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闇がない世界ってあり得るのかい? という考察───────────その1:虫談義

犬や猫のかわいらしさ、愛くるしさは誰しもが認めるところだし、実際信じられないくらいにいとおしい存在ですね(ドーベルマン系はだめですよ)。ツイッターなどではそんな姿が盛んにアップロードされ、多くの人の共感を呼んでいるのは周知の事実です。

昔犬を飼っていたから、その気持ちはよくわかります。

しかし、ワニやニシキヘビなどを偏愛する人ともなると、ごく少数派になってしまいます。

どうしてでしょう?

その見てくれ、性格?

それも大いにあるでしょうが、ここではその奥に何かしら隠された秘密があるのではないか? という考察をしてみます(単なるいつもの病気です)。


世の中の存在は(人の目から見て)、「どこをどうしたって有無を言わさず惹かれる、好き!」というものと、「どう見ても、どうあがいても好きになれない奴」との二つに分かれます。

もしあなたがご自分の容姿を後者に見立てるのなら、それはおやめください。ここで言いたいのは「見てくれ」だけではないし、その奥に隠された「本質」ですから(森でやけに派手な「紅テングタケ」なんてものを発見して、「まあかわいらしい、白雪姫みたい」とパクっとしてしまうことだってありうるし、「見てくれ」はよく騙します)。

見てくれが悪くとも・・・って言っちゃってるし


さて、ここでは、それらを「善」と「悪」や、「美」と「醜」のようにある程度限定的なものではなく、「光」と「闇」というスターウォーズ的な世界観でいったんくくってみたいと思います。

よく私たち人間の雑駁な分類で「光側」とか「闇側」とかを耳にしますが、そもそも「光」や「闇」を知らずにそんな議論は不毛ですから。

といっても、そんなに深淵に考える要はなく、「光」はみんながそれによって幸せになるもの、一方の「闇」は、それに触れたくもないもの、程度のスタンスでまいりましょう。

それぞれ、好ましい存在は、「光側」、そして忌み嫌うような存在は、「闇側」の象徴としての「お使い」ではないか? というメルヘンチックな解釈です。

もしかしたら、この世に、そんなにも大きな違いがある存在たちがいるってことは、そこに何かメッセージ性が込められているのでは? と思ってしまうのです。


冒頭では、動物にその例を挙げましたが、もっとわかりやすいのは「昆虫」です(正確には「昆虫」ですらない単なる「虫」もいるそうですが。さらにここではトカゲなどの爬虫類系は大概みんな嫌いなので省きます)。

嫌われどころでは、「ナメクジ」「ムカデ」「ヤスデ」「ゲジゲジ」「ゴキブリ」「蛭」「蚊」「蜘蛛」「ハエ」「アブ」「フナ虫」「ゾウムシ」「水虫」「ゴミムシ」「ダンゴムシ」「カマドウマ」「フンコロガシ」・・・近寄りたくないですよねえ。

だれも、そんなもんに好き好んでフレンドリーに接しようとするものはいません(え? いますか?)。


その昔、楳図かずお先生の「へび女」の中で、とりわけ母親が風呂に入っていて、その背中やらにうろこが生えているシーン(一コマ)、今でもトラウマになっているくらい気色悪かった記憶があります。

あまりに気味悪いものは、それが掲載されている誌面まで毒々しいものになってしまい、そこに触れることさえできない状態になっていたものです。

(気色悪さでいえば、脚やらの関節部分に「フジツボ」が生えたり、「鼻茸」のようなキノコが生える”人体系”、最悪です。←さすがにフジツボは誰かの創作か?)



それにしても、世の中にはなぜわれわれ人間が生理的に受け付けないような存在がいるのでしょうか?

疑問に思った方はいませんか?

もっとも、そこに若干の個人差があることは否めません。
私は、蜘蛛でも「ハエトリグモ」は気味悪くありません。
ていうか、むしろペットとして飼ってもいいくらいです。
ルーペで顔を拡大してみると、実に素っ頓狂で愛らしいものです。

ハエトリグモ=名前を付けてペットにしている人もいた俺だ

また、「イモムシ」「幼虫系」がダメな人も多いかもしれません。
私は毒蛾の幼虫みたいな真っ黒でとげとげのついているのは勘弁ですが、アゲハ蝶やモンシロチョウの幼虫のようにつるっとしているやつは、手で触ったり、手のひらに這わせたりしても可です。

それはひんやりして気持ちいいものです(苦手な向きはこんな表現でも一発でしょうね)。

しかし、カブトムシを気味悪く思う方や、蝉が苦手でという方はそうたくさんはいないでしょう。

ところが、これまたいるんですねえ。
私の義弟は、カブトムシがダメです。
「何で?」
と訊くと、こういう答えが返ってきました。

「あれ裏返してみて。毛がたくさん生えているじゃない・・・キモ」的な。

まさか、でした。いまだに、一向にピンときません。

蝉に関しては、知人のタイの女性にこんな話を聞いてから、私自身がダメになりました。

タイでは、蝉は貴重なたんぱく源で、市民は夕刻になると網と籠を持って捕まえに行く。籠の中の蝉はバサバサうるさいから羽をすべてむしり取る。それを乾煎りして食するのが一般的だが、通になると(この先閲覧注意→)そのまま生で食べるのがクリーミーでおいしいそう。

もうだめです。本来食べている側に対してそうあるべき「気持ち悪い」感覚が、蝉そのものに向かって感情移入してしまいます。

その話を聞いてからというもの、

「そういや、あの顔からしてバルタン星人みたいでダメな奴らなんだな」

とさえ思うようになってしまいました。

夏がくーれば思い出す~

アレッ? 何の話をしようとしてたんだっけ? 
そうそう、

「神様は、なんでこの世の中にかくも気味悪い、文字通り虫唾むしずが走る生物をおつくりになったのだろう?」という大問題についてです。

「そこにどんな目的があったんだろう?」

まさか、裸の人間の全身に、それらゲジゲジやヤスデやムカデなどを這いずり回らせて、どんな反応を示すのかをお確かめになりたかったのだろうか? それではドSだし、万が一不覚にも被験者が恍惚感に悶えてでもいたら、そいつはドМではないか?

まさか、そこは調べはしまい、と思いますが、案外わかりませんね。それごときで感応していた者どもを、「変態」として認定して、「ソドムとゴモラ」のように神の閃光で焼き尽くすみたいな。

ないです。



では、嫌われ者の当人たちは、果たして自分たちが嫌われているということに気づいているのだろうか?
というまたもや大問題がそこに出てきます。

私には、大いに自覚があるように思えてなりません。

一つ目は、一様に暗闇が好きだということ
二つ目は、すばしっこくて逃げ足が速いということ
三つめは、陰でこそこそしていること
四つ目は、妙に攻撃的なこと
五つ目は、トラップを仕掛けたりすること
六つ目は、ヌメヌメしてたり、逆に毛や足がうじゃうじゃ生えていたり、妙にてかってたりすること


どうでしょうか?
すでに戦闘モード満載ではないですか?

あなたの身近な人間にも似たようなタイプがおりませんでしょうか?
(え? 禿頭病とくとうびょうや多毛症のことではないですよ)



《続く》 と思います。


東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。