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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第二話 高山彦九郎(8)

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8

 
 ロシア接近への危機意識は、当時の知識人、そして幕府にも浸透しはじめていた。とくに強い影響力をもったのは、カムチャツカの現況を分析し、北方警備の重要性を説く仙台藩医工藤平助(1734-1801)の『赤蝦夷風説考(加模西葛杜加(カムサスカ)国風説考)』(1781・83)だった。
出立前にその工藤と面会した彦九郎は、工藤とは違い、現地での見聞を深めるのが自分の仕事だと考えたかもしれない。

『赤蝦夷風説考』工藤平助(最上徳内選書、本多利明校訂)
国立公文書館デジタルアーカイブ https://www.digital.archives.go.jp/
1783年、江戸幕府老中田沼意次に献上


 北上の途中水戸では、のちに後期水戸学の礎を築く藤田与助幽谷、1774-1826、東湖の父)を訪問。
また米沢では、前藩主上杉治憲鷹山、1751-1822)が彦九郎の師細井平洲を招き創設した藩校興譲館を見学、治憲の藩政改革を支える平洲門下の莅木のぞき善政(大華)を訪ねた。
その彦九郎に治憲から岩魚が届く。
治憲は、武士の特権は仮初のものであり、人民の痛みを思うのが政治だという信念の持ち主だった。

上杉鷹山(治憲)
上杉神社所蔵品。作者不明



 だが蝦夷渡海は実現しなかった。
9月、津軽半島最北端の三厩みんまや宿に着いた彦九郎は、前年のアイヌの戦さ以来、松前藩の人改めが厳しくなったことを知らされたのだ。
そのクナシリ・メシリの戦いは、松前藩の請負人との商取引や労働環境に苦しめられていたアイヌが、長老の留守中に蜂起し和人を殺害、藩がこれを鎮圧し、責任者を処刑したものだった。
彦九郎が渡海していたら、藩のアイヌ政策を批判した探検家松浦武四郎の先行者として名を残した可能性もある。

 ここで行き先を京に転じたにもかかわらず、あえて東北の村々の飢饉の惨状を見て歩き、克明で貴重な記録を残したところに彦九郎の面目がある(『北行日記』)。
 8年前の飢饉は村々の人口を激減させていた。
弘前に近いある村では、生き残るために馬や犬を食べたという。33軒あった家がいったん4軒になり、やっと11軒に戻ってはいるが、240人いた人口が今では40人に満たないありさま――そんなふうに数字を厳密にあげていく彦九郎の記述は、まるで統計資料のようだ。

天明飢饉之図(福島県会津美里町教育委員会所蔵)。作者不明
https://web.archive.org/web/20210513041539/http://historia.justhpbs.jp/aizutenmei.htm

 人肉食の記述もある。
久慈近くのある村では、実際に人を食べた人が、「馬の味は猪鹿に勝り、人の味は馬にも勝る」と語っていたという話をきく。
またこんな話も。
「ある里にては、(人が)餓死せる家に至り、屍を我れに賜へ、我が母餓死の後に返へすべし、と云ひて乞ひ求めつる事有りしとぞ」。

 異常な事態について語る彦九郎の文章は、どこまでも冷徹な記録に徹しているが、目前の事態が人災でもある点を見逃すことはない。
八幡平近くの田山宿では、備蓄や救荒の手も打てずに、米一粒もない農家から年貢代わりに鍋まで奪う領主の話をきき、
「是レに因て餓死す、是れ侯の為に殺されたも同ナレ」
と、弾劾の言葉が加えられる。

林子平肖像(大槻磐渓賛)
http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/b08_a0254/index.html

 幕府の海防政策を批判する『海国兵談』を書きあげたばかりの友人林子平(1738-93)を仙台に訪ねたのち、彦九郎を京に向かわせたものの根底に、幕藩体制への怒りがあったことは確かだ。


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公文附属の図・六四号 官板実測日本地図(三)蝦夷諸島
階層(国立公文書館デジタルアーカイブ)
行政文書*内閣・総理府太政官・内閣関係第一類 公文附属の図
請求番号 附A00064103
作成・取得部局 太政官
明治12年03月 - 明治12年03月

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