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引っ越し前夜

 最近心身の調子を崩してからというもの、映画を鑑賞することが出来なくなった。
 集中も決断もできずに、作品ページをうろうろとさまよって予告を見ている内に食事を終え、電源を落とすことを繰り返す。「暴力表現やシリアスな場面があるかもしれない」「傷つくかもしれない」という不安で見たことのない作品を選択することが出来ない。見たことのある作品でも起承転結の承くらいで耐えられなくなってしまう。トラブルが起きたり、すれ違ったりするような場面を異様に恐れているのだ。
 しかし、先日病院にかかり、無事に薬を処方された。プラシーボ効果かもしれないが、服薬してから緊張や不安が落ち着き妙にのんびり過ごすようになった。映画だって見れる。危機感が失せたような気もするし、危機感なんてはなから存在していなかったのかもしれないとも思う。この危機感というものが漠然とした将来へのものなら無くても良いが、私は今危機感を抱くべき人間なのだ。

 この春、私は大学3年間を過ごした部屋から縁あって引っ越すことになっていた。入居日は明日。引っ越し準備は6割といったところで、このままキーボードを叩いていては、確実に明日引っ越しのために父がやってくるまでに終わらない。なんなら久しく部屋の掃除に取り組めてないから床は埃と髪の毛だらけだし、玄関はとんでもなく重たいゴミ袋で封鎖されている。父を招き入れることさえできそうもない。完全に映画レビューの文章を書いている場合じゃない。それなのに、全くもって取り組む気にならない。あんなに父に怒られることを恐れているのにだ。何だかもういっそ笑えてくる。
とにかく私は早くこの文を書き上げて、引っ越し作業を少しでもマシな状態へと進めないとならない。よく分からないが、書かないといけないみたいだ。相変わらず自分の行動がちっともコントロールできない。でも、付き合ってあげるしかない。私には私しかいないのだから。

 観たのは『百万円と苦虫女』。2008年に公開された蒼井優主演の映画だ。2時間くらいの穏やかな映画で、久しく映画を見ていなかった私にはリハビリにちょうどよかったように思う。
 あらすじは就職浪人してフリーターをしている主人公が前科持ちになったことをきっかけに、ひとり転々としながら暮らすというものだ。適当に選んだにも関わらず、奇しくも引っ越しの映画だった。
主人公の鈴子は、声が小さくていつも困ったように愛想笑いばかり浮かべている21歳。色んな街の適当なところで働いて、他人とは必要以上に親しくならない。自分のことは嘘ばかりついてみたり。とにかくまじめに働いて、質素な暮らしをしながらお金を貯める。そして、百万円貯まったら次の街へと引っ越していく。

 21歳就職浪人予備軍である私にとって鈴子は希望かもしれなかった。職も土地もコミュニティも定めなくても生きていけるのというのは、私にとって魅力的に感じた(まだインターネットに触れるにはパソコンを購入するほかないような時代の作品だというのが懸念点だが)。
しかしながら、私と鈴子はあまりにも似ていない。
私は声が大きいし、前科はないし、外見は蒼井優じゃない。不安に振り回されやすいし、新しい環境に飛び込むのは大の苦手だ。それに加え、鈴子はキャリーケースひとつで引っ越せるミニマリストだったのに比べて、私は今とんでもない量の段ボールに囲まれている。もうこれが本当に新居で必要なものなのかどうかを判断している時間すらない。
鈴子のアイデンティティどれをとっても私とは似ていない。共通点と言えば、年齢と性別と困ったように愛想笑いばかり浮かべる人間だということだ。

 それでも私が百万円放浪生活を出来るかもしれないと信じている。鈴子は実家を飛び出してから自分の知られざる才能に気づくことがあった。ちっぽけで限定的な才能でも、環境によっては光り輝く宝物だ。働く鈴子はきらきらしていて、たくましかった。
 私にだって今この部屋を飛び出した先でしか発揮できない才能があるかもしれない。いや、きっとあるのだ。アルバイトも大して続かなかったし、百万円なんて手にしたことはない。それでも、私はひとりで生きていけるはずなのだ。
 今私は就職出来る気がしなくて、社会で生きていける気がしなくて毎晩毎晩泣いたりしている。人生ずっと孤独なのだと嘆いてばかりいる。でも、ひとりでも生きていける。ひとりの人生が楽しいかどうかは自分でつくるものだ。

 またひとりの人生がこわくなったらこの映画を観よう。引っ越しのときもこの映画を観よう。なんだかどうにかなる気がするから。

2024年4月9日深夜自室にて


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