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マンガ読みの年中休業うつらうつら日記(2022年12月31日~2023年1月6日)

あけましておめでとうございます。この冬休みは友人たちと抗原検査をしては宴会をするのに忙しく、楽しかった!年が明けた翌日には、1週間前に入籍したばかりの息子夫妻が泊まりに来てくれて、病棟の娘も元気にしている話をしながら心弾む年明けでした。夏ぐらいまでには結婚式があるかもしれません。息子にはぜひ白タキシードを着てもらいたいです!今年最大の希望はそこかしらん。

22年12月31日

今日はお客さんの波がいったん凪いで、何もない日。
明日からの新年に備えてせいうちくんが年越しそば用の天ぷらを始め、手巻き寿司用の魚の買い足しなどをしてきてくれた。
大晦日のスーパーはスゴイ状態なのだそうだ。想像はつく。

私は1日ぼんやりと寝たりマンガ読んだりしていたが、せいうちくんはその間に「家の中のちょっと気になるところ」の掃除を集中的にしてくれていた。
簡単な「大掃除」だ。
これで新年をさわやかに迎えられるよ。ありがとう。
明日のお客さん向けにサーモンマリネやタラモサラダの作り足しをしたりローストビーフ焼いて漬け込んだり、私もけっこう頑張る時は頑張った。

早めにお風呂に入ったりずっと煮ているおでんのつまみ食いをしながら、紅白歌合戦をガチで観る。
日頃新しい歌を聴かないので、毎年末のレコ大と紅白が時代に追いつく唯一のチャンスなのだ。
例によって名前も聞いたことのない人たちが歌ったり踊ったりするのを見て、
「この人はレコ大でも見たね」
「みんな踊りも歌もうまいよね~」などと勝手な感想を言い合うのが我が家流。

マンガを読んで育った人がそこからさらにマンガ的表現を広げていくように、エイトビートで歌い踊っていた我々に比べて、小さい頃から16ビートや32ビートの洪水の中で育って来た若い人は、もう何ビートで音楽を捉えているのかわからない。64ビートぐらい?
こういうの観てると、80年代ごろのアイドルの時代って何だったんだろう。
息子が10歳を越えた頃、テレビでなつかしのアイドル番組を見て、あまりのヘタさに、
「この頃はこれでよかったの?これがよかったの?!」と芯から底からたまげていた。
ほぼ同感だよ、今の我々は。

加山雄三御年とって85歳の引退ステージとか、安全地帯再結成とか、桑田佳祐、Char、野口五郎、世良公則、佐野元春が同じ学年らしくて「同級生バンド」を組んでくれたとか、見ごたえあったなぁ。
しかし同時に気づく。
我々がそういうのを楽しんでいた22時半ごろからってのは、始まりの方の「よくわからない若者の歌手やグループ」が一段落して、ある年代以上の人たちが「うぉー、なつかしー、すげー!」となってた時間帯なわけだ。
それって40年ぐらい前に演歌歌手や昔の流行歌手が続々と出てきて高齢者たちが「うわー!」って言ってたのとおんなじ時間帯なのではあるまいか。
もう、そういう歳になっちゃったんだなぁ。

でも、adoとかVaundyとかAimerとか藤井風とかいろいろ覚えたぞ。
まったく、毎年この時期ににわかにものを知る。
週末にツタヤにCD借りに行こうかしらん。
きっとみんな出払ってるだろうな。
個人的には藤井風の「死んだらいいわ」とレコード大賞取ったSEKAI NO OWARIの「Habit」が大好き。

年越しそば食べながら年越しZOOM会(もう年は明けちゃってたけど)に少し入って長老とSくんに「あけおめ!」を言う。
すぐに散会して、みんなもう寝るつもりみたい。
我々も明日はお客さんだから寝よう寝よう。


今年最後のマンガ紹介は「このマンガがすごい!2022」のオンナ編12位、増村十七の「花四段といっしょ」既刊1巻。
いやあ、これはね、いろいろだまされたよ。
花っていうから女性だと思ってた、まず。
「花つみれ」という名の男性棋士だとは思わなかった。
実際に女性四段ってのはけっこういるみたいだし、勝ち進めば女性でもプロ棋士なれるらしい。
なぜかまだいないだけ。
それから、「将棋ものマンガ」と言われれば当然羽海野チカ「3月のライオン」を思い出すじゃないか。
あんな感じで将棋の話がてんこ盛り、勝負の駆け引きや呼吸が描かれていると思うのが普通だろう。
なのに、花四段の脳裏にあるのはいつも、将棋会館でお昼に何を注文しようかなとか、ロッカーに預けるケータイの電源を切ってこなかったうえ好きなテレビ番組が始まる時間をお知らせするアラームを入れっぱなしだ!とか、本当につまんないことばかり。
「雑念があり過ぎるとかえって集中力になる」タイプの棋士なんて聞いたことないぞ!
こうしてゆるゆるエッセイマンガみたいな空気をまとったまま、花四段の活躍は次巻以降も続く。

1年間、マンガ紹介につき合ってくださってありがとうございました。
正直、こんなしんどい作業は二度とやらない。
毎週、日記の中身で悩むより何をどう紹介しようかで頭がいっぱい、最後の方はネタ切れ寸前だったから。
「このマンガがすごい!2023」に救われた格好。
365作品、正確にはダブりが6作品あったので、359作を紹介したことになる。
皆さんがまだ読んだことないものを「面白そう」と思ってくれたりかつて読んだものを「なつかしい!」と手に取ってくれれば幸いに思う。
来年からは面白かったマンガについて日記本文中で触れる程度にしよう。

23年1月1日

謹賀新年!新しい1年の始まり。
年末からこっち長編マンガを読みたくなって、末次由紀の「ちはやふる」全50巻、浦沢直樹の「20世紀少年」全24巻、「YAWARA!」全29巻、荒川弘の「鋼の錬金術師」全27巻、「銀の匙」全15巻、そして息子の入籍祝いに「ジョジョシリーズ」の「ジョジョの不思議な冒険」全63巻と「ストーン・オーシャン」全17巻、「スティール・ボール・ラン」全24巻を読み、今は「ジョジョリオン」全27巻に挑戦中。
全部足したら276巻になる。
これだけ読めるヒマな人生もありがたいが、全部持っていられる自炊技術こそがすべての嬉しさの原点だ。

ひとり暮らしの人というのは意外とお正月ヒマなもので、20年以上元旦はおひとり様歴が長いK子ちゃんを招いて「小さな新年会」をやっていた。
コロナでしばらくお休みしてたが、今年は決行しようと落語仲間のNさんをK子ちゃんと一緒にご招待。
彼も今年は故郷のお母さんを東京に引き取って同居を始める独り者で、お母さんがこちらに移ってくるまではわりとのんびりしているので話に乗ってくれた。

2人とも学生時代から卒業して10年ぐらいまでは「遅刻王」で、約束の時間に現れたためしがないのに、今回はなぜか「早く着きすぎちゃったよ」と定刻20分前にNさんが、10分前にはK子ちゃんが来てしまうという椿事に遭遇した。
「遅刻癖」って治るものなのか!


全員抗原検査をし、シロだったのでマスクを外して手巻き寿司といつものローストビーフやタラモサラダを食べる。
大学でサブカルチャー史の講師をやっているNさんの独壇場は今年も健在。
せいうちくんの政治・歴史の知識を交えながらこれからの世界を憂えて過ごした。

Nさんが言うには、
「学生たちを見てると、今の若い人は本当に優しくて真面目。でもそんな人たちが日常のわずかな格差に苦しんでいて、世界は戦争状態に突入するかもしれないと思うと、もうディストピア話にしかならない」のだそうだ。
私は息子を見ていて、
「確かに今の若い人たちは他人を傷つけることを恐れていて、生きにくいとは思う。でも彼らには『ヘイト』の心がない。そういう人たちが中心になって作り上げる世界は良いものにしかならないんじゃないだろうか」と反論。
いずれにせよ我々大人の世代が右肩上がりに調子に乗って資源を使い過ぎてしまったのは確かで、その点若い世代、これから生まれてくる世代に大きな借りがあることは間違いないと思う。

コムツカシイ話をしてる間にあっという間に6時間が経過してしまい、お開きに。
「今度はさぁ、もっと身近な話をしようよ。自分の悩んでることとか、愚痴とか、そういう個人的な話が聞きたいな」と言うと、Nさんはちょっと頭をかいて、
「今回もオレがやらかしちゃったよ。しゃべりすぎた。まあ、おふくろと暮らすようになったら愚痴もいっぱい出るから、楽しみにしてて」と言っていた。
確かに。大変なのはこれからだよね。

「予定はひとつひとつうまく終わっている。明日あさっての息子たちのお泊まりを終えれば、当初の計画は全部終わりだよ。よくやってきたねぇ、僕ら」と感動するせいうちくんとレコ大録画の残りを観たり「孤独のグルメ 年末スペシャル」を観たりしてのんびり過ごす。
去年の大河「鎌倉殿の13人」の総集編も観始めた。
Netflixの「ザ・クラウン」に戻れるのはいつだろう。

23年1月2日

入籍して1週間の新婚ほやほや息子夫妻が泊まりに来てくれた。
11時ちょっと前に駅に着いたと連絡があったのでわくわくしてベランダからマンションに続く小道を見下ろしていたら、2人が仲良く歩いてきた。
新妻のMちゃんが持ってるバッグをぽかすかと振り回して息子を叩いている。
来るなり聞いたら「見てらしたんですか~」と恥ずかしそうに、どこかでSuicaを落としてしまったので息子に八つ当たりをしていたのだと告白していた。
熱々だなぁ。いや、最近ではラブラブと言うのか。

新旧2組の夫婦が私の母の郷里の味、ぶりのお雑煮で新年を祝う。
Mちゃんは幸せで輝いてこれまでよりいっそう可愛く見え、一方息子は妙にふてぶてしく、だらんとしている。
これは一般的な男女差なのか、彼らの個体差なのか。

サーモンマリネやタラモサラダ、ローストビーフなどを出して、Mちゃんにうちのおせちは毎年こんな感じだ、と説明する。
私が黒豆とかかずのことか一般的なおせちにはいってるものが軒並み好きでないうえ、作るのがめんどくさいからだ。
彼女と一緒に過ごした過去2回のお正月には市販のおせち重箱を買っていたので、我が家流おせちは初めてだと思う。
息子は「これこれ。いつものやつだね」と大好きなローストビーフを黙々と食べていた。

あらためて結婚のお祝いを言い、お互いの近況や結婚式をどうするのかなどを話した。
沖縄あたりでの親族だけのリゾート挙式と、東京で友人たちを招いての小さな披露宴を考えているらしい。
息子が仲間たちと切り回して出演もしている下北沢のパフォーマンスパブでやりたい、と言うので、それは二次会にしてその前にレストランとかで披露宴をやり、私たちも呼んでくれるようお願いしてみる。
2人で検討してくれるそうだ。

挙式について、息子はわりとあっさりした態度だがMちゃんはやはりウェディングドレスが着たいと言う。
もちろん着てもらいたい。
息子にはできれば白タキシードを着てくれ、と伝えたら「はぁ」という感じで、特にイヤではないみたいでほっとした。
ぜひ純白の装いの2人を見たいのだ。

「お2人のように仲良く結婚生活を続けるコツはなんでしょうか」とMちゃんに聞かれた。
「うーん、結婚した、って過去形じゃなくて、常に結婚し続けている、毎日新たに結婚しているような感謝の気持ちを持つことかしら」と偉そうなこと言ったら、
「なんだか英語的ですね。現在進行形」と同意してくれた。

「結婚したらこれをやりたかったシリーズ」のリストのトップにあった「息子が小さい頃のアルバムを見せる」をついにやれた。
生まれたてから4歳ぐらいまでの写真が、せいうちくん側の祖父母からもらった名前入りのアルバムに整理してあるのだ。
Mちゃんはしきりに「かわいい~」「今の面影がありますね」と言いながら熱心に見てくれた。
今、お兄さんのところのお子さんたちをよく面倒見てるので、小さい子には慣れていて既視感があるらしい。
それに子供が大好きなんだって。
「あなたたちの子供はいつ?」なんて聞くのはハラスメントに当たるかもなので言わない。
私自身は子供が苦手なので、孫が欲しいのかどうかよくわからない。
でも友人たちは皆口をそろえて「とても可愛い」と言うから、きっといたら楽しいんだろうなぁ。
ま、今の息子は生活力がないから、もっと先の話になるだろう。
意外とすぐだったりするのも結婚の面白いところ。

写真を見ていて思ったのだが、なぜおばあちゃんたちというものは男の孫が生まれたとなるとわざわざおしめを外してまでちんちんを見たがるのだろうか。
義母も実母も両方やってた。
「これこれ、これを見なくっちゃね」と言う実母と、
「まあ立派ねぇ。将来女を泣かすわよ。あなた(せいうちくん涙)なんて、糸みたいだったんだから」と言う義母と、どちらに脱力していいかわからない。
それにしてもアルバムにもちんちん丸出しの写真が多いな。
女の子だったら絶対こうはなってないと思う。
とどめは素っ裸で直立し、ちんちんをダダのソフビ人形の足で挟んでぶら下げ、ご満悦の本人だった。

リビングの一部をパネルウォールで仕切って彼ら用の部屋を作ったので、いったんそこで昼寝してもらうことにし、3時間の休憩タイムに入る。
遠くから来て疲れただろう。起きたらまた遊ぼう。

せいうちくんと私も昼寝し、18時頃に全員起きてまたリビングに集合。
お茶を飲みながら、息子が観たいと言っていた「アメリカサブカルチャー史」の特別編、「フランス60年代 ヌーベルバーグ」の録画を観る。
Mちゃんも文化史にはとても興味があるようで、楽しんでくれたようだ。
息子がすでに観ちゃった「アメリカサブカルチャー史 50年代~2010年代」、そのうちもう1回ゆっくり観ていこうね。

晩ごはんは手巻き寿司。
せいうちくんが刺身の冊を綺麗に切ってしそや貝割れ、きゅうりと一緒に盛りつけてくれて、私は酢飯を作った。
この年末年始、実に3回目の手巻き寿司になる。
各自好きな量だけ食べられて、とてもいいシステム。
特に4人ぐらいだとちょうどいいのは昨日で実験済み。
温かい汁ものとしてせいうちくんが年末からずっと煮込んでいたおでんも食べてもらい、やっとおでんも日の目を見た。


おでんの作り始め
同上

そのあとは用意してあったホールのケーキを出す。
気分はウェディングケーキだ。
とても喜んでくれた2人に、2本のろうそくをそれぞれ1本ずつ吹き消してもらう。
2人でのケーキカットは結婚式の時にやるかもしれないから割愛し、Mちゃんが切ってくれた。
ホールの半分を4人で食べ、残りは明日の朝食がわりにと冷蔵庫にしまう。
実においしいスポンジと生クリーム、そしてフルーツのケーキだった。


ご祝儀を渡す儀式もその時にやった。
用意してあった「Happy Wedding」のご祝儀袋を、あくまでMちゃんに渡す。
「Mちゃんの口座に入れて、しっかり管理してね。息子には使わせないで、Mちゃんの判断で2人のために使ってね」と言いながら。
「ありがとうございます」と受け取った彼女は、
「なんか、ものすごく分厚いんですけど…」と恐縮していた。
息子に稼ぎがない分はこれで勘弁してください、って親心なのよ。

お風呂をわかすよ、と言うと息子が我々に先に入れと言う。
「いや、Mちゃんを真っ先に」と答えたら、
「僕ら、2人で入るから。若いからヘンな汁が出てお湯が汚れる」と言うのはいつも息子が入ったあとのお湯が汚れてしょうがない、と我々がこぼしているからだな。
「じゃあ先に入らせてもらうね」といつものようにせいうちくんと一緒に入浴した。
上がって、私は素っ裸にタオルを巻いて寝室に飛び込み、扇風機に当たって粗熱を取る。
これやらないとパジャマが汗でびしょびしょになるんだ。
その間にせいうちくんは洗面所でパジャマを着て、息子たちに「上がったよ~」と伝えてくれる。

ケーキを食べる時、息子の口の端についた生クリームをMちゃんが指で取ってあげてその指を自分でぺろりと舐める、ってのをやってもらいたかったんだが、
「さすがにそれは恥ずかしいです」と断られた。
そのあと一緒にお風呂入るとは思ってなかったから、「2人で入浴」と「生クリームぺろり」の恥ずかしさの違いについてしばし考え込んだ。
おあつらえ向きに息子の口の端には生クリームがついてたんだもの!
残念ながらせいうちくんと私の口には何もついてなかったので、ベテランの実演は披露し損ねた。

彼らがお風呂にいる間にせいうちくんがクロゼットからプロジェクタの乗ったワゴンを転がしてきて、上映会の準備。
私の大好きな映画「Jesus Christ Superstar」をMちゃんと一緒に観よう、と約束して楽しみにしていたんだ。
ダイニングの壁面に100インチで映写し、彼らは前に置いたソファで、我々は後ろ両脇に置いたロッキングチェアで鑑賞。


何回観たかわからないし、今でも素晴らしいと思うんだが、年末にレコ大や紅白で今の若者のキレッキレのダンスや信じられないほど上手い歌唱力を目の当たりにしたばかりだもんだから、「昔の歌やダンスは大したことないかも。やっぱり人類は進歩している」と心の底から思った。
それでもやっぱり感動。
イエス・キリストの人間的な苦悩がよく表現されている。
全曲を作ったアンドリュー・ロイド・ウェーバーがこの映画のヒッピー的演出を嫌い、長いことディスクが出なかったのは不思議だ。
映画館で最初に観て、そのあとは衛星放送で録画したものを大事に観ていたが、10年ぐらい前にやっとディスクが出て、これと2000年版のちょっと未来的な演出の映画と舞台ミュージカルの3枚セットを買えるようになった。

観終わって、Mちゃんは「素敵な映画ですね!」とほめてくれたが、息子は、
「なんでこれ、こんな映画にしたのかな。どう考えても舞台の方がずっといいでしょ」と冷たい反応だったので、次に来た時には舞台版のDVDを観よう、と落着した。
思わず映画中の歌を口ずさんでいたらMちゃんが、
「お母さん、すっかり覚えてるんですか?」と聞いてくれたので、
「とにかく大好きで大好きで、PCじゃなくタイプライターの時代に歌詞を全部タイピングしてみたりしてた」と答えたら、
「本当に大好きなんですね」と感心してくれた。
素直な、素敵な人だなぁ。

もう2時近くなっていたのでそこで解散、それぞれの部屋で寝る。
興奮していたけど明日は11時半に息子が小さい頃からお世話になってきた「もう1人のお母さん」と呼ぶべきシッターさん通称「おばちゃん」の家を訪ねるから、早く寝なくっちゃ。
睡眠薬をきっちり投入して、即寝る態勢。
楽しい夜がこうして終わっていった。

23年1月3日

新婚夫婦のお泊まり2日目。
朝、10時頃に起きて昨日の残りのケーキを食べた。
それぞれ身支度をしておばちゃんちにお出かけだ。

空は快晴。なぜかわからないけどお正月あたりって毎年晴れてるよね。
雨の元旦とか、全く記憶にない。
晴れの特異日を選んで元日にしたわけでもあるまいし、どういうわけだろう。
日本国民の「気」が集まってお天気になるのしらん?

おばちゃんちの団地までゆっくり歩いて30分ほど。いい散歩だ。
着いたら待ちかねていたらしいおばちゃんが笑顔で迎えてくれた。
「まあまあ、息子ちゃん、明けましておめでとう!それに結婚おめでとう!」
こちらも4人で口々におめでとうを言い、室内へ。
コートを掛けさせてもらって、何よりまずはおじちゃんの仏壇にご挨拶をしなきゃ。
せいうちくん、息子、Mちゃん、私の順で神妙にお線香を灯した。
若い2人は特に長いこと手を合わせていた。
お礼と、これからの幸せをおじちゃんにお願いしていたのかな。


食卓の上にはえび芋の煮物やほうれん草の胡麻和え、黒豆、子持ち昆布やひと口カツ、なますや漬物などのお皿がところ狭しと山のように並んでいた。
こんな小さなテーブルにどうやったら全部乗るんだろうって不思議になるほど。
ビールで乾杯するとおばちゃんは、
「結婚したからね、まずは子持ち昆布食べて。子宝に恵まれるわよ」と若夫婦に勧めてくれた。
まことにおせち料理は縁起物で出来上がっている。
ご厚意が嬉しい。

「あの小さかった息子くんがもう結婚だからねぇ。早いわねぇ」としきりに言いながら、おばちゃんはいろんな思い出話をしてくれた。
大勢の子たちを預かっていたけど、息子ともう1人、ゆうくんは特にお泊まりや旅行などに連れて行ってもらってるうえ、大きくなってからも頻繁に顔を出していたらしい。
「そのゆうくんも去年、デキ婚したのよ。ホントに20何年あっという間だったねー」とおばちゃん。

我々も、
「おばちゃんが『お母さん役』をやってくれたおかげでこんなに素直で優しい子に育ちました。そんな彼を好きになってくれて結婚してくれる人も現れて、親としてこれ以上嬉しいことはありません。息子のいいところは全部おばちゃんに育ててもらいました。本当にありがとうございます」と話す。
「いやー、なんもなんも」と照れるおばちゃんだが、人生の恩人だと心から思っているよ。

息子が、家にいる時よりずっとナチュラルにくつろいでいて口調もおだやかで平凡なので驚いた。
まったくの自然体だ。親と話す時より身構えていない。
「何もかもなつかしいなぁ」と立って部屋のあちこちを歩き回る彼の、魂の実家はもしかしたらここなのかもしれない。

いつでも誰かが出入りしていて、カギどころかドアも開けっぱなしのことが多く、息子を迎えに来たわずかな間にも「お料理作り過ぎたからもらって」「この間のお皿、返すわね」などと大勢の人たちが訪ねてきていた。
小さな息子の手を引いて散歩していると、見知らぬ人から「あら、息子ちゃん。今日はパパとママとお出かけなの?」と笑いかけられた。
おばちゃんちで息子にはたくさんの顔見知りができていたのだった。
「昔の長屋みたいなもんだから」と言うおばちゃんに息子は、
「いや、理想的な暮らしだよ。僕らもこんな風に暮らしたい」としみじみ言っていた。

「お寿司を頼んだのに、遅いね」とおばちゃんがお店に電話をしたら、どうやら年末から注文してあったのにすっかり忘れられていたらしい。
「やだー、何やってんのよー。急いでお願いね」と超常連さんの口調で世間話をしながら注文し直し、
「やんなっちゃうわね。『注文書に書いてないです』ってバイトの子が言うの。親方、忘れちゃったんだね」と笑っていた。

やがてきた美味しいお寿司をいただきながらおばちゃん自身の人生を振り返る話を聞いていると、いろんなところでよく働きよく人の面倒を見、いろんな団体に関わって暮らしてきたのがよくわかる。
農業体験から始まる大地にしっかり根を張った生活。
誰かの学歴とか地位が偉いとか、そんな話はひとつも出てこない。
田舎の畑で子供たちが、生まれたての卵を食べてしまう蛇を退治したり雀除けの空き缶をたくさんつけた紐を時々引っ張っては音を鳴らして雀を追い払ったり、遊びながら仕事に参加している様子など、今では失われてしまった生活だ。

正面に座っていたMちゃんをふと見ると、鼻の頭を真っ赤にしてティッシュで涙を拭いていた。
驚いてその隣の息子を見たらこちらもぼろぼろと大粒の涙を流している。
そういう時でもおばちゃんは理由を聞いたりしない。
ただ2人が泣くにまかせていた。

私は全然人徳者じゃないので、おいとましてから駅までの道の途中で別れる前にMちゃんに、「どうして泣いてたの?」って聞いたら、
「息子くんが泣いてたから、なんだかつられちゃって」。

「また泊まりに来てね。こちらからも大宮にたずねて行くね」と息子とハグし合い、Mちゃんとは固く固く握手をした。
手を振ってサヨナラし、そこからまた30分以上歩いてのんびり帰った。
いつもはたいてい0歩の万歩計が6千歩以上を記録していたよ。

「無事に帰りついたよ」と息子に連絡するついでに「なんで泣いてたの?」と聞くと、「理由なんかないさ」という返事。
たぶん2人ともあまりに美しいおばちゃんの魂や生活ぶりに触れて、真に価値あるものを目の当たりにした感動で心が震えて仕方なかったんだろうな、と想像する。

Mちゃんにもお礼のLINEを打ったら、「とても楽しい時間だった、お正月の大切な時間を私たちに使ってくれてありがとう」という内容の返事が来た。
その中で、「小さい頃の写真を見たりおばちゃんの話を聞いて、息子くんはいろんな人に愛されてきたんだなぁ、そんな彼と奇跡の連続で今一緒にいられるんだって思ったら、思わず涙がこぼれてしまいました」と語っていた。
うんうん、幸せの涙だね。息子もきっとそんなふうだよ。

昨日家に迎えた時から感じていたんだが、息子がびっくりするほど「他人」に思える。
どうでもいいとか無関心になったとかではなく、もう私たちの手を離れて別の家庭を持った別の人間だってことを心の底から感じたのだ。
もちろん大好きだしこれからも見守っていきたい。
でもそれと同時に、彼をすっかりMちゃんに渡してしまった、もう我々の役目は終わりだ、と思ったら妙に気が軽くなって、今まで息子にいいとこ見せよう、いいこと言おう、と肩に力が入っていたのがほとんど抜けていた。

ケーキを出してご祝儀渡した時に、Mちゃんに、
「それなりに大事に育ててきた息子です。これからはMちゃんにお渡ししますので、2人で幸せになってくださいね」と言ったら、真面目な顔で、
「はい、受け取りました」と言ってくれた。
「夫婦はゼロ親等」が我が家のモットーで、それに基づけば息子は今まで1親等の我々より近い存在を持たなかったところ、今回の入籍で「ゼロ親等」の人ができたわけだ。
子供ですら1親等、きょうだいは2親等にあたるこの国の決まりごとに則るなら、誰よりも配偶者を大切にし、その関係を守る努力は何よりも大事だということになる。
これから先、ずっと2人の幸せを実現していってほしい。

2人が帰ったあとのがらんとした室内を見渡し、
「やり切ったね。忘年会からどうなるかと思っていたけど、予定していた行程を全部きちんとこなせたよ。しかもすべてがすごくうまく行って皆楽しんでくれた。本当によくやったよ」とハグし合う。
始まる時は例によって予定を詰め過ぎたどうしよう、って焦ってたが、年越しも含めて何もかも満足いくように経験できた。
とても嬉しい。
どどめに息子たち夫妻が来てくれて、夏ぐらいまでには結婚式をしたいと言う。
きっと忘れられないいい1年になるなぁ。

23年1月4日

8日間の正月休暇があっという間に終わり、明日からはもうせいうちくんの出社だ。
いろんな人と会い、いろんなSNSでいろんな報告をし、年賀状を出したりもらったりして「あけおめ」を伝え合った。
みっちり詰まった8日間だった。
なにしろ大晦日と今日以外は常に人が来ていたし、大晦日も年越しZOOMしてたからなぁ。
せいうちくんから、
「今年はあまりにも予定を詰め込みたがるクセを何とかするように」と言い渡されちゃったよ。

去年大変お世話になったNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の総集編を全部観た。
あまりに圧縮してあるので出てこない人も続出。
大竹しのぶの占いババアも消されちゃった。
それじゃ実朝が「私に子ができることはない」と言い切るきっかけがないじゃないか。
京から来た嫁さんも出てこないし、太郎を熱いまなざしで見つめたりもしない。
やっぱり本編フルがいいね。

23年1月5日

もう出社日だよぅ。せいうちくんの仕事始め。
ぐでぐでに寝て正月の疲れを取ろうと思っても、身体から緊張が抜けなくて何をしていいかわからない。
とりあえず1日中寝倒して、夜になってふと大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をフルに観たくなった。
昨日観た総集編では満足できなかったみたいだ。

だって、トキューサの蹴掬も実朝の和歌も全部はぶかれてたし、亀の前はいつの間にか消えていた。
そりゃあ40時間以上に及ぶ番組を4、5時間でやろうって思ったらそうするしかないんだけど、小さな伏線がいっぱい張ってあってそれをどんどん回収していくのが楽しかったんだよね。
せいうちくんが帰ってきたのでお正月の余りものを一緒に食べながら4話ぐらいまで観た。
私が寝ちゃったのでお開き。
「今週の日曜には、僕らはもう『家康のヒト』になっちゃうんだからね」とせいうちくんはもうちょっと先まで進みたいようだ。
暗黒小四郎に比べて最初の頃の小四郎の無邪気で優しい表情といったら!

テレビや映画を観てるとよく眠ってしまうんだが、ベッドに入ると眠れない。
どうしてだろうと2人で考えて、やっと結論が出た。
夜、ベッドに入るとせいうちくんが絶対先に寝てしまうから寂しくて眠れないんだ。
画面観てる時はせいうちくんはまず居眠りしないので、私は彼に見守られながら眠りに落ちることができる。
うーん、ヒマになったら毎晩、私のこと寝かしつけてくれないだろうか。

23年1月6日

今日も出社だ、寂しいな。
最近、自分の身体からすうっと気持ちが抜けて空中を漂っているような時がある。
せいうちくんにそう言うと、
「誰だって四六時中自分のしたことや言ったことを意識してなんかいないよ。たいてい気持ちは身体を離れてぼんやりしてて、何かあったら急いで戻ってくるんだよ。それが『はっとする』ってやつだよ」との答え。

そうか、私はぼんやりしていられなかったのか。
そして今、ぼんやりし始めているのか!
薬をのんで無理やりぼんやりしなくてもぼんやりできるのか!
思えば自分の行動と発言、そして周囲で起こっていることにものすごい注意を払っていた。
(「そのわりに空気読めないじゃん」ってご意見はまた別の問題として)
だからいつも身体も心も緊張し、不自然な状態だったのか。

ぐにゃぐにゃにせいうちくんに甘える練習をしている。
これ以上どうやって甘えるんだ?と思われそうだが、けっこう罪悪感とか一方的に借りてる感じは持っていたのよ。
しかし、静かな夜に2人でテレビを観たりベッドで本を読んだりすると本当に幸せ。
思わずどちらからともなく「シアワセだねぇ」と言ってしまうぐらい。
人生の残りクォーターがあるとして、その時間をこんな風に使えたらもう何も言うことはないなぁ。

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