けてしまったら、これから何をしようか・・・


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