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7.1992年 インプレッサ発売とWRXライバル物語マーケティング

SUBARUにとって「良い潮目」を感じ始めていた1992年 IMPREZA インプレッサが発売となった。その前に当時「レガシー(あえてレガシーと書きましたが正確にはレガシィ)のTVコマーシャルやたらに見るね!!」とよく言われたのですが、それには理由があります。当時のSUBARUにはレガシィとVIVIO(軽)しかなかったのです!(笑)

当時私は「媒体担当」という広告メディアを買い付ける仕事をしていましたが、ひたすら「レガシィ」の広告枠を買っていた気がしますw

そういうわけでSUBARUブランドが少しづつ世の中の認知を得る中で新しい車種の導入に社内は湧きました。成長が続くRV市場にレガシィより一回り小さいワゴンを投入することで販売台数を伸ばす。そんなミッションがあり、お陰様で「インプレッサスポーツワゴン」は市場に受け入れられました。

そして、それ以上になによりも大きな変化点が「WRX」の登場です。軽いボディに240psのパワーを誇るWRX(WORLD RALLY X )は、WRCで苦戦するレガシィに変わるウェポンとして期待され、結果その後90年代を飾るラリーヒーローとなります。

そしてそれ以上にその車がお客様にも。ということでインプレッサWRXはある意味SUBARUのパフォーマンスモデルの最高峰としての歴史を紡ぐこととなります。4代目からはコンパクトカーとしてのインプレッサから卒業し「WRX」として独立しますが、2022年現在でもその歴史は続いています。

そしてその後 WRX STIというモデルに発展します。その後 STIは独自にチューニングしたモデルを例えば レガシィtuned by STIとして開発したりしたのですが、WRXに関しては「WRX STI tuned by STI 」っておかしくね?という悩みの種を産み tuned by STI は後に tSとなりましたが、根本的な解決にはなっていません(笑)WRX-STI tS。。

余談はさておき、WRX STIの歴史において忘れてはいけないのが三菱のランサーエボリューションです。92年からランエボが引退する2015年まで長くよきライバルとして互いに切磋してきたのです。

<引用>過去を振り返ると、WRXとランエボはWRCを通じてまさに“ライバル”関係にあった。

インプレッサの初代モデルは1992年に登場。この時点で2リッターのターボに4WDを組み合わせたWRXを設定している。一方、ランサーGSR/RSエボリューションも同じ1992年に発売された。

 
マーケティング的に(なんて言うか忘れましたが)こういうライバルものは消費者の興味を呼び「STORY」として受け入れてしまい、だんだん自分ゴトになっていくのでした。


なぜか推しを選んでしまう作戦

AKB48の一人一人は普通(失礼)でも、センター争いとか総選挙と言われるとなぜか「推し」を決めて応援したくなったりするのです。「推し」になると好きになる。 これは一人ではない「ライバルマーケティング」なのです。好きだから推しになるのか、推しだから好きになるのか。いずれにせよ、それでAKB48という商品が盛り上がるのです。

篠田麻里子一人だったら「そんなに」なのにあえて「推し」になると気になって自分ゴトとして応援してしまい、結果としてAKB全体に興味を持ちCDを買ったりしてしまう現象です。

アラン・プロストがいるからアイルトン・セナを推しF1が盛り上がり、きのこの山とたけのこの里が競い合い結果双方が売り上げを上げ。のような。コカコーラとペプシの広告対決も知らないうちに「コーラ」市場に目をむけさせられてますし。。

(もちろん純粋なSUBARUのモータースポーツも純粋な競技として「推し」になっていただくわけで「応援する」とさらに強固な「推し」になるわけで「応援される環境」を作ることは、マーケティングの手段でもあります)

WRX 誕生!の話のつもりが少し外れましたが
ライバル関係物語の創出により、双方の推しが盛り上がることによりその物語そのものが周辺にも興味を呼び、いつしか他人事は思えず自分ゴトとなってくる。

「マーケティングの手段」と軽く言いましたが、そこにはリアルで真剣な勝負や努力がないと「周辺の興味」は呼べませんが。

ちなみにWRXに関してはいま初代GC8の人気が高く中古車価格も高騰しています。WRXの中でも「丸目」「鷹の目」など良いライバル関係が生まれます。

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