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科学は宗教か?

前回の記事で正しさにこだわることを書きました。私が使う「正しい」とは、主に「科学的に正しい(客観的なデータから結果が出ている、もしくは確率が高い)」と定義しています。

私は無神論者なので神の教え的な話を信じてはいませんが、逆に、信仰を持っている方から私を見ると、科学を信仰していることに過ぎないのではないか?「正しさ」を振りかざすことは傲慢ではないか?という疑問がわき、考えてみました。

そして今回の話も長いです。

ガリレオ・ガリレイの話

ガリレオ・ガリレイ地動説を唱えたことで、カトリック教会から有罪判決を受けたことから、科学と宗教は対立するものとして語られることが多いです。

私は科学を支持し無宗教なのですが、信仰の自由は尊重すべきと思っているので、宗教を批判する意図は全くないことを先に述べておきます。

科学とは正しいものなのか

「科学的に正しい」ことは「正しい」ことなのでしょうか。

今、私達が知っていることは、先人の検証結果を伝え聞いたものがほとんどで、自分で実際に確認したものではありません。また、スポーツの世界でよくあるように、新しい発見により、過去に正しいとされていた理論が、実は間違っていた、というようなこともあります。

そう考えると、これまで「科学的に正しい」ことを正しいと強く主張していた私は、傲慢だったかもしれません。

確率論と神の融和

私は「同様に確からしい」という確率論の言葉を好んで使用しますし、ゲンを担ぐようなことは一切しません。プロ野球のドラフト会議前、クジを引く監督達のしている神頼みを、滑稽だと思っているくらいです。

ですが、統計や確率論で考えると宝くじに当たる確率は決まっていますが、生きている内に一等が当たる人もいれば、当たらない人もいます。その差はなんでしょうか。

限りなく低い確率のものに当選したことを、神のおかげだ、と言われると、それも一理あるのかなと考えてしまいます。

確率論としても間違っていませんし、神の力を否定するものでもありません。良い落とし所ではないでしょうか。

悪魔の証明と神の証明

法律用語で「悪魔の証明」と言われることがあります。悪魔がいないことを証明するのが困難なことから、存在しないこと、やっていないことを証明するのは困難だということです。そのため、議論の際には否定側ではなく、主張側(悪魔がいると主張する側)に立証責任があります。

この論理で行くと、神がいるいないの議論については、神がいると主張する側が立証しなければなりません。そこで神の証明について調べてみました。

Wikipediaの「神の存在証明」によると、いくつかの証明方法について記載があります。個人的に納得感があったのは、キルヒャーによる神の存在論証です。エネルギー保存の法則や質量保存の法則がありますが、その元となるエネルギー、質量は、誰が作ったか?という説明は、今の科学では解明できないのではないでしょうか。

私は無神論者ではありますが、神を信じる人の見解を否定するものではありません。

科学と宗教の決定的な違い

私は科学を信仰しているのか?と考えた結果、科学と宗教に決定的な違いがあることに気がつきました。

神によってもたらされる奇跡については、同じ信仰心を持って、同じようにお祈りをしたとしても、再現性がありません。しかし、科学で分かっていることは再現性があります。私の個人的な見解ですが、再現性の有無というところで、科学と宗教には明確な違いがあると思っています。

ですので、私の結論としては、科学は宗教ではない、ということになります。

この話についての天の声

自論をおしつけないような言い方してるけど、そうやって「俺は頭良いぞ」と見せてマウント取ろうとしてるのがやらしいよね。


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