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夕映えの利尻富士

 4月最終日、北へ向かうホームは長蛇の列だった。そこでは、自由席をめぐる熾烈な競争が繰り広げられていた。一歩遅いだけで、稚内までの5時間を通路で過ごさなければならない、そんなのはごめんだ。

 汽車はどんどんスピードを上げて北上していく。旭川を過ぎ、士別、名寄・・・どこまで行っても上川管内を脱出することができない、上川地獄である。それでも長い長い森林地帯を抜け、渓谷をひた走り、左手に利尻富士を仰いだ時は爽快であった。よく晴れた空に、白い頂が光っていた。

 稚内。名実ともに最果ての地である。近年新築されたというきらびやかな駅舎とは対照的に、駅前商店街の疲弊ぶりが目立つ。駅前銀座通りは、シャッター街と化していた。いったい、地方の産業はどうやったら振興されるのだろう。地方に活力を、なんて言うのは、ほんとうに簡単なことだ。
 気が付けば僕は一人だった。駅から吐き出された大勢の人々は、観光客たちは、いったいどこへ消えてしまったのだろう。

 目についた駅前食堂で昼をいただく。あっさりとした塩ラーメンに、函館や札幌とは異なる文化圏であることを感じる。つるつるとのど越しもよく、大変美味であった。食事に恵まれると、旅のモチベーションはグンと上昇する。

たからやの塩ラーメン。美味い。

 今回は、いずれの町でも果たすべき目的や訪ねるべき場所は(基本的には)ない。したがって昼を食べたらすぐに南下して、名寄の町をふらつこうと考えていた。駅の時刻表を見て、愕然とした。ラーメンを食べている、まさにあの瞬間に、旭川行きの特急が僕を置いて出て行ってしまったのであった。次の特急まで、実に4,5時間である。あまりの衝撃に、特急で飲もうと買い込んだビールを、高台の公園で消費してしまった。遠くに樺太を望む、まだ4月の風が寒い公園だった。公園で売っていたソフトクリームが、冷たかった。

 5時台の特急にようやく乗り込み、旭川の手前、和寒町を目指して一路汽車は南下する。夕日が静かに去っていこうとしている。利尻富士は、泰然としていた。

 次第に夜の帳が降りる中で、窓の外を見てもここがどこなのか皆目見当がつかない。中川なのか音威子府なのか、それとも寝ているうちに美深まで下りているのか。
 外はまっくらな闇である。こんな闇を、ずいぶん久しぶりに目にした。人間の頼りなさを、ただ思うだけであった。

当然のごとく無人駅。


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