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「推しの死」と「悪意なき善意」

皆様はいわゆる「推しの死」を経験したことがあるだろうか。

最近、週刊少年ジャンプに連載され人気を博している『呪術廻戦』では、人気の高いキャラが死に、ずっと生死不明のキャラがいるなど、暗い展開が続いている。佳境に差し掛かった『進撃の巨人』でも、序盤からの主要キャラが次々に死んでいる。非オタもオタクも、朝からお通夜状態になったタイムラインを目にすることが多いのではないか。

また昨年は、真田氏(@sanada_jp)の『私のジャンルに「神」がいます(同人女の感情)』の最終話後編が更新された11月7日には、「推しの死」というワードがトレンド入りし、内容が賛否を呼んだことも記憶に新しい。​

※この漫画についての考察と感想は、以前まさみ氏がnoteにまとめていた。この記事が一番詳細で私の考えるところに近いので、参考にして欲しい。

まさみ氏はこのnoteの最後を以下のように締めくくっている。

推しの死は推しの死として、アンチの感情はアンチの感情として、変に駆け足になったり無理に混ぜたりせず別個のテーマとして向き合って欲しかった。

同様に、私がこの漫画を読んで一番気になったことも「柚木は本当に推しの死と向き合い、克服できたのか?」ということであった。

今回私は、実際に私が向き合ってきた「死」の経験から、非オタ・オタクに関わらず伝えたいことを考え、まとめてみようと思う。(あくまで私見が大半であることをご理解いただきたい)

「推しが死ぬ」ということ

「推しが死ぬ」ということは、思い入れが深ければ深いほどショッキングで受け入れ難いものだ。何もかもが無気力に感じられ、飲食物が何も喉を通らなくなるし、気づけば1日が経っている。家事や仕事など、普通のことができるようになっていても、ふとしたきっかけで涙を流していることもある。これはもちろん人それぞれではあるが、実在している身近で親しい人が亡くなる時と同じようなものなのだ。ただ、こればかりは両方を経験しなければ「同じようなものだ、似ているようだ」と感じることはできない。

どちらの経験もしていない人、あるいはさほど故人に思い入れがなかったため、真正面から死に向き合ったことがない、という人もいるだろう。そのため、推しを亡くして間もないフォロワーに「終わったことにいつまでもくよくよするな!元気出して!」と無情にも声をかける人もちらほら見かける。元気付けているつもりでも、実際は追い詰めているのかもしれない、ということに気づいてほしい。

祖母の死 ー身近な人が亡くなった時

私は2018年8月に祖母を亡くした。祖母からは昔から並々ならぬ愛をもって接してもらっており、親族の中でも思い入れは特に深かった。それゆえに、死化粧をし、真っ白な布団に寝かされている祖母の顔を見た時は、大量の涙が溢れて止まらなかった。親戚の通夜に参加し、個人の顔を拝んだ経験は何度かあるが、その時の悲しいという感情を思い出せないくらい、祖母に対する思いは大きかった。

祖母が亡くなってから半年間くらいは、家族に向かって祖母の話をすることが憚られた。私以上に悲しんでいる母を傷つけることが怖く、どう声をかければよいのかわからなかったのである。特に母にとって実母である祖母は特に頼れる存在で、その心の拠り所だった祖母がいなくなったことで、母はあっという間に鬱を発症した。それから現在も通院と投薬治療を続けており、その成果もあり祖母の思い出話は徐々にできるようになっている。「おばあちゃんはトゲピーが喋るおもちゃを買い与えたはずの子供よりも気に入っていた」とか他愛のない話も。祖母の死に向き合えるようになるまで私自身は半年くらい、母は2年経った今でも怪しい状態。これが、私にとってもっとも直近の家族の死と、前を向くまでにかかった時間である。

「推しの死」 ー決して手の届かない「推し」が亡くなった時

2019年4月5日、大ファンであるロックバンド「ヒトリエ」のボーカル・wowaka氏がツアー中に急逝した。大学時代から足繁くライブに通い、もちろんそのツアーにも参戦する予定だった、その最中である。4月1日にはTwitterで「令和きれいだー。」とつぶやきを残していた。

数日前には生きようとしていたにも関わらずである。これが私にとって初めて経験した大きな「推しの死」であった。

私はwowaka氏の書く人間味溢れた、感情豊かな歌詞と独特の曲調が大好きで、さまざまな曲に助けられてきた。自分ではなかなか言い表せないようなむしゃくしゃした思いは、全部wowaka氏が曲で表現してくれる、そんな安心感があった。大学時代は特に進路について悩むことが多く、その都度ヒトリエの曲によって考えさせられ、前を向けるようになることも多かった。そんなヒトリエのフロントマンが亡くなってしまった。

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同年6月に、ライブツアーの最終公演を締め括る予定であった新木場STUDIO COASTでは、wowaka氏へのお別れ会が開催され、ライブパートでは残されたメンバーだけで数曲を演奏した。仕事の半休をとって向かったお別れ会ではとにかくずっと泣いていて、着ている黒いスーツと相まってガチの喪に服していた。

お別れ会が終わった直後の数ヶ月間は特にひどく、仕事の繁忙期で毎日終電近くまで残業をしながらも、ふとwowaka氏のことを考えて全く集中できなくなったり、悲しい気持ちを紛らわそうと強いお酒をたくさん飲んだり、明け方に目が覚めてライブ中の優しいMCを思い出して泣いたりしていた。しかしながら、同時期には残酷にもwowaka氏が亡くなったことでヒトリエが注目を浴びるようになり、今まで話題にも上げていなかったような人たちが急にwowaka氏のボカロP時代の曲でビンゴを埋めてマウントを取り始めた。それはまだ許せる。極めつきに「ヒトリエ好きだったよね。ボーカルが亡くなったことは残念だったけど、これを機にヒトリエを聴き始めたよ。いいバンドだね!ヒトリエのおすすめ曲教えてよ!!」と私に声をかけてくる人が増えた時は本当に死んでしまいたいくらい落ち込んだ。

はっきり言って地獄だった。マジでほっといてくれよ!!!!!!と叫び出したくなる時も多かった。これ、心当たりある人多いのではないだろうか。呪術廻戦や進撃の巨人で推しが死んだフォロワーを元気付けようとしてLINE送ったりDM送ったりしたそこのお前。相手は元気そうに振る舞ったかもしれないし、落ち込んでいたかもしれないが、いずれにせよ、相手を苦しめている可能性を考えたことはあるか?私は数ヶ月間、この「悪意なき善意」を向けられることに苦しめられた。この期間中に耐えきれずにファンを辞めた人もかなり多かった。一緒に応援してきた友人がどんどん減っていくのを見るのも辛かった。

ちなみに、ヒトリエは残された3人ですべて一から制作した楽曲を詰め込んだアルバムを2月17日に出すことになっている。

私自身は、新曲のリリースを記念した配信ライブで新しいヒトリエとやっと向き合えたような気持ちになれた。多分、『同人女の感情』最終話の柚木はここに当たるのだと思う。柚木は綾城様の小説で1週間か。

私は1年8ヶ月かかった。

上記を踏まえて、伝えたいこと

「推しの死」は思っている以上にずっと重く、センシティブだ。向き合い、受け入れられるまでには人それぞれの葛藤があり、受け入れられるまでの時間も異なる。これは生きた人間でも、漫画やアニメ、ゲームのキャラクターでも同じだ。「たかがオタクコンテンツで鬱とか大袈裟www」「ガチ恋で草www」って、笑い話で済まされるような話でも案外ないんですよ。

ちなみに、2019年10月13日朝日新聞デジタル内の記事「死別の衝撃、遺族を襲う嵐のような感情 どう向き合う?」において、国立がん研究センター中央病院の加藤雅志医師が、死と接した遺族にどう向き合うべきか、以下のように述べている。

元気そうにしていても、本人にはとてもつらいことです。同居する家族や、身近な友人が見て「元気なさそうだな、食事してなさそうだな」と感じることがあれば声をかけてみてください。
 その際には、話をよく聞くことが重要です。これだけは絶対にやってはいけないのは「興味本位で話を聞くこと」です。自分が知りたいことを聞くのではなく、その人のことを心配に思って真摯(しんし)に話が聞けるかどうかです。本人から、「大丈夫だ」と言われてしまうこともあります。その場合には、「いつでもあなたの話を聞けるからね」と伝えてほしいと思います。
 答えがでない難しい話題でも、「しょうがないよ」「いつまでもくよくよするな」と話を受け止めずに逃げたり、無理やり解決しようとしたりせず、避けずに向き合い、悲しみを理解する、ということが大切です。また「もっと前向きに」とか「外に出なきゃ」「こう考えたらいいと思う」などと安易な説得や価値観を押しつけると、わかってもらえないと、誰にも話さなくなってしまいます。

上記の記事に書いてあることは、「推しの死」で打ちひしがれる人にも十分当てはまることだと思う。『同人女の感情』ではサラッと流されてしまった「推しの死」だが、私が考える「推しの死」がとても重いということは伝わっただろうか。「死」そのものと向き合うことは、本当に大変なことだ。

「あー、◯◯くんが死んで△△ちゃんが悩んでるなー。よし、元気付けてあげよう!」と思っているそこのあなたへ。非オタク、オタクに関わらず「推しの死」に向き合おうとしている人を見かけたら、まずはそっと様子を見て、寄り添ってほしい。

今後、「推しの死」に関連することで無用な悲しみが増えないことを切に願う。

※参考資料


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