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「沙悟浄」の正体

 『西遊記』に登場する沙悟浄は、流沙河に棲む水の妖怪である。そのため、しばしば日本の絵本などでは河童の姿で描かれている。しかし、沙悟浄が河童だとの認識が誤りだということは、『西遊記』を一読すれば明らかである。
 第一、河童とはそもそも日本独自の妖怪であるから、中国の小説である西遊記の登場が河童ということはあり得ない。また、岩波文庫版『西遊記』の翻訳者である中野美代子氏は、『日本語大辞典』が「沙悟浄(河童)」と記述しているのを引用して、「沙悟浄を「河童」としているのも、日本人らしい勇み足か」と評している。(『西遊記―トリック・ワールド探訪―』岩波新書。以下、『探訪』と記す。)

 と、偉そうに書いているが、まったく自分も勘違いしていたわけである。これまで沙悟浄が河童のような化け物だという認識をなんとなく持っており、それを疑わなかったことをここに告白しておこう。かつての記事でも、河童が好きすぎるあまり、完全に沙悟浄を河童だと認識して書いたようなものがあって、無知をさらけ出していた。

 そうした事の次第があって、河童好きが先なのか、沙悟浄好きが先なのかはわからないが、昔から沙悟浄が気になっている。上記記事にも出てくる中島敦の「悟浄出世」はわたしの一番の愛読書のうちのひとつである。この作品で自我に悩み、思索に苦しむ妖怪沙悟浄には、河童の痩せた姿が実にしっくりくる。「悟浄出世」作中で沙悟浄が河童の姿だと思わせる記述は一切ないにもかかわらず。なお、中島敦は悟浄が三蔵に出会うまでを描いた「悟浄出世」と、一向に加わった悟浄が悟空・八戒・三蔵について評しつつ旅の独白をする「悟浄歎異」を合わせて『わが西遊記』という名のシリーズにし、おそらくはさらに書くつもりであったと思われるが、残念ながら悟浄を主人公にした二作品を残しただけで終わっている。

 

 「沙悟浄=河童」説の起源については、下記のブログで中国文学研究者の方がきちんとした分析をされている。「沙悟浄 河童」というキーワードで検索すると上位に現れることから、説得力のある分析としてよく見られているようだ。

 この記事によれば、「沙悟浄=河童」説は文献的には、昭和初期の児童書で沙悟浄を「河童の化物」としている例があり、その後明治期の講談に沙悟浄を河童と呼ぶシーンがあることが発見され、さらには滝沢馬琴が『西遊記』を翻案して沙悟浄を「海坊主」と書き、河童のような挿絵で描かれた江戸時代後期まで遡ることができるという。
 そして児童書における「沙悟浄=河童」率が急激に上昇するのが、1980年代であり、そこにはテレビ(ドラマ)の影響と、絵本で簡潔に伝えるための物語の改編の影響であろうとしている。(詳細は是非元記事をご覧ください。)
 「沙悟浄=河童」説の流布が1980年頃であるならば、1980年生まれの自分がその説を無邪気に信じていたとしても不思議はない。当時西遊記のテレビドラマを真剣に見た記憶はなく、児童書も西遊記はそれほど印象深くないのに、そうしたイメージがこびりついているのは興味深い現象である。

 ところで、『西遊記』において河童に縁があるのは、実は孫悟空のほうかもしれない。『西遊記』は講談のような語り口で百回にもわたって記述される物語なのだけれども、猿である孫悟空が早くも第三回において、龍王たちの城に乗り込んで武器を奪い取る。そして第八回と第十五回では、西海龍王の第三王子が馬になるというエピソードがある(その龍が転じた馬が三蔵一行とともに旅する白馬となる。したがって厳密に言えば龍も三蔵の同行者である)。
 悟空は龍王たちから武器を奪った後、天界で弼馬温ひっぱおんといって馬を世話する厩の番人に取り立てられ、馬の保護者になっている。その後、力を奪われた龍が馬となって同行する。この構造は、柳田国男が指摘した「厩馬の保護者である猿が、かえって馬の外敵である河童に変ずる」という日本の「河童駒引」伝説との類似性があるという。悟空は龍から力を奪い、力を奪われた龍は馬となり、悟空は馬を世話する。以上の事が岩波文庫版『西遊記』訳注に指摘されており、中野美代子『西遊記の秘密』にも同じ指摘がある。すなわち悟空は水の妖怪でこそないにせよ、河童になってもおかしくない存在である。

 河童のイメージはさておくとしても、『西遊記』における沙悟浄のキャラクター造型には関心がある。悟浄が登場するのはその第二十二回で、三蔵から沙和尚と呼ばれる。挿絵の風貌は和尚という表現がしっくりくる。沙悟浄の姿については前掲『西遊記の秘密』にいくつかの可能性が指摘されており、海坊主のような姿のほか、蛇であったとする説や、あるいは水棲の蛇的なイメージとしてイルカと推測する説、はたまたワニであるという説も紹介されている。

流沙河における沙悟浄登場の場面。
川の中にいる半裸のひげ面が沙悟浄。

 沙悟浄の特徴としては、九つの髑髏しゃれこうべを身につけていることがある。上の挿絵ではわかりにくいが、沙悟浄が首周りに身につけている九つの髑髏は前世における三蔵のものとされる。三蔵は前世で九回悟浄に喰われて、菩薩が悟浄に示唆を与えたことによって、十回目の生まれ変わりでようやく彼に襲われず、弟子にするのである。こうして孫悟空、猪八戒、沙悟浄が揃う。

 実は『西遊記』の物語には三蔵法師よりも、三人の弟子のほうが先に登場する。三蔵が旅立つのはようやく十一回になってからで、それまでは悟空が天界と冥界をまたにかけて大暴れする話であり、次いで悟空のほかに八戒・悟浄に菩薩が三蔵の来訪を予言し、弟子入りするよう命じる前日譚となっている。
 『西遊記』の基本的なパターンは、圧倒的な知恵と力をもつ悟空が道を切り拓く英雄だが、その足を引っ張る存在として八戒がいる。八戒は悟空を兄弟子として認めてはいるが対抗心が強く、三蔵にいらぬことを吹き込んで惑わし、そのために三蔵はしばしば妖魔に攫われてしまう。もっぱら悟空と八戒の仲介をするのが悟浄の役割で、原典で悟浄が活躍する場面はそう多くない。常に悟空と八戒の中立にあってバランスをとるのが悟浄の役回りである。

 彼ら三蔵の三人の弟子の関係性には五行思想がかかわっている。彼らにはそれぞれ五行(火、水、木、金、土)に基づく属性がある。悟空が五行において火金を司る。八戒は水と木。悟浄が土である。但し悟浄の場合、土一つだけでは弱いとの考慮から二土とされることもあるという。そこから土を二つ重ねた「圭」ともなる。
 悟空と八戒が対立するので、その仲介役として中間点の悟浄が機能しているわけである。悟浄は「黄婆」とも呼ばれるが、これは道教の鉛と水銀の煉丹を促す媒介薬品であり、転じて男女の仲を取り持つ仲人お婆さんの意味にもなる。(なお、悟空は「金公」、八戒は「木母」、三蔵は「赤子」とも呼ばれる。)

流沙河の水を出てから、いったいどれほど進歩したか? 依然たる呉下の旧阿蒙ではないのか。この旅行における俺の役割にしたって、そうだ。平穏無事のときに悟空の行きすぎを引き留め、毎日の八戒の怠惰を戒めること。それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいな者は、いつどこの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?

中島敦「悟浄歎異」(太字は引用者)

 山下真史『中島敦とその時代』によれば、「悟浄歎異」の悟浄に懐疑家の面貌が読み取れないことから同作の戦記文学への接近を指摘し、戦争を讃美する性格を持つ作品であるとして、中島が「聖戦」の魔力に魅せられた時期があった証左に挙げている(ただし、後にその危険性に気づいた可能性も同時に指摘している)。
 上の引用などを見ても、悟浄に懐疑がみられないという指摘は当たらないような気もするが、そのことの当否はともかくとして、悟浄と言うキャラクターが対立する両者の狭間にあって迷うべき存在であったことは、中島敦が西遊記の向こうにある五行思想までは意識しなかったにせよ、「悟浄歎異」のモチーフとして生かされていたように思われる。
 また『中島敦とその時代』によると、中島敦が「悟浄出世」・「悟浄歎異」の典拠として用いたのは、大正2年刊行の『国民文庫(続)十三巻水滸伝附西遊記』とのことなので、そこに描かれた悟浄像と作品にあらわれた悟浄との比較も興味深い(すでに研究者がやっているかもしれないが)。


 もう少し深掘りして考えてみたいが、とりあえずは導入としてここまで。はてさて、次回はいかにあいなりますことでしょう――(『西遊記』の各話の末尾を真似てみました。果たして次回があるのか。)





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