見出し画像

林浩治「在日朝鮮人作家列伝」03   金石範(キム・ソクポム)(その2)

(その1)のつづき→

金石範――「虚無と革命」の文学を生きる
(その2)

                             林 浩治
ヘッダー画・野村寿孝

2)祖国朝鮮解放の闇

 『1945夏』(筑摩書房 1974年)は、青年期の作家の体験を追っている。そこには祖国の独立と革命を求めながら、後に作家となり虚無と対峙しなければならなくなる若き日の心象風景が映し出された。

金石範『1945夏』筑摩書房、1974年4月、第一刷


 徴兵検査を受けるという大義名分をもって朝鮮に渡った金泰造(キムテジョ)は、ソウルから中国へ逃げて重慶の韓国臨時政府で独立運動に参加しようと考えていたが、寄宿した禅学院という寺の老僧らに諭され、そのままソウルに滞在した。この禅学院が朝鮮独立運動のアジトで、金泰造が会った僧侶らも革命運動家だった。
 病み上がりの金泰造は8月15日を迎える前に大阪に戻ってしまい、「祖国の解放」を朝鮮で迎えることができなかった。朝鮮から惨めな離れ方をしたことに起因する自己嫌悪は、解放の喜びにさえ虚無の影を忍び寄せる。
 戦争がすんで1月余りたつと、在日朝鮮人も民族の組織づくりを始めていた。
 金泰造は、京都で開催された「獄中18年」を戦い出獄した共産主義者たちの歓迎大会に赴き、そこで朝鮮人青年組織の保安隊の青年たちから怪しい奴と誤解されて暴行される。八・一五以前は協和会の青年班で天皇陛下万歳を叫んでいた連中が、今度は朝鮮人組織で気勢を上げている。

 金泰造の通俗性に対する嫌悪が3回の暴行を記憶の底から蘇らせる。
 1回目は、15歳の時、協和会訓練をさぼって特高から殴打され床に叩き付けられた事件。協和会は内務省、警察当局を中心とした朝鮮人統制団体で、「君が代」斉唱、神社参拝、日本語修得、服装など習俗の日本化推進、戦争への協力・動員に努めた、皇民化政策の事実上の強制組織であった。
 2回目は、済州島で受けた徴兵検査のさいに視力が低かったため、平手打ちを食らった。このときの恐怖と屈辱にはその後もさいなまれた。
 帝国主義宗主国日本から受けた2回の暴力と同質のものを、「解放」された朝鮮人青年たちから受けた暴行に感じたのだ。
 潔癖な精神の持ち主である金泰造にとって、日和を見るのに長けた者たちは「不潔」に映った。この深い絶望と虚無は作者金石範のものであった。
 金泰造は再び朝鮮にいき、ソウルの革命運動の中に身を投じようとする。新しい祖国建設に尽くすために朝鮮へ渡ったのだが、何よりも解放以前の自己を省みないで愛国者面をしてる連中の顔を見ていたくなかったこともある。

 実際の金石範も1945年11月にソウルに行くが、1946年夏に一時帰阪したつもりが、朝鮮に戻れなくなっていた。
 帰阪した金石範は関西大学専門部3年に編入し、1948年には京都大学文学部美学科に入学する。この年在日朝鮮人学生同盟の仕事に携わりながらも、日本共産党に入党する。
 

3)解放後朝鮮の人民弾圧

 金石範のいない南朝鮮では左翼運動にたいする激しい弾圧がはじまる。済州島四・三事件もその一つだが、ソウルでも命を賭した闘争が展開され凄惨な事態に陥っていた。親友張龍錫は5・10南朝鮮単独選挙反対闘争(*注2)のさなかに死んだ。以来、金石範は同志たちと離れて日本で生きるという痛みを抱え続けることになった。
 金石範の心は朝鮮にあり、身体は日本にあった。この心身の分裂が後に金石範文学を生み出す。戦後南朝鮮の現代史は金石範文学の核になっていくのだ。

 日本帝国主義から解放されたはずの朝鮮は、ソ連とアメリカによって南北に分断された。
 解放後すぐに呂運亨(ヨ・ウニョン)を中心として建国準備委員会(建準)とその地方支部として人民委員会が作られたが、9月9日に駐韓米軍司令官ホッジに朝鮮総督(*注3)が降伏すると、南朝鮮では米軍政がはじまる。米軍政は旧総督府(*注3)の官僚や警察など、いわゆる「親日勢力」を重用し、建準を左派勢力と見なして弾圧したため、建準も人民委員会も瓦解への道をたどった。

1945年8月15日、ただちに「建国準備委員会」(建準)を作った呂運亨
「朝鮮共和国」の樹立を宣言するがアメリカ軍によって否認され、
翌々年、暗殺される(編集部記)

 1947年7月、呂運亨が暗殺されると、南朝鮮における左右対立は決定的となる。米軍政府と李承晩は1948年5月10日に南北朝鮮分断を前提とする南朝鮮単独選挙を強行した。

 金石範の代表作長篇『火山島』の背景となった「済州島四・三事件」の端緒となった民衆武装蜂起は、南北分断の固定に繋がる南朝鮮単独選挙に反対した運動だった。

1948年7月、朝鮮半島南部だけの「単独選挙」で大統領になった李承晩(イ・スンマン)
独立運動家だったが、アメリカに亡命していた。
米軍の支配するソウルに帰り大統領になると、
共産主義者や南北統一を目ざす人々を弾圧した(編集部記)


 ソウルの状況も緊迫していた。駐韓米軍の撤退や親日派断罪を要求する声の高まりとこれを弾圧する李承晩の攻勢が肉薄したが、反民族行為特別調査委員会(反民特委)(*注4)による「親日派」追及は、李承晩の警察を使った襲撃により封じ込められた。
 李承晩を支えたのは、日本帝国主義に仕えた官僚組織と、農地解放された北朝鮮から南へ逃げてきた親日派や地主の子弟による「共産主義憎し」の右翼団体だった。国家保安法も成立し、李承晩に逆らうものは「アカ」呼ばわりされ逮捕されていった。

 日本帝国主義の敗北によって解放されたはずの南朝鮮は、かつて協和会や日本軍人として金石範の前に立ちはだかった「親日派」たちが勢力を維持し暴力をふるう場となっていった。

→(その3)へつづく

*(本文の著作権は、著者にあります。ブログ等への転載はご遠慮くださいませ。その他のことは、けいこう舎https://www.keikousyaweb.com/までお願いいたします)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
金石範は、とくに尊敬する作家。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
金石範にかんする記事も多数!
 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2020/06/post-ad563d.html
↑「満月の下の赤い海」が「すばる」に発表されたときの書評です。このページの一番下に、「金石範に関する記事」の一覧が載っています。

(編集部記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?