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幸せって何だろう?ってね。ふと考えちゃった。

来月2月は私の誕生月。またも1つ歳を重ねる時期になり、自分にとって何が一番幸せなんだろう、ふと考えちゃった。ちなみに46歳になります。

自分にとって、何が幸せなんだろうな〜と、考えてみると、

「これって、幸せだな」

って思える時がどれだけあるのか、ってことなのかな、と。

じゃ、どんなときに、「これって、幸せだな」って思うのか。

昔は、そのハードルが世間の大多数のハードルに寄せていたような気がする。

例えば。

それなりの成績を取る、それなりの収入を得る、かっこいい彼氏がいる、たくさんの友達に囲まれている。
なんとなく、大体のことにおいて、平均より上にいる、ということ。

・・・もちろん、美味しいものを食べるとか、素敵なものを見るとか、そういうのは不変だけど。

子どもが生まれれば、子どもにも同じような幸せのレベルを。。

主語がどこだったんだろう、って思う。

どこかで他と比較して、平均と比較して、普通と比較して、それより上だと感じれば幸せ、そうでなければ、不幸とまでは言わないけれど、幸せじゃないという。。

じゃ、今はどうなのか。

究極、

「生きている」それこそが、幸せ。

それが自分の中の、揺るがないベースになった。

自分の子供たちに、本当に教えられた。

あーじゃなきゃだめ、こーじゃなきゃうまくいかないの。
そういう決めつけが私自身の視野も狭め、子供たちも窮屈にしていたのかな。

どんな状況にいても、それをどう捉えるのか。

事実は1つ。
でも、それに対する感情やそれによって作り出す現実は人によって違う。

どんな感情で捉えてみても、事実は変わらない。

だったら、最悪な捉え方が浮かんだとしても、違う方向から捉えることはできないのか、と考えてみる。

そうすると、多分、1つくらいは、「〜〜なんだから良かったよ」が出てくる。
仮に何も出てこなくても「命はあるんだから良かったよ」が出てくる。
そもそも、ベースは、「生きている事」そのものが幸せだから。

ここ2年で子供に起きた、不登校や自傷、自殺未遂や入院といった相当に辛かった事、それに伴った家族の不穏、自分のメンタルの浮き沈み、いろいろ通して、身についたことが、これなんじゃないかと思う。

事実は変えられないけど、捉え方は変えられる

それによって、不幸と(一般的には)思えることも、幸せに転ずることができる。

それこそが、幸せなことなんじゃないかと。

他人からしてみれば、哀れな事や、悲惨な事や、かわいそうだね、と思うことも、私の中では、幸せな事、喜ばしい事、そう捉える事ができる事が増えてきた。
そう捉えてみようと思える事ができてきた事、それ自体が幸せだな、思う。

もちろん、なかなかどう捉えればいいのかわからない時もあるけど、少なくても、トライはできるようになってきたから。

それ自体が、自分で作り出せる幸せの第一歩かな、と思う。

あ〜、もう少し、早く気づきたかったな〜。

でも、いいか。気付けたから。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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