ぼくが何のために生きてるか知ってる?〜6歳のこたえ〜
寝る前のトイレを済ませて、下はパンツ1枚、パジャマのズボンを片手に、息子は寝室にやってきた。
「ねえお母さん、ぼくが何のために生きてるか知ってる?」
ベッドに上がり、尺取り虫のようにズボンを履き履き、突然難易度の高い質問をしてきた。
「え?難しいこと言ってくるねえ。何のためかなあ。うーん。楽しく生きるため?」
「違うよ。お母さんとお父さんと一緒にいるためだよ」
そう言いながら、しまいきれない肌着の裾をぴょろっと背中から出したまま、もぞもぞと母の布団に潜り込んできた。
「…そうかあ」
母は、気の利いたことを言うどころか、気の抜けたような返事を一つするのがやっとだった。この不意打ちに、下まぶたから涙が溢れそうになるのを堪えるのに必死だった。
「お母さんもおんなじでしょ。ほくとお父さんと一緒にいるために生きてるでしょ」
何のことはない、という顔で、息子は続ける。
「そうだねえ、そうかもしれないねえ」
息子は母の顔をみると、
「みんな一緒に死ぬのがいいなー。それで天国でおいしいものを食べるの。天国ってね、おいしいものがいーっぱいあるんだよ」
「そうかあ。でもお母さんは、〇〇にお母さんより、長生きしてほしいなあ。それで楽しく暮らしてほしいなあ」
「ぼくはお母さんに119歳まで生きてほしいよ!」
「119歳?そりゃあ長生きだなあ。なるべく元気でいたいねえ」
そんな会話で、眠りについた。
何のために生きてるか、なんて言われて、ドキッとした。そんな風に考えてるんだ、うちの6歳は。
思えば2週間ほど前に、ヨシタケシンスケさんの「このあとどうしちゃおう」を読み聞かせしたのがきっかけになったのだろう。気に入って、2日連続で読んだのだ。それから、天国に行ったら何したい?などと、ときどき聞いてくるようになっていた。
なんで生きてるかとか、生や死について、自分も思春期にものすごく考えた。思春期が過ぎても、時々考えた。自分が6歳の頃にどんな風に考えたかなんて、全然覚えていないけれど、お母さんとお父さんと一緒にいるために生きてるなんて、自分はきっと言語化したことはなかっただろうし、考えたことはなかった。
彼の答えは、きっとこれからたくさんの経験を経てどんどん変わっていくのだろう。けれど、6歳のある日、こんな風に口にしたことを、思いがけず、私にとって最高のギフトになったことを、忘れないでいたい。
たくさんのかわいい瞬間や成長をおさめたくて写真や動画を撮るけれど、心揺さぶられる瞬間は、こうして不意打ちで、写真にも動画にも残せないときにやってくるのだ。
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