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高校中退した僕が明治大学に現役合格するまで③

こんばんは!
げんじろうです!

今日で3回目の投稿になります。
3回目ともなると、段々慣れてきた感はありますが、今日も記憶をかき集めながら頑張って書いていこうと思います。

驚いたことに今日だけで沢山のフォローと「スキ」を頂きました。ありがとうございます🙇‍♂️

ただの独り言みたいな形で拙い文でしかないのに、こんなに多くの人に見てもらえるとなると少し緊張してしまいますが、今日もボソボソと進めていきたいと思います。



さて、昨日自己紹介をしましたが、今日からは少し自分の生い立ちについても書いていこうと考えています。

このnoteは題名からも分かるように「大学受験」をテーマにしたものではあるんですが、①でも書いた通り、単に受験のノウハウとかテクニックを全面に謳うものにはしたくないと思ってます。

一度道を踏み外しても何とかなる。というのを伝えたいという気持ちもありはするんですが、そんな偉そうな事を教授できるとも思ってないですし、受験指導のプロでもないんで、正解とか答えは導き出せる立場でもありません。

ただ、話を進めていく以上、僕の身の内の事を伝えないとイメージも付きづらいと思いますし、何より読んでても面白くないと思うんですね(もちろん書いてても)。

あと僕としては、昔のことをただ単に思い起こしたいとまでは言わないですが、そろそろアラサーも近づいてきたということで、これまでの自分の青年期を振り返ってみたいという気持ちもあります。

もちろん完全なる回顧録の様な形にするつもりはないんですが、若しかしたら捉え方によってはそんな感じになるかもしれないです。言い換えると「圧倒的自分語り」。

noteで書くことかどうかは分かりませんが、それでもよければ、読んで頂けたら嬉しいです😊🤲

では、話を進めていきます。

①生まれたときの事

僕は24年前の8月に九州のある県の小さな街で生まれました。

県庁所在地までは電車で30分ほどで到着する県央に位置する街ではありますが、市街地を東西に分ける綺麗な川が流れていて、そこにある飛び石を子供たちが渡ってる様な風景をいつでも見ることができる田舎街です。

僕はそんなありふれた街に住む夫婦の3人目の子供としてこの世に生を受けました。

ただ生まれた時、かなりの早産でした。
生死の境を彷徨っていたみたいで、生まれてすぐ集中治療室みたいな所に送られたらしいです。

父と母はかなりショックを受けた様で、
母に関してはしばらくの間、自責の念からかずっと泣き続けていたという状態…
生まれた時からかなりの心配をかけた様です😅

ともあれ、病院の皆さんに頑張って頂いたおかげで、母の退院から1ヶ月遅れくらいで無事に退院。

もちろん当時の事を覚えてる訳はないですが、5年ほど前に、その際、懸命に治療をして頂いた先生にお会いさせて頂きました。
唐突に父から「お前の命の恩人だよ」と紹介されましたが、正直なんと言ったら良いものか、「ありがとうございました」の一言だけお伝えしました。

ただ、やはりその方が居なかったら、僕はこうしてnoteを書く事もなく、存在すらしなかったということで、今では感謝の気持ちで一杯です。またいつかお会いする事が出来たなら改めてお礼を伝えたいと思っています🙇‍♂️🙇‍♂️

さて、無事に退院し我が家の一員になった僕ですが、
当然ですが、かなり、否、とんでもなく甘やかされて育てられました。笑

両親からしたらそりゃそうだろうなと思います。生死の境を彷徨った子供が、その後は大きな病気もせずに育ってくれたのですから。

何より僕が初の男の子だったことも大きかったと思います。

両親、姉だけでなく、父方母方の両祖父母からの愛情の大きさも当然のことながら、相当のものでした。

②家族構成


とりあえず、ここまで一気に書いちゃいましたが、ここでまとめて家族構成を書こうと思います。

と言うのも、僕という人間形成の過程において、「家族」というものは僕の中で一つの大きなテーマでもあるからです。

以下に、僕が生まれた当時の家族構成と簡単な紹介をまとめてみました。

…医師。祖父から引き継いだ病院の二代目。仕事一筋系人間。性格は極めて温厚。声を荒らげる事はほとんどない。田舎のボンボンタイプ。

…父の病院で主に事務と会計を担当。自由奔放。気が強い。ただ家族愛も1番強い。息子の僕が言うのもなんですけど、かなり美形の類に入ると思う。母を見た人から「綺麗なお母さんだね」と大体の人から言われる。そんな感じ。

上の姉…しっかり者。どちらかと言うと父に性格は似ている。俗にいう優等生タイプ。ただ家族だけで過ごす時はわがまま娘に豹変する。後に父と同じ医学の道に進む。僕にとって、お姉ちゃんらしいお姉ちゃんはこの人。

下の姉…天才肌。自由奔放レベルMAX。そこら辺も含めて母の生き写し。「我が道を征く」的な性格だが繊細な部分も多々あり。どう足掻いても敵わないと思う存在(昔は勝手にライバル視してました)。僕の人生にかなりの影響を与えている人。

父方の祖父…このnoteの僕の名前の名付け親。医師で開業医。温厚篤実で医者以外にも色んな活動をしていて、俳人としても著名だったらしい。生前に話した記憶はほとんどない。

父方の祖母…厳格な人。The田舎の病院の奥様。母とはあまりそりが合わなかったらしい。正直あまり思い出はない。

母方の祖父…The 昭和の男。最終学歴は中卒ながらも職人としてその腕一本で祖母と母含めた子供3人を養い育て上げた。厳しさと優しさと洒落心を兼ね備えたイケおじ。僕にとって当時世の中で1番怖かった存在。僕の育ての親です。贔屓目なしで若い頃は石原裕次郎そっくり。

母方の祖母…僕たち孫を溺愛するおばあちゃん。元陸上選手でオリンピック強化選手に選ばれたこともあるゴリゴリのアスリート。祖父の事が好きすぎるあまり、嫉妬と束縛がすごい。それとは別に、母の家族愛は確実にこの祖母から受け継がれてると思う。

と、こんな感じですね。
他所の家は知らないのでなんともいえないですが、今書き出してみてもかなりキャラが濃いと思います。

まあ、こんな家で僕は育ったわけです。

上にも書いた様に、父と母がそれぞれ育った環境は全然違うものでして、
いろんな意味で影響を受けたと思います。

ただ共通しているのが、
⑴初の男孫であること。

もっといえば父方からすれば
跡取りかつ3代目としての期待というものは間違いないものとしてそこにはありました。

これ、田舎で育った人からすれば、若しかしたら何となくでもわかってもらえるかもしれません。

逆に全く意味がわからない・理解が及ばないといった意見も全然あると思います。

とはいえ、実際問題この2つのテーマは、後々まで僕にとっての命題と言えるものだったんですね。


と、まぁ全然話は進まなかったんですけど、
今日はこんなところにしておこうと思います。

ただ、僕の人間形成の過程にとって家族というのは非常に大きなテーマだったので、
細かく書いてみました。

明日も思い出しながら、あーでもないこーでもないとボソボソ独り言を言いながら進めていきたいと思います。

では、おやすみなさい💤

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