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労働Gメンは突然に:第3話「有給休暇」

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登場人物

時野 龍牙ときの りゅうが 23歳
新人の労働基準監督官。角宇乃かくうの労働基準監督署・第一方面所属。老若男女、誰とでも話すのが得意。

加平 蒼佑かひら そうすけ 30歳
6年目の労働基準監督官。第一方面所属。時野の直属の先輩。クール・無口・長身・細身・目つき悪し。あだ名は「冷徹王子」

紙地 嵩史かみじ たかふみ 43歳
20年目の労働基準監督官。第一方面主任。時野と加平の直属の上司。加平の過激な言動に心労が絶えない管理職。

高光 漣たかみつ れん 45歳
22年目の労働基準監督官。安全衛生課長。おしゃべり好き。妻は関西出身。

阿久徳 大二郎あくとく だいじろう
阿久徳興業の社長。ド派手なスラックスがトレードマーク。労働トラブルにアドバイスしてくれた加平に一目置く。

角宇乃労働基準監督署 配置図
角宇乃労働基準監督署 配置図(1階)

本編:第3話「有給休暇」

「今日はたくさん飲んで、食べて、楽しんでください! それでは、乾杯!」

 かんぱーい、と口々に言う声に続いて、グラスが触れ合う音があちこちから聞こえた。

 角宇乃かくうの市の繁華街である明多町あきたまちは、角宇乃駅から角宇乃労働基準監督署とは反対方向に10分ほど歩いたところにある。

 角宇乃市は県庁所在地ではないものの、県内の中核都市として人口が多く、それに比例するように繁華街である明多町も栄えている。

 今日は、角宇乃労働基準監督署の歓迎会だ。

 年度当初の役所は繁忙期なので、4月に入ってすぐではなく、少し業務が落ち着いた頃に実施されることになった。

 角宇乃労働基準監督署に新しく配置された時野ときのたち新人のほか、4月1日付で他署から異動してきた人も、歓迎対象だ。

「それで時野くんはさ、どうして監督官になろうと思ったわけ?」

 あっと言う間に1杯目を飲み干し、2杯目を注文した高光たかみつ課長が時野に聞いた。

「母を喜ばせたくて、ですかね」

「お母さんを?」

「はい。うちは母一人子一人で……だから、僕が安定した職業に就いて、母を安心させたくて」

「……」

 これは正直な話なのだが、やはり「母子家庭」のキーワードを出すと、その場が腫物はれものを触るような空気に包まれるきらいがある。

「ってか、真面目かっ!」

 高光課長が明るくつっこむ。

(こういう時、高光課長みたいな人がいてくれるの、助かる)

「そんな高光課長は、どうして監督官になったんですか?」

「あ、俺? 俺はねー、大学生の時にすごく好きな先輩がいたのよ。美人でさー。その先輩が監督官になったから、追いかけてきちゃったわけ」

「わ、なんですかその理由! チャラーい!」

 女性陣が、言葉とは裏腹に盛り上がる。

「さすが、高光課長は期待を裏切らないね」

 先ほど乾杯の音頭を取った法川のりかわ署長が、笑いながら高光課長に言う。

「署長まで! これでも一途なんですよ、僕! そういう署長は、どうして監督官に?」

「私ですか? 私は、高校を出て工場で勤めていたんですけど、プレス機械で作業中に指を落としちゃって」

 法川署長が、右手を上げた。人差し指を見ると、第1関節までしかなく、断面も不自然だ。

「法定の安全装置を備え付けてないプレス機械を使ってたんですよね、勤務先が。そこから、働きながら夜間の大学に通って大卒資格をとって、監督官試験を受けたんです」

「……」

 思いがけず本気の苦労話が出てきて、一同がまたしんと静まる。

 それを破ってくれたのもまた、この人だった。

「ていうか、署長まで真面目ですか!」

 高光課長がつっこみ、笑いが起こる。

(右手の人差し指を切断していることには気が付いていたけど、それが労働基準監督官になった理由だったとは。僕みたいに公務員ならなんでもよかった人とは違って、署長はガチ勢だ)

「ははは。ま、これは面接用の理由かな。私も、工場のアルバイトより安定した職に就きたいと思ったのが本音です」

 法川署長は朗らかに笑った。

 その後、新監の時野はビール瓶を片手に各卓に挨拶周りをした。

「一主任、おつかれさまです」

「おっ、時野くんおつかれ」

 紙地かみじ一主任は時野が注いだビールを一口飲むと、時野からビール瓶を受け取って、今度は時野のグラスに注いだ。

「マイルド系の時野くんが一方面に来てくれてよかったよー。俺と加平だけじゃ、とがってしょうがないからなー」

「え、一主任はとがってないんじゃ?」

「あれ、俺が『カミソリの紙地』って呼ばれてるの、知らない? シュッ!」

 紙地一主任が手刀で何かを切り刻む真似をするので、時野は思わず笑ってしまった。

「ねえ、時野くんだっけ。今日加平はきてないの?」

 話に割り込んできたのは、労災課の係長の若月わかつきだ。

 セミロングの髪には軽くウェーブがかかり、アラフォーらしいがもっと若く見える。

「あー、加平はいつもこういう飲み会来ないからなあー」

 紙地一主任が答えると、若月が口をとがらせながら、時野を指さす。

「直の後輩の歓迎会なのに、ですかー?」

 加平は、今日の飲み会を欠席している。

 不参加について絡まれたくないとばかりに、定時になるやさっさと帰ってしまった。

「加平って、飲むと変わるのがイヤみたいで、滅多に飲みの場に来ないもんなー」

「それが面白いのに! あーもう、加平と飲みたかったなー!」

(飲むと変わる? 加平さんが?)

「あ、誤解しないで時野くん。加平は酒乱とかじゃないからね。別に言うほど変わらないんだけどさ、いつもより少ししゃべるようになるぐらいで」

(いつもよりしゃべる? それは打ち解けるのにいいかも! 僕も加平さんと飲みに行きたい)

 事業主の所在不明事件の解決に貢献したのを認められ(?)、やっと、加平から名字を呼んでもらえるようになった時野だったが、それ以上の進展はない。

(よし、次の目標は、加平さんと飲みにケーション!)

 母の影響で、少し昭和の香り漂う23歳の時野なのであった。

「有給休暇が全く取れないんです」

 相談窓口には男性が2人座っており、カウンターを挟んでその向かい側で対応しているのは、今野相談員と時野だ。

 先輩監督官に監督に連れて行ってもらったり、署内で書類の編綴作業をしたり、意外と忙しい新監の時野だが、手が空いている時はなるべく相談対応に同席させてもらい、相談業務の勉強をすることになっている。

 相談中の2人の男性は職場の同僚で、同じ悩みを抱えるその事業場の労働者を代表して、相談にやってきたという。

「有給休暇の申請は出されました? その上で実際に仕事は休みましたか」

「申請は所定の様式で提出してます。でも、結局休ませてもらえないんです。だから有給休暇を申請した日は働きました」

「うーん……そうですか……。ちょっと、お待ちください」

 今野相談員は、その場を離れると、紙地一主任の席に向かった。

 今日の紙地一主任の席には「在庁」という札がつけられている。

「一主任が今日の在庁当番でよろしいでしょうか。実は窓口に有給休暇でご相談のお客様がお見えなんですが……」

 労働基準監督官は基本的に外に調査に行くのが仕事だが、相談員が回答に迷う事案に対応するため、「在庁当番」として、必ず1人は労働基準監督官が事務室に残ることになっている。

「はい、今日は私が在庁当番です。どうしました?」

 紙地一主任が仕事の手を止めて、今野相談員の話を聞く。

 今野相談員の言う問題点は、こうだ。

 有給休暇は「取らせてもらえない」というだけでは法違反とならない。

 有給休暇を申請し、その日に仕事を休んだのにその分の賃金が支払われないことをもって、初めて「賃金不払」として法違反が成立する。

 先ほどから相談中の男性2人組は、有給休暇の申請はしたものの、結局休んでいないので、法違反が成立しないのだという。

 しかし、困っているのは事実なので、労働基準監督署としては、対応をどうするべきか。

「情報として受けましょう」

 申告の場合は、原則として労働者個人の権利の救済に関わる法律違反の時に受理をする。

 それ以外のケース、例えば法違反とは言えなかったり、事業場全体の問題といった場合は、「情報提供」として受け取ることがあるらしい。

 紙地一主任の指示で、今回の相談については情報提供として受けることになった。

 情報提供の場合、調査に入るかどうかも、調査の時期も、労働基準監督署に任せてもらうのだという。

 今野相談員は、男性2人組に説明するためにカウンターに戻った。

 紙地一主任が、ホッチキス止めされた書類を時野の前に置いた。

「ちょうどよかったよ。その事業場、たまたま今月の定監に上がってるんだよな。有給休暇のことも一緒に調べてきてもらうよ」

 定監とは「定期監督」の略だ。

 申告監督のように何かの問題があって行う監督ではなく、無作為にピックアップされた事業場に対し、定期的に調査を行うことを言う。

 紙地一主任が、書類に記載された事業場の一覧をトントンと指さした。

 事業場名の横には担当者の名前が書かれているが、それは――。

「担当は加平。時野くんも、一緒に行ってきたらいいよ」

「わかりました! 一緒に行ってきます。あれ? そう言えば、加平さんは……」

 時野がきょろきょろと見回すが、加平の姿が見えない。

「あー、多分コレだろうな。席にいない時は大体そうだから。一主任が呼んでますって、言ってきてくれる?」

 一主任が、2本の指で何かを挟む仕草をした。

 角宇乃労働基準監督署の裏手に回って少し歩くと、白ご飯が今すぐほしくなるような、いい匂いが漂ってきた。

 紙地一主任に教えてもらったとおり、庁舎の2軒先にある焼き肉屋に近づくと、建物の脇にある灰皿スタンドの前で、加平が煙草を吸っているのが見えた。

 令和2年4月1日以降、公的な建物は敷地内も含めて全面禁煙となっている。

 角宇乃労働基準監督署から一番近い灰皿のある場所はこの焼き肉屋らしく、喫煙者はそっと庁舎を出てここに集まるのだという。

「加平さ……」

 声をかけようとした時、後ろから別の人物が時野を追い越した。

「加平!」

(この人は……若月さん?)

「……おつかれさまです」

 先輩である若月には、一応加平も敬語であいさつするらしい。

 若月は、加平の隣に立つと、自らも煙草に火をつけた。

「なんで歓迎会来なかったの? 一緒に飲めると思ってたのにー。そうだ、金曜日、飲みに行こうよ!」

 若月の提案に、加平の表情には「否」の文字が見える。

「飲むの好きじゃないので。既婚者の女性と2人で行くわけにもいきませんし」

「あ、それなら大丈夫。旦那とは離婚秒読みで別居中だから」

(いや、大丈夫じゃない気が……)

 なんとなく輪に交じっている時野の方をみて、若月がひらめいたように指を鳴らした。

「じゃあ、時野くんも一緒に行こ! それなら2人きりじゃないから問題ないでしょ?」

「行きます!」

 時野は即座に承諾した。

(加平さんと飲みにケーションのチャンス!)

「時野、調子に乗るなよ。俺は行きません」

 頑なに断る加平に向かって、若月は少し身を乗り出した。

「私、この間麗花れいかちゃん見かけたんだよねー」

「!」

 加平が驚いた様子で若月を見る。

「……どこで、ですか?」

 若月はニヤリとすると、煙を吐き出した。

「知りたい? 飲みに付き合ってくれたら教えるけど、どうする?」

「……っ!」

(レイカって……)

 時野の脳裏に、遮断機の向こうに消えた白い百合の姿がよみがえる。加平が叫んだ名前は、確か――。

  • 事業場名:有限会社天天テンテンフーズ

  • 所在地:角宇乃市南区2丁目○○ー○ 角宇乃南流通団地内

  • 業種:食料品卸売業

  • 労働者数:30名

 時野は、出発前に印刷してきた「天天フーズ」の事業場基本情報を見ていた。

 事業場基本情報とは、基準システムに登録された事業場の情報で、事業場が過去に提出した届け出の情報や、監督指導歴を確認することができる。

 時野は加平と共に、定期監督として天天フーズに来ている。

 例の男性2人組から有給休暇の相談があった事業場だ。

 有給休暇がとれない件については、あらかじめ当人たちに確認し、「匿名の情報提供があった」と事業場側に伝えてよいと了解を得ている。

 タイムカード、賃金台帳、三六協定、就業規則、労働条件通知書、健康診断結果、そして、有給休暇管理簿――。

 加平は事業場に着くなり、これらの書類の提示を事業場に要求した。

 突然やってきた労働基準監督官に驚いた様子だったが、総務課長だという男性は素直に書類を出してきた。

(情報提供者の2人組の名前は「中野」と「原田」。取引先との間で商品の受注と納品を担当する営業職と言っていたけど……)

 営業職の労働者の中に、確かに中野と原田の名前があった。

 同じ職種の労働者は、2人を含めて10人だ。

 時野は加平から教えてもらいながら、一緒に一通り書類を確認していった。

(加平さんの様子からして、ここまでは大きな問題点はないようだ。次はいよいよ、有給休暇の件だけど――)

 その時、ガチャリ、と会議室のドアが開き、スーツ姿の男性が入ってきた。

 年齢は50代だろうか。歳のわりに多い頭髪は、整髪料で丁寧に撫で付けてある。

「不在にしておりまして、失礼しました。代表取締役の天野あまのと申します」

 天野社長は加平と時野に名刺を渡すと、総務課長の隣に座り、時野たちと向かい合った。

「労働基準監督署の方が来られたと報告を受けて、出張先から飛んで帰ってきましたよ。急にいらっしゃるなんて、何か弊社に問題でも?」

「原則として、予告なく調査に入ることになっていますので」

 加平はいつもどおりのクールな表情で答えた。

「ははは、決まり通りのお答えをされたようだ。まあいいでしょう。それで? ご覧いただいて、何か問題はありましたか」

「いいえ、今のところは。あとは、有給休暇について確認しようと思っていますが」

(ついに、問題の有給休暇の件だ)

「そうですか。どうぞご覧ください」

 総務課長は少し顔色が悪いが、天野社長は余裕の表情だ。

 加平は有給休暇管理簿を開いた。

 有給休暇管理簿は有給休暇の取得状況を記録する書類で、事業主に作成が義務付けられている。

 労働基準法では、1年間で5日間は労働者に有給休暇を取得させなければならないと定められている。

 有給休暇が年間10日以上発生する労働者が対象だが、正社員などのフルタイムの労働者であれば、ほぼ全員が年5日取得義務の対象となる。

 天天フーズは、1月から12月を区切りとした1年で有給休暇管理簿を作成していた。

 加平が有給休暇管理簿を開いて、めくっていく。

 時野も横から覗き込んで確認するが――。

(あれ? 中野さんも原田さんも、記録上は有給休暇を3日ずつ取得している。相談では、まったく取らせてくれないと言っていたのに……)

 労働者30人のうち、有給休暇が年間10日以上発生する労働者は、中野と原田を含めて25人。

 その全員が、3日の有給休暇を取得済みだ。

 取得日数が5日に達していないものの、1月から4月までの4か月で3日取得できているなら、取得状況としては悪くない。

 有給休暇の発生が年間10日未満であって、年5日取得義務の対象とならない労働者についても、3日は取得できている。

「すみません。前年の分も見せていただけますか」

 加平が総務課長に依頼すると、総務課長が別室から前年分の有給休暇管理簿を持ってきた。

 加平はパラパラとめくって内容を確認している。

「時野」

 加平が時野に前年の有給休暇管理簿を渡してきた。見てみろ、ということらしい。

(……あれ? よく見ると、全員同じ日に有給休暇をとってる?)

「計画年休ですか?」

(計画年休?)

 前年の有給休暇管理簿によると、労働者が全員5日間の有給休暇を取得しており、なおかつその日付は全員同じで「1月1日・1月2日・1月3日・12月30日・12月31日」の5日間だ。

(てことは、まさか……)

 時野が改めて今年の有給休暇管理簿を確認すると、全員が「1月1日・1月2日・1月3日」の同じ3日間の有給休暇を取得した記録となっている。

「ええ、そうです。年間5日間、計画年休で全社一斉で有給休暇を取得しています。ですから、年5日の取得義務は達成していますよ」

 計画年休とは、あらかじめ決めた日に計画的に有給休暇を取得させることをいう。

 実行するためには、いつを計画年休日とするかを含めて労使で協議を行い、労使協定の締結を行う必要がある。

「計画年休の労使協定を見せてください」

「あ、それは……」

 総務課長が口ごもりながら、天野社長を見る。

「ああそうか、今年の協定は失念していたな。労働者側と口頭では協議済みだったのですが、協定書の作成はまだでした。申し訳ありません。すみやかに協定書を作成いたします」

(労使協定なしで計画年休を実行している法違反については認めたわけだけど……)

「御社が有給休暇を取らせてないという情報提供がありました」

 加平の唐突な発言に、社長の頬がピクリとゆがんだ。

「ほう……やはり、そうでしたか。誰からです?」

「匿名の情報でしたので」

「匿名? ふん。大方、営業の者でしょう。いつも文句を言ってきますから」

(バレてる……)

 時野は顔色を変えないようにしたつもりだが、かえってこわばった顔つきになってしまった。秘密や嘘は得意じゃないのだ。

「見てのとおり、有給休暇は取らせていますよ。年5日、法律の義務のとおりにね」

「計画年休日以外には、どなたも有給休暇を取得していないようですが?」

 天野社長は、ふっと口元を緩めた。

「ああ、結果的にはそうなっていますね」

(結果的には?)

「計画年休日以外の日についても、有給休暇の申請はありますよ。もちろん、取るなと拒否したこともありません」

 天野社長の表情には動じる様子がない。

「おかげさまで繁盛しておりましてね。休まれると事業の正常な運営ができない日については、『他の日で頼む』と日程変更をお願いしているのですよ。そうすると、なぜか皆、代わりの日を言ってこないものでね」

「時季変更権の行使、というわけですか」

(時季変更権……?)

 これ以上言いがかりをつけることはできまい言わんばかりに、天野社長はにっこりと加平に微笑んだ。

「あちゃー。その社長、なかなかの狸だな」

 帰庁した時野たちは、紙地一主任に天天フーズの調査結果を報告した。

「有給休暇を申請しても、時季変更権を行使されて別の日で申請し直すように社長に言われる。別日で申請し直してもまた時季変更権の行使……。やがて労働者の意欲がそがれて、結局取得せずに終わってしまうようです」

 時季変更権――労働者から申請された日に有給休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げる場合に、事業主には有給休暇の取得時季を変更する権利が認められる。

 その上、時季変更権を行使するにあたって、代わりの日を指定する義務までは事業主にはない。

 天野社長は、代わりの日を労働者に提示させ、さらに「その日も都合が悪い」と時季変更権の行使を繰り返しているのだ。

「実態として年末年始休暇だった日に計画年休を充てることで、法定の義務である年5日の有給休暇取得については見かけ上達成しています」

 有給休暇の取得に関わる法違反としては、年5日取得義務を果たしていないことの指摘が一番王道だ。

 しかし、計画年休によって取得した有給休暇が5日あることをもって、年5日取得義務の達成とすることは法律上認められているので、天天フーズにこの点の違反はない。

「時季変更権の過剰な行使も、年末年始休暇を計画年休に割り当てることも、望ましいとは決して言えないが、法違反とまでは言えない。グレーゾーンを的確に突いてきてる。出せて指導票だな」

 指導票とは、法違反ではないものの、労働基準監督署として改善をお願いしたい事項を文書にしたものだ。

 指導票でも大半の事業場は改善に取り組むが、法違反ではない以上、改善しなくても取り締まるすべはない。

「ということは、違反を指摘できるのは、労使協定なしで計画年休をしてたことぐらいか……。それも、労使協定を締結すれば是正完了になるしな。一応、時季変更権を行使しすぎるなよっていう指導票も出しておくか?」

 時野は天野社長の不敵な笑みを思い出す。

(あの社長なら、「善処します」という報告書を出して、裏で舌を出しそうだ。相談者は有給休暇が取れるようにしてほしいと希望しているのに、このままじゃ……)

 時野が加平を見ると、加平は腕を組んで考え込んでいた……。

 時野が署内の廊下を歩いていると、3人の男性が庁舎の入り口から入ってくるのが見えた。

 全員中年だが、その中で、紺色の三つ揃えのスーツをスマートに着こなした男性が、1人だけやけに目立っている。

「あの三つ揃えのスーツの男、若月さんの旦那だぞ」

「わっ。いつから後ろにいたんですか」

 振り返ると、立っていたのは加平だ。

「労災課で事務指導があるみたいだな。若月さんの旦那は労災補償課の監察官だから」

 労災課長に迎えられて、3人の男性がぞろぞろと労災課の入り口から入っていくのを見ながら、加平が言った。

 労災補償課とは、労働局にあって、各労働基準監督署の労災課の業務を統括する部署だ。

 主に取り仕切るのは、監察官と呼ばれる労災業務のベテランで、労働基準監督署の労災課長などを歴任している者たちだ。

「若月さんの旦那さん、渋かっこいいですね」

 加平は、はあー、と大きくため息をついた。

「よくわかんねーけど、別居と元サヤを繰り返してる。別居する度に、ああやって俺に絡んでくる」

 加平は結局、「店は自分が指定する」という条件で、若月との飲み会を承諾した。

(天天フーズの件はまだ解決していないけど……。今日は金曜日。とにかく今日は、加平さんと飲むぞー!)

「今週もお疲れさまでした! かんぱーい!」

 3つのグラスが触れ合って、気持ちいい高音が響いた。

 若月は、生ビールをごくごくとおいしそうに飲んでいる。

「それで、麗花をどこで見たんですか?」

 加平が頼んだのも生ビールだったが、乾杯の後一口飲んだだけだ。

 若月は加平のグラスを指ではじいた。

「私は『飲みに付き合ったら』って言ったのよ。そんな、一口飲んだぐらいで付き合ったに入らないんだからね! まずは一杯飲みなさいよ」

「……っ」

 加平はグラスを持ち上げると、ごくごくと飲み干した。

「あっ、加平さん、そんな急に飲んだら……」

 加平は、ドン! とグラスをテーブルに置くと、立ち上がって店の奥に歩いて行ってしまった。

「か、加平さん?」

「顔でも洗いに行ったんでしょ。なんとか酔わないようにあらがってるんでしょうけど」

 若月は、楽しそうにビールを飲んだ。

「加平って、いい男よねー」

 冷徹対応が際立ちがちだが、素の表情の加平はというと、一重の目元が涼やかで、シャープな輪郭の塩顔男子だ。

 初対面が睨み顔だったので、目つきが悪くて怖いという印象が強かったが、普段の表情も見るようになって、加平の見た目の印象も変わってきている。

「いい男って……。若月さん、旦那さんいるんですよね?」

「あー、いいのいいの。うちの旦那、仕事ばっかりで私に関心ないの。だから、今度こそ離婚するし」

(あの渋かっこいい旦那さん、ワーカホリックなのかな)

「それにしても……加平さんがあそこまで気にする麗花さんというのは、どういう方なんですか?」

「うちの職員よ。監督官。加平の同期」

「同期?」

「キレイな子でね。入ってきた時は、そりゃあ男どもがざわついたわよ。だけど、まさかあの冷徹王子まで御執心とはね」

(ちらっとしか見てないけど、確かに美人だった)

 時野は、遮断機の向こうに消えた白い百合の姿を思い出した。

「麗花さんはどこの監督署にいるんですか?」

 時野が尋ねると、若月は頬に指をあてて、考えている。

「今は一応労働局の監督課所属になるのかな? ちょっと難がある監督官みたい。ずっと出勤してないようだし。表向きは病気か何かで休業してることになってるみたいだけど、なんかやらかして半ば出勤停止らしいって噂もきくわね」

(訳アリの美人監督官か……)

「それに、うちのOBだという彼女の父親も、いわくつきでね……」

「いわくつき?」

 そこに、加平が戻ってきて、時野の隣に座る。

「時野」

「はい」

「お前って、頭切れるのな」

「え?」

 加平は、ほんのり顔が赤くなっている。

「この間の、所在不明の事業主こと。よくわかったよな、最初に行ったところの大家が、事業主の奥さんだって」

「あ……ありがとうございます」

 加平は両腕をテーブルの上で組むと、少し頭を傾けるように、右隣に座る時野の方を向いている。

「大家の言葉を聞いて、九州の方言だって気がつくなんてな」

(あれ? なんだか、加平さん……)

「よくやったぞ」

 加平は右手で時野の頭をポンポンとした。

「!」

(これは……何が起きてるんだ? こんなに柔らかい表情の加平さん、はじめて……)

 加平の正面に座る若月がお通しの小鉢を食べようとうつむいたとき、サイドの髪がさらりと落ちた。

「若月さん、髪が……」

 そう言うと、加平が左手を伸ばして、若月の右サイドの髪をそっと右耳にかけた。

「!」

 さすがの若月も、少し赤面している様子だ。

(間違いない! 加平さんが、なんだか甘い!)

 若月が顔を上げた。そのまま加平と見つめ合う。

「若月さん……」

「加平……」

「それで……麗花をどこで見たんですか?」

「へっ?」

(酔っても、ここに来た目的は見失っていないらしい)

「なによ、そこはブレないのね」

 若月は加平を睨みつける。

「まあいいわ。甘々モードの加平になってくれたことだし、教えてあげる」

 若月は、口の横に手のひらをあて、内緒話をするように加平と時野の方に顔を近づけた。

「麗花ちゃんを見た場所は……」

「場所は?」

「南区のラブホテルの前よ」

 店の外に出ると、さすがに少しひんやりした。もう夜9時を回っている。

「加平、もう一軒行こうよー。ていうか、この辺りあんまり店ないよね。そもそもなんで飲み会の場所をここににしたわけー?」

(確かに。今の店も悪くなかったけど、歓迎会をした明多町の方が、居酒屋が集まってるのに)

 仕事を終えたビジネスマンたちが、足早に時野たちの側を通り抜けていく。

 居酒屋よりも、オフィス向けの建物が多いエリアだ。

(あれ? この辺りって、もしかして……)

「わっ」

 ビジネスマンにぶつかられて、若月がよろめく。

 加平が若月の腕をつかんで支えた。

「大丈夫ですか」

 その時、1人の男性が時野たち3人の前に立った。

(あれ? この三つ揃えのスーツは……)

 若月は、驚きで酔いが覚めた様子だ。

「あなた、なんで……」

(若月さんの旦那さんだ! そうか、ここって、労働局の近くだったんだ……!)

 つかんだままだった腕を引っぱり、加平が若月を自分に近づけた。

「か、加平?」

 若月が加平の顔を見上げる。加平の視線は、若月監察官に向けられていた。

「妬けます?」

「ちょっと、何言ってんの」

 若月は、動揺した様子で夫の方をちらりと確認した。

「……ああ」

「!」

 若月監察官は、加平と合わせていた視線を下げて妻の方を見ると、その手を握った。

優香ゆうか、帰るぞ」

「うん……」

(優香? あ、若月さんのことか)

 夫に手を引かれて歩いて行きながら、若月が振り返る。

 加平が手を挙げて、若月の視線に応えた。時野もペコっとお辞儀をする。

「加平さん……もしかして、若月さんの旦那さんに言ってあったんですか、今日この店で飲むってこと」

 加平は時野を見ると、ニっと笑った。

(だから、飲み会の場所を労働局の近くにしたのか。仕事終わりに若月さんを迎えに来てもらうために)

 加平は、うーんと伸びをしている。

(元サヤの呼び水まで)

「俺らも帰るか」

 加平はタクシー乗り場に向かって歩き出した。時野も慌ててついていく。

(それにしても、さっきの若月さんの話……)

『南区のラブホテルの前よ。男の人と一緒だった。30代半ばぐらいの、大人の余裕を漂わせたイイ男。麗花ちゃんへのプレゼントかなあ、花束も持ってたわよ』

 天天フーズに調査に入ってから、1週間が経過した。

 時野と加平はこの後、天天フーズの社長と会って、指導文書を交付する予定だ。

(計画年休の労使協定を締結していない法違反に加えて、一応、時季変更権のことも指導票を出すみたいだけど……)

「あの、加平さんにお電話なんですけど……阿久徳さんて方から」

 電話を取った相談員が、加平が見当たらないので同じ方面の時野に聞いてきた。

 加平は今打ち合わせで席を外している。

「あ、阿久徳さんなら僕が出てみますよ」

 時野が電話に出て加平が打ち合わせ中であることを告げると、阿久徳社長は上機嫌な声で話し始めた。

「それならいいんです、急ぎの用事じゃないんで。ただ、一言お礼をと思いましてね」

(お礼? また何か労働トラブルのアドバイスでもしたのかな)

「うちは万年人不足ですからね。それが10人も紹介してもらってほんと助かりましたよ。加平さんによろしくお伝えください!」

 加平が戻ってきたので、阿久徳社長から電話があったことを伝えると、加平はいつもどおりのクールな表情で頷いた。

「おう。じゃ、天天フーズ行くぞ」

(紹介って、何だったんだろう……?)

 天天フーズに到着すると、総務課長が出迎えてくれたのだが、なんだか様子がおかしい。

「どうかされたのですか?」

「ええ、ちょっと……ごたごたしておりまして。あの、今日のご予定ですが、延期していただくわけには?」

「えっ?」

 その時、奥の部屋のドアが開いて、複数名の男性がぞろぞろと廊下に出てきた。

 その中には、情報提供者の中野と原田の姿も見える。

「待て! 話は終わってないぞ!」

 怒鳴りながら出てきたのは、天野社長だ。

「俺たちの気持ちは変わりません。明日から出勤しませんので、後はよろしくお願いします」

 そう言うと、中野と原田たちは行ってしまった。

「社長、労働基準監督署の方がお見えに……」

 総務課長に言われて加平の方を見るや、天野社長は目を吊り上げた。

「……そうか、わかったぞ! 労基の入れ知恵だな?」

(入れ知恵?)

「何かあったんですか」

 加平がクールな表情で訊いた。

「しらばっくれるな! 中に入って見てみろ!」

 加平はすたすたと室内に入っていった。

 時野も入ってみると、どうやらそこは社長室のようだ。

 社長の机の上には、複数枚の書類が置かれている。

(これは……。退職届と、有給休暇の申請書?)

「営業が全員、有給休暇を取り切って辞めると言ってきた! 退職日は、きっちり有給休暇残日数を取り切ったあとの日にしてある! こんなこと、俺は認めないぞ」

「……」

 加平は、机の上の退職届と申請書を無言で見下ろしている。

 時野も何枚か手にとって、内容を確認した。

(明日から有給休暇を取得する申請書だ。32日残っている有給休暇を全て消化。6月30日付けで退職する退職届も。ざっと見て10人分。営業職の労働者が全員出してきたのか……)

 勤続6年半を超えると、1年で発生する有給休暇は20日だ。

 有給休暇の時効は2年なので、全く取れずに翌年に繰り越せば、新たに発生した有給休暇と合わせて40日あることになる。

 天天フーズでは、昨年5日の計画年休、今年は計画年休のうち3日を消化済みだ。

 このため、有給休暇の残日数は32日となるが、それを退職と同時に全消化するということらしい。

「営業が全員辞めたら、誰が納品をするんだ! 突然退職するなんて、許すわけ……」

「退職は30日前の申し出、とありました」

「……は?」

「先日、就業規則を見せてもらいました。規定では『退職の申し出は30日前までに行うこと』と。ですよね? 総務課長」

「え、ええ……」

 総務課長は青ざめながら、天野社長をちらりと見ている。

「30日以上前に申し出ているじゃないですか。御社の就業規則のルールに沿ってます」

「だからって……! 退職日まで有給休暇をとって休むなんて! 俺は認めないぞ!」

 加平は、社長の机上の有給休暇申請書を何枚か手に取った。

「また時季変更権ですか?」

「……ああ、そうだ。この時季に取るのはダメだ!」

「無理です」

「なんだと?」

「有給休暇を取る権利は、退職日に消滅します。ですから、退職日までの間でしか、時季変更権を行使することはできない」

「……!」

「今回のケースでは、明日から退職日までの労働日を全て有給休暇にするので、他に出勤日がない。つまり、あなたに時季変更権を行使する余地はありません」

 加平の指摘をきいて、天野社長はわなわなと震えながら加平を指さした。

「な……な……何を馬鹿なことを言ってるんだっ! 退職届を出した次の日から有給休暇で出勤しないなんて、社会人としてどうかしてるだろう!」

「社会人としてどうかしてる……?」

 加平は天野社長に近づくと、手に持っていた申請書をバシッと天野社長の胸に叩きつけた。

「それはあんたの方だろ! 時季変更権を振りかざして、結局有給休暇を取らせてこなかったんだからな!」

「……!」

「まともに消化させてれば、1か月以上休めるほど残日数がたまることもなかったはずだ!」

 天野社長の胸に押し当てた申請書を、加平がさらにぐいぐいと押す。

 天野社長は引きつった表情で後ずさった。

「自分は法で認められた権利を振りかざしといて、労働者が法の範囲内の権利を行使したら、認めないだって? あんたが認めるも認めないもねえんだよ!」

 後ずさりした天野社長の背中が、ついに壁についた。

「退職という最後のカードを切らないと有給休暇を取れないところまで追い詰めたのはあんただ! 労働者に見限られるのは自業自得なんだよ!」

 ドン! と加平が天野社長の頭の横の壁を叩いた。

(壁ドン! ……いや、ちょっと意味違うか)

「さっさと取引先に納品が滞る詫びの連絡でもいれるんだな!」

 天野社長は青白い顔のまま、壁際で立ち尽くしている。

 加平は持参した指導文書を取り出し、総務課長に受け取りの署名をさせると、天天フーズを後にした。

 官用車に向かって駐車場を歩いていると、時野たちと入れ替りで天天フーズに入っていく男性が見えた。

 時野たちを見送りに玄関に出てきていた総務課長が、その男性に気づき声をかけている。

新井あらい先生、お約束なのにすみませんが、ちょっと今立て込んでおりまして……」

(あれ? あの男の人、どこかで……)

「あの、もしかしてなんですけど。ほんと、もしかしてなんですけど」 

「なんだよ? お前はどぶろっくか」

 加平は官用車を運転中。時野は助手席だ。

「天天フーズの営業のみなさんの転職先って、まさか……阿久徳興業ですか?」

 加平はコンビニの駐車場に官用車を駐車させると、時野をちらりと見てニッと口角を上げた。

「察しがいいな」

(やっぱり!)

「阿久徳さんには、なんかあったら何でも言ってくれって言われてたからな」

 加平は官用車を降りるでもなく、カーナビの地図を見ている。

「正直びっくりしました。有給休暇が取れるよう天野社長を改心させるのかと思ってたら、労働者の方から会社を見限らせるなんて……」

 加平は半眼で時野を見た。

「天野が改心なんかするわけねぇだろ。時季変更権の行使を繰り返すようなセコい事業主が!」

(い、言い方! まあ、その通りなんだろうけど)

「合法である以上、取り締まる手段もない。あんな狸が相手じゃ、指導票なんか出したってなんの効果もねえよ」

 加平はカーナビに視線を戻し、しゃべりながら画面を操作している。

「有給休暇を取ることが本人たちの希望だった。天天フーズじゃ、退職っていう切り札以外に手段はない。だから情報提供者には、天天フーズにおける有給休暇の取り方と、営業職を募集中の会社を教えた」

(阿久徳興業は、その名のイメージによらず意外とホワイトな事業場らしい。有給休暇も取りやすいとか。情報提供者たちは有給休暇がきちんととれる事業場への転職も果たしたわけだ)

「法を守らせるだけじゃ解決しない問題の方が多いんだよ。労働者にとっても、天野みたいな奴に義理立てするだけ時間の無駄だ」

(どう考えても加平さんのやり方が監督官のスタンダードとは思えない……。けど僕は、加平さんのやり方、キライじゃないかも)

 加平はカーナビの目的地を設定すると、官用車を発進させた。

(あれ? 煙草とコーヒーかと思ったのに、違うんだ。それに、帰り道ならナビ使わなくてもわかるのに……)

「あの、署に帰らないんですか?」

 時野が加平を見ると、加平は気まずそうな顔を時野に向けた。

(ん? あまり見たことがない加平さんの表情)

「ちょっと付き合え。ラブホに行く」

「はあぁ?!」

 南区の中でも小高い丘の上に、ヨーロッパのお城のような外観のそれはあった。

 車両用の入り口にはピンクの垂れ幕がかかっており、入場した先が見えないように配慮されている。

 さすがに官用車を中に入れるわけにはいかず、路肩に停めて車を降りた。

(若月さんが言っていた、麗花さんの目撃場所か)

「加平さん! 最初からそう言ってくださいよ、変な誤解するじゃないですか! いや、そーゆー意味とはちがいますけど、えっと……」

「は? なにごちゃごちゃ言ってんだよ。言っとくけど、業務中に私的な用事をしてるわけではないからな。怪しい事業場がないか、パトロールだ。一主任に余計なこと言うなよ」

 加平が時野を睨み付けて圧をかける。

(いや、どっからどう見ても私用ですけど?)

 加平はしばらく建物全体を眺めていたかと思うと、ラブホテルの周りを歩き始めた。

(それにしても……加平さんは麗花さんのことが好きなのかな。でも、女性が男性とラブホに来る理由っていったら……)

 時野が考えながら加平の後ろを歩いていると、やがてラブホテルに隣接する土地の入り口が見えてきた。

(これは……駐車場の出入り口?)

 駐車場の脇には整備された小道があり、その先は庭園に繋がっているようだ。

 人の気配に気づき、時野が庭園の方を見ると、男性が歩いているのが見えた。

(うん、大人の余裕を漂わせたイイ男だ……って、あれ?)

 男性の横には、髪の長い女性の姿も見える。

(あ、あの人は――)

 時野は加平を見た。加平の視線は庭園の白い百合に釘付けになっていた。

 それは、いつもの鋭い視線ではなく――。

「麗花……」

ー次話に続くー

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