「キネマの神様」読書記録

好きな作家を5人あげろと言われたら、原田マハが入る。それなのに「キネマの神様」を今頃読んだと言ったら、呆れるファンの方もいるかもしれない。

久しぶりに本や漫画をたくさん読める状況になり、フラフラと本屋をチェックしたところ、「キネマの神様」が表紙をこちらに向けて配架されていた。帯には映画化とあり、志村けんと菅田将暉の顔が写っている。2人とも好きだ。映画化ということで、より目立つ配架になっていたのだろう。

へえ、、あ、これ、読んでなかったじゃん!と、手を伸ばし、試し読みもしないまま、レジに向かった。読む本、買う本が決まってレジに行くときの私を一言であらわすと、「ホクホク」だ。見つけられた、決まった喜び。

その日のうちに1ページ目を読んだが、子どもの体調も悪く、2,3日お預けとなった。仕方ない、たまには、少しずつ読み進めていこうと長期戦を覚悟したが、子供を寝かしつけたあと、もう一度最初から読み出したら止まらず、結局何度か洟をすすり、涙を拭いつ、一気読みしてしまった。

直後に時計を見て、ああ、やってしまった、明日の朝どうするんだという思いが一瞬過ぎったが、すぐさま、ああ、読めてよかったと、胸がなにやら満たされた感覚でいっぱいになり、深夜に小説を読んで眠れなくなったという自分のミスは無かったことにした。

そのくらい、つまり、朝起きられずに家族から顰蹙を買ってもいいくらい、寝不足で翌日1日棒に振ってもいいやと思えるくらい、読んで良かった。難しくなく、苦しすぎず、終始どこかに温かいまなざしを感じる作品だった。

感受性が高すぎて、日常生活に困り感のある人をHSP(敏感すぎる人たち)という研究者がおり、最近その関連本をよく目にするが、それによると私は間違いなくHSPだ。そんな私にとって、暗い重い小説を読んでしまった場合、影響されすぎてしばらく大変な状態になる。しかし、この「キネマの神様」は、そんな私のようなHSPの方におすすめできる安心感とあたたかみがある。それでいて、巧みで、ちっとも飽きさせず、時にニヤリとさせてくれ、徐々に胸を温かいもので満たしてくれ、ポロポロ、ツ、ツーと温かい涙で頬を湿らしてくれる小説だった。

主人公家族の関係性は本当にすぐそこにある家庭のようだ。主人公の思いは自分の思いのようだし、主人公の母親の心のありようは、どこかのお母さんの心のありようそのものだろうし、ダメな父親は、あーいるんだよね、こういう男の人ってと、わかるわかるが散らばっている。

娘が直接押しても引いても、思うようになってくれないダメ父親が、別の人によって変わったりするあたりなんて、ああ、結局のところそうなんだよねと思わされる。近すぎて、できないんだ、家族では。

それから呆れるような父親なのに、父親なりに子どもに何かしてやりたいという思いがあって、そんな父親に守られてしまう娘。ああ、わかる、この感覚。

そんな、ああ、わかるわかる、のなかに、お話ならではの優しい奇跡が散りばめられていて、読み手の心をも救ってくれる。

下を向いたまま本を閉じて、口の形だけでにっと笑い、一つ深い呼吸をして、さあ寝よう、明日も頑張ろうと思える、いい物語だった。

帯に志村けんの写真が出ていたこともあって、本を読み進める間、私の脳内では父親は志村けんの顔で映像化されていた。原作を好きな場合、映画化したものを見るのは躊躇われるときがある。大好きな世界観が、私の想いとは違う方向で表現されていたら?良い意味で裏切られるときもあれば、悪い意味で裏切られるときもある。がっかりしたくない。しかし、この映画は見ようと思った。志村けんは、ぴったりじゃないか。

今日、訃報のニュースを見て、がっくりした。多くの人がこの訃報に肩を落としたと思うが、私もその1人だ。小学生の頃、テレビの前でリモコンを握って、志村けん出演番組の放送時間を心待ちにしていた自分を思い出した。まだ、いてほしかった。志村けんのゴウを観たかった。


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