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年中休業うつらうつら日記(2024年3月2日~3月7日)

24年3月2日

定例ZOOM会でよく言われるのが、「酔っ払ってる人たちの中に1人だけ素面の人がいると、会話とか全部覚えてるし、なんか居心地よくない」というセリフだ。
昨夜も言われた。

私はまったくの下戸で、少しでもアルコールが入ると血管がじんじんして快くない。
飲みすぎれば必ず頭痛と吐き気に悩まされるし、そもそも酒が美味しいと思ったことがない。
学生時代から会社員時代ぐらいはよく飲んでいて、せいうちくんが今、言うのは「あれは精神力かなんかで飲んでたんだと思う。ある程度の訓練をすれば飲める、と言う人もいるが、アルコール分解酵素を持っていないとか極端に少ない人は体質的にいる。無理に飲むことはない。若い頃は僕もキミは酒豪だと勘違いしていたが、あれは途方もない努力の成果だった」である。

そういうことがわかってきたのでここ10年ぐらいはなるべくアルコールは飲まないようにし、光栄にも知人にソムリエがいるおかげで誘われるワイン会も、とにかく酒に関してはまったくの味音痴なので行かない。
家飲みの時に高価なワインが持ち込まれた時も、「いやあ、もう、申し訳ないぐらい味がわからなくてもったいないので、味のわかる人に飲んでもらってこその美味しいワインです」となるべく口をつけないようにしている。
酒を飲むのがいいとかいかんとかの話をしているのではなく、本当に飲めなくて、本当に美味しいと思えないから飲まない、というだけの話だ。

たぶん、酔いの勢いを借りなくても暴露癖は盛大で、素面で大真面目に下ネタも語る。
記憶もそれほど酔いには左右されない。「酔ってたから覚えてない」とは言いたくないかたくなな自分もいる。
だから実質、向こう側の気分の問題なのだろう。

友人に、本当に酒の好きな女性がいて、「一生健康に飲み続けたいから、365日のうち362日ぐらいは飲んでるけど、ワインならボトル半分、日本酒なら2合と決めて、1人での晩酌もその量を超えないようにしている」と聞いてから、本当に酒の好きな人はきちんと酒を飲んでいるのだなぁと感心し、飲めないのに水よりは高い液体を飲むのは無駄だ、と悟った。
「ノンアルコールビールとか、あるじゃん」と言われても、炭酸飲料がキライなのになぜわざわざ泡の立つ苦い液体を飲まねばならんのか。
もちろん乾杯のシャンパンとかビールに口をつけることはあるが、後から大量に水かお茶を飲んでアルコール分を消す方向に努力している。

昨夜の話はさておき、今日の話だ。
人も観る「ゴールデンカムイ」を映画館で観んとす。
ついでに「ゴジラー1.0」も観てしまおうと思ったのだが、なぜか値段の高い映写室(3千円もする!)でしか上映してなかったので、あきらめた。
サブスクに下りてきてからにしよう。

出かけるとなると他にも予定を詰め込みたくなるのが「僕の悪い癖(by 杉下右京)」なので、ついでにGくんちに車借りに行って、1泊の車中泊をしてこようと思う。
もちろんGくんも誘って「映画はおごるから」と言ってみたんだが、彼はそんなちょこまかした旅はしたくないらしく、最低でも4泊5日なければ「わしは行かんぞ」という対応だったので、これまたあきらめた。
伊東の方に行って、あいてれば温泉付きの道の駅に泊まり、帰りに美味しい塩辛を3瓶ほど買って戻ってこようという1泊2日のあわただしい旅だ。

とにかく車を運転していればご機嫌なせいうちくんと、せいうちくんといればご機嫌な私ぁは、こういうちょこまかした旅でも平気でしてしまうのだ。
塩辛を買ってからとなると当然10時は過ぎてから東京方面に向かうわけだが、Gくんは、「週末には人が避ける伊豆方面に突っ込んでいくとは」とあきれているようだ。

だって、ベッドキットが来てGくんがあれこれ工夫しているのをMessengerやFBで知らされて、もうたまんないんだもの。
あの平たい底上げ床に、我々も寝てみたい。
本当はGくんも加えた3人で本当に寝られるかどうかを見たかったんだが、あっさり断られてはしょうがない。

2人で計画を練り直していたら、なんと名古屋まで高速でとりあえず行くという変則的な話になった。
日程も2泊3日に延びたよ。
名古屋のCちゃんがお互いに大好きな鈴懸のイチゴ大福について、「鈴懸が名古屋のデパートから撤退してしまったので、もう食べられない」と嘆いていたから、お届けに行こう。
季節物で3月いっぱいで終わりなのと、お日持ち当日で冷凍配送などもやっていないレア和菓子なのだ。
なんかそのためだけに行くみたいだが(おまけにCちゃんは我々が市内にいる時間、美容院の取りにくい予約をやっと取ったので留守らしいから、勝手に留守宅の宅配ボックスに入れておくという迂遠な話)、「まことや」の味噌煮込みうどんも食べたいし、岐阜の方に行ってみようとせいうちくんも乗り気になってくれたから。

そうそう、シネコンに予約しておいた映画「ゴールデンカムイ」を観に行った話だった。
マンション近くのバス停から、30分足らずで別の大きな街に行ける。
会員クーポンでポップコーンと飲み物のMサイズを少しだけ安く買えた。
2人で分け合うには足りないかと思ったら、実はこれぐらいがちょうどいい量であった。
飲み物飲みすぎると映画の途中で猛烈に尿意を感じたりすると、還暦越えの映画好きたちははっきり証言しているぐらいだから。

映画は、実はほとんど寝ていた。
もったいない話だが、私は映画やドラマを観ていると非常に寝入りがちなのだ。
夜は眠れなくて睡眠薬のお世話になっているのに、この心地いい睡魔はどうしたことだろう。
覚えている限りと、あとでせいうちくんに聞いた話を総合すると、かなり原作に忠実に描かれているようだ。
結局、不死身の杉元が鶴見中尉につかまって、浩平だか洋平だかのどっちかを殺して重傷を偽装して脱出するところまでで終わっていた。
この密度でストーリーを追っていくと、軽く五部作ぐらいにはなりそうだ。
全体にキャスティングが素晴らしく、私の推しである元マタギの谷垣も実にいい雰囲気を出していた。

映画を見たあとはカフェでお茶を飲み、互いに正面から見つめあって、「こんな時間を持つのも久しぶりだねぇ」と言い交す。
この頃、食事もテレビ見ながら並んで食べているのであんまり向かい合って座らないのだ。
これからの生活のこと、今のお互いの課題や希望をよくよく話し合った。
あんなに憧れたクルージングにすっかり興味を失ってしまい、今は北海道一周の車中泊が夢になっていることも確認。
来週はベッドキットを装備したキャラバンをGくんとこに借りに行って、2人で名古屋を目指してみるつもりだ。
岐阜のへんにはいい温泉つきの道の宿がたくさんあるようで、楽しみ。

またバスで帰ってきて、せいうちくんは車内からスマホで予約しておいたピザ(持ち帰り半額なのだ)を受け取りに行き、私は帰って部屋を暖めておく。
「葬送のフリーレン」のアニメの続きを観ながらピザを食べ、久々になんだかお金をよく使って開放的な生活だと思った。
まだ早い時間だが、ベッドに行って「エロイカより愛をこめて」の続きを読もう。
もちろんその次は「葬送のフリーレン」だ。

24年3月3日

誕生日の人が、FB上で皆の「たんおめメッセージ」にお礼を書いていた。
「子供のままの気分で還暦を迎えてしまいました」にはまるっと同感だが、「まだ人生が半分以上残っているので、楽しく過ごしていきたいと思っています」には驚いた。

前に「130歳まで生きても大丈夫なように(貯金とか)準備している」と聞いてはいたが、それは寝たきりになっても認知症になっても十分な医療を受けられるようにという意味だと思っていたんだ。
まさか本気でこれから60年以上今のような元気で遊んでいくつもりだとは思ってもみなかった。
ほとんど人外だ。
彼のような人を本当にすごい人と呼ぶのだろう。

実際、ふわふわ遊んでいるかと思ったらいつの間にか資格を取っていたり新しい勉強を始めていたり、驚かされることばかりなのだ。
「少年のような人だなぁ」と18歳の彼に会った時から思っていたが、130歳の少年に、私はきっと会うことができない。残念だ。

24年3月4日

今更だが、せいうちくんが大好きだ。
結婚して30数年、いや、出会ってからの40年が全部嬉しい。
せいうちくんのお母さんに猛反対されていたのでなかなか連絡も取れず(当時はケータイとかスマホとかなかったんだ!)、次に会う約束をするまではさよならを言わなかった。
そして、どんなにケンカをしても、その日せいうちくんが私のアパートから帰る時までには絶対仲直りするようにしていた。
その決まりは今でも変わらない。

一緒に暮らすようになってずっと嬉しいけど、どうしても「慣れ」はやってくる。
「ときめき」や「恋しさ」だけでは結婚生活は形を成さない。
だけど、2人だけにわかる冗談、今まで住んだ場所の話、娘が重い障害を持つと分かった時の驚きと苦しさ、息子が元気に生まれた時の喜び、2人で行った数々の場所の思い出話など、2人だけの思い出がみっちりと毎日の隙間に詰め込まれ、どの思い出もたった今起こったことのように新鮮だ。

こんなに好きな人といつか「死」という別れが来ると思うと本当に寂しい。
せいうちくんは私より精神的に丈夫で、しかも長生きの家系なので、必ず私を看取ってお葬式をしてそれまでには引き当てたい樹木葬の場所に灰をまいてくれるという。
ただ、彼には長生きすれば必ずついてくるであろうこれまた家系の認知症が出るだろうから、万が一私が生きているうちにつらくなるほど症状が重くなったら迷わず施設に入れてくれ、と言っている。
「一緒に死ねたらいいね」とつい言ってしまうが、
「ちゃんとキミの始末をしてから死にたい。大丈夫だよ。まかせて」と必ず言われる。

まあ、政府は認知症の老人をこれから膨大に抱えることになるから、どこかで死なせるか認知症を治す研究を必死でするか、どちらかに舵を切ってくれるんじゃないかと思う。
「えー、そしたらたとえば『85歳になったら丸薬がもらえます』とかなったら、私だけ先に薬のむことになるじゃん!」
「大丈夫だよ。年金もらう人数が減る分には大歓迎だろうから、『4年早いけど、薬ください』って言えばくれるシステムになってるよ」と励まされる。

まったく、20歳の頃には自分が60歳を超えて生きているとは思わなかったよ。
若い人にありがちな誇大妄想で、「天才は夭逝するから、自分は早死にする」とか思ってた。
今思い返すと頭から湯気が出るほど恥ずかしい。
そして、何も成さずにただ幸せに平凡にひっそりと互いに肩を寄せて生きていけることに、猛烈に感謝するのだ。

24年3月5日

せいうちくん出社でヒマな1日。そろそろ心臓の薬をもらいに行こうかと思ったが、昨日、鶏鍋に春菊たくさん入れて食べちゃったから、ワーファリン値が正確に出ないかもしれない。
青汁やクロレラほどじゃないけど、やはり青い野菜はあまりたくさん摂らない方がいいと言われてるのに、鍋の春菊が大好きすぎる。
ケールなんか、相当食べちゃいけないものらしい。
うん、病院は来週にしておこう。


鈴木望の「青に、ふれる。」全7巻を読んだ。
太田母斑と呼ばれる生まれつきの青いあざが顔にある女子高生と新任の男性教諭の恋物語。
レーザーで消すこともカバーメイクで隠すこともせず、「自分の顔」と向き合って暮らす女子高生は、男性教諭が人の顔が認識できない「相貌失認」であると知る。
「それでも青山さんは区別がつきましたよ。もちろんほくろやあざが見えるのもあるんですが、僕にはあなたの顔が青いオーラで輝いているように見えました」と言われて、これまで以上に自分の顔を「自分らしさ」として受け止めようと決心する女子高生。
いじめや陰口のほとんどない平和な高校生活がまぶしすぎて、本来こうあるべきだよなぁと強く思った。
それでも女子高生も担任の先生も、かつて不登校になり、同じフリースクールのOB・OGであることが判明するぐらいのことはある。

親はさりげなく志望大学や将来の職業を「選ばせようと」する。
教員の家庭では「先生になりたいって言ってたじゃない?」「家から通える大学を探したの」「この大学は先生たちの評判がいいんだって」と「プレゼント」してくれる大学案内には付箋がついていたりアンダーラインが引かれていて、「教職課程」が強調されている。
「俺んちは両親が設計士だから、『おまえは設計士に向いている』とか『何になるんでも応援するけど、設計士なら何か力になれるかもしれない』って言うんだよな」みたいなソフトな圧力はどうしてもあるみたいだ。
うちも、「そもそも君は大学に行きたいのかい?」と面と向かって聞いたことはなく、高校受験の時はやはりMARCHへの進学率なんかを参考にした。
意外と親は期待し、ごく自然に何かを「押しつけている」のかもしれない。

「相貌失認」は人の顔や表情の区別がつかない症状で、教師にはかなり向いていないと思う。
でも、校長にしか告げていなかったこの事実をもっと同僚にもわかってもらおうと飲み会の席で告白したら、
「私たちなんかも、最近の俳優の顔はわかりませんよ」
「いえ、そういう症状なので…」
「症状、とはうまいことを言う。教師は『教師顔』になりがちですからね。そのうち外ですれ違っても同業者はわかるようになりますよ」といった感じで、知られていないゆえに軽く流されてしまう。
生徒たちに告白した時は、みな、「相貌失認?なにそれ。調べてもいいですか?」とたちまちスマホでググり、「そうか、人の顔がわからないのか。不便だなぁ」とか「ハリウッド俳優にもいるんだって」とすぐに受け入れてくれていた。
やはり若い人の方が柔軟なのか。
いずれにせよ、様々な病気や障害、症状は知られていれば受け入れられやすくなるので、「自分の特徴」ととらえたうえで周知していくのがいいと思った。

こういう、自分にとってまったく新しいマンガ(たまたまつかんだ)を読むと、マンガの世界の奥深さ、人の心を絵とセリフで語る手法の進化が非常に進んでいるのを感じ、もっともっと読みたいと思う。
「孤独って、自分が自分の味方をしてないってことかも」ってセリフは刺さったなあ。
素晴らしき哉、マンガ。

24年3月6日

心療内科の通院日。晴れていたので自転車で行く。
午後早めに行ったので待合室は空だったが、診察室にいる人がきっと初診で長いのだろう、けっこう待った。
その間にもう2人来てしまうほど。
そして、「先生についていきます」と涙ぐみながら中年女性が出てきた。うん、初診だ。

私は「春の不調」が始まっていること、せいうちくんは精一杯時間を作ってくれるが、忙しそう、しかし今週末も車中泊に行く、といった話をした。

名古屋に行く、と聞いて一瞬心配そうな顔になったドクターだが、実は大学入学後すぐに実家が引っ越し、その後の帰省時はいつも電車の駅まで母親が迎えに来ていたので、今は姉が住んでいる実家がどのへんなのか、正確なところすら知らない。
同様に父母の墓も姉に2回車で連れていかれただけなので、どこなのかわからない。
よって墓参りする気もない。
せいうちくんは「僕はたぶん道を覚えているよ」と言うから、必要が出たら連れてってもらおうかな。

それより最近、よく「働かなくては暮らせない」夢をみるのが困る。
結婚以来ほとんどせいうちくんに依存して生きてきたので、いざ自活しなければとなると、働ける気がしないで夢の中で大いに困っている。
現実にはもうそんなことは起こりにくいし、せいうちくんからも「なにしろもう今年で65歳のおばあちゃんなんだから、誰も働けとは言わないよ。大丈夫!」と言われるけど、働かなかった人生を悔いているのかな。

10年ぐらい前までは「有名になりたい」「誰もが名を知る人になりたい」となんか一発書けないか、なんて思ってばかりいたけど、それは母親に認められたい気持ちが強かったんだと思う。
もう世の中の物書きの凄さもわかるようになったし、自分は読んで楽しむ側の人間に過ぎないと心底思えるようになったので、そこは苦しくなくなった。
しかし、自立自活はまた別の問題だからなぁ。

ドクターは、
「男女雇用機会均等法で、みんな働かなくっちゃと思っているけど、そんなの個人の自由ですよ。僕の妹なんか専業主婦に憧れてたね。夫が偉くなってるのは、妻が精神的にも支えているから。『○○夫人』でいいんじゃないの?」と言っていた。

「2週間後の水曜が休日なので3週間あくけど、薬は4週間分でいい?きつい?」
「少し減薬にトライしたいのでいいです。1日中とろとろ眠っているような薬って、可能なんでしょうか?」
「それはね、僕らみたいな医者は扱えない。とても特殊な薬で、心臓にすごく負担がかかる。今は身体になるべく負担のかからない薬を選んでいるけど、それにしても量が多いから心配なぐらい」
「アルコールが飲めないので、1日中酔っ払って過ごす、ってわけにいかないのが残念です。そういう効果の期待できる薬は、無理なんですね」
「無理だね」
で、おあともつかえていることだし、と切り上げて退室したが、処方箋を待っている間に待っていた2人はあっという間にはけてしまった様子。

クリニック内の電波が悪いのでトイレに行って処方箋をアプリ送信したあと、意を決してクリニックをのぞいたら、誰も待ってない。
「先生に、もう少しだけお話ししたいとお伝え願いますか?」と事務の人に聞いたら、すぐに呼ばれた。
どうしても言っておきたいことが、さっきは言えなかったのだ。

「専業主婦も偉い、って先生に言われましたが、私は自分が何者かになりたかったんです。うわごとのように有名になりたい、って言う時期は過ぎましたが、夫が何になろうと私には関係ありません。夫を夫として好きなだけで、学歴とか地位とか、そんな記号はいらないんです。あくまで、私が『頭が良く、正直な』人間でいたいだけなんです」と一気にしゃべってしまった。
ドクターはちょっと困った顔になっていた。
「いや、あなたはすごいんだよ。あなたのダンナさんぐらい奥さんを大事にして、守ろうとしている男性を、僕は見たことがない。ここで1万人ぐらいの患者さんを診てきたけど、彼みたいな人に大事にされる、愛されるあなたがすごいんだと思うんだ。だって、彼は優秀で脂ぎってて切れて、いかにも出世するってタイプじゃないし、たぶんあんまりそのへんに関心ないでしょう。あなたと結婚してなかったら、彼は孤独で人生に失敗するか、変な人と結婚させられて自殺しちゃったかもしれない。1人の人間の人生を救っているんですよ、あなたは。さっき、僕の妹の話とかしちゃって、『あれ、これはちょっと違うぞ』って思ってたとこなんだ」
「理解していただけて嬉しいです。私は『頭が良くて、正直』でしょうか?」
「あなたはね、頭はとてもいい。そして、本当に正直だ。長いことここで話してるけど、あなたの言ってることは常にまっすぐで、矛盾がない。感情のブレはもちろんあるけど、つくろったり猫かぶったり絶対にしない。いつも自分の気持ちや状態をきちんと伝えてくる。見たことないほど正直な人です、あなたは」

これで満足して、病院を出た。
「正直」はともかく、「頭のいい人間」が他人にその「頭の良さ」を認めてもらいたがる時点でもうバカだろう、とは思うが、これも「成績は悪いけど頭がいい」と母に評価されたかった呪いの残りだろう。
私にとって「頭がいい」ことにはとても特別な価値があるんだよ。

おりしも昨夜、FBとMessengerが2人ともつながらなくなった。
パスワードを思い出せる限り思い出したりしてログインを試みるも、どうにもならない。
せいうちくんは「困った!Gくんとか長老に聞いてみようかと思ったけど、彼らとはMessengerでしかつながってない。FBに聞くこともできないし」と頭を抱えていた。
「ググって見ればいいじゃん。なんか記事が出るかもよ」
「そうか!」でせいうちくんがググったら、FBのログイン障害が起こっているようだ。

「ああよかった。これで安心して寝られる。明日にはどうにかなってるだろう。というか、今できることは何もない。うさちゃんはすごいねー。こんな時でもあわてないで冷静で、ちゃんと解決してくれる。僕はうさちゃんがいなかったらダメだよ」
「『3月のライオン』で桐山くんがひなちゃんに、『もうっ、なんなのっ?!かわいくて、強くて、かしこくて!」って抱きついちゃうみたいな?」
「そのシーンは知らないけど、まさにそんな感じ」

冷静になればこのぐらい誰でも思いつくことなんだろうが、パニックすると視野が極端に狭くなるせいうちくんには私の存在は助けになるようだ。
よく、「小さくしてポケットに入れて会社に連れていきたい。すごく頼りになる。鉄腕アトムの『コウモリ伯爵』の時のミニアトムみたいな」とこれまた通な希望を語られるが、そんなもんが役に立つような会社では困るぞ。

さて、これから3週間の課題は「薬を多めに」の日をいかに減らすかだなぁ。
2週間に対して3週間分出ていたものが、3週間に対して4週間分だからね。
もっとも気の小さな私が「念のため」のストックを持っていないはずはないのであった。ふふふ。
(でもそのストックが減るのもイヤな、さらに極小心な私がいる)

24年3月7日

「葬送のフリーレン」のアニメ版、録画しておいた分は全部観ちゃったので、いったんここまでとする。
別荘に遊びに行った時にMちゃんが「結解を破るシーンがすごく綺麗で素敵だった」とアニメの良さを語っていたのは、こういうことだったのか、と得心がいった。

せいうちくんが興味を示したのでアマプラで「呪術廻戦」も観ている。
困ったことに、毎日「昨日終わったところ」が変わってしまう。
きっと息子たちの方でも観ているのだろう。
としたら彼らも毎日「戻ってる!」ってなってるわけだ。気の毒に。


やっと息子が観ている第2シーズンに入ったようで、きっとこの週末車中泊に行ってる間に彼らは全部観終わってくれるだろう。
五条悟と夏油傑の青春と友情の物語。
素顔の五条悟がまぶしいよ。

オーディブルなマンガとしてのアニメの良さを認めるに至ったが、呪術廻戦みたいな特殊なマンガだと、字幕が少し欲しい。
「星漿体」とか「薨星宮」とか「黒閃」とか、原作読んでないと漢字が全然浮かばないし、脳内に残りにくいらしい。
「あ、なんかの名前なんだな」とは思うけど、覚えてられないだろう。
そういう意味では個人の名前はたいていどこかでテロップで知らされるもんね。
そうでなきゃ「夏油」を「げとう」とは読めないよ、なかなか。
せいうちくんは原作から入ってる私に漢字でどう書くか教えてもらえる代わりに、
「あ、これが禪院甚爾。のちに伏黒姓になる恵パパ。それにしても禪院家って呪力ない人の出生率高いね~」とかいらんネタバレを吹き込まれるのだった。

一般にジブリファンと思われがちなせいうちくんだが、実は「ルパン三世(緑ジャケット限定)」と「カリ城」と「未来少年コナン」のファンなだけで、ジブリ作品の多くはあまり好きではないそうだ。
私が新しいマンガを読んでマンガ界の未来が開けて時代を先へ先へと牽引していると感じるのとまったく同じに、彼もアニメが新しくなり、より高度に、より洗練され、より魅力的になっていると思うらしい。
私にはわからない分析的な見方をしているようで、「このへん、背景のCGが効果を上げてるね」「デジタルだからできることだろうけど、カラートレースしてる」とかなど、やっぱり好きな人は特別によく見てるんだなぁと感心した。

しかし私はマンガをそれほど細かく読んでいるかというと、全然そんなことはない。
力の入った見開きや大ゴマも、「あ、街が爆発」とか「ややこしい建物の内部」とか記号的にしか見られないので、森薫の「乙嫁語り」なんか読むのが申し訳ないぐらいだ。
鷹が飛び回ったり馬が走り回ったりしても「飛んでる」「走ってる」としか思えないし、「エマ」でお屋敷の坊ちゃまの飼ってるリスが行方不明になった回なんて、作者が描きたくて仕方なくて大暴れしたんだろう森の風景や木の葉や枝の描きまくりをほぼ全部「リスが森で迷子」で片づけてしまい、絵をじっくり見るのが好きなK子ちゃんから「もったいない。私はなめるように読んじゃったけどなぁ」とあきれられた。

そういう人は短編が好きなのか、K子ちゃんは波津彬子とか坂田靖子とかの味のある短編ばかり描くマンガ家さんが好きなようだ。
私も読んでみようとコンプ癖を発揮して少ししか持ってなかった彼女らの作品を「坂田靖子全集」まで含めて収集し(「D班レポート」ぐらいは最初から持ってる)、K子ちゃんに報告した。
「全部読んだ~。さすがに金沢の豊かな芸術が育てた感性は似てるのか、お友達だからか、波津彬子と坂田靖子の英国ものシリーズは絵が全然違うのに中身はそっくりだったよ。あと、マンガの好きな20歳年下の友人に坂田靖子全集貸したら、『村野』が一番いいですね、って言われて驚いた。組織されてないディープなマンガ読みは恐ろしいもんだね」と一気に語ってしまったよ。
「『のどごし』で長編を読みまくるタイプのうさちゃんが、よく波津彬子を全部読めたね!」と驚かれた。
「うん、『村野』はいいよね」とも。
坂田靖子を評価する人は皆「村野」だけ読めばいい、ぐらいの勢いでほめるのだ。
恐るべし、ミセスA。

というわけで長編が好きだ。
しかし、すぐに忘れる。ものすごく忘れる。全部忘れる。
せいうちくんは薬のせいだろうと言う。
でも、ひと晩かかって花田稜の「デビルズライン」全14巻を読んだのに、3日後に「デビルズラインⅡ 逆襲」を読み始めた時は1を全部忘れていた。
今、泣きながらもう1回読もうと第1部をiPad Proに収めているところだ。
「鬼」と人間が共存している社会だが、身体能力に優れ、血を見ると狂暴化する鬼への規制が強まるばかりの世界が描かれている、としか覚えていない。
ただ、鬼と人間の結婚とか同性愛がいろんなところで描かれていて、多様性の時代とはこういうことを自然に受け入れるってことか、と考えさせられる。

途中までで放っておいた白浜鴎の「とんがり帽子のアトリエ」既刊13巻を久々に最初から読み直したら、読んだはずなのに全然覚えてなくて焦った。
試験のところは全部読んでるはずなのに、そのあとのお祭りの話同様さっぱりわからない。
「何度でも楽しめてお得じゃない」とせいうちくんには言われるが、人生で読めるマンガのタイトル総数が減っていくばかりだ。


今回、青池保子の「エロイカより愛をこめて」のトリビュート本を読んだら猛烈に聖典が読みたくなり、読んだら過去のスキャンが気に入らないからって「よりによって、今、買うかね?値が上がってるよなぁ」と思いながら全巻セットを中古で買った。
「良品」とのことだが、最初の10巻ぐらいの紙焼けはどうしようもない。
いったんはスキャナの設定を「シャープ」にして全部取ってみたが、それだと白いところは白いが茶色が固まって残るような感じになり、新しい巻に近づくと妙に生っ白い。
設定「標準」と「自動」も試して、「自動」が一番マシなのを発見し、また全巻取り直し。
やっと落ち着いた「エロイカ」の、結局ふた回り目を読んでいる。
頭の中がごちゃごちゃになるわけだ。

しばらくサボっていた家計簿をやっと去年の12月分までつけたら、何かで自棄になっていたのか、2人ともAmazonで本を買いまくっており、史上初の15万円を計上した。
これまでいくら「本ゲル係数がエンゲル係数より高い」と威張っていても、初期の買いまくり時代はとっくに終わって、せいぜい10万に届くかどうかの金遣いだったのに。
12月ってのが魔の月なのかもしれない。
ほとんどは私の大人買いが原因なので、「もうこれでしばらく大人買いはしないでね」と言われて、やっと買った「エロイカ」だ、しっかり元を取ろう。

今日のうちにせいうちくんが仕事帰りにGくんちに行ってキャラバンを借りてくる予定だから、明日の8時出発(パーキング料金が20時から8時までで300円だから)にそなえて旅の支度をしよう。
そして途中カフェで朝ごはんを時間をつぶし、新宿伊勢丹の開店時間目指して着いて、イチゴ大福を買うのだ。
もちろんCちゃん用以外に我々の分も。
それからGくんがいたら「なんて無駄な旅なんだ!」と怒るであろう、東名突っ走り名古屋行きを敢行するのであった。
(実は怒ってはいないようで、「燃費計をリセットして、高速のみぶーんの燃費データを取ってくれ」と頼まれた。様々なデータを取るのが好きな人だ)

そういうわけで、今週も1日早い更新。
明日のZOOM会もきっと早寝していて出られない。


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