2020年が来てしまう
晦日は自分合宿してました。
来年のビジョンを固めたり2019年の棚卸しをしたり。
行く途中、電車の窓から見た郊外の立ち並ぶ同じ形をした高層マンションと同じ形をした分譲マンションが脳裏に残っている。
働いて結婚して家族持ってマイホーム買ってローンのために働くー。
そんな大きな物語が垣間見れた。
んー、なんか違う。違和感がある。「これが"幸せ"のカタチだ」と誰か(世間とか社会通念とか)押しつけられても、わたしはきっとNoと言うだろう。
幸せのカタチは色々だけれど、きっとわたしの幸せはコレではない。
そもそも、わたしが東京に戻ってきた理由は、「オリンピックを東京で見たいから」だった。
就活のときに「どこで働きたいの?」(地方でグローバルな大学だったからか、よく話題になった)と友だちに聞かれれば、「オリンピックのときに東京でいれれば、世界中のどこでもいいかな。」と言っていた。
偶然にも幸運にも東京で働いているが、「オリンピックを迎える東京を見れてよかった」と思っている。
天皇も変わり、元号も変わり、東京の街も目まぐるしく変わってゆく。
そんな2020年が来てしまう。家族にも友だちにも上司にも言っているけれど、わたしはずっと東京にいる気はない。
東京の近郊か、地方か、はたまた海外かは分からない。
2020年、オリンピックのあとの行き先をそろそろ探したいなぁ。
そんな2020年がもうすぐ来てしまう。
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