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ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

ランプライトブックスホテル名古屋に泊まった時に、ホテルの本棚で目についた一冊。
「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」奥野克己 著
本の厚さ、重さ、本体部分の紙質が手に優しくて、紙の本を読む醍醐味を感じさせてくれる本だった。

マレーシアボルネオ島のプラガ川上流域の西プナン居住域に暮らすプナン達。
狩猟を主な生業とし、集団で暮らしている。
現代人からしたら どうしてそれで生きていられるの!?と、疑問符だらけの生活。
そもそも時間の概念が違う。時刻や日付に縛られない。
未来を考え無いし、過去を振り返って反省もしない。効率とか生産性も考えない。
富を蓄える事は悪いことで、所有欲は幼い頃から否定される。
採れた獲物や食糧は皆平等に分けられ、自分の物と人の物の区別がない。
現代社会の根本的な考え方が通用しない、全く違う価値観。
お金のためではなく、食べるためだけに働く。
動物的と言われればそれまでだけど、生きるって本来そう言うことなんだろうなぁ。
人類学者で無くても考えると思う。
人類学者しかそんなところに行かないと思うけど。

プナンの生活について色々書かれていたけど、私にとって印象的だったのは死について。

プナン社会では、人の死は普通の出来事である。ニーチェが言う「人間の兄弟である死」が時折やって来る。ノマド時代には、近親者の死に際して、死がもたらす心痛を避けるために、死が起きた場所に遺体を埋めて、その場を放棄し立ち去っていた。近親者の死にさいして、プナンは、遺体を土中に埋めた後、死者のことを思い出させる遺品を全て破壊し尽くし、死者の名前を口に出さないようにして、死者と親族関係にある人々の名前を一時変える。

2000年頃からキリスト教の影響で死を印づける文化が取り入れられた。それまでお墓を建てる文化も無かったらしい。
私はお墓が苦手で、どこの国に行ってもお墓が当たり前のようにあることに漠然とした疑問を抱いていた。
宗教観が大きく影響するもののようだ。
死を普通の出来事と思えば、土に埋め自然に還すことはごく当たり前のことなんだろうな。
微生物に分解され腐って植物の養分になったり地球の一部になる。
許されるのなら私も死後はそんな風に葬られたい。
誰かに覚えていて欲しいとは思わないし、生きた証を残したいとも思わない。
そんな考えを肯定してくれる生き方がこの世界のどこかにあったことが嬉しい。

本を読むことを目的にホテルに泊まると言う非日常な時間を過ごすのに満足感を与えてくれた。


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