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スピッツ「ラジオデイズ」 危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ

アルバム「見っけ」(2019年10月9日リリース)の4曲目。

2018年1月からTOKYO FMで放送している草野さんの「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」などが、この曲「ラジオデイズ」を書くきっかけになったのでしょうか?

「ダメだった自分を勇気づけてくれたのは、ラジオだ!いろいろなものを与えてくれた」ということを、草野さんのきれいな歌詞で物語にすると、「ラジオデイズ」という曲に昇華する。

「選ばれたのは 僕じゃなくどこかの貴族
嫌いになるために 汚した大切な記憶
足が重くて 心も縮むような」

物語のスタートは、ものすごく卑屈に感じる現実から。ただ、この部分、具体的に何があったのかはよく分からない。何かに挫折したのかな?

「そんな日々を拓く術を 授けてくれたのはラジオ
したたかに胸熱く 空気揺らしてくれるラジオ」

草野さんにとってのラジオの存在の大きさがよく分かる。

「笑顔を放棄して そのくせ飢えていたテンダネス
美しい奴らを小バカにしていたのに変だね
手探りばっかで 傷だらけになったけど」

2番でも卑屈そうな自分が登場する。
思春期の複雑な思いをうまく表現している。

「どんな夢も近づけるように 道照らしてくれたよラジオ
危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ」

1980年代、ネットがないころは、誰がどんな曲を歌っているのかということを調べるのが非常に難しかった。自分にとっても、ラジオは最新曲や外国の曲、昔の曲を知る大切な媒体だったなあ。

自分は四国で、地元のラジオ局が毎週日曜日に放送していた「POPSヒコヒコタイム」という番組をよく聴いていた。後に南海放送の社長を務めることにもなる田中和彦さんというアナウンサーと、共演者に林浩彦さんというミュージシャン(?)がいたなあ。
田中さんはこの仕事。たぶん、本当ならやる必要がないのに、自分の信念とか、ラジオが好きだからという理由で続けていたように思う。
中学、高校時代、よく聴いたなあ。

「Crowded House」の「Better Be Home Soon」は田中さんのお気に入りなのかな、よくかけていたなあ。
「KINKS」の「DON’T FORGET TO DANCE(思い出のダンス)」とか。

洋楽にもこんなにいい曲があるんだと知って、英語を勉強する気になったし、ビートルズを聴くようになったのもラジオきっかけだったかも?

大学進学で福岡に行ってから、このヒコヒコタイムが聴けなくなったのは、本当に寂しかったなあ。今なら、ラジコで聴けるんだろうけど・・・。

だいぶ、話がそれました。

草野さんにとって、情報源はラジオで、元気や勇気を与えてくれたのもラジオだったと歌っているのが「ラジオデイズ」ですね。

そういう思いを込めて、「ロック大陸漫遊記」を続けているのかもしれません。

2022年11月21日 トラジロウ

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