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近況。日記が書けない、祖父の一周忌、生活、鯨漁船とペンギン。

祖父の死から1年が経ち、久しぶりにnoteを更新したい気持ちになった。
別に喪に服していたわけではないのだが、この1年、「他人に読まれる可能性」のある言葉が、どうしても出てこなかった。

その他人には内なる読者である自分自身も含まれていたのだと思う。
彼は勤勉な(あるいは自身の役割に酔いしれた)試験官のように、僕の頭の中をぐるぐると歩き回り、僕が何かを書き留めようと鉛筆を走らせる音がすると、背後から音もなくやってくる。
音は立てなくても、彼が近づいてくることは僕にはちゃんと分かる。なにしろ"自分自身"なのだ。
彼が背後に立っていると、僕は怯えすくみ鉛筆を持った手が止まってしまう。右腕でこれまで書いた文章を隠し、消しゴムで慌てて掻き消してしまう。彼が興味をなくしてどこかに行ってしまうまで、鉛筆の端をかじり、原稿用紙にひろがった黒い消し残りをぼうっと眺めている。できるだけ目の焦点を合わせないように。その間に、僕が書き残そうとしていた思考は霧散し、隙間風に吹かれて「生活」と呼ばれる僕の外側の世界に飛び去ってしまう。

彼が歩き去っていく、その足元(折り目の無くなった黒いスーツを着ていて、裾が白く煤けている)こそ見たことがあるものの、振り返って彼の顔を見たことは一度たりともない。
一度でも僕らがの目が合えば、たぶん僕はもう二度と文章を書くことも写真を書くことも無くなってしまうに違いないからだ。
”生活”に立ち返った僕は、人の目を気にする素振りすら見せず、前後5分の短期記憶と根拠のない未来に振り回され、何かがあれば愛想笑いで誤魔化そうと躍起になって、一生を終えるに違いが無い。

だから、試験官としての己自身の気配を感じ取るまえに、必死に手を動かして、断片だけでも記録しようと努めてきた。断片的でまとまりが無く、書いた本人にしか分からない暗号のような単語の羅列である。

その本人というのも、同じ自分でありながら"生活"に巻き込まれ、絶えず変化をしているからタチが悪い。
精神は絶えず拍動を繰り返し、自己の連続性への嫌悪感は思考に溶け込み、全身の心理的血管(よい表現が見つからなかった)を通じて臓器から抹消の指先まで循環している。白血球に相当する物質が、その嫌悪感に反応しない理由は、僕には分からない。
薬の飲みすぎで、献血にすら行くことができない。

客観的証拠のある出来事を羅列し、そこに付す思考や感情を書き連ねたものが、世に言う理想的な日記である。液晶を通じて共有される日々の出来事や、誰かの肉体を通じた経験が、心身を経由して代謝された物質の「異なり方」を鑑賞すること。
一般的に、人は他人の日記に対してそうした期待を持っているのではないだろうか。

しかし、僕にとってもっとも日記に書きやすい題材は、「なぜ日記が書けなかったか」である。
それは僕の人生の大部分が"生活"と呼ばれる空白に圧迫されていて、僕が僕自身として生きていられる時間は、一日のうちにほんの僅かであるかだからかもしれない。
その"生活”と"人生"の関係性を考えるとき、僕はいつも鯨の息継ぎを想像する。
海面に浮き上がった鯨は、潮を吹き呼吸をおこない、また深く潜っていく。視界が少しずつ明るくなり、皮膚感覚の一部が空気という未知に剥き出しになる。肺に空気が満たされ、酸素を取り込むときに、鯨は何を感じているのだろう。また水面で生きていけるという安堵感か。呼吸という命がけの行為が成功したことへの安堵感だろうか。
本当ならば、空気中のほうが安定して呼吸ができるのに、どうして彼らは水面の下で生活しなければならないのか。空気中で自重を支えることができて、自由に移動ができる車輪や、それを制御する身体的技術・食事の自由が確保されたとき、彼らは地上で生きていけるのだろうか。
想像力のままに書き連ねて、自分が鯨について何も知らないことを知った。

一年前に逝った祖父は、若い頃に鯨漁船に乗っていた。生前に聴いた話によれば、祖母との結婚資金を貯めるためだったそうだ。
冷凍船と捕鯨船で船団を組んでいたこと。人が殺めた鯨の口の中にはプランクトンが溜まっているから、それをめがけて小魚がやってくる。その小魚を狙って、ペンギンたちが冷凍船に乗り込んでくる。ペンギンたちは人を恐れず、乗組員たちのゴム長靴や足に、力強く噛みついてきたのだという。
そうした話のほとんどを、生前の僕は話半分に聞き流していた。それでも、残りの半分は彼の肉体を通じて経験され、何十年も脳に記憶され咀嚼された言葉であると理解していた。
僕よりも若かった当時の祖父が、結婚間近の祖母を日本において、北の海に向かったのだろう。
冷たい潮風と、小さな生態系ですらある巨大な哺乳類の死体を取り巻く生臭さ、揺れる船と動力の音。
彼の言葉の断片を思い浮かべるたびに、そうした削落とされた描写について想像する。
彼にとっての捕鯨船は、僕をとりまく"生活"と違いがあるのか。あるいは、僕の"生活"は、いつか祖父の捕鯨のように意味を持つ語りとなるのか。


祖父の一周忌の法要のあと、長崎ペンギン水族館にいった。食事会の会場が近かったのだ。捕鯨船が連れ帰ったペンギンたちの子孫が生き残った場所である。

こじんまりとした可愛らしい水族館だった。大阪ならたちまちに取り潰されてしまいそうな。
学芸員さんにアポを取り、捕鯨の話を聴くべきだっただろうか、と少し後悔している。
今でも、長崎に帰るたびに鯨の刺し身を食べる。


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