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3.意地悪な人

僕が鶏もも肉と長ねぎを焼いて、醤油とみりんで味付けをしているところに、妻が帰ってきた。

フライパンから昇る煙のように僕の心も曇っていたが、換気扇に吸い込まれて綺麗になることはなかった。

「それで、プロジェクトリーダーさん。どうだったの、今日の会議は。」

クローゼットの方から妻の声が届く。

良くない。

今日はいつにも増して良くなかった。

例の彼女が一旦はまとまりかけた議論に水を差し、会議は空中分解していったのだった。

あるいは僕たちは、人智を超えた自然現象の前に為す術もない無辜(むこ)の民のように見えたかもしれない。

「いつだって彼女が議論を引っかき回すのさ。論点がずれていることに気がつかないんだ。」

「あら。論点をずらすのはあなたの専売特許かと思っていたのに。」

「そうだったかな。」

タンブラーにジョニー・ウォーカーをいつもより多めに注ぎ、炭酸水で割って食卓へ運ぶ。

「やれやれ。」

僕はため息をつきながら椅子に座る。

「それは冗談だけど。でも、ほら。彼女のお陰でチームがまとまっている面もあると思うの。きっとそれが彼女の役割なのよ。」

僕は彼女の役割について少し考えてみたが、彼女は献身的に役割を果たしているというよりは、感情のままに意見しているようにしか思えなかった。

部屋着に着替え終わった妻が冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスに注ぐ。

「彼女の横槍が入ることで、議論が深掘りされていくわけじゃない。」

「この上なく前向きに解釈すればね。」

「わあ、美味しそう。」

妻が椅子に座り、目を閉じて皿に盛られた料理の匂いを嗅いでいる。

「みんなで多数決をとりながら進めているのにさ。」

「多数決で。」

「そうだよ。その、きちんと合意形成をしながら、という。」

妻の目つきが変わったのを内心で警戒しながら、僕は答えた。

「多数決で決めるなら、リーダー役の人なんて要らないことにならないかしら。」

返す言葉が見つからない。

妻と僕がまだただの同僚だった頃、この目をした彼女に何度怒られたことか。

「リーダーならみんなの意見を聞いて、でも意見を採用するかはリーダーが決める。責任もとる。そういうものでしょう。」

「まあ、はい。仰るとおりで。」

「どんなチームにも、彼女のような人がいるわよ。おかげでチームの結束と議論が深まるんだと思うしかないわね。苦労は多いでしょうけど。」

その意味では、純粋に意地悪な人はいない、ということになるだろうか。

「さあ、食べましょう。ごはんを作ってくれてありがとう。」

「皿洗いは任せるよ。」

「それじゃあ、乾杯。」

僕たちは、彼女の献身に乾杯した。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。 「人生が一日一日の積み重ねだとしたら、それが琥珀のように美しいものでありますように。」