毎日休業うつらうつら日記(2023年3月25日~3月31日)
どうもいろいろ疲れが取れません。いい年をして車中泊なんて無茶にチャレンジしたからでしょうか。でもとても楽しい経験で、せいうちくんなどはすっかりリフレッシュしているので、またトライしてみたいです。とりあえず旅行記は毎週1日分、末尾につけておきます。あと、気力がないので日記が短めなのはお気になさらず。
23年3月25日
前夜のZOOM飲み会、せいうちくんも真面目に参加して、あらためてメンバーに車中泊の旅の報告をすると同時にGくんに深い深い感謝の念を伝えた。
Gくんは自撮り棒で撮っていた動画をずっと背景に流していた。
みんなけっこう興奮し、「もっとデカい車なら大勢行ける」と盛り上がって、車種の検証が始まったので我々は落ちて寝た。
そうそう、一生懸命読み返していた「DUNE-砂の惑星」だが、矢野徹さんの訳は必ずしも読みやすいわけではないし、仲間内では「砂漠の子供たち」以上読んでいる人はいなかったので、私もそこまでにしておこう。
今日はくらぶの古い友達、Nさんの家で飲み会があった。
と言ってもNさんちで飲み会をするのは初めてのことで、彼が今度、故郷で寡婦となったお母さんを東京に呼び寄せ妹たちと力を合わせて看ていくのに、独り者の彼が同居するのが一番いいだろうとなって新しく3LDKの部屋を借りたのだ。
彼が引っ越し、お母さんが実際に来るまで少しタイムラグがあるので、広い家での独り暮らしのうちに宴会をやらせてもらおう、というプランだ。
彼の新居まで、我々は自転車で行った。片道1時間。
私は例によって電動を使ったがせいうちくんはほとんど足の力だけで走ったようだ。
帰りにさすがに坂道がキツくて少し使ったら、そのあとはずいぶん甘えてしまったようだが。
メンツはいつも落語を一緒に聴きに行くK子ちゃんを含めた4人に、たまたま今は名古屋から単身赴任で東京に来ているFさんが来てくれた。
Nさんとはくらぶの同期で、会うのは久しぶりなようだ。
Fさんの変わらぬおだやかな、ボケのようで鋭いツッコミが炸裂し、何度も爆笑が上がった。
とにかく天然で優しく、素朴な人なのだ、Fさんは。
斜に構えたNさんもFさんの発言には弱い。
楽しいメンツとなった。
奇しくもまったく同じ5人で30年以上前にFさんが働いていた御前崎付近に遊びに行ったことがあり、ちょうど掛川に単身赴任していた私の父親のマンションが留守で空いていたので宿に使わせてもらった。
当時の写真を10枚ほど選んで持って行き、NさんのPCで見たら、
「若い!」「細い!」「恰好が流行りな感じ」「しかしせいうちは変わらん」といった感想が次々出た。
海水浴にも行ったので貴重なK子ちゃんの水着写真も公開された。
あの時溺死したての人が出て救急車が来るまで一緒に人垣の中から見ていたんだが、K子ちゃんはそういう過去のことはどんどん忘れていくらしい。
あんな印象的なことを!
家主のNさんはお母さんがもう料理はしたくないと言っているらしくて、現在料理の特訓中。
卓に並んだれんこんのきんぴらやほうれん草とオクラの胡麻和え、刺身、高野豆腐の煮物などは大絶賛を浴びた。
私も明太大根サラダを下ごしらえして行ってNさんちのキッチンで和えるとこだけやらせてもらったが、あんなに大御馳走が出るんだったら持って行かなくてもよかったかな。
圧巻は鶏手羽元と大根の煮物。
「居酒屋 N」は完璧だった。
「おふくろが食器をたくさん持ってくるから」とお皿の数が最低限なNさんだがなぜか日本酒のお猪口だけは10個ぐらいある。
もうちょっとでカゴに入れて「好きなの取ってください」と言ってくる居酒屋に到達しそうだ。
瓶の中に氷水入れて日本酒を上部のガラス部分で冷やす冷酒器まである。
私だけビールで、皆さんは日本酒をぐいぐい空けていた。
何やら美味しい日本酒が出ていたらしい。
九州生まれ広島育ちのNさんは今はパ・リーグが好きだそうだ。
一丸となってお互いにプロ野球を盛り立てていこうという気風がいいんだって。
セ・リーグの某球団のように自分の推し球団が絶対に勝たないと機嫌が悪いファンについてディスってしまった。
やはり、負けた試合でも良い試合は良かった、と思えるファンでありたい。(野球に全然興味がないけど)
せいうちくんがFさんから借りていた昔の先輩方のリレーマンガをファイルごと返して、みんなで眺める。
皆さん、絵が上手かったなぁ。
「56入学」と呼ばれるNさんやFさんの代には絵が上手く、きちんとマンガになっている人が多かった。
これがなぜかせいうちくんたちの「57」になると人数だけは多いのだがマンガの腕でも個性でも目立たない人がやたらに多かった覚えがある。
5時間ほど楽しい時間を過ごして、うちが持って来たレーズンサブレやK子ちゃんが作ってきてくれた林檎のコンポートもあらかたはけたところで、お開き。
Nさんは長いこと独り暮らしをしていたせいか、食器の置き方がガチャガチャと乱暴で、お皿を洗う時はまるで叩き割っているような音を立てていた。
最初は機嫌が悪いのかと思ってびっくりしたよ。
それに、20年間マンションの1階に住んでいた人の足音は4階に住むにはやや不穏当にどしんどしんしていると思う。
早晩、下の階の住人から文句が来るんじゃないだろうか。
まあそんな様々な心配も立派に料理してお母さんに食べさせようとしている姿勢の前には吹っ飛ぶ思いだ。
ただ、同居が始まったらもうこの家に遊びに来ることはできまい。
またうちででも飲み会をしよう。
Fさんもしばらく東京にいるそうだから、また一緒に遊ぼうね。
23年3月26日
せいうちくんが10時に起きて、5月にある春風亭一之輔さんの落語のチケットを4枚取ってくれた。
会員1人当たり2枚のシバリがある柳家喬太郎さんほどは、まだ厳しくなってない。
無事取れたので、昨日のメンツのうち落語会の人たちに連絡する。
今回はチケットにゆとりがあったのでFさんも誘ったんだが、あいにく用事があるようだ。
喬太郎さんだと我々2人がかりで4枚しか取れないからお誘いできないんだよね。
まあいつものメンツには喜んでもらえたので、また開催しましょう、落語を聴いてそのあと蕎麦屋で飲む至福の会を。
23年3月27日
こないだの旅でも高速をちょびっとだけ使ったが、これまでは身障者手帳でも自家用車を持っていない人、つまり特定の車とETCカードが紐づけされてないケースでは高速料金の割引が受けられなかった。
なんとなくそれが不思議な気がして調べていたら、法令が緩和されて、あらかじめ手帳で手続きをしておけばレンタカーやタクシーでもETC割引が使えるようになっているのを発見した。
さっそくせいうちくんに伝えると、なんと今日から手続きが開始されるようだ。
来週の箱根行きに備えてぜひやっておきたい。
「今日調べて、今日からの実施?」とせいうちくんはなんだか神様を見るような目で私を見ていた。
けっこう引きが強いのよ。
ただ、手帳の提示が必要なため、有人ゲートを通らなければならない。
先日一緒に車中泊の旅をしたGくんは「それはETCではない」という意見。
まあいいじゃん、今度車中泊をする時には何かと便利かもよ。
23年3月28日
夜、せいうちくんとそれぞれの読書をしながら森田童子を聴いていた。
細い、心の中の孤独に直接すべり込んでくるような声は、私たちを遠く過去に運ぶ。
結婚を反対されてせいうちくんが家出してきて、私のアパートだけでは狭いので近所に4畳半を借り、1回の試験期間で残りまくった60単位以上を全部取らないと卒業できないという絶体絶命の危機だった冬。
なんとか今の会社から内定をもらっていたせいうちくん、8年目の学生生活に入るわけにはいかなかったのだ。
私の部屋から持って来たガスストーブの上でヤカンがしゅんしゅんと音を立てて湯気を吐いている部屋の中、せいうちくんは時々そのヤカンから湯呑みに白湯を汲んでは口に運んでいた。
寒いので背中に布団をかぶり、ちゃぶ台にかがみこんでいる後ろ姿を見ながら、精神状態が悪くて休職中の私はずっと本を読んでいた。
流れていたのは森田童子と中島みゆきだけだった。
世界に2人だけで漂流しているような時間。
お互い、相手だけがこの世で確かなものだった。
その気持ちのまま今日に至っているのは本当にありがたい。
あの頃とは別世界のような住み心地のいいマンションの広いクィーンサイズのベッドでそれぞれの本を読みながら、
「あれが2人の原点だね。いつまでも思い出すよ」と声を掛け合っては過去にトリップする、不思議な晩だった。
23年3月29日
心療内科の通院日。
車中泊旅行の話をしたら、
「ご主人、ちゃんと約束を守って楽しいイベントを作ってくれてるんだねぇ。そういうの、いいよ」とほめられた。
「幸せな時や楽しい時のあと、すごく不安なイヤな気分になるんです。主人は『そういうのはお母さんが邪魔をしに来てるんだから、計量カップにおしっこを入れて相手の襟首から流し込みなさい。直接かけると飛び散ってあとの掃除が大変だからね。そうして、「おかえりください」って凄味を利かせるんだよ』と言ってます。私はアルミの200ccカップを想像してたんですが、わざわざパイレックスの500cc入るヤツを持ってきて目の前に突きつけ、『これでかけるんだよ』と言ってくれました。具体的で、いい撃退法だと思いました」と語ったら、ドクターはあきれていたようだ。
「夫婦でもそこまであからさまに言う人たちはめずらしいよ…あなたたちはいいペアだね」だそうだ。
何ならもっとものすごい下ネタばっかり言って暮らしているのだが。
また、夜中になると不安と怖さで「ギャーッ!」と叫びたくなる、と話したら、
「あんまり薬は増やしたくないんだけど、この1年はしょうがないからね…」としぶしぶ抗不安薬の頓服を追加してくれた。
あまりのまないように心がけたい。
散歩がキライだが足を鍛える必要があるので、ダスキンで「シックスパッド」なるひざ下の筋肉を鍛える機器をレンタルしてみた。
3300円。
1カ月使ってみて気に入ったら4万円ぐらいでお買い上げしなければならない。
長期のレンタル等はなし。
使ってみて、けっこういいとは思うのだが、同じような機能のモノをセコハン屋で199円で買ったと友人が記事に書いていたのでちと凹む。
せいうちくんは珍しく買え買えといってくれるのに、こんな高いものを買っている場合だろうか…
使わないモノが増えるのがキライなだけのせいうちくんもこれを試してみて、一時期流行ったおなかの脂肪を燃焼させるという「アブトロニック」などとは違い、本当に筋肉繊維に働きかけていると言って感心していた。
「あれば僕も使うよ」と言うし、FBに上げてみたら意外と多くの友人たちが持っていたり使ってみたりしたことがあって関心が高いようだ。
ただし、1カ月ほどで飽きる人が多いので中古市場に流れがちで、だからパチモンだと199円で買えたりするのだろう。
ダスキンレンタル期間が過ぎるのを待たずに、中古を購入することにした。
まったく同じものが1万3千円ぐらいでAmazonで買える。
ダスキンさんに4万円払うよりずいぶん節約できる。
しかし毎日使わなきゃいけないからなぁ。
またせいうちくんに捨てさせるのも気の毒だ。
とりあえずテレビを観ながらすぐ使えるように、ソファ前のテーブルの棚に置いておくことにした。
これならすぐにセットしてテレビ中の20分を費やせばいい。
膝の軟骨がすり減り切っている関係で左右の足の長さがすでに違ってしまっている状態なので、歩くと右の脛のあたりに無理がかかって痛いのだ。
少しでもマシになるといいんだが。
23年3月30日
今日ものらりくらりと過ごした。
せいうちくんは私の身障者手帳を持ってETCカードの手続きをしたり役所関係の仕事をたくさんすませてきてくれた。ありがたい。
その間にオノ・ナツメの「ACCA13区監察課」全6巻と「BADON」最新7巻までを読んでぐうたらしてて申し訳ない。
食料品の買い出しまでしてきてくれた。
友人から借りた島袋全優の「腸よ鼻よ」7巻までをやっと読み終えた。
週末に温泉旅行で息子に会うまでに、借りている十日草輔の「王様ランキング」15巻まで(12巻がとんでいて13巻までしかないんだが、現在出てる分は増やして返すって約束した)を読まなきゃならない。
愛読者である息子夫婦と話をしたいから。
なんだか、今の若者は心が純粋できれいで繊細なんだなぁって思うよ。
昔はドラえもんでSFだったけど、今は王様でファンタジー、って感じ。
23年3月31日
今日はせいうちくんの会社の元先輩であるSさんとディナーだ。
大元は、大河ファンのSさんが「今年の家康にはがっかりだ。もう観ない。大奥を代わりに観る」とFB上で発言したこと。
我々も大河は毎年観るが、ここ数年でダメだと思ったのは「西郷(せご)どん」だけだった。(林真理子の原作はそれほど悪くなかった。すべて鈴木亮平が悪い)
「どうする家康」も最初はついて行けないかと思ったが、3週間ほど我慢してみていたらこれが思ったより断然イケた。
せいうちくんはSさんに、「『どうする家康』にもう一度チャンスを与えてやってください。それでもなおダメということであれば、お食事を1回ご馳走します」とお願いした。
結果は惨憺たるもの。
「やはり無理です。これはもう、画像や色調に関する好みの問題ですのでどうしようもありません」という答えだった。
というわけで、Sさんとアレンジし、夕食をご馳走することに。
「大奥」ファンのSさんに敬意を表して原作者よしながふみ大推薦のフレンチを選んだが、Sさんは「大奥」の原作を読んだことがないらしい。
これはすべての原作未読ドラマ「大奥」ファンのうらやましいところで、私は秋からの第2シーズンに向けて「大奥」断ちをしているぐらいだ。
読んじゃったらまた細かいことを思い出して、キャストからセリフから脚本から文句を言いたいところをたくさん見つけてしまうだろうからだ。
第1シーズンでも、何かというと登場人物のセリフを先につぶやいてしまうほどの読み込みようなので。
明日はSさんと楽しくドラマ「大奥」の話をしてこよう。
せいうちくんには「間違っても『もう一度だけお願いします。家康観てください』などという野暮なセリフは吐かないように」と注意してある。
吉宗の素晴らしさ、久通の忠義、家重の名演技、綱吉と右衛門佐のロマンス、杉下の温厚な人物ぶり、そんなところを熱っぽく語れたらいいなと思っている。
【23年3月14日・車中泊1日目】
Gくんとせいうちくんと私、3人での珍妙車中泊が始まった。
安いというガッツレンタカーで軽バンを1週間借りて、事前に自宅でつっぱりポールに黒い布に穴をあけてアイロンで折り目をつけたものを通し、車内に目隠しカーテンをつける等の準備をバッチリやってくれたGくんが、埼玉から西東京の我が家までわざわざ迎えに来てくれたのが午前8時。
ほとんど車を停める余地のないマンションの駐車スペースで、大急ぎでこちらは用意の敷布団2枚と掛布団2枚を積み込む。
3つ折りにした敷布団で押さえつけたらやたらにかさばる羽根布団がおとなしくなった。
あとは我々がそれぞれ着替え等を詰めたパンパンのリュックを積み、寝袋を2つ持ち込む。
ひとつは息子から借りたかなりの寒さに耐えるものだ。
軽く食べ物飲み物を用意して、後部座席に座る私の横に乗せる。
Gくんの大型バッテリーも置いてあり、座席はけっこう狭い。
いざ出発!
車中泊にはできるだけお金を使わない主義のGくんも、今回は第一の目的が房総半島とあって、アクアラインだけはどうしても通らざるを得ないらしい。
「道の駅に足跡を残す」のも彼の趣味のひとつなので、海ほたるの「道の駅」に立ち寄るのは大きな意味があるらしく、そこでなんとか貧乏旅行主義と折り合いをつけてくれた。
大海原を背景に、彼愛用の自撮り棒で3人のショットを撮っての始まり。
房総半島に入るとさっそく某企業が去年「赤い水」を流出させてしまった時の看板に立ち寄り記念撮影。
近くには古い社宅群がある。
すっかりさびれて廃墟のようになり、かつての日本の企業社会の栄光、その亡霊を見る思いだ。
少し戻ったところにある三井アウトレットパークに立ち寄る。
3人が3人ともアウトレットで物を買いたがるようなタイプじゃないんだが、いったいどういうところなのかをお勉強しに行ったのだ。
那須のアウトレットで息子の妻がまだカノジョだった頃、無理やりスカートを買ってあげたことを思い出す。
その時買った赤い鍋も毎日重宝に使っているし。
いやー、それにしても三井だからなのか、ブランドショップばかりが並んでいて度肝を抜かれた。
せいうちくんはほとんどのブランドの店名も読めなかった様子。
山道を行くと、古びたトンネルがあった。
こういうところの大好きなGくんは自撮り棒につけたスマホをかざしてどんどん入って行く。
向こう側が見えるぐらいの短いトンネルだが、ゆるくカーブしていてその先は見えない。
ついて行こうと思った我々は突然怖くなった。
こういうところに入ると、「何かを連れてきてしまう」ことがあると言うではないか。
とりあえずGくんが戻ってくるのを待とう、いや戻ってこなかったらさらに怖い、などと言って佇んでいたらある点に気づいた。
我々が入らなくてもGくんが「連れて戻って」きたら旅の間中その「何か」と一緒にいるわけで、もしかしたら自宅へ連れ帰ってしまうかもしれない。
つまり、Gくんが入った時点でもう手遅れなのだ。
諦めて2人で後を追う。
トンネルの向こうにはさらに天然石が縦に割れた裂けめのようなトンネルがあった。
さっきからうろうろしていた女子3人組が私に「写真撮ってくれませんか~?」とスマホを差し出してきた。
免許を取ったのをきっかけに初ドライブをしに来たそうだ。
向こう側から陽の差すトンネル内の3人は確かに絵になった。
岩肌を撮影しているGくんを指して、
「手前のトンネルが怖かったから、あの人を先に行かせて様子を見てたの。戻らなかったら見捨てて帰ろうって」と少し盛って話すとすごくウケる。
「やだー」「ヤバいー」と黄色い声を聞くのはいいもんだ。
あとからGくんが憮然と語るところでは、彼女らはこのあたりで2度、彼とすれ違っているそうだ。
しかし「写真撮ってください~(きゃぴ)」とはならなかったんだって。
まあそりゃそうだろうなぁと思いながら、おばさんという立場はコミュニケーションの場でかなり最強の立場なのだとあらためて感じた。
老人だろうが若い子だろうが子供だろうが、誰に声をかけてもかけられても事件になりにくい。
これからもこの立場を活用して社会の活性化に役立って行きたい。
引きこもりの身が許す限りにおいてだが。
ぶつくさ言ってるGくんの運転で山道をさらに進むと広い道に出た。
「保田(ほだ)小学校」というところに行ってみると、そこは学校博物館みたいになっていて中に入って見学できるようになっている。
おまけに宿泊施設も兼ねているらしい。
廃校を利用した村おこしだろうか。
置いてある平均台を3人で渡ってみて、還暦のバランス感覚はすでに小学生を大きく下回るのを再発見し、みんな少し凹んで帰る。
いつかこの宿泊施設に大勢できたら楽しいだろうなぁ。
食事は「給食」っぽいものが出るようだし。
並んでるガチャポンで「書道セット」が欲しかったんだがゲットしたのは「朝顔セット」。
まあいい、帰ったらトイレに飾ろう。
そこのでかいスーパーで夜のごはんと酒を調達し、そろそろ寝ることを考えるべき時間だとGくんに言われる。
暗くなってしまっては寝床の設営が難しい。
かと言ってあまり日が高いうちから飲み会する気満々で道の駅に停めてるのは、「休憩、仮眠」だけが許されている場所にふさわしくない行為なのだと。
まあ、酒飲んじゃったら「私たち、朝までここに居座るつもりなんです。運転は続けません」って意思表示だよなぁ。
綺麗なトイレ(と強調する)に尻ポケットに入れたスマホを半分水没させるという生まれて初めての事故に遭い、少しうろたえた。
しかしちゃんと作動していて、壊れた様子はない。
念のためしばらく電源を落としておいて、とにかく乾かす。
結局、旅の間中特に不調はなかった。
もしかしたらちょっとバッテリーの減り方が早くなったかもしれない。
夕闇が迫る中、ささっと軽バンの後部座席を畳んでフラットな広い荷台を作り、布団を2枚少しずらして敷いて、なんとか3人がぎゅうぎゅう詰めのオイルサーディン状態で寝られる空間を確保する。
Gくんが事前にレンタカーにつけておいてくれたツッパリ棒とフェルト布のカーテンを閉めると外には明かりが漏れない。
充電式の平ぺったい長方形のLEDライトが3本用意してあって、マグネットで天井に着けると車内は明るい。
さすがはディープな経験者だ。
各々買っておいた寿司やパンを食べて夕食。
トイレもすぐ近くで、いつでも行ける。
酒盛りが始まるのかと思ったら、いつもZOOMではへべれけになっているGくん、車中泊の間はそんなに飲まないのだそうだ。
「酒が残ったら、明日、運転できないじゃないか!」とのこと。
まあそれでも軽くビールぐらいは飲み、少しおしゃべりをして、用意の寝袋までは必要あるまいと皆、昼間の格好のままで布団に入る。
朝が早いので21時には就寝。
Gくんによると3人が交互に「足、頭、足」を運転席に向けて寝れば一番空間が節約できてまさに缶詰のサーディンなのだが、私が「どうしてもせいうちくんと同じ方向に頭を向けて寝たい」とわがままを言ったのと、せいうちくんが絶対に私とGくんの間に寝ると言ってきかないのとで、ちょっと変則的な寝方になった。
せいうちくんと私はいつも家でそうしているように身体の横側を下にして向かい合ってくっついてひとつ布団で寝た。
Gくんはもう1枚の布団をかけて寝ていたが、1時間後ぐらいにみんな、ガバッと起きた。
「暑い!」のだ。
寒さ対策ばかりして房総半島の温暖な気候をなめていたのが間違い。
各自上着を脱ぎ、せいうちくんなんか珍しく半袖Tシャツで寝たぞ。
うちでは真夏でも長袖パジャマなのに。
これでやっと少し快適になり、ひと晩目はこうして過ぎて行った。
本日一番印象に残ったのは、昼頃に私が、
「楽しい!すごく楽しい!」と喜んでいたらGくんが冷めた口調で、
「そんな甘っちょろいセリフをほざけるのも今夜までだ」と答えたこと。
多人数車中泊はひと晩目から先が地獄って意味だろうか。
どきどきわくわく。