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火の国を歩く(熊本紀行)

 若い頃は貧乏かつ今以上に出不精だったから、自発的に旅行に出かけようと考えることもそれほどなく、誘われたりお金を出してもらえたりする場合にだけ行くことができた。そういう旅行でも楽しめないわけではなかったし、ナイーブな自分にとっては未知への好奇心を満たしてくれるものではあったが、やはりなんだか後ろめたい気分がつきまとった。
 現在は定期的に旅行に出かけられるようになったけれども、それは金銭的または心理的余裕ができたおかげもあるが、旅に出る目的を設定できるようになったことも大きいかもしれない。旅の目的は、自信の知見を広げて成長するというような大義名分がなくとも、単純に行ったことがないから行ってみたいとか、食べたいものを食べたいというような単純なものでも充分に自分を納得させられるようになった。旅行が実に気軽に、身近なものになったわけである。また、旅の滞在地は移動にしても宿舎への滞在にしても時間が限られるため、いい意味で時間に追われる感覚を取り戻せるという効用もある。普段のだらけきった生活が、旅から戻ると少しだけ引き締まるような気がしている。

 熊本という土地を気にしはじめたのはここ数年のことで、実際に行ってみたい、というよりは、行くべきであると思っていたところ、このたびようやく果たすことができた。熊本は古来火の国の異名を持ち、明治初期の士族反乱の舞台となった土地であり、多数の政治家や政治運動家・思想家も輩出し、文学でいえば漱石や鷗外や小泉八雲などの文学者も居住したことがあり、個人的な関心でいえば、国文学者蓮田善明の出身地でもあり、また、評論家渡辺京二は長く熊本に住んで評論を書き続けたということもある。

 朝一で東京発、羽田空港から機上の人となった。初日はくまもと文学歴史館にて資料を閲覧する予定があったので、熊本空港から直行で向かい、案外じっくりと見てしまったため、午後一杯使ってその日は終了した。翌日も朝から少しだけ資料を見て、それから熊本駅に向かった。鉄道であちこち行ってみたかったのである。

 田原坂たばるざかは西南戦争の激戦地である。明治10年に起こった西南戦争では、鹿児島から北上した薩摩軍が、九州随一の軍事的要衝である熊本城(熊本鎮台)を包囲して籠城戦を行った。政府は薩摩軍鎮圧のために中央から軍を派遣、博多から南下させた。両軍は田原坂において、二週間以上にわたって最も激しく衝突した。その後薩摩軍は敗走し、鹿児島まで徐々に追い詰められて、ついには西郷の自決によって西南戦争が終わる。

田原坂駅からこういった山道を抜けて田原坂に至る。
田原坂の丘陵

 JR熊本駅から田原坂までは電車で約20分ほどである。田原坂の無人駅からは山道をひたすら歩いた。西南戦争資料館や関係の碑がある田原坂公園までは3~4キロといったところで、汗だくになりながら無心で歩いた。さらにその場所から、隣りの木葉の駅まで4キロほど歩いた。気温が30℃を超える炎天下の踏破となった。
 田原坂公園には西南戦争関係のモニュメントや文学碑が点在しており、そのうちに蓮田善明の文学碑があり、目的の一つはそれだった。蓮田文学碑には美しい花が供えてあった。

「西南戦争戦没者慰霊之碑」
「蓮田善明先生文学碑」
「ふるさとの駅におりたち眺めたるかの薄紅葉忘らえなくに」

 

 熊本城にはそれほど関心がなかったが、一応は定番の場所も見ておこうかという気持ちと、西南戦争への関心が高まっていたこともあって、翌日は熊本城に赴いた。

熊本城天守の正面

 先述したように、熊本城は明治初期の西南戦争に至るまで、強靭な戦闘向け要塞として使われた。西南戦争の前年、熊本で神風連の乱が起こっている。これは廃刀令や断髪令に憤った士族による反乱で、熊本鎮台となっていた熊本城を襲撃したが、結局は全員が自刃する。また、三島由紀夫の『奔馬』において主人公の勲が昭和維新の活動に入り、要人を暗殺して自刃に至る行動に、神風連の乱の影響が明示されている。神風連(敬神党)の首領は太田黒伴雄という神官であって、この蹶起に参加した者も多くは神職に就いていた。彼らは思想的には国学者の林桜園の影響を受けた。熊本城の片隅には、太田黒伴雄が陸軍中佐大島邦秀を斬り倒したという碑が建っている。しかしこれを撮影しようと道路を横切って近づくと、警備員から歩道を歩くように注意を受けた。それほどまでに、まるで人を寄せ付けないような、注目されない場所に置かれている。

「神風連首領太田黒伴雄奮戦之跡」の碑(熊本城内)

 

 熊本城から、夏目漱石の内坪井旧宅まで歩いた。その旧居は、熊本在住中に彼が何度か転居したうちで最も長く住んでいた住居だったという。昔の家屋らしく部屋数が多く、庭や縁側があって、風通しがよくて炎天下でも心地よいほどだった。いい家である。

旧宅正面
洋間
和室のひとつ。自由に座れたり、漱石の著作を手に取れるようになっている。

 

 熊本という場所は観光に力を入れていて、くまモンはいまなお現役で活躍しているし、漫画「ワンピース」(作者の尾田栄一郎氏は熊本市出身)とのコラボなどもあちこちで見かけることができた。実際自分を含めて沢山の荷物を抱えた観光客がどこにもいたので、観光誘致という面でかなりの程度成功しているようにもみえるけれども、他方で受け入れに必要なインフラが追いついていないのではないかと現実的なことを考えてもみたりした。特に公共交通機関は数がたくさんあるにもかかわらず、観光客が入ってくる時期には狭い市電の中が満杯になって出入りすら困難な状況に陥っている。市街から少し足を延ばすと、自動車なしで旅をするのは困難を極める。市街では、中国語を話す観光客がそこかしこにいて、市電の乗り方や車内での暗黙のマナー(大声で話したり音を立てるなど)がわからなかったりしてトラブルになる光景を、たった三日間の滞在で何度も目撃した。そのようなトラブルによって楽しくない気持ちになることはないでもなかったが、しかし、自分もよそ者であるし、そういう海外からの観光客と実はさほど変わらず、知らず知らずのうちにローカルマナーに違反して嫌な目で見られたこともあったかもしれないと考えると身が縮む。飲食店や観光地に入ると、「今日はどちらからお越しですか」あるいは「市内の方ですか」と聞かれることが多かった。こういう質問は会話のきっかけにもなるし、自分にとっては快い印象なのだったが、あえてうがった見方をすれば、これは地元の人間か観光客かを確認・区別する観点が大きいのではないかとも思われた。かといって、それが不満なわけではまったくない。よそ者だと見なされたからといって冷遇されるわけではなく、むしろ印象を良くしてリピーターになってもらおうという意図があるように思われた。

 主として歴史を感じる旅だったが、それに加えて印象的だったのは熊本の自然の力強さであった。特に田原坂から木葉駅まで歩く道のりはほとんど人が通らず、その山道を静かに歩いているうちに、人の手の入っていない、生きたままの自然が脈打っているのを感じることができたのだった。





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