こんなはずじゃなかった(Dr.Vo.うんにょ)
【他力本願】
この言葉。
お恥ずかしい限りではございますが、私の人生を振り返ると妙にしっくりきてしまうのです。
Tonto noteの第2回目
1回目は助が自分の歴史について語っていたのでそれを受けて。
普段自分のことあまり話さないし話すつもりもあまりないので、ちょうど良い機会だしうんにょのターンでは振り返りも含めて私も私の歴史について語っていこうと思う。(初めての noteでいろんな遊び道具があることを知りワクワクしまくっているのでリンクとかつけちゃう。新しいおもちゃってかんじ。というかそもそも文章書くの久しぶり。)
山口の父と北海道の母から爆誕したうんにょ。
この時は後に4人も弟が産まれてくるとは思ってもなかった。
すくすくと長男街道をまっしぐらに内弁慶のわがままボーイに育っていきましたね。
下の弟たちは名前で呼び合っているのに、
お兄ちゃんの称号を得ているのは私だけ。
これは教育の賜物。
兄貴肌みたいなものが出ちまってる。
兄弟間の王様気取りで
弟たちはお兄ちゃんの命令に逆らうことはほぼなかった気がする。
家の外では
あがり症ではあるのに目立ちたがり屋という、
なんとも矛盾を孕んだ性格で、
毎度人の目に晒されているところでは顔を真っ赤に、目に涙を浮かべながらちょけていたのを覚えている。
それもあってか昔からいじめられっ子だったし
イジられっ子でしたね。
でもなぜかこれあんまり嫌じゃなかった気がするのよ。不思議なことに。
それで俺が面白くなるならいいやって感じ。
努力が嫌いでした。
努力だと思ってしまうものが嫌いでした。
ソフトボール、野球をやっていたけど多分別にそんなに好きじゃなかったかも。
うちの代めちゃくちゃ強かったからね。
努力してレギュラーになろうだなんて1ミリも考えてなかった。
俺が出ない方が勝てるし。
そんな幼少期少年期を過ごした野球少年のマルコメ君は中学のひたすらベンチでスコアを記入していたほぼマネージャーみたいな野球部を引退し、
モテるためにギターを買ってもらうわけです。
いやーでもね、
高校生になって当時の同級生とバンド始めるんですがこれがね全くモテないわけよ。
そりゃそうだ。
バンド始めただけのただの隠キャだもの。
しかもギター買ってもらって歌いたかったのにドラム叩いてるし。
ここで坂口あきらと出会います。
ボーカルギターの座を彼に奪われましたね。
俺より歌下手だったくせにさ。
まあ彼、ツラがいいから。
当時は若々しくてイケメンだったのよ。
ずっと彼女もいたし。
今はおじさんだけど。
私本名、うのたかひろと言うんですがね、
初めて会った時「一人AAAじゃんw」って言われたこと未だに鮮明に覚えていますよ。
怖かったー。ヤンキーみたいな陽キャ集団にいたからさ。
後々わかるんだけどね、お仲間だって。
坂口あきらとのエピソードはめちゃくちゃあるけども、まあとりあえずここでは省略する。
長くなるからね。
だが自分の他力本願が一番発動してるのはここだったりもする。
高校は楽しかったな。
応援団やったり、生徒会長やったり、
バンドやったり。
この時が一番目立ちたがり屋発揮してたかも。
あんまり覚えてないけど。
私の分岐点。
鹿大を舐めすぎて余裕で落ちる。
低偏差値とめちゃくちゃ馬鹿にしていた志學館大学に通うことになり、
そこで助と出会う。
私ね、
教師になろうと思っていたんです。
長男だし、勉強ができて兄弟の中で一番出来が良かったし、大学まで行かせてもらったし。
昔から親には安定してるから公務員になりなよ、って言われてたし。
まあ人に物を教えることは好きで、その人が出来るようになると自分のことのように喜ばしかったからね。
でもね、助と出会っちまったんですよ。
幸か不幸か。
「うちのバンドでベース弾かない?」
幼い頃思い描いていた将来の展望が一気に崩れ去っていきました。
しかもベースかよ。
ノリで「いいよ」って言っちゃった。。。
今でもたまに
こんなはずじゃなかった
とは思うことはあるけれど、
まあこれでも良いか。
とも思っている。
し多分もうこれで行く。
いい大人だしね。
うんにょ第2回からは
Tonto sideうんにょを綴っていこうかな。
飽き性だから続くかわからんけど
まあ多少頑張って気が向いたら書いていきます。
これは他力本願にはできないからね。
次は多分みさきかな?
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