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義務教育を受けるも受けないも選択制にしてほしい【不登校と発達障害】

と、極論ですが思います。
学校というシステム自体が合わない子どもも一定数いるのは明確で、でも、義務教育が故に行かねばならない場所である以上、行けない子どもは親子共々、社会から阻害された気分になるのです。

学校自体を否定しているわけでは決してありません。でも、現状は学校システムが合わなかったら、結局は、脱落しちゃった感じになる訳ですよ。いくら、その後にサポートする機関があったとしてですよ。いつの間にか、「サポートされる立場」になってしまう訳です。
メインレールが1本ってことが、そう感じさせるんだと思います。

いやいや、おかしくない?

学校が合わず不登校になった時に、別の機関での学習については評価するようになっただけマシといえばマシですが、「学校が合わなかったから」という理由が余計な傷という感じがするんです。

例えば、学校に入る前、入った後、定期的に選択できるタイミングを全員に与えれば良いと思うのです。もっというと、どんな選択肢があるか実際にいろんなところを見学させるのも良いかもしれません。

合わなかったから他へ行く、という消極的な消去法的な事ではなく、こっちの道を選択したいから、こっちへ行く、というように。学校自体にいろんな選択肢を準備させることは現実、無理だと思うので、せめて学校以外への選択の自由と選択のタイミングを与えてほしいです。

最低限の事だけ学んであとは、好きな道のことだけをひたすら学びたい、という子もいるでしょう。ゆっくり学びたい子もいるでしょう。全員が二次関数とかやる必要ありますか?全員が古文とかやる必要ありますか?好きならきっと、自分でやるでしょう。必要だと思ったタイミングで自分でやるでしょう。その方が身になります。

学びたい気持ちがあっても、環境が邪魔をすることはたくさんあります。そのせいで学びたいという気持ちどころではなくなってしまう子もたくさんいます。
もったいない!

会社でもそうですけど、「試用期間」ってあるじゃないですか。学校も似たような制度があっても良いような気がするんです。定期的にスクールカウンセラーとの面談を必須にして、1〜2年に一度、このまま続行するか、別の場所を選択するのか、どこへ行ってもどれも正解、という意識を当たり前にしたいのです。

「不登校」という言葉はいらないのです。
ただ、「(義務教育の)学校では学ばない」というだけ。

友達が選択する道も尊重する、自分の選択も尊重される。学ぶということについて、受け身ではなく主体的に考えることにもなるかもしれません。

もっというと、、大学が高校卒業をした人が次に進む場所、という考え方も、もっと自由で良いのに、、と思います。自分のやりたい事、学びたいと思うことができた時に、学べる場所へ行く、ということ。実際、今もできないわけではないけれど、時間とお金が必要です。家族を養いながら、自分の学費までまかなえる人ってなかなかいないと思います。

産休、育休、の流れで、「学休」、「学時短」とか、あっても良いような。
勉強するのは6歳から22歳だけではないんです!
大人になって、「もっと勉強しておけばよかった」という人は結構います。
それはつまり、「もうできないけどね」という意味の裏返しでもあります。
やれる環境にある人だけができる、じゃなくて、誰でもいつからでも学び直せたら素敵だなと思います。

「学び」に自由な選択肢がほしい、、と切に思います。
それから、「不登校」という言葉も
「不登校?いつの時代?」と死語になる日が来ると良いな〜と思います。

最後までお読み頂きありがとうございます。


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