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【発達障害ASDの長男#6】いよいよ診断。3年生の頃の生活。今思えば、人任せでした。

前回の内容はこちらです。

感覚統合療法が終わり、今後は心理検査をすることになった。

WISCⅢ検査

結果としては言語性は境界域、動作性は軽度遅滞域。
見通しが立たないことへの不安、パターン処理は良好、意図の理解や状況判断が苦手、一方でスケジュールや予定表があると安心し、それを確認しならがら進めること、丁寧に説明してもらい、繰り返し学習することが効果的、というような内容だった。

そして、結果は
自閉症スペクトラム、ADHDグレー、発達性協調運動障害。知的には境界域。

改めて、凹んだ。
コミュニケーションと体の動きが深刻、とも言われた。ま、言われなくても解っちゃいたが。。将来的にはサポートを受けながら生きていくことになる、と言われた。正直、当時はこの「サポート」の意味がよくわかっていなかった。
今思うと、要は、「障害者雇用」とか、「手帳」とかそういうようなことが含まれていたんだろうと思う。

障害についての説明はこちら⬇️でも軽くしております。


当時やっていたこと。お願いしていたこと。

当時は担任の先生には、黒板の隅に今やっている教科書のページ数を書いてもらったり、手が止まっていたら声をかけてもらったり、休み時間に一人でボーッとしていたら、先生の手伝いなどの「やること」を与えてもらったり、可能であれば遊びの中に誘ってもらったりしていた。

この頃、「絵と工作の教室」に週に1回通っていた。最初の半年くらいは私が車で送迎していたが、3年生の途中から一人で自転車で通うことができるようになった。息子の障害にも理解のある教室で、いろんな画材を使って絵を描いたり、木材や段ボール、いろんな素材を使って工作をした。

ハロウィンの季節になると、自分で作ったお化けの格好に変装して、教室の近所をみんなで回ったりした。息子はこの教室が結構好きだった。たくさん褒めてもらえたし、学校の絵の時間に使う色の数は格段に増えた。人物とか風景とか見て描くものは苦手だったが、抽象的な絵はとてもカラフルできれいな絵を描いていた。

このアトリエでは、先生からノートを介して、今日の様子ややったこと、注意した方がいい点、などが報告された。私も気づいた点や息子の様子を書いた。

それから、相変わらず通級のことばの教室には週に1回通っていて、お口の体操だけに止まらず、運動やカードゲーム、作文などの指導も受けていた。もう、なんでもやってもらった。そして、私も面談できてありがたかった。

学習面では、算数が苦手だったので、学校での「算数教室」に行っていた。これは、算数が苦手な児童のために、自分のクラスでの算数ではなく、その時間に別の教室に行って、その子にあった課題に取り組む、という時間で、10人程度のお子さんが利用していて、ボランティアの先生がわからないところを丁寧に教えてくれた。

学校の個人面談とは別に、算数教室の面談も定期的にあって、ゆっくりでも着実にできるように計算ができるようになっていることがわかった。やはり、パターン化し、それを何度も何度もやることで定着していくようだった。

でも、基本的には、この頃は下の二人が小さくて、そっちのお世話が大変で、息子の勉強面やそれ以外の支援に関しても、なんというか、「アウトソーシング」だった。通級では総合的に見てもらい、アトリエでは手先を動かしてもらい、算数教室で学習面の補充。面談で進捗だけ聞いて、私の愚痴を話して、終わっていたような。。。家ではあまり何もしなかった。

それよりも、妹の遊び相手をお願いしたり、犬の散歩をお願いしたり、風呂掃除をやらせてみたり、3年生の息子をコキ使っていたかもしれない。でも、「ありがとう!」と言うと、にこ〜〜〜〜っと笑う顔が可愛かった〜🤗

テストに関しては、点数がどんなに悪くても、必ず、1つは良いところを探して褒める、というのだけは意識していた。
「名前、ちゃんとかけてるね〜〜〜!嬉しいよ〜!」とか、
「この問題、難しそうだけど、ちゃんと考えようとしたんだね!」とか。。(間違ってるけどね😓)

でも、人の記憶は美化されるもの。。。。ひょっとして、当時はめっちゃ怒っていたかもしれません。残念ながら、怒ったことは覚えていません。。

息子が好きだったもの

当時は、ウルトラマンにハマっていた。(終始、ブレない実写派)
漫画は読めず、図鑑をみていた。ウルトラマンが大好きなので、お年玉で本格的な分厚いウルトラ図鑑を買って、毎日のように見ていた。実写であることと、あのパターン化されたストーリーは安心したのかもしれない。

周りはポケモンにハマる子が多かったが、1つのキャラクターが変化するようなものは、正直、意味がわからなかったのかもしれない。何度か見せては見たが、興味を示さなかった。

家では妹たちとマリオカードで遊ぶことが好きだった。でも、妹と遊ぶと言っても、自分勝手にやってるだけのように見えた。口出しはしなかった。(むしろ、この時間が私の時間だった。)寝る時間が9時半と決まっていたので、逆算して8時から9時の間が遊ぶ時間だから、「夕飯は6時までにできるように」とお願いされたりしていた。スケジュール通りに動くことで安心できていた。

夏休みの宿題。読書感想文の苦悩。

3年生になって夏休みの宿題に読書感想文がいよいよ登場した。
これは、親子2人、原稿用紙を前に、ただただ呆然とした。
今でも忘れない、小3の夏の思い出。。

とりあえず、読む本を図書館で借りてきた。なるべく短い話で、わかりやすい話、確か、飼っていた犬が死んでしまう、的なやつだったと思う。これを少しづつ一緒に読み進めた。でも、初めて手に取る本だし、結局、「字を追う」ことで精一杯。内容までは入ってこないし、まして感想を書くなんて。

私は考えた末に、その本を元に「紙芝居」を作った。
きっと、今ならいろんな方法がググればあるんだろうけど、当時はそんなになくて、苦肉の策だった。

10枚くらいの紙芝居。起承転結それぞれ2、3枚づつ。案外これがわかりやすかったらしく、とりあえず、ストーリーは理解してもらった。で、最大の難関、「感想を書く」。これは、もう私の誘導質問の何ものでもなかった。

紙芝居1枚づつ、私は質問をした。それを膨らまして、文章を作った。なので、彼はインタービューを受けただけ。私が文字に起こした、という感じ。ギリギリ、嘘はついていない、彼の意見がしっかり入っている!ということで、私が彼の回答内容を元に原稿用紙2枚半くらいの文章を書き、それを原稿用紙に「写す」という作業だけはしっかりやって頂いた。

とうとう男の子たちが群れだした

周りの3年生の男の子たちは、少しづつ変わっていった。なんだか、一緒につるんでふざけてみたり、女の子にちょっかい出したり、力比べをしたり、そういう年代になっていった。

当然、息子はついていけず、いつも女の子と一緒にいた。争い事や乱暴なこと、大きな声は苦手だったので、女の子といる方が平和で穏やかだったんだと思う。それに、できないことも女の子は、やってくれたり、なんだかんだと世話してくれた。




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