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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」03   金石範(キム・ソクポム)(その1)

金石範――「虚無と革命」の文学を生きる
(その1)

                             林 浩治


 前回の金泰生に続き、韓国済州島出身の作家金石範を紹介したい。金泰生は5歳のときに来日したが、金石範は懐妊した母親が来阪して生まれた。
 金泰生がナイーブで繊細なリアリズム日本語文体で、庶民の姿を描いたのに比して、金石範は日本語で書きながら朝鮮の民俗を大胆に取り入れた硬質な文体で、いわゆる「四・三事件」(5,6章で詳述)という歴史的事件をモチーフにした作家だ。代表作『火山島』などは、日本のみならず韓国でも高い評価を受けている。

金石範(2014年3月、林浩治撮影)
1925年10月生まれ。2022年7月『満月の下の赤い海』クオンを上梓。96歳、現役。


1)小さな民族主義者


 1941年7月初め、協和会(後述)の教練を休んだため生野警察署に呼び出された金泰生は、遅れてきて先頭に並ばされた少年が、容赦なく打擲され床に転ばされて蹴り上げられる様子を見ていた。

ぼくは屈辱と怒りにまみれて震えている痩せた少年の姿が眩しかった。彼はついに一言の許しも助けも乞いはしなかった。〉(金泰生『私の日本地図』未来社)

 金泰生は20年後にその少年と巡り会った。金石範だった。
 金泰生が1924年11月27日済州島生まれであったのに比して、金石範は1925年10月2日大阪生まれだが、同世代と言って良い。
 金石範も金泰生や多くの朝鮮人少年たちと同様に、少年期から歯ブラシ工場、鉄工所、新聞配達などの労働に従事した。

宿命の友、金石範(左)VS 金泰生
(埼玉文学学校の同人誌『同行者大勢』2015年6月号表紙より 画・野村寿孝)


 金石範は13歳のときに済州島で数カ月を過ごして故郷の自然に触れ、生まれた大阪ではなく済州島が故郷だという意識に目覚めた。金泰生が警察署で見た15歳の少年はすでに小さな民族主義者であった。
 18歳の秋、済州島の叔母の家などに寄宿して朝鮮語を勉強し、観音寺で会った友人らと朝鮮独立について語り合い、翌1944年大阪に戻り、働きながら学んだ。

 1945年3月、大韓民国臨時政府(*注1)がある重慶への逃走を夢見てソウルへ行き、当地の禅学院で出会った張龍錫(チャン・ヨンソック)らと独立運動を誓う仲となるが、腸チフスを患い6月末大阪へ戻った。
 8月、病院で日本の降伏を知り、11月には再びソウルへ渡り親友張龍錫らと再会したが、翌1946年夏1ヵ月の予定で大阪の母のもとに帰った。その後金石範は、1988年に韓国訪問が実現するまで42年間、祖国に帰れなかった。

→(その2)へつづく

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◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
金石範は、とくに尊敬する作家。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
金石範にかんする記事も多数!
 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ad563d.html
↑「満月の下の赤い海」が「すばる」に発表されたときの書評です。このページの一番下に、「金石範に関する記事」の一覧が載っています。

(編集部記)


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