人はなぜ同意を他人に求めるのか

イスラエルでまた戦争が始まった。パレスチナ問題。

民族争い、民族差別、宗教争い、宗教差別。歴史的な問題で、戦争にまで発展していることに対して、幼稚な表現かも知れないが、
 
   なぜ、隣人が自分と同じでないと居ても立ってもいられないのか・・・
 
それが私にはどうしても理解できない。
そして、殺し合いをすれば、家族を殺されれば、その憎しみあいは、繰り返せば繰り返すほど深くなっていくのは当然なわけで…
 
分かりやすく、身近な話に置き換えると、私の友人がコロナ期に陰謀論者になった。そもそも、どこの国であれ、国家は真実は言ってないと日ごろから思っている私*にとっては、寧ろ、陰謀論者って、新しい国家を目指す私欲のある人たちに、「あっちが嘘をついていてこっちを信じろ」と、結局、同じ二の舞を踏もうとしているようにしか見えてない。
*というか、私の宇宙観(哲学)では、実際に私が見ていると思っているものでさえ、存在していないかも知れないし、逆に、私が認識していないものも、存在している場合もある。つまり、何も信じていない。
それより、現在の自分の人生に不満があって、国ごと変わってくれれば、私の人生も変わると期待している人に限って陰謀論者になっているように私には見えている。自分の世界を創っているのは社会ではなく、自分が自分の世界を創っているのだと知れば、あっちの意見、こっちの意見、と、他人や環境に振り回されずに済むのにな・・と思っている。
しかし、友人は、陰謀論に同意しない私に、「人の意見を否定しないで!」と言い出した。私は冷静に「否定はしていないよ。賛同してないだけだよ。」と返答したが、彼女の炎上はもうサヤに納まらなかった。上記に書いた通り、「何も信じていない」という“奇妙な”意見を持つ私を理解できないと、罵りの言葉を吐き出し、「どうして政府の事信じちゃってるの?」と、かなり筋の有ってない内容を(何も信じていないがなぜ政府を信じているに置き換わるの?w)馬鹿にしたトーンで書きなぐって送って来る。
「さっきから言っているように、私は政府も信じてないんだよ。何も信じていない。」と書いても、また「他人を否定するのはよくない」の繰り返し。
 
ここで、私は気づいた。この人の頭の中には、「賛同」か「否定」しか存在していない
他人の考えをその人の考えとして、見過ごすことは出来ないのだ。
結局、他人を否定してるのは…一体どっちだよ?(笑)って思ったが、もうそれを言うのさえやめた。
だって、こういう人が、戦争の原因になる。
自分の意見に同意して欲しい・・・これだけの動機で他人を許せない人。
 
宗教紛争、宗教差別: 私の神こそが神で、お前のは神じゃない
民族紛争、民族差別: 私の民族こそが優れていて、他の民族は劣っているから滅びるがいい
賛同欲求: 私の意見こそが正しくて、それに賛同できない人は悪者

 
ほらね、考える方向性は同じ。物理的暴力をするかしないかだけで。ちなみに、さっきの友人の場合は、個人的に送って来る長文メッセージで、言葉の暴力が半端なかった。
私は、こういう人は戦争が起こる原因になる人なので、もうさっさと縁を切った。私は彼女の作る世界に住みたくないし、彼女に私の世界に住んで欲しくないからだ。
 
しかし、こういう人は少なくない。
だから私は、例えば友人のフェイスブックの投稿も、「あれ?」と思っても、コメントしない。というか、明らかに変な事書いてたらつっこみたくなっちゃうんだけど、もし、つっこんだら騒ぎになるから、そういう人は、友達続けたまま、書き込みはもう見ないって決めてる。
 
だって、戦争起こる原因になるからさ・・・
私の世界に存在してもらっちゃ困るんだ。

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