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傷も癒えない

 昨年の年の瀬に手術した痕がこの寒波で少々疼くので、「傷も癒えない」というタイトルで短歌をひねろうと思っていたのだけれども、頭をぐにゃぐにゃと十重二十重にねじりまくっても全然できない。仕方がないので同じタイトルでだらだらと文章を書くことに切り替えた。それもなんだかいまひとつである。だいたい生まれてこのかた、一度たりとも思うようにすっきりと文章を書けたためしがない。時折はっといいアイデアや美しい表現を思いついて書いてはみたものの、実際文字になってみると思ったより短くて、陳腐に感じてしまう。だったら凝縮してつぶやきや短歌にしようと浅はかな考えで試みても、それほどうまくいかない。

 文章は書けば書くほど言いたいことが言い尽くせなくて苛立つし、うまく書けないことが続くと億劫になってくるのに、妙な生真面目さを含んだ貧乏性のせいで記事投稿をやめられないのにいささか惨めを感じる。noteの「何週連続」みたいなものにこだわるのは馬鹿々々しいと思いつつも、それが途切れてしまうのは、自分に負けた気がする。だから無理やりに書くときもある。惰性という言葉が飛蚊症のように眼前をちらつく。苦痛でしょうがないときがあっても、不思議と辞めてしまいたいとは思わない。自分なりには書くことに人生を賭けているのかもしれないし、単にしがみついているだけかもしれない。

 読むほうはどうか。読書もつらつらと拾い読みばかり。体系的に読むなんてことがとてもできない。ぼけーっと読んで時おり美しい表現を目にするとその部分を書き写しておく。その書き写しはTwitterに放流するかnoteの下書きに収めておくが、noteの下書きだと腐らせてしまうことも少なくない。そのうち飽きてきて別の本に移り、何年も経ってから戻ってくるということがよくある。移り気なのだろうが、戻ってくるならまだましかもしれないと自分を慰めている。

 自分はかつて日本の政治思想史に関心を持って学ぼうとしていたが、この学問はおおまかにいえば丸山眞男という偉大な学者の信者になるところから始まり、洗礼後はひたすらその思想を追究しつつ、場合によっては丸山の思想に反する異端の教えにまで手を伸ばしてそれらを止揚することが目的の学問である。もちろん自分もご多聞にもれず、その階段をせこせこ登ることを考えていたセコい人間である。俗論的に政治思想というと右翼とか左翼とか○○主義とか型にはめた言い方が先に立つのだが、そういった立場を切り捨ててなお何物かが残ることを期待している。人間の普遍を切り取れるものを求めているのだ。

 そういった問題意識の一環として、橋川文三経由で北一輝や保田與重郎などに関心を持ってきたのだけれども、数年前から国文学者であり評論家であった蓮田善明の書き残したものをゆっくりとぽつぽつ読み、研究とも言えない対話をしている。そして、かちんこちんに政治思想的に考えるよりも、文学史的な検討を楽しく感じる。あいにくの不勉強で文学には通じていないが、いつの頃からか文学史に魅力を感じるようになってしまっている。

 蓮田は若き日の三島由紀夫を見出したことで最も知られていて、伊東静雄や保田與重郎と交流があっていわゆる「日本浪曼派」に近いことから、いろいろなところで言及されているにもかかわらず、三島研究の添え物みたいな扱いや「浪曼派」の枠組みでのみ研究対象になっている気がする。終戦後すぐに自決したので著作が少ない。一応浩瀚かつ高価な「全集」(全一巻)と、小高根二郎の評伝が出ていて、いずれも物理的にも内容的にも重厚である。もっとも、近年いくつかの評伝や研究が出ているようだがまったく未見である。
 蓮田は国粋的ともいえる国文学的発想を土台としつつも、『鷗外の方法』における小説論や、『鴨長明』の詩人論、『神韻の文学』の評論、あるいは日中戦争に従軍した際の日記には詩人的な骨がしっかり備わっているように感じる。特に鴎外論は自分には興味深く、自分の鷗外への関心は蓮田から導いてもらった面もある。蓮田は樋口一葉と森鴎外と永井荷風を古来の文学精神を継承する一つの筋として捉えているようである。

 日中戦争に従軍していた蓮田は、戦地から自らの主宰する雑誌『文藝文化』に作品を書き送っていた。そのなかに「小石」という作品があって戦地の一コマを美しく切り取っている。

 川は清冽無比と言ひたい水で、浅い瀬を躍るやうに急ぎ足で走り流れて行く。水を見、水の流れるのを見るのは、われわれ兵隊にとつては、それを利用する以上に、たのしく嬉しいものになつてゐるが、私もその瞬時、貪るやうに水に見入つてゐた。すると、その浅い水底から私の網膜をまどはすやうに急に迫り上がつて来るものを感じた。それは水底に色とりどりの指程の小石が、水中の花のやうに散乱してゐるのであつて、その天然のモザイクの、水を透して見る冴えた美しさ、正に清麗極りない造化の見事さ、ふと私はこちらから我とその水底のさざれ石に物言はうと屈んだ自分の突拍子もない行動におどろき、改めて再び小石の美しさに感動をくりかへした。
 私はその僅か瞬時の深い感動から、直ぐ、烈しく山峡にこだまして鳴りつゞけてゐる銃砲声に促されて起ち上つて整列を命じたが、突嗟に私は水底から一握りの小石を掴みとり、ぬれたまゝポケットにをさめてゐた。

蓮田善明「小石」(『文藝文化』昭和14年8月号)

 蓮田の日記は「陣中日記」として刊行されており、全集にも収められている。

 あるいは徒然読書のひとつに、田中英光の「さようなら」を読んでいた。田中もまた日中戦争に従軍しており、同作品にも戦地の模様が描かれているが、田中の描く戦地の人間模様は容赦がない。そこには美も詩も存在する余地がない。ただ人間の尊厳を踏みにじって死んでいくだけの身も蓋もない別離さようならの景色である。

 ぼくたちはそうした奴隷の言葉に送られた、奴隷の軍隊としての惨虐性を中国において遺憾なく発揮した。「グッドバイ」の意味する如く、神を傍らに持たず、中国語の、さよなら「再見ツァイチェン」の意味する、愛する人たちとの再会の希望もない軍隊は、相手の人間をいたずらに傷つけ殺し軽蔑し憎悪することで、自分たちの高貴な人間性も不知不識に失なっていた。ぼくたちは、中国兵の捕虜に自分たちの墓穴を掘らせてから、面白半分、震える初年兵の刺突の目標とした。或いは雑役にこき使っていた中国の良民でさえ、退屈に苦しむと、理由なく、ゴボウ剣で頭をぶち割ったり、その骨張った尻をクソを洩らすまで、革バンドで紫色に叩きなぐった。

田中英光「さようなら」

思えばぼくはいつの間にか死んでいる。多病で現実世界の恐怖を避け、ロマンの世界に逃げた幼時からだろうか。それとも、科学、人類の未来、最大多数の幸福を信じた共産主義の運動から再三、脱落した恥かしさからだろうか、戦争を止めさせる努力をなに一つしなかったばかりか、中国の侵略にかりだされ、進んで快感にかられ中国兵を殺し、良民をいじめ、戦友たちを見殺しにしてきた当時にであろうか。

同上

 同作品は田中自身の遺書ともいえるものであり、彼はそれを書いた直後に太宰治の墓前で自殺した。

 田中英光と蓮田善明に面識はなかったと思われる。共産主義に傾倒したものの運動を挫折し、戦争への罪悪感が自壊に掉さしたであろう田中と、純粋な日本への思慕を基軸として「聖戦」を讃美した蓮田には何の共通点も無いようだが、いくつかの類似点がある。ひとつには、先に引いたように田中と蓮田は相前後して中国戦線に従軍しており、ともに戦地から作品を本土に送っていたこと。蓮田は前述の「小石」を始め多数の小品を、また田中は野戦病院で執筆した小説を太宰に送り届け、「鍋鶴」という題名で雑誌に掲載されている。もうひとつは太宰治に対する好感で、田中英光が太宰を師と仰いでいたことはよく知られているし、蓮田もまた、しばしば太宰を称賛する言葉を複数の作品中に残している。蓮田の太宰評の一端については以前の記事で触れたことがある。

 このようなことを読み齧りながら、凡庸な頭でつらつら考えて生きていたわけであるが、これ以上の詳細な文学論は場を改めるとして、自分の愚痴に戻ってきたい。

 現在の自分には自殺願望も希死念慮もないが、読者としては自殺したり不慮の死を遂げた著者ばかり気にしているようだ。彼らは生き方が器用ではなかった。翻って、その読者である自分は、不器用に見せかけて実は小器用だと思ったりもする。
 人間の生涯とは畢竟各自の世界を構築できたかどうかということに尽きるのだろう。その世界とは作ろうと思って作られるものではなく、それぞれが全うした生が必然的に世界となるだけのものである。どのような人間にも固有の世界というものがあり、多くの人は就職や結婚や出産などの人生の節目でそれを確認する。ところが世界に不安があって、常にそれを確認したい人種がいる。そういう人種は、ときどきこうした魚の餌にもならない生臭い文章を書いて自分を確認しなければならない。

 各世界で各人は神である。創作することは全能の神が気まぐれで人間を不幸にしてみたり、救ってみたり、そんなお遊戯を繰り返しているに過ぎない。要するに文学的な創作といったものは、共感という名で高尚化された個人と社会との摩擦についてのあるあるネタを繰り返しているだけではないのかと思ったりする。純文学という言葉があまり理解できず、その思いあがったような文字面にはあまり肯定的なイメージを持てないのだが、要するに純なる文学とはそのあるあるを表現する巧拙を競い合う遊びを、文学の定義はこうだというギリギリのラインを攻めながら提出するということなのだろうか。そういった試行を延々繰り返して全能感を楽しんでいるのであって、趣味がいいのか悪いのかわかったもんではない。まあしかし、それが楽しいので仕方ない。自分もそういったことを楽しんでいるのだから。

 書くことは排泄のごとき放出作用である。思いのたけを吐き出して書くことですっきりする。その中をよく見てみれば、ジャコウネコの糞からコーヒーの種を取り出すように、味わうべきものも含まれるかもしれない。恥ずかしさという痛みを伴いつつ言葉を吐き続けているが、それでも、昔の傷など全然癒えない。何を隠そう私はコーヒーが飲めない。




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