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出勤がツラい方へ。約3000字の文章を読む時間を、この記事に割けませんか?

こんにちは、とらぎつねです。
本日はまた私の勝手な価値観についてのお話を書いてみます。これに近い考え方の本も読んだことありますし、共感してくれる人もいるかも?

<日本社会にはびこる、一つの宗教とは>

感染爆発を危惧し、2020年はテレワーク等の仕事の効率化を待ったなしで迫られる時代となりました。しかし前時代的な仕事に対する価値観を捨てられないおじさんたちは確かに存在し、厄介なことに上司や役員といった地位に食い込んでいたりします。その古い価値観とは?
私は自分で勝手に「ビジネス教」と呼んでいるのですが、これは「仕事が第一。他の全ての用事は仕事に優先されない。残業するのは当たり前でしないものはクズ社員。飲み会に参加しないことはあり得ない、休日のレクリエーションや観楓会等を欠席することは村八分にしてくださいと宣言するようなもの」というような考え方を根底にしています。
私がこれに気づいたきっかけは、あるメールマガジンでした。営業職として働いていた当時、色々吸収しようといくつかのメールマガジンに登録していました。その中でこんな一文があったのです。

「妻に「仕事と私と、どっちが大事なの!?」と聞かれて「仕事」と即答する男の講演会!」

・・・・
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・(゜Д゜) ハア??
今でもこのメールマガジンには感謝しています(もう誰のやつだったかは全然覚えていませんが)。しっかりと気づきを与えてくれました。
この講演会の案内文、当然ですが講演会に来て欲しいから書いてるわけですよね。つまりこれを書いた人は「こんなキャッチコピーならいっぱい聞きたいという人がいるだろう!」と思った。実際に来たかは知りませんが、ビジネスの世界というのはこういう講演会を素晴らしい、是非聞きたいと思うビジネスパーソンが多数いる社会なのだと感じました。こういう人たちにとっては「家庭はいい仕事をするために必要」とか「そもそも仕事なんて家族に比べたら大事じゃない」とか、そんな価値観はクズだと思っているんでしょうね。
私は、こういう「自分たちの信じているもの以外は邪教」と捉える人たちを「ビジネス教の信者」と心の中で呼んでいます。
この世界で生きていく自信がなくなり、そもそもこんな世界で生きたくないと感じた自分は、公務員試験に逃げました。民間企業の競争社会から逃げ出したんです。もちろん、公務員の世界にも同僚同士の競争などはあるかもしれません。しかし民間のそれと比べれば全然たいしたことないと思っています。今のところ、職員同士協力し合うのが普通な職場で仕事ができています。

日本社会は世界的に見て長時間労働も過労死も大問題レベルにも関わらず、こんなに働いて労働生産性は劇的に低いのです。しかも若者の給与は低くなる一方。ビジネス教信者の方々、この数十年何やってたんですか?公務員に逃げた私が言うのも何ですが、全てを仕事に捧げた結果どうなったんですか?合ってます?その価値観。

<自分にとっての仕事の価値とは>

仕事とは、何でしょうか。
それに対する自分の答えを持っておかないと、周りがそうだから、職場が皆そうだからと流されて終わるかもしれません。それでよしというなら問題ないのでしょうが。
ちなみに私にとって仕事とは、単に生活費を稼ぐための手段です。内容は別に何でもいいです。特にこれといって得意な分野があるわけでもないですからね。どんな仕事でも新たな発見はあるでしょうし、知らなかった世界を知ることができると思います。そもそもやりたいことがあるのなら、自分で起業してやればいいんです。今は起業のハードル自体は下がりました。しかし社会のニーズを汲み取り、サービスや商品を考え、買い手を探して宣伝していく。これらの行為をしてもどれくらい収入が得られるかは何の保証もありません。そうとう好きなことじゃないと続かないと思います。それができないから、多くの人はサラリーマンなのです。自分で考え、成功への道を探る必要はありませんから。会社が用意してくれたものを、用意されたルートや方法で売っていくのです。もちろん、自分なりの創意工夫で売上高上位をキープしている!という営業マンもいるでしょう。ただ、それもそもそも会社が用意した売上高レースに乗っているにすぎません。サラリーマンは何も考えずにただ給料がもらえる仕事ではありませんが、経営者から見れば考える量は全然違うと思います。
そして、多くの大人たちはそれをわかっているからこそ、子どもに対して「勉強していい高校へ入り、いい大学へ入り、いい会社に入りなさい」と言うのだと思います。そうすればもう、入社後は特に考えなくても慣れてしまえば仕事はできます。そうすると、何も考えずに毎月安定した給与が振り込まれます。これが楽で平穏無事な人生。我が子にはそういう人生を歩んでもらいたい・・・と考えるのだと思います。
この辺で気づいたのですが、多くの人は「考えたくない」のでしょう。いかに考えなければいけないことを減らし、何も考えずとも生活の不安なく生きていけるか。それが重要なんだと思います。もちろん、これだって悪いことじゃありません。何の取り柄もなく要領も悪く考えの浅い人であっても、ある程度頑張れば不安のない収入を得て生活できていけるのです。最近は若者の給与が低く、これも崩れてきていると思いますが・・・。

<まとめ>

かつて日本社会にはびこっていた古い価値観を、私はビジネス教と呼んでいます。その信者たちもまだまだ多いと思います。
そんな中で、これを読んでくれたあなたの価値観はどうでしょうか。
おそらくビジネス教の信者たちと戦おうとしても、価値観を変えることは容易ではありません。またはビジネス教大賛成!と思っているかもしれませんね。
重要なのは「幸せな人生を送るためには、どうしたらいいか」を根底に考えることだと思います。自分の人生、自分が主役。死ぬときに「幸せな人生だった」と目を閉じるにはどう生きたらいいだろうか。
もしあなたが職場に行くのが毎朝嫌でたまらないのなら、一旦今日はお休みしてみたらどうだろうか。ちょっと熱っぽいと言えば、このご時世なので常識ある会社なら休ませてくれるはずです。(休みくれないのなら年休取得に理由不要という原則すら守れてない労基案件なので、管轄の労働基準監督署に電話しましょう。匿名でOKです。)休んだら「自分の人生を幸せに生きるために、この会社にはいつまで勤めるのか」考えてみてはどうでしょうか。今日まで、と答えが出たあなたはさっそく行動に移しましょう。過労死なんてさせる会社はもう、会社として機能していません。あなたを狙う悪の組織、テロ集団です。でも正義の味方は助けに来てくれません。あなたが声を上げない限りは。

定年まで勤めても全然平気だよ、という方は余裕のある方だと思います。上記のように追い詰められている人がいたら、ちょっとだけ助けてあげたらどうでしょうか。さくせん いのちだいじに で行きましょう。(ドラクエ5ネタですみません)

長くなってしまったのでこの辺で。それではまた!

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