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こども疾風録

 街で奇妙な光景を見かけるようになった。小型の自転車のようだが、よく見るとペダルがない。そんな妙ちくりんなマシンにまたがって、ヘルメットを着用した幼児が一心不乱に地面をけって進んでいく。どうやらこれはキッズバイクなる商品であって、通常はブレーキもついていないとのこと。先日は、かなりのスピードが出た幼児のバイクを、父親と思われる男性が必死で追いかけていた。またある日は路上で、ぐずる幼児のキッズバイクにまたがり、「置いていくよ」とたしなめる母親の姿を見た。

 それにしても、見るだに事故と隣り合わせの危険なマシンである。一人の社会人として、危険の横行を親だけの責任にして、見て見ぬふりはできない。子供たちに日常の安全を指導する義務があろう。このマシンに乗ってスピードを出すのは、メットをかぶっているとはいえ、危険極まりない。とはいえ商品として流通しているものにクレームをつけてはややこしいことになる。大人社会はすぐに権利だ金だの話になって世知辛いのである。ならば、あえて迂遠な方法をとり、子供たちに安全を啓発するための妄想話を、ひとつこしらえてみようと思い立つ。

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 これは血潮を滾らせた、現代の若き暴走野郎どもの物語である。

 キッズバイク暴走族「レッドダイパー」の団長であるショウマは、毎日公園での訓練を欠かさない。周りには彼を慕う子供たちの輪ができている。彼はとてつもなく速い。彼を見習って、少しでも速くなりたい子供たちは、我も我もと教えを乞うのである。彼の走りを見れば、キッズバイクが大地に選ばれし者の乗り物であることは瞭然である。ショウマの運転は、漕ぐのではなく、両の足で地を踏みしめて一瞬力を溜め、次の瞬間には強く蹴り出し、地からの推進力を得て、速度をつける。蹴伸びしたままの姿勢でストロークを長くとり、再び地面を踏みしめ、蹴る。蹴るたびに大地からの力が増していく。この機械的な動きを、微妙なバランスでもっていかに強く正確に反復できるか、そこで勝負が決まる。

 どちらかというと後発でバイクに乗り始めたショウマだったが、その天性の脚力のみならず、踏みしめる力を地からの抗力と結合させるセンスがずば抜けていた。他の子供たちが、前傾姿勢で犬かきをするようにジタバタと、あるいはのけぞりながら地団駄を踏むように動かすのに対して、ショウマのライディングフォームは自然な流線形であり、無駄なく地面を押しきる。その違いは歴然としていた。彼はバイクに乗り始めてから間もなく、公園にたむろするライバルたちをことごとく敗走させてしまった。敗けた子供たちは彼を慕って集まるようになった。そうして、自然とリーダーとしての立場が築かれていったのである。ショウマはいつも赤いマシンに赤いヘルメットだったので、彼のグループに属する子供たちは、畏敬の念を込めて、赤いものをまとうようになった。

 片や、同じ公園に集うもう一つのグループ「ブルーナピー」のタクミは、ショウマとは対照的な努力の人である。彼がバイクに乗り始めたころ、上半身はぐらつき、ポジションも不安定で、よろよろよろけて、しばしば転倒した。フォームは他の子供たちのバタつきと大差なく、脚力に秀でてもいなかった。当然、競走したところで全く勝てなかった。しかし、タクミの場合はその尋常ならざる負けん気が成長を促した。悔しくて悔しくて、寝食を忘れて一心不乱にバイクの駆動に打ち込んだ。その熱心さといったら狂気的で、彼の2歳年上の姉が補助輪付きの自転車に乗って走るとき、必ずよたよたと並走して競うようになった。初めはすぐに置き去りになっていたが、やがてじわじわ距離を詰めるようになり、姉は自転車に乗るたびに、弟から必死の形相でぴったりと追尾されて嫌な思いをした。このままでは将来よからぬ道に進むのではないかと心配した母親から、あやうくバイクを取り上げられるところだった。泣く子と地頭には勝てぬの言葉どおり、彼は手足を振り乱して泣きわめいて抗議し、自らの分身ともいえる青いバイクを奪われることを回避した。そうして、文字通りの涙ぐましい鍛錬を続けた結果、ある時から、勝ちまくるようになった。勝ちまくると、タクミに一目置く者が一人二人と増えて、周りに子供たちが集まり、現在の地位にのし上がる格好になった。彼の走りは、名前とは裏腹に技術よりも勢いを重視している。不格好だが、豪快で力が横溢する。地面を蹴ったあとに伸びることを排除し、左右の脚の回転によってのみ推進力を得て、ガシガシと走っていく。彼のブルーのヘルメットとバイクが彼らのグループを象徴し、青が旗印として使われるようになった。

 速く駆けること、それだけが彼らの価値である。公園の象徴のように生えている二本の大樹を目印として、その樹と樹の間20メートルほどのコースが、彼らの勝負の場だった。いつの間にやら、赤いマシンに赤いヘルメットをリーダーとする赤い軍団と、青いマシンに青いヘルメットをリーダーとする青い軍団に分かれて、日々競い合うような構図ができた。赤が青を見つければ勝負を挑み、青が赤を探しては仕掛け、そんな具合で「レッドダイパ―」と「ブルーナピー」の抗争は次第に過熱していった。

 ある日、ちょっとした事件が起きた。赤軍団の一人の子供がふざけて、青軍団の子供を叩いてしまったのである。叩かれた子供は泣いてしまった。この事態に青軍団の子供たちは憤激した。赤軍団のトップであるショウマは素直にメンバーの不始末を謝罪し、青軍団のタクミは謝罪を受け入れたのだが、周囲は収まらなかった。今度は青軍団の子供が、別の赤軍団の子供を叩いてしまい、叩かれた赤い子は泣いてしまった。今度は赤が沸騰した。こうなるともう、全面抗争待ったなしである。グループとして落とし前をつけないと収拾がつかない雰囲気になっていた。入り乱れての大喧嘩になりそうなタイミングで、ショウマとタクミは、ことを大きくしないためにはリーダー同志の一騎打ちしかないと、互いに観念した。自分たちが代表して競走することで、皆は鉾を収めてほしいと、双方のチームを納得させた。こうして、偶然のきっかけから、赤軍団と青軍団のトップによる頂上決戦が、ここにセッティングされたのであった。

 実のところ、タクミは過去に一度だけショウマと競ったことがあった。ショウマがバイクを始めてそれほど経たない頃、すなわち連勝を築き始める前に、何人かで遊びのレースをしたのである。すでに実力をつけつつあったタクミが、競走が始まるや否や、どんどん差をつけられ、他の比較的速い子供たちまでも、ショウマはぶっちぎって勝った。タクミは、世の中にはこんな天才がいるのかと衝撃を受けた。いずれはこの赤いやつに勝ちたい、そんな想いもタクミを強くしたのである。勝負の直前、タクミは、そんな過去の風景を思い出していた。セピア色だが美しくない思い出。もはやチームのこと、公園の子供たちの平和などはどうでもよく、この、またとない機会にライバルを超えることだけが彼の目的となっていた。目の前の20メートルだけが、3歳児である彼の人生のすべてだった。

 レースの火ぶたが切って落とされた。戦前の大方の予想では、ショウマの優位は明らかで、タクミがいくら努力しようとも、ショウマの天才性には勝てないと思われていた。しかし、そんな多数の予想を裏切って、スタートダッシュではタクミが優勢に立った。タクミは鬼の形相で、地面を削らんばかりに強く漕いでいく。足が地を蹴りつけるたびに、ガッガッと音が響く。コースを半分過ぎても、まだタクミがリードしていた。残り7メートル、5メートル、となったとき、タクミの視界の端っこに赤い影が映った。ここが踏ん張りどころだと思った。地面を蹴る音は消えて、荒くなってくる自分の息遣いだけが聞こえる。視界の端の赤い欠片は、そんな気苦労を笑うように、地面すれすれを低空飛行するように、抵抗力を無視するように、音もなく、静かに静かに近づいてくる。その姿はあたかも、バタバタと剛直に走るネズミを滑空して追い詰める鷹のようだった。そしてショウマはこの青い窮鼠を静かに捕獲し、悠々と抜き去ったのち、ゴールラインに到達した。

 タクミは、ただただ悔しかった。負けた…。まだ勝てなかった、また勝てなくなった…。これだけ日々の鍛錬を積み重ねても、届かない相手がいるのか。天賦の才に努力を加えた人間に、努力だけの人間はどうやっても及ばないというのか…。齢3歳にして突きつけられる厳しい現実。しばらく茫然として、そして、わーわーと泣いた。涙が地面にぽたぽた落ちて、次から次に沁み込んだ。「ブルーナピー」の一人が、タクミくんこれからまたがんばろうよと言って、わーわー泣きはじめた。泣き顔が他のメンバーにも伝染して、青いみんなでわーわー泣きはじめた。赤の子供たちは、タクミが泣いているのを見て、仲間を想う心に胸を打たれた。そして、ショウマくん、青軍団の人たちを許してあげようと言って、わーわー泣きはじめた。ショウマは、自分のグループの子供たちがどことなく勘違いしていると思いつつも、そうだねと言った。そして、やはりわーわー泣きながらタクミに近づき、言葉にならぬ声で強かったよと称賛した。

「おやおや、そんなに悔しかったのか。もう一度走るかい。でももう夕方になってきたから、リベンジはまた明日だね。」
 感傷的なムードを破るように、突然、そばで見ていたショウマの父親が言った。この大人は今日の勝負がどんなに重要なものだったか、まるでわかっていないらしい。第一りべんじとはどういう意味だ。泣きながら不審な顔をする子供たちに向かって、さらにショウマの父が言う。
「今日はいっぱい遊んでよかったね。一緒にごちそうを食べに行こう。」
 バイクでの走りは遊びではないのだ、それにこのご時世に大人数での会食は良くないんじゃないのかと思いながらも、ショウマとタクミの二人は無邪気な笑顔を取り戻した。そして、互いに目線で合図して、今日だけの抗争中止を約束した。また明日から、仁義なき抗争の世界に戻るのだ。つかの間の休息も悪くはない。公園を駆け抜けた激しい疾風は、優しくそよぐ夕方の風に変わっていた。

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 かように、キッズバイクは青春を走りに賭けるが如き不良少年への道を助長するという一面からしても、物理的な走行面においても、危険極まりない乗り物である。であるからして、子供たち自身にあってはくれぐれも安全な走行を心がけるとともに、親御さんをはじめとする周囲の大人たちの厳重な監視、温かい見守りを是非ともお願いしたいものである。


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