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寺田和代「本と歩く アラ還ヨーロッパひとり旅」 第1回 アイルランド篇 ――(6)

(5)世界中どの街も黄昏の美しさは格別 からのつづき

アイルランド篇――
(6)タイタニック最後の寄港地を歩く


 翌朝、窓を打つ強い雨音で目が覚める。
どこを歩こうかと地図をつらつら眺めるうちに、海岸沿いのコーヴという街に目が留まる。かつてこの国から欧州各地や北米に移民した人々の国内最大の出航地で、タイタニック号の最後の寄港地としても知られるとある。ここにしよう。

昨日降りたバスターミナルからバス約30分。
コーヴ中心街には直接降り立てず、最も近いバス停から海に向かって20分近く歩く。
乗降客の中に旅行者らしき姿はなく、バス停で降りたのは私だけ。

と、さっきまで強雨を降らせた雲から一筋の光が差した街に光と影のコントラストがくっきり。
19世紀半ば、アイルランド全土を襲った大飢饉で困窮した民600万人のうち、250〜300万人もの人が生き延びるためにこの小さな港から世界中へ渡った。
この高台から彼らが最後に見た祖国の景色はどんなだったろう。

海岸通りに出ると、500mほどのメインストリートに、カフェやパブ、物産館、タイタニック号をテーマにした観光客向けの施設が立ち並ぶ。そのなかの一つ、タイタニック・エクスペリエンス・コーヴへ。

1912年4月10日、イギリスのサウサンプトンを出航したタイタニックは翌11日ここに寄港し、ニューヨークに発った3日半後に沈没したそう。
この施設では、実際の乗船券を模したチケット――私の乗船券にはMary,age
23の文字――を手に、乗船から沈没までを追体験できる。
ディカプリオ主演映画『タイタニック』の記憶を目の前の客室や食堂に重ねてはリアルさにドキドキしつつ、その分も事故の悲惨さが胸に迫った。23歳のMaryはどんな運命をたどったのだろう。

なんとなく沈痛な気分で施設を出たのち、海岸沿いの移民記念碑などをぶらぶら。
再び暗転しつつある空模様の下をあてどなく歩くのはやめ、キオスクでパニーニと水を買い、防波堤に座って海を眺めながら食べた。
通りにはタイタニック号の絵や装飾を強調したカフェやパブが並ぶけど、そのタイタニック号といい、移民する人々の出港地だったことといい、街全体に憂いや悲劇の影を感じてしまって、貸切バスでやってきたにぎやかな団体観光客に混じる気分になれなかったのだ。

コーヴのメインストリートにある、タイタニック号の絵を飾ったカフェ



コークに戻るバス停には発車予定の5分前についた。
鼻ピアスにきらきらメイクの、たぶん地元女子高生2人が、遠くから一人で歩いてきたアジア顔BBAに気づくと、笑い転げていたおしゃべりをピタリとやめる。
一瞬、緊張したものの目が合った瞬間、意外にもHi!と挨拶してくれた。Hi!と声に出してニッコリし合い、初めてホッとした感覚がこみあげた。

(7)コーク、イングリッシュ・マーケット へつづく
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