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死にたいから自殺をするわけじゃない



「自殺したい」と思ったことはないけれど、考えてしまったことはあった。とても、無意識に。


「自殺をしよう」と思って実行する人もいれば、「今電車に轢かれたら、仕事に行かなくてもいいんだ」と気づいたら死んでしまう選択をする人もいると思う。


以前そのような内容の記事を書いた。
同じように思う人がいたら、少しでも別の考えができればと思い書き、昨日のニュースを知って固定記事にした。

明日くらいまでは固定しておこうかな。



2年前、祖母が鬱病になった。
私にとって世界で一番大事で、大好きなおばあちゃん。
すぐに3週間の休みをとって地元へ帰省。

鬱病の祖母の近くにいると目が離せなかった。祖母自身もつらそうで、寝ていたら頭痛いし起きてたらしんどい、なにもできない。


そしてその状況で私や祖母の息子(私にとって叔父)や、配偶者(祖父)に迷惑をかけるのがつらいみたいで、机の上に登って死のうとしたり、柱にタオルを通して首を吊ろうと考えたりもしていた。


明るくて前向きで私の尊敬する大好きな祖母がつらそうにしているのを見るのは酷だったけれど、それでも支え、精神病院へ入院することになり、面会も数日間は毎日行った。


今となっては少し後遺症あるが、だいぶ鬱状態からは抜け出せるようになり、あの頃祖母が自ら死のうとしたことも、苦しかったことも、私が祖母と毎日3週間一緒にいたことも、記憶にはないそうだ。

本当に生きててくれてよかった。


祖母もまた、「自殺したい」と思ってないのに、いろんな思いから「自ら死ぬこと」を考えていた。


あのとき電車に轢かれようとした私が鬱状態かはわからないけれど、私のときと少し似ているなと思った。



◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


就活をしているときに、全部営業職を志望していた。
「稼ぎたい」を叶えるためには営業が手っ取り早いと思ったのだ。


どこの会社に行っても、SPIや性格診断のようなテストではストレス耐性が抜群に強かった。

何度も面接で言われた。


「君はストレス耐性がかなり強いね」と。


たしかに私はあまり物事を引きずらないし、抱え込まないし、ストレスを感じても発散する方法を知っているから残ることもなかった。

そんな私でも無意識に自ら死ぬことを考えてしまったのだ。
「今赤信号で車を動かしたら会社行かなくていい」と思った同期も、メンタルは強い男性だった。


周りからも今でも私は「メンタルが強い」と思われることが多い。実際そうなのかもしれない。


でも私が自殺をしなかったのは、「メンタルが強かった」からではなく「逃げる選択肢」を選んだからだと思う。

逃げるは恥だが役に立つ


この言葉は漫画のタイトルで私の大好きなガッキーが出演したドラマの言葉。
これはハンガリーのことわざで、「自分の戦う場所を選べ」ということを意味しているそうです。


今いる環境にしがみつくのではなく、逃げることも選択肢にいれ、自分の得意なことが発揮できる場所に行こうというもの。


まさにその通りだと思っていて。


今でもあの時の仕事を続けていたら上手くいっていたかもしれないし、気づいたら命を経っていたのかもしれないし、それはどうなっていたのかはわからないけれど、「大手に新卒で入れた」「高い給料もらえる仕事」「次の職は見つけてない」「大事なお客さんがまだ着工も完工もしていない」いろんな辞められない理由の中で自分のやりたいことをやるために「辞める」と決めた。

だから私が自殺しなかったのはメンタルが強いんじゃなくて、自分のためだけに「逃げる」ことを選んだ結果、しなかっただけ。


メンタルがいくら強くても、1年以上も同じ環境にいるとどの判断が自分にとって正しいのかわからなくなる。
責任感も強いほうだったから、お客さんや上司に迷惑がかかることも怖かった。


今では「逃げた」とも思ってるし「次のステップへ上がった」とも思っている。

やめると決めたときには、もうなにを言われても平気だった。私の人生でこれから関わることのない人たちの言葉は私には届かなかった。


追い込まれたときは、追い込まれたことに気づきにくい。
私らしくないと客観的に自分を見て気づけたのもよかった。
多分、同期の自殺の話を聞いたから冷静に自分を見つめられたのだと思う。

日本は自殺で亡くなる方が多いからこそ、身近な人や有名人が亡くなったら、改めて自分のことも冷静に考えてみてほしい。


今生きているから、「逃げる」ことも「助けを求める」ことも「次のステップへいく」こともなんだってできる。


自分のただ一回の人生だからこそ、なんでも自分で選べる。



◇    ◇    ◇    ◇     ◇    ◇



昨日のニュースで、私が大好きな有名人の方が自らこの世を去ったそうだ。

なにが原因かなんて画面越しでしか彼を知らない私たちにはわからない。


悲しい感情はあるけれど、身近な遺された人は私以上に今いろんな気持ちを抱えていると思う。

誹謗中傷が原因かわからないのに、過去のSNSを遡り、該当する人と予想された人が晒される。


その晒された人の内容は私にとって誹謗中傷には見えなかったし、その人のSNSを見る限り、その有名人の大ファンだそうだった。


それでも「お前が殺した」と言われていた。

大好きな人が自分のせいで死んだと言われたその人はどんな気持ちで今いるのか。
なにも私にはできないまま、気づいたらその人のアカウントは消えていた。


もちろんSNSの中なんてなにが本当なのかはわからないけれど、負の連鎖が続いているように見えてならない。


「死にたい」と思える人はまだ考え直すことはできる可能性があると思う。
死にたいと思える自分に気づけている時点ですごい。自分自身がちゃんとSOSを出している。
それに応えてあげてほしい。

危険なのは私が思ったように「死にたい」と思ってるわけではなく「楽になりたい」「自分を守りたい」といろんな感情から無意識に死を選ぶこと。


今回の悲しいニュースをキッカケに、今の自分が好きになれるかとか、楽しい人生かとか考えて、楽しくなる方向へ向いてほしいな。


いろんな考え方や人生経験がある全員に同じことを言えるわけではないと思うけれど、せめて、私があのとき「楽になりたい」と選びそうになる経験に共感する人だけでも届けられたら、今の現状から変える方法をたくさん考えてほしい。



◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇ 


きっと私が自殺していたとしても、一部の人だけが知って、そしていつの間にか忘れられる。
でも私と関わりが深い人はもしかしたら一生抱えることになるかもしれない。

死ななくてよかった。
生きているから、このnoteが書けるし、もしかしたら、救えることもあるかもしれない。


毎日noteを書くことで生存報告しているようでもあるけれど、毎日こうやって発信やアウトプットをすることで誰かの役に少しでも立てられればいいな。自分のためにも。


私だって、祖母のようにいつまた「楽になる方法」を考えるかわからない。
そもそも祖母は「楽になりたい」だけではなく、「迷惑をかけたくない」とか、「自分が自分でいられなくなる恐怖」とか、いろんな思いがあったのかもしれない。
なにがきっかけかなんてわからない。


だからこそ、日々頭を動かして、自分を一番大事にすることを優先したい。
自分大事にするために「自ら命を断つ」選択をする人もいるかもしれないけれど、自分を大事にするための方法をもっと考える時間と余裕をつくってほしい。


あのとき働きすぎなくらい働いていたのとは対照的に、今はゴロゴロしたり、なにもしない自分に罪悪感を感じたりすることもあるけれど、「今わたしは幸せなのか?」をいつだって一番に考える。

やりたいことがわからなくなったら、動画や本を読んでどうしたらいいのかを考える。
私の頭の中にない選択肢を探す。


やりたいことがわからなくなったって、なにか行動すれば、なにかがキッカケに人生はすぐに変わる。


生きていれば。


自分の人生は、自分のために、自分で決めよう。
選択肢ってこの世にひとつじゃない。
無数にある選択肢を「探す」ことだって「休む」ことだって自分を大事にする方法の一部だ。


生きていれば必ずいいことがあるみたいな無責任なことは言えないけれど、私は生きていたから3年前よりも今が一番幸せだし、祖母が生きていてくれて本当に嬉しい。

生きるだけで誰かを幸せにすることもある。
誰かを不幸にすることもあるかもしれないけれど、私が生きてるだけで不幸になる人とは関わらない。


生きててよかった。



サムネイルの写真は、私はあのとき死なずに、会社を辞めて、見たかったモンサンミッシェルを見に行ったときの写真です。

小さい頃からの夢が、叶った瞬間。






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