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自然への介入を抑えた、より豊かなワイン ~ Vin Nature Memorandum #0


1996年、祥瑞(しょんずい)の勝山晋作さん


Vin Nature Memorandum と題してVin Nature/ヴァンナチュール/自然ワイン/ナチュラルワインの記録を綴っていこうと思う。
 
#0はそのプロローグ。
 
ヴァンナチュールに出会ったのは、たぶん1996年。
 
六本木の祥瑞(しょんずい)に初めて行ったのが1996年。店はまだ奥のエリアしかなく、壁も赤くなかった時代だ。
 
スナック風の木の扉を開けた先は、ワインバーというよりも、昭和のスナックといった方がぴったりの店内。客は少なく、店に流れるロックと、床に無造作に置かれたワインの木箱と、カウンターのなかの黒Tを着た、ひげ面眼鏡の人物が、かろうじてここがスナックではないことを物語っている。その人物はオーナーの勝山晋作。
 
祥瑞に行くようになったきかっかけがなんだったのかは、もはや記憶にないが、当時はちょっとしたワインブームで、ナショナル麻布の元バイヤーがオーナーのワインバーがある、という情報をどこかで耳にしたからだったように思う。
 
南の方のぶどうの感じで、ちょっと癖のあるもの、ほかで飲めない変ったものなど、その時々の勝手なリクエストに応じて、勝山さんが選んでくれるのは、ラングドック、ローヌ、ロワール、ジュラあたりのローカルなワイン。
 
とくに詳しい説明もなく、「ほれ、これどう?」という感じで持ってきてくれるボトルを開けてもらい、いいねー、旨いねーと飲む、祥瑞ではいつもそんな風だった。飲んだワインの銘柄や生産者などはまったく覚えていないし、ヴァンナチュールだなんだ、という会話もしたことがない。
 
ボルドーやブルゴーニュが飲みたかったら、近くの「きつねや」に行った。
 
祥瑞でナチュールを扱うようになったのが1996年から、と勝山さんがインタビューで述べている(「祥瑞(しょんずい)オーナー勝山晋作さんが語る、人が集う魅力ある場所」、「料理天国」197号2011年の記事のweb転載2022年1月10日)。
 
先に「ヴァンナチュールに出会ったのは、たぶん1996年」と書いたのは、このインタビューが根拠だ。先のようなやりとりを経て、祥瑞で飲んだ一本にはきっとナチュールがあっただろう、という推測だ。
 
いわゆるワインバーの雰囲気や恭しい接客などを期待する向きからは、素っ気ない感じの祥瑞に対して、当時は敬遠する声もあったが、むしろその気取りのない空気と実質本位の料理とワインが、界隈の客と飲食店仲間などが足しげく通う、個性派オーナーと実力派料理人コンビによるパリの居酒屋風ビストロの空気などにも少し似ていて、祥瑞にはその後もよく通った。
 
飲むのはワインだったが、勝山さんと話すのは音楽の話が多かった。ある時、店に入ったら数日前のクラプトンの武道館でのコンサートの音源が流れていて、「どうしたの、これ?」と聞いても、勝山さんは例の調子で「いやいやいや」と煙に巻くばかりだった。
 
リーマンショック(2008年)の後、2010年あたりから足が遠のいた。勝山さんが音頭を取って始まったフェスティヴァンなどのヴァンナチュールのイヴェント(2010年~)にも顔は出さなかった。
 
勝山さんが書中に登場する書籍(『ウグイス アヒルのビオトーク~ヴァン・ナチュールを求めて(2013)』、『ヴァン・ナチュール 自然ナワインがおいしい理由(2013)』)や勝山晋作名義の書籍(『ヴァンナチュール自然ワインが飲める店51(2015)』、『アウトローのワイン論(2017)』)などは、折あるごとに目を通してはいた。
 
飲むワインは、相変わらずローヌのジゴンダスやラングドックあたりのグルナッシュやシラーやカリニャンなどの、勝手に南仏の地酒と呼んでいたワインが多かった。それに時々ロワールやブルゴーニュが混ざった。
 
当時も今も鴨のコンフィカスレブルファードタブリエール・ド・サプールやドフィノアなど、南フランスのビストロ料理作りにはまっていたこともあり、そしてなによりも、祥瑞で飲んで覚えた味わいの、というのが、こうしたワインを選んだ大きな理由だった。

タナ・ノートン2008 ココファームワイナリー

 
2011年、知り合いから贈ってもらったココファームファイナリー(足利市)のタナノートン2008という赤ワインを飲んだ。

Tannat Norton 2008、COCO FARM WINERY


薄っぺらくて酸っぱくて、あるいは甘ったるくて、どうにも飲めない日本ワインしか知らなかったので、日本にもこんなにも旨い、しかもしっかりした赤があるのだ、と驚いた。
 
現・10Rワーナリー(岩見沢市)のオーナーのブルース・ガットラヴさんを日本に招聘して、指導を仰いだのがココファームワイナリーであり、このタナノートン2008も、その土地と自然にこだわったブドウ栽培とワイン醸造の賜物の一本であった。
 
その時の感想は「タナ・ノートン賛」という記事に書いた。今読み返すと、合わせる料理が先に書いた鴨のコンフィだったり、祥瑞(そしてグレープ・ガンボ)名物の芽キャベツのフリットだったりするのが可笑しい。
  
当時もそれがナチュールかどうかなど、相変わらず気にしていないようだが、「ワインとは土と太陽と人の産物なのだと改めて感じ入ってしま」うなどと記しているところをみると、自然外の要素と人の手によって作り込み過ぎているワインにはない、なにかを感じたのかもしれない。

グレープリパブリック@ワイン食堂メルカド

 
2016年、ワイン食堂メルカド(山形市)でグレープリパブリック(南陽市)の発泡デラウェアを飲んだ。
 
デラウェアは食用がメインで、また、北米品種ぶどう(ヴィティス・ランブルスカ)は、ワインには不向きだといわれていたが、デラの香り爽やかな生き生きとした一本であった。
 
アメックスの会報誌のエディターなどの経歴を持つオーナーの斎藤正弘さんが作る、山形県産の素材を活かした、新鮮な発想の気の利いた一皿によくマッチした。当時、グレープリパブリックは、まだ委託醸造でワインを作っていた頃だった。

ワイン食堂メルカドの斎藤正弘さん、2016年

 
この頃から、カベルネやメルローやシャルドネやピノなど欧州種(ヴィティス・ヴィニフェラ)で作った日本ワインも含めて、国内各地のヴァンナチュールをよく飲むようになった。

自然への介入を抑えた、より豊かなワイン

 
2022年秋、会食をセットする機会があり、かれこれ10年ぶりに勝山さんに会いに祥瑞を予約した。昭和のスナック風の木の扉と入口左のニッチに飾られたジミヘンのオレンジのポートレートは当時のままだった。

祥瑞、2010年


ケニヤ(柴山健矢)さんが切り盛りするお店には勝山さんはおらず、写真が掲げられていた。勝山さんは2019年に亡くなっていた。まったく知らずに狼狽した。その夜はヴァンナチュールを痛飲した。

ぶどうとそこに付いた酵母による発酵で生まれるワインは、かつてはナチュール/ナチュラルであることが当たり前だった。
 
1960年代に始まった機械と化学による生産効率重視の工業化・産業化が行き過ぎて、ワインが個性と味わいという本来の魅力を失ったことへの異議申し立てが、ヴァンナチュールの始まりだ。
 
ヴァンナチュールが、ロックやヒッピー、自由や反骨などを形容として語られることが多いのは、そうした経緯に由来するのだろう。
 
映画『ワインコーリング』(2019)は、ラングドックの南西に隣接するルーション地方のヴァンナチュールの造り手たちを描いたドキュメンタリーだ。

 Les Foulards Rouge,  LES VILAINS 2021, Jean-François Nicq

 
映画を観ながら“Stay hungry, Stay foolish” という言葉を思い起こした。
 
スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学での講演(2005)で卒業生に送った言葉だ。もともとは『ホール・アース・カタログ』の最終号である『ホール・アース・エピローグ』(1974)の裏表紙に記されていたフレーズだ(参考:『ホール・アース・カタログ』断章~カウンターカルチャーの時代~)。

 スチュアート・ブランドが『ホール・アース・カタログ』を作るきっかけは、「宇宙船地球号」という概念を提唱したバックミンスター・フラーの講演を聞いたことがきっかけだったという
(参考:バックミンスター・フラー~宇宙との調和の意思~)。
 
ヴァンナチュールを飲み慣れると、自然外の要素を導入し、人の手を入れて造り込み過ぎたワインを徐々に身体が受けつけなくなってくる。作る料理も素材自体の味や香りが気になるようになり、おのずと天然由来の調味料による控えめな味つけを求めるようになってくる。ぶどうが作られた土地の風土や気候に関心が向く。効率や収益の安定を度外視して、なるべく自然のままにこだわってぶどうを育てワインを造る人はどんな人なのだろうかと、その情熱(hungry)と気概(foolish)に興味が湧いてくる。
 
自然への介入を抑えた、より豊かなワイン。
 
“More with Less”
 
行き過ぎた工業化と産業化の果ての本末転倒にNOを突きつけたバックミンスター・フラーの言葉である。
 
次回以降、Vin Nature Memorandum と題してヴァンナチュール/自然ワイン/ナチュラルワインの記録を綴っていこう。



*top画像:勝山晋作(1955-2019)さんのポートレート@祥瑞2022年
 

 
 

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