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あなたは光に耐えられるか?

闇がない世界ってあり得るのかい? という考察────────その3:闇の真相

いやー皆様、おつきあいありがとうございます。
この「闇」シリーズも3回目になりました。
闇を訪ねて3回目、もの好きにもほどがありますねえ(もちろん私がホントは大っ嫌いなことはお分かりですね?)。
しかも、本当の狙いは「闇のない世界」である点、お忘れなく。
毎度長くなって申し訳ありません(今回も嫌な予感がしており、「その4」も射程範囲に入るかもしれません💦)。
あなた様の貴重なお時間を、こんな「闇」がどうした、挙句の果てには「嫌な虫」がどうよみたいなどーでもいいことに割いてしまいその責任の重さを感じております。
しかし、実際、

闇なんてどーでもいいもの

なんです。
その、どーでもいいんだということを論証したいのです。
今回はその闇の正体に一歩迫ってみます。
今回は、前回、前々回からの続きです。
(まだ読んでない人は読んでね。ホンの1時間くらいで読めます💦)


え? 期待していたあれが出てこない?
あれですか? ピラミッド型したやつ、変な影絵を作るようなフィンガーサインやら片目のシンボルやら? みーんな闇の回し者だよって話?

いやいや、もう

満腹です。飽きました。


もう3、40年もこの方そんな世界を覗いてきた私は、例えば副島先生が『人類の月面着陸はなかったろう論』を上梓される前後から「行っていない論証」を確信していたくらいですから(実際はイッテマスネ。行ったはいいがレプたちに包囲されましたね。だからなのか、ご存じのように「映画フェイク」半分で糊塗してますが)。
これから、まだいろいろな方面で新たな論証が出てくるとは思いますが、闇はもうすぐ終わります。それらは『銀河系での特異なケース』とでもいったファイルに集められ、アカシックレコードか何かに収められることでしょう。そいつは一種の『闇の過去帳』『闇の事件簿』であり、近くそのすべてが情報の完全開示フルディスクロージャーという形で私たちの眼前にさらされます。晒されなくてはなりません。
ただ、問題は、その日、その時、私たちこのマトリクスの世界にどっぷり浸かった者たちが、果たしてその重圧に耐えられるのか? ということです。

決して脅かしているのではありません。

気が狂ったり、自殺するものも出る

でしょう。
というのも、今のこの現実世界そのものが想像を絶するほどに狂っているからです。
いまだに「闇」が跋扈ばっこしているからです。
「そうかもしれないけど、まあこうして一応安泰だしね」
と、思っているのは見せかけの状況だし、熾烈な光と闇の代理戦争が日夜繰り広げられている渦中だからです。それこそが我々は一番に知らなければならないことで、それ以外はスピン情報あるいは情報攪乱ですらある場合もあります。

SF映画ってのは、逆に「現実」をモチーフにしてるんだよ

闇を暴露することは、これまで多くの勇気ある人がそれを行ってきました。ミルトン・ウィリアム・クーパー氏ら、暗殺されたものも多数いますね。
中には、老境に達してから、内部告発をしたウィリアム・トンプキンス氏のように、ロッキードマーティン社などで宇宙船の開発に携わった一流エンジニアの告発などもありました。
もちろん私が支持する元SSP(シークレットスペースプログラム)のコーリー・グッド氏や、若いころのアレックス・コーリエ氏など影響力を持った方々が多数いて、もう「陰謀論」などのふやけた言葉は通用しないところまで来ています。その他、スーパーソルジャー計画や、それに従事した方々の告発などは、すでにSFが現実のものであることを物語っています(ただし、ご注意いただきたいのは、それらの中に工作員や、例えばトランスヒューマニズムに代表されるディストピア世界へ誘導するような魔女なども多数いることに慧眼を向けてください)。
皆様よくご存じのB・フルフォード氏などを見てもお分かりのように、今の時代の地政学や経済学は光、闇ともどもの影の勢力や、宇宙やスピリチュアルまで視座に入れないと把握できないところまで来ています。

あの「スタートレック」の現実は普通にあるのです。一見パラレルワールドであるかのようなこれらの現実は、私たちが今生きているこの現実世界と同じタイムライン上にあるのです。

まずは、それを認識しましょう。

銀河系の中で太陽系の一惑星である地球の人類が、ほぼ砂粒ほどの限られた情報しか持たないのと同様、この地球の中での我々一般大衆の情報はその中でもごく限られたものでしかないか、あるいは嘘八百である事実。

第一次世界大戦時より以前、19世紀前半からすでにUFOは研究開発されており、第二次世界大戦直後のナチスドイツではそれでプレアデス星系のアルデバランにまで行っています。

こんなにもかけ離れた情報の乖離かいりは闇側の隔離政策による

ものです。
闇側は、それらを我々に知られないようにずーっと隠してきました。が、もうそこに開いた穴がどんどん大きくなっているのは、皆様お気づきの事かと思います。

国内でも、多くの方々が様々なこれら闇の情報を暴露しています。海外の情報を翻訳したもの、自らの見解を記したもの・・・色々です。

で、それからどうするか?
それが、私の課題です。

そうした隠蔽されてきた情報を知らしめることは大変に重要なことです。

しかし、ではそれを知ってどうするのか?  
という問題。
それも一層大事なことかもしれません。

閃光(ソーラーフラッシュ)が来ます。


それはいきなりです。
突然です。
そこに、光が照射されたとき、闇になじんでいた私たちはどうなるのでしょうか?

浜に打ち上げられた魚です。

光は容赦なく闇を照らします。
闇は晒され、その全容を浮き彫りにします。
闇の中でも、あのエプスタイン島がらみの巨大シンジケートの存在を、
多くの人は受け入れるのに苦悶するし、気がふれるものも出る事でしょう。

自分たちがそんなどんなホラーよりも残酷で非道な現実で息をしてきたことに、自責の念に悶絶するでしょう。

「真実を知る」ということは、「一切のマトリクスを断つ」ということです。
それは、容易なことではありません。
ちょうど熱したどろどろの鉛の塊を飲み込むようなことです。

いつの世に長き眠りの夢覚めて驚くことのあらんとすらん=西行『山家集』

光を当ててこそ、そこで初めて「闇」の何たるかを知るのです。
闇になじみ、闇を友としてきたものは死にます。

闇は、私たちがそれを「知る」ことで消え去ります。
もう隠れるところがないからです。

闇には闇が見えません。
そこが闇だからです。
文字通り闇雲に何をするやらわかりません。

闇は、

自分たちがこの世界で最高の存在だと本気で思っています。


他が見えないからです。
だから、実際にその通りになりました。
それがこの世の姿です。
光には、そんな意識はありません。

闇は、悪を行うことに躊躇がありません。
そこに一点の良心の呵責もありません。
彼らの中では、それが正しいことだからです。
それが彼らの「正義」なのです。
良い悪いではありません。
ただ、そういうことなのです。

闇は光が見えません。
いつも光を避け、闇にいるからです。
闇は自らを知られることを恐れます。
そのことにより闇は闇ではなくなるからです。
もし、光を見るとすれば、それは彼らが消え去るときです。

小人罪なし玉を抱いて罪在りしょうじんつみなしたまをいだいてつみあり
つまり、自分たちのような一般市民が、なまじこんな真相などを知ってしまったら、そこら中走り回って何をするやらわからない。知らないほうがまだましだ。

はっきり言います。
知らないほうがよかった人。
相当数いる
でしょう。

知ったことにより、気がふれる人。
相当数います。

マトリクスに絡めとられている人たちです。

はっきり言います。
それらを助けることはできません。
もう手遅れです。
時間がありません。

この現実に疑義を申し立てる人、
不信感を持っている人、
違和感を感じている人、

彼らは救われるでしょう。
「光」を維持できている人たちだからです。

あべこべ、裏返しが、この世の中です。
闇に覆われている人は、闇を見れません。
闇を見れないということは、
同時に、この世に何の発見や喜び、不思議さも見ることができません。

なぜなら、光を保てているからこそ「闇」を見ることができているのだから。
「闇」に同化させられている人は、すでに闇が見えません。
残念ながら彼らは自らの業に似合った過酷な経験をして、
今後の進む道を問われます。

闇なのか光なのか・・・。

《続く?》


皆様、お疲れさまでした。
いやーな「闇」のお話、もう結構ですよね。お口直しにこの味覚糖のど飴や扇雀飴でもご賞味ください。
ここで、大変残念なお知らせがあります。
それは、「闇」が、また次回に続くということです。
粘着性ですね~しつこいですね~どうやらそれも闇の特徴なようです。
今回は、「真相」を書きましたが、いよいよ次回こそ「正体」です。
もう次回で終わりにしたいです。
闇に決着つけたいです!!
ご愛読ありがとうございました。


東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。