見出し画像

年中休業うつらうつら日記(2024年3月23日~3月29日)

24年3月23日

前夜の定例ZOOM飲み会にはちょこっとだけ参加。
だって、明日インプロコントに参加させてもらうつもりなのに、主宰本人の息子が急に泊まりに来るんだもん。
前夜の下北沢から近く、今日の早番の職場に近いので効率よく睡眠をとりに来たようだ。
22時前に来て、ごはん食べてお風呂入ってそのまま寝て、今日は朝6時に起きて食事とシャワーを済ませて出かけていった。
話す暇はほとんどなかった。

息子が風呂に入ってる間だけ入ったZOOMでは、長老がやっと文庫が出たからと劉慈欣の「三体」第一部を買って読んだようなので、感想が聞きたかったのだ。
やはり非常に面白かった、第二部も楽しみ、とのこと。
その時入っていた4人中、長老と私しか読み終えてないので、何を言ってもネタバレになりそうで、避けた。

しかし、文化大革命のシーンから始まるのは有名な話だから大丈夫だろうと、長老が教えてくれたオモシロ話としては、中国国内版と海外版では翻訳が少し違うという。
我々も読んだ「海外版」では文革から始まるわけだが、本国では多少刺激が強すぎると判断されたのか、あのシーンは中ほどにちょろっと挟んで目立たないようにしてあるそうだ。
「天安門はまだ言えないが、文革にはある程度言ってヨシ」な雰囲気だと聞いていたので、「それでもそこんとこ気にするんだー!」と驚いた。

これだけならネタバレにもならんだろうと、長老に「智子さん」と言ってみる。
「おう、智子さん。智子さんは大活躍だのう」と満足そうだった長老。
皆さん、面白いから早く読んでね。

父親が創刊2年目からSFマガジンをコンプリートしているような人だったので、中学生の頃には金背銀背にハマる贅沢もできた。
アシモフブラウンハインラインあたりは全部読んだし、本棚はどんどんハヤカワの水色文庫背で埋まっていった。
ファンタジーは苦手で、友人Mちゃんが貸してくれた「最後のユニコーン」が読めなかったのでそう言ったら、長老に「おまえみたいなヤツを『SFのSだけ』って言うんだ」といじめられた。
マキャフリイを最後にSFが読めなくなったのはサイバーパンクが悪いんだと思う。
そんな30年以上のSFインポ状態を、「三体」は見事に治してくれた。
まだ、他のSFが読めるほどには回復しそうにないが。

その話は置いとくとして、朝の6時半のバスに間に合うように息子を送り出し、せいうちくんと堂々と二度寝。
彼はしばらく起きてPCの調整や書類仕事をしていたようだが、私は出かける時間直前まで寝ていた。
やはりものすごく緊張しているらしく、息子が泊まってったことでいっそう緊張は高まってしまった。
夕方、Gくんちに彼が車を借りに行くというからなおさらだ。
妻と友人を伴って山形に演劇を観に行くとは聞いているが、夜遅くまでお店でライブをやったあとの出発では大変だろうと思っていたら、夕方Gくんちで車を借りて、下北近くの別駅あたりに停めて駐車場代を安く上げたうえで、いったん大宮に帰って寝てから朝出発になったと聞いてひと安心。


15時ごろ家を出て、下北沢へ。
あいかわらず駅前の風景がすっかり変わったのに慣れずにいる。
「こんなに人がいる下北沢なんて下北沢じゃない!」と40年前に住んでいた者としても声を大にして言いたい。


まずは「珉亭」でラーチャンを食べよう。
せいうちくんは「やっぱりラーメンは大盛りにする」と張り切っている。
昔は2人でそれぞれラーメンとチャーハンを大盛りにしてもらい、大盛りの器を両方せいうちくんの前に置いて食べていたものだ。(両方大盛り、ってのはやってなかったので、裏技)

お店の前には西洋人のカップルがおり、ウェイティングボードを見ると名前を書いていないようだ。
せいうちくんが「Waiting?」と声を掛けると「Yes」と言うので、「ここに名前書くんだよ」ってジェスチャーで示して、我々の前に名前を書いてもらった。
男性の方とせいうちくんが話していたようなので、「何話してたの?」と聞くと、
「どうしてこの店を選んだのか、って僕が聞いた。通りすがりらしい。勇気と選択眼のある人たちだ」って。
「We love this restaurant for long time before」って言ったら「Nice choice?」って聞かれたから「Very nice choice!」と自信をもって答えたそうだ。

私からは「We recommend the combination of RAMEN & CHAHAN, called RA‐CHAN」とお伝えしておいた。
「Two dishes, one order?」「Yes, It’s very nice!」
彼らは先に2階の座敷に案内されたようだが、さて、ラーチャンを食べただろうか。
我々も次に呼ばれて、1階のテーブル席で変わらぬラーチャンに舌鼓を打った。
さすがに値段は上がっており、このオーダーで2千円を超えた支払いを初めてしたよ。


それから昔、私が住んでいたアパートを見に行く。
下北沢に来て時間がある時はたいてい来てみる。
住んでた頃にすでに築30年ぐらいは行ってたから、40年たった今では70年物の木造2階建てアパートが、まだそこにあった。
私が住んでいた2階の部屋にはエアコンの室外機があり、部屋の明かりもついているので住人がいるのだろう。
そろそろ空き部屋が目立ってきて、大家さんとしては新規入居は断って取り壊すつもりかなぁと思う。
せいうちくんが足しげく泊まりに通った部屋が、いつかなくなってしまうんだね。

次は喫茶店「パルファン」詣でだ。
せいうちくんと始めて会った頃から通っている。
すっかり土地勘を失った下北沢の雑踏をなんとかくぐり抜けてたどり着いてみたら、「休店日」。
そうだー!ここはマスターが趣味でやっているので、土日と水曜休みという実に気ままな経営をしているのだった。
最近あまり来られないのは我々が来るのはたいがい週末だからで、なぜそのことをすっかり忘れていたのか!
とんだ無駄足をしてしまった。

完全に様変わりした下北で、我々が昔から知っている喫茶店と言えば「カフェ・トロワ・シャンブル」しかない。
今どき珍しい喫煙可なので、息子も実は愛用しているらしい。
階段を上がったところのテラスに5人ほどが列を作って待っていたが、そこにも灰皿が置いてある。
「こんないい環境で待たせてもらえる店はないね」とせいうちくんに言いながら、3本ぐらい吸ったところで席が空いた。
一番奥の、詰めれば4人座れる窓辺のコーナー。大好きな席だった。

Gくんとこに車を取りに行っているはずの息子から、ちょうど「隣の駅周辺に停められた」と連絡が来た。
「よかったね。こちらはトロシャンで4人席に座る贅沢をしているよ」と返したのは、もしかして息子が寄ってってくれないかなというほのかな期待というものだ。
さすがにライブを控えてまったく時間がないようで、「いい席だね!」という返事以外は来なかった。


「基本、開場時間の19時半でいいんだけど、19時15分ぐらいに入るとちょうどいいかも」と言われていたのでその時間を目指したが、トロシャンのトイレが混んでいたこと、支払いにちょっと手間取ったことで5分ほど到着が遅れてしまった。
ちょうど「一般参加の人たち」向けにお話があったところらしく、
「遅れてすみません」と言ったら、息子に「大丈夫大丈夫。そんなにいろいろは話してないから」と言われたが、気になるじゃないか。

上着を掛けたりしている間に一般参加の人が3人、集まっているようなので、恐る恐る聞いてみる。
「一般参加の方たちですよね?どんな諸注意でした?」
息子が話しておいたのか、「ああ、お母さんですね!今日はよろしくお願いします!」と言いながら、「演者の方たちが必ず回収してくれるから、好きなように演じていい」と言われただけだと教えてくれた。

なんと、3人のうち2人は息子の高校の同期だった!
「Sです」って男性、名前よく聞いた覚えがあるよ。息子と仲良くしてくれてた人だよね。
「Nです」って言う女性は、「実は息子くんとは在学中に話をしたことはないんです。でも、演劇とかのつながりで卒業後Xで彼のやっていることを知って、やり取りするようになりました。今回も、『出なよ!』って誘われて、やってみようと思ったんです」って。
もう1人の男性は、これは素人とは言わないな、演劇関係のつながりの人だ。
みんなで「今日は頑張りましょう!」とエールを交わす。

入場料1500円はせいうちくんが2人分いつの間にか払ってくれており、バーカウンターで買ったジム・ビームのハイボールをちびちびやっているようなので、私もウーロン茶を買い、高校同期の女性と高校の思い出話をしている間に開演の時間となった。
30席ほどのキャパはほぼ満席のようだ。

今夜は「りんけん(この日記上で息子の名前を出す必要がある時に使う仮の名前)寄席」ということで、普段は音楽や踊り、コメディや怪談などいろんなパフォーマンスを広くやるステージで、「インプロコント」に特化した、息子「林賢」が仕切らせてもらう晩だ。
林賢が元気よく出てきて、前説や諸注意を述べる。
「お写真や動画はこういう前説やメンバー交代の時には撮っていただいてまったくかまいませんが、肝心のコントの場面になったら、どうぞ何よりも高性能な、皆さんの『まなこ』でじっくりご覧ください」とのアナウンスに、事前に「お母さんの出演場面、動画撮ってもいい?」「全然かまわないよー」と言われていた我々は少しビビる。
「まあ、禁止じゃないからいいんだろう」とゆったり構え、まずはメンバー紹介から聞く。

息子のコントグループ6人に、他のコンビから単身出演してくれる人、ソロでやってる人、主に演劇をやっている人などが加わり、全部で13人が舞台上に並ぶ。
あらかじめ決めてあったAチーム、Bチーム、Cチームと5人、4人、4人に別れ、まずは息子も入ったAチームが舞台上に残り、お客さんから「お題」をいただいて即興でコントを作り上げるインプロコント。

最初のお題は「卒業式?」(「はてな」が重要)で、息子が始めたのは「戸塚ヨットスクールの卒業式」。
場が沸いたので、「みんな、戸塚ヨットスクールって知ってるの?その年頃で?」と驚いたんだが、「100人いた生徒が3人になり、卒業生となります。しかし、モーターボート競技は来年から中止になります!」と校長役の息子が言うので、怪しくなってきた。
あれは、親の手に負えない子供を放り込んで人格を矯正してもらう怖い学校だぞ。
死者が出たことからつぶれたんだぞ。
「戸塚に、もう海はないんです!」って、地名の戸塚じゃないから。もともと戸塚に海はないから。学園長が戸塚さんだった、戸塚ヨットスクールだから。
やはり世代差間の誤解は様々にあるようだ。

途中でメンバーを2人ずつ入れ替えながら、全部で7本ぐらいのインプロコントを観た。
特に記憶に残っているのはお題「お墓参り」に対して「リモート墓参り」を勧めるセールスマンの話と「おなかすいた」というお題に対する「西武動物園のホワイトタイガー」。
前者は「あなたも『参りスト』ですか?」「お茶でもお饅頭でも投げられます」「マイルがマイリとして貯まっていきます」という数々の名セリフがあったし、後者は「もしかして『注文の多い料理店』になるのかな?」と思っていたら、ベビーホワイトタイガーが生まれてパパと認識された飼育員がタイガー一家全員に食われてしまう、というハチャメチャさが面白かった。

そのあと、一般参加の人たちが1人ずつ呼び出され、さっきまで演じていたメンバーの中から5人まで好きな人を選んで、お題をもらってインプロコントを体験してみることになる。
息子は、
「今日は嬉しいことに僕の母も参加してくれます。インプロコントが家族でも楽しめる演芸だと分かってもらえると思います。繊細な人なので、思いきり大きな拍手をお願いします!」とわざわざアナウンスしてくれた。

一般参加、みんな上手い!声もすごく出ている。
「林賢くんとは高校が同じでした」と自己紹介した女性には、「林賢くんはどんな高校生でしたか?」と、お題とも質問ともつかない声が上がり、それをそのままお題として使った。
女子大生が、大学の男性を好きになった気がするので彼と同じ高校の友人に「林賢くんって、どんな高校生だった?」とヒアリングを行うコント。
カフェの店員さんが実は林賢と同高で、「卒アル持ってきました。そこらじゅうに写ってますね。柔道部で、後輩にあばらを折られたヤツですよ」と教えてくれる間にも林賢の今カノが現れて…というコントになった。

3人目がステージに呼ばれる、そのタイミングでトイレに行っていたら、せいうちくんが動画撮影のことを気にしていたらしくて「お母さんの動画を撮ってもいいですか?」とこれまた質問だかお題だかわからないお題を出したようだ。
戻ってきたら林賢が、「『お母さんの動画を撮ってもいいですか』!もちろんいいですよ。さて、これをお題にいただいて、インプロコントを始めましょう!」と笑い声が盛大に起こる中で楽しそうにしゃべっていた。
演劇をやっている一般参加の人が中心になって、「運動会は撮影禁止だけど、お母さんが玉入れに参加するところを撮りたい」と生徒が訴えるコントが出来上がった。

いよいよ私だ。
呼ばれると盛大な拍手が起こる。
ステージで息子にマイクを渡され、「お母さん、自己紹介と志望動機を教えてください」と言われたので、名前を言い、「林賢がいつも軽々とやっているので軽々とやれるかと思って試しに出てみましたが、案外ハードルが高いようです」と言うと、「自分で上げちゃってるんだよ」と林賢が笑いを取りに来る。

「メンバーは、誰を選びますか?」と聞かれて、「そりゃあ、まずはあなただよ」と息子の手を取るだけで爆笑。
あとはよく息子と一緒にコントやってくれる、劇団主宰の女性のファンなので「一緒に舞台に立つのが夢でした。Uさんお願いします!」と、息子のコントグループの一員、こないだ京都で結婚式を挙げたばかりの男性を「大好きなNさんでお願いします!」と指名させてもらう。
私を含めたこの4人でやることになった。
お題はお客さんから「せいうち一家の日常」をいただいた。(息子が「昨日、もうやってきたよ!」と合いの手を入れていた)

結局、「10年前に家を出ていってしまった息子から『オレオレ詐欺』まがいの電話がかかってきたので、『お父さんが会社のお金を使いこんで先物投資につぎ込んでしまい、すってしまったため、定年直前に首になって退職金ももらえず、会社に弁償もしなくてはいけない。息子が1年間マグロ漁船に乗って稼いでくれたら助かるんだけど』と我が家の実情をそのまま話したら『間違い電話でした』と切れてしまった。しかしお金は必要なので電車に乗り合わせただけの若い男を海辺に連れてってマグロ漁船の船長に『頑丈そうなのを連れてきました』と引き渡す」という話を繰り広げ、息子の本名を最後になんとかオチに持ってきて終わった。
もちろん好意的な大拍手が起こった。

「これがせいうち家の日常だと思われちゃうじゃないか!」とステージ上で息子に振られたので、
「高校やって大学やって、ゲーム会社に就職したと思ったら3か月で辞めてきて、働かないから怒って家を追い出したら急にNYに行くと言い出した、こんな生活がマグロ漁船にどこが劣るというのでしょうか!」と力説してきた。
いい拍手、もらえたなぁ。

そのあと全員で「We are the World」を歌うコントをやって、おしまい。
一般参加の人たちからひと言、とマイクが回ったので、自分の手元に来た時に、
「なんかネガティブに語っちゃいましたけど、サラリーマンやってたら職場に仕事姿を見に行くわけにもいかないし、一緒に仕事することもできない。この仕事を選んでくれて本当にありがたいと思っています」と言い訳しといた。

二次会に入り、せいうちくんの飲み物を買いに行こうと思ってバーカウンターに向かったら、客席のすみに息子妻がにこにこと立っていた。
「お母さん、何とか間に合いました。お母さんのコント、観ましたよ。面白かったです!」
「ありがとう。Mちゃんも今度やってごらんなさいよ。面白いよ~」
「無理無理無理。無理です!」
「ちょっとだけ林賢の目線で世界が見られるよ。ぜひぜひ」
「無理無理」とやってる間に、彼女の分も飲み物を買って、せいうちくんのところに戻る。
Mちゃんとせいうちくんはご挨拶を交わし、息子とMちゃんが何度か一緒に旅行に行ったというAさんという男性と3人で話し始めた。

私は、1年以上前のライブで詩の朗読をしてくれた美男子の詩人を見つけ、横にすごい美人がいるので、話しかけに行った。
「どうも~林賢の母です。いつもお世話になっております。こないだのライブでバスケがお上手だった、詩人の方ですよね?」と聞くと、
「あっ、観ていてくださったんですか。いやあ」と照れる彼に、美人が「バスケやったの?」と問いかける。
「コントの中でね」と説明する様子は、これはもう夫婦だろう、なんて美男美女のカップルだろう、とほーっと口をあいていたら、「友達」なんだそうだ。

モデルをやっているという美人は非常にフレンドリーで、「林賢くんにはお世話になってます。林賢ママ、面白~い。ママ、座って、座ってください」と椅子を勧められ、詩人と3人で話す格好になった。

それにしても本当に美人だ。
オーラが出てるというか、人間離れした透明感と独特の雰囲気があり、なるほど、商品になるほどの美女とはこういうものか、とやはり口を開けっぱなしにして眺めてしまった。
美女はまた社交的でもあり、いろんな話題を振って林賢のことを聞いてくれる。
詩人も同様だ。
この世のものとも思われない2人に囲まれて、もうマンガの話をするしかないじゃないか!

幸い、2人ともマンガはよく読むようで、詩人のおススメは藤田和日郎の「うしおととら」だった。
息子が好きだから持ってるけど、まだ読んでないなぁ。「からくりサーカス」で力尽きている。
無難な話題として「呪術廻戦」を出し、それぞれの推しを聞くと、詩人は「乙骨くん」、美女は「五条さん」だった。私は「ナナミン」だよ。

年齢の話になってさらに驚く。
てっきり23歳ぐらいだろうと思っていた美女は35歳だし、28歳ぐらいだと踏んでいた詩人は39歳だった。
容貌の美しい人は、年齢を超越するんだなぁ。

美女がしきりに「林賢ママ、お母さんの世代には思えない。お友達と話してるみたい。今度、おうちに遊びに行ってもいいですか?」と肩や腕に触れてくれるので、親密度が一気に増して、これは本当に家に来てもらいたくなっちゃうじゃないか、と思い、
「ダメですよ、あなたみたいに綺麗な人がそんな澄んだ目でじっと見つめて社交辞令を言ったりしちゃあ。本当にしちゃうじゃないですか」と大真面目に言ったら、
「えー、私は思ったことしか言いませんよ。ママのおうちに遊びに行ってみたいです。そうだ、連絡先交換しましょう!」とあれよあれよという間にLINE友達になってしまった。
勢いで詩人ともLINE交換をし、「みんなでマンガの話をしたら楽しいですね」と言うと美女があっという間にグループ「マンガを語らう会」を作ってくれた。
もう、くらくらしてきたので、いったん撤退してせいうちくんのところに戻る。

先ほどの息子の旅友達とまだ話し込んでおり、Mちゃんは他の人たちに挨拶に行ったようだ。
地方の小さな博物館とかいいですね、という点でとても話が合い、彼はGWには金沢に行こうと思ってるそうなので、やはり金沢に行こうと計画してた私はもうちょっとで「一緒に車中泊しません?」と誘ってしまうところだった。
でも、彼は電車でびゅーっと行って、向こうでレンタカーを借りるスタイルらしいのでここは棲み分けしておこう。

そろそろお開きで、会場の片づけが始まった。
息子に「ちょっと話したいことがあるんだけど」と言ったら、
「じゃあ、下に送りながら聞くよ」とエレベータで下まで一緒に来てくれた。
Mちゃんも来ようとしてくれたが、寒いからここで、と3階で別れる。

「いや、あんまり皆さんフレンドリーなんで、LINE交換とかしちゃって、うちに遊びに来たいって言ってもらっちゃって」
「それは、お父さんとよく相談して自由にしてもらっていいよ。今日のお客さんの中に、付き合って危ないような人はいないから。ま、適当に距離感を取るってのがお母さんには難しいだろうから、何でもお父さんに相談して決めるといいよ。僕もまたおうちに行くから。今日は本当にありがとう」と路上でぎゅっとハグを交わし、彼は戻って行った。

せいうちくんと駅までの道を歩きながら、
「あー、興奮してる。テンション上がってる。死にたいぐらい上がってる」と言うと、心配そうに手をぎゅうぎゅうつないで、
「ああいう場だもの。みんながあんなに楽しくなれる場を作ってる息子は大したもんだよ。周りによく目配り気配りしてるのもわかったし。成長したね」
「私は全然成長してないよ。なんかやらかしちゃった感がすごいよ。息子が、今日、私がやらかしたすべてのことを赦してくれるといいんだけど。ああ、こんな風だから人間には赦してくれる神様が必要なんだなぁ」
「別にやらかしてはいないと思うよ。ちょっとMちゃんをほったらかし過ぎて、バランスが悪かったかもだけどね。Mちゃんもあちこち挨拶に行ってたから、かまわないと思うよ。舞台の上のキミが立派で、ちゃんとお話になってて、最後のオチがわかった人はどれぐらいいるだろうねぇ」

家に帰り着く頃には本当にもう、何度電車に飛び込みたくなったかわからない。
電車を止めると賠償金がすごい、ということだけを考えてガマンした。
せいうちくんはすぐに部屋を暖めてお風呂を入れ、私をソファに寝かせて温かいミルクティーを淹れてくれた。
「いい晩だったね。キミがそんなにくよくよするようなことは何も起こらなかったよ。外出したからテンションが上がってるだけだよ。それにキミは本当に息子に弱くて、息子にいいとこ見せたくてしょうがないんだね。いい子を育てた、って2人で喜ぼうよ。そして彼にも大切な人ができて一緒にいて幸せで、僕らも2人になってまた穏やかな幸せが戻ってきたよ。今の生活から少し羽目を外して不安定になってるだけで、キミの足元の世界は相変わらずしっかりとして安全だよ」と一生懸命話しかけてくれた。




下北沢駅に向かっていて、初めて気づいたことがある。駅前の敷石の何枚かに人の名前らしきものが刻印されているのだ。街づくりのために協力した方々の名前だろうか。ハリウッドの名役者たちの手形みたいだな、とちらっと思い、かつて自分が住んでいた下北沢はもうないのだとあらためて感じることができた。

そのおかげもあってか、お風呂に入って眠る頃にはなんとか落ち着いた。
せいうちくんも慣れたもので、薬を多めに用意してくれて、
「今日はもう、iPad読むのはやめて、ぎゅうっとしたまま眠ろうよ。明日もお休みだよ。録画の中から何を観ようかねぇ」と寝かしつけてくれた。
まったく、この人がいなかったら私はとっくに実家の墓の下に入ってる気がする。

息子を家から出し、NYに行くのを援助し、今のパブの立ち上げ参加に賛成してよかった。
そのすべてに反対したせいうちくんはしこたま落ち込んでいる。
「キミがいなかったら、今の息子はいない。いい経験をして、いい仲間ができて、そして今度はカナダに行こうとしている。自分の道を切り拓こうとする息子を、僕はことごとく思いのままにやめさせようとしてきた。キミは人間としても母親としても本当に偉い!」と頭を下げていた。

つくづく、今の息子が何かにつけ「とても幸せだよ」と言ってくれるようになってよかった。
どこかで間違えていたら、不本意でしかもそれを親のせいにする人間が出来上がっていたかもしれない。
やりたいことは止められないので、少々の準備不足や甘い見通しには目をつぶって、なんでも体験させてみるしか、「普通」とは違った人生を選んだ息子には道はないのだ。
見違えるように1人のパフォーマーとして立っている彼を、これからも応援していこうと思った。

24年3月24日

昨日の疲れでものすごくぐったり。
そもそも寝たのが3時過ぎだった。
急に泣き出したり、イライラしたり、情緒不安定なことこの上ない。
薬を多めに飲んで1日中うつらうつらして過ごした。
せいうちくんはベッドの足側に座り、昨日の外出ですっかり痛くなってしまった私の膝をずっと撫でながら本を読んでいた。
それはそれで静かな1日と言えなくもない。


最近ふと手に取って既刊3巻を一気に買った「サツドウ」が面白いと思っていたら、原作者の雪永ちっちさんが急逝された、とネットニュースで知った。
続きを楽しみにしていたのに、連載分が載った第4巻以上はもう出ることはなさそうだ。
非常に悲しい。

うとうとしてるうちに18時になったので、NHK4K放送の大河ドラマ「光る君へ」を観賞。
大和和紀の「あさきゆめみし」で鍛えておいたので、道長が倫子さまの御簾を上げて入ることの意味はよくわかる。
あらー、こっちはこっちでこうなっちゃうんだ。


濱田轟天×瀬下猛の「平和の国の島崎へ」既刊5巻があんまり面白いので、せいうちくんにも「読んで読んで」とせがむ。
だいたいいつも同じ歴史の本を繰り返し読んでいる彼は、さほど面倒がらずにPCからiPadにデータを入れて、読み始めてくれた。
「すごく面白いねぇ。ちょっと『ザ・ファブル』みたいだね」
「でも、島崎はもっともっと平和を望んでいるよ。ファブルの佐藤みたいに、自分が殺した結果の人たちにしか関わらないわけじゃない」
といった会話を交わした。
私たちが当たり前のように享受している「平和」が早く島崎の上にももたらされますように。

あと、NHKスペシャルの「戦国時代の日本にいかに外国が関わっていたか」という番組2週続き企画が興味深かった。
鎖国でしっかり守っていたはずの日本は戦国時代からポルトガルに目をつけられ、新し物好きの信長がどんどん取り入れたのを皮切りに、海の彼方で戦争していたスペインとオランダがやはり日本を市場として狙い、また特にスペインは熱心にキリスト教を売りつけてきて、実は日本という島国は外国に幅広く注目されていたのだった。
鎖国してもオランダとはつきあって蘭学を仕入れていたわけだし、世界情勢は勝手に動いて、まあ黒船が来るのも時間の問題だったわけだ。
なんだか自分たちが「世界に対して閉ざしている」つもりでも、けっこうな「井の中の蛙」であったことを知り、ショックを受けた。
こういう話の好きなせいういちくんは非常に熱心に観て、「僕の好きそうな番組がキミにはわかるんだね!いつもどうもありがとう!」と熱烈感謝されたよ。
うんうん、鉄の番組もたくさんあるし、なんならFBに広告載っていた黒部ダムのツアーに、一緒に行くかい?

24年3月25日

アタマはぼんやりするし小雨は降っているしだが、シップと鎮痛消炎ジェルが不足しがちなので、整形外科に行く。
月曜の昼終わり時間近く、意外と混んでいる。

しかしリハビリや車の送迎を待っている人が多いらしく、診察には案外すぐに呼ばれた。
「はい、こんにちは。膝はどうですか」
「痛いです」
「ここは?ここはどうです?」と両膝を何ポイントか押さえたあと、
「まあこれだけ軟骨がすり減ってますからね、軟骨同士がぶつかってるんですね。シップとジェルで様子を見てください」といつものように2分で終わった。
診察に入るまでよりも、会計を待ってシップもらうまでの時間の方がよっぽど長く待つ。


あとは家に帰ってひたすらマンガを読む。
「あさきゆめみし」を読んだら萩尾望都の「王妃マルゴ」が読みたくなり(愛と結婚は別物だからだろう)、流れで今は萩尾望都の「残酷な神が支配する」全17巻を読んでいる。
非常に凄惨な話だ。
義父から性暴力を受け続けた少年が身を持ち崩し、義理の兄との濃密な関係の中でゆるやかに回復していく様子に涙が出る。
ヘンタイ継父が死んでからがずいぶん長いんだ、この話は。
外からの目で見てアドバイスをくれる保険会社のリンドンが好き。

人はレコードの傷ついた部分が何度も演奏を繰り返すように、心の傷を何度も自分でえぐってしまう。
繰り返し、繰り返し、まるでそれが自分の生を確かめる行為のように何度でも。
この傷を飛び越えて、新しい楽章に入りたい、と読むたびに思う。

ところで山形に演劇を観に行った息子一行は無事に帰ってきて、Gくんちに車を返したそうだ。
借りに行った時に息子がケンタッキーフライドチキンを、返す時にMちゃんが山形の漬物をお土産に持って行ったそうだが、Gくんは漬物はあまり好まないので断ったらしい。
「自分ちの車を取りに来るのにいちいち土産を持ってくる必要はない、と息子夫婦にいっといてくれ」と伝えてきた。
本当に、根っから善人だね、Gくんは。
「カミさんは大宮に置いてくるとばかり思っていたのに、一緒に来たからどぎまぎした」
「可愛いでしょ」
「かわいいなw」

息子にそのやり取りを伝えたら、「Mちゃんは今日も綺麗だった」と澄ました返事が返ってきた。
「あー、あついあつい」以外に返しようもない。

24年3月26日

せいうちくんは家でテレワークだが、私はやはり薬でうとうとしていた。
どうも土曜日の刺激が強すぎたみたいで、まだふらふらする。
4月になっても案外忙しそうな気がして、せいうちくんとケンカしてしまった。
「週に5日働こうなんて、何考えてるんだ!それがしんどいから降格してもらったんじゃないか。だいたいあなたはあっちにもこっちにもいい顔しようとしすぎる!」と怒ってしまったのだ。

「ごめんね。最悪のところから伝えて、だんだん安心してもらうのがいいと思って」と彼は言うが、嘘でもいいから「ものすごくヒマになるよ~ん」と言ってほしい。(嘘とわかったらそれはそれでまた怒るんだが)
昇進してからの5年間が忙しくて家の中がピリピリしていて、とても我慢できなかった。
早くヒマになって私と遊んでもらいたい、と思った。
そんなことで「役職を下げてもらえ」という妻は珍しいかもしれないが、心療内科のドクターもそのつもりで今のところ薬を「考えられないほど」出してくれてるし、「ダンナさんが離れていると、奥さんは死にます」とせいうちくんに警告している。

とりあえず、明日、また状況を話して薬を多めにもらい、次回の診察にはせいうちくんにも立ち会ってもらってドクターと相談してもらうことにした。
1年や2年、すぐに経つとは思うんだけど、その1年2年が残された20年ぐらいの寿命の1割2割に当たると思うと、居ても立っても居られない。

24年3月27日

心療内科の通院日。
天気もいいので自転車で行った。

運が良くて、ほぼ誰も待ってなくてすぐに診療室に呼ばれた。
「で、3週間あいちゃったけど、どうだったかな?」と聞かれ、息子のインプロコントライブに出演したこと、息子と共演できて楽しかったこと、しかし二次会で場にあたってしまい、若い人といろんな話をしまくった挙句、LINE交換までしてしまった、年甲斐もないのではないか、それでものすごく不安定になって今日に至る、と一気に話す。

「でも、息子が私の相談を『お父さんとよく相談すればいいよ。なんでもお父さんと話して』と言われて、ほっとしました。両親を信頼して、自分の生活をきちんと守る線を引いています。私の家も主人の家も、『お父さんなんか頼りにならない』『あの人とは話にならない』と言って、母親が子供を夫の身代わりにして愚痴や不満をぶつけてくる人だったので、息子が母親を安心して配偶者たる父親にまかせておけるってのはいいことなんだと思います」
「うん、その通りだね。あなたは健全な家庭を築いて、息子を健全に育てたんだよ。よくやったね」

しかしドクターが本当にしたい話は別にあったらしい。
やや前のめりになって、「で、4月からはどうなりそう?」と聞いてきた。
昨夜のせいうちくんとのケンカやそれで死にたくなったこと、彼から仕事を奪う罪悪感と手を抜いて私と過ごしてくれないんだったらなんのために降格を願い出たのかわからないじゃないかという気持ちの板挟みだ、と訴える。

ドクターもちょっと驚いて、「なんじゃ、そりゃあ!」と頭を抱えた。
「4月から安心して薬も減らせると思ったのに、ご主人、それはあんまりだよ。聞いてた話と違いすぎる」
「最悪の状態を想定してものを言う癖があるせいかもしれません。『4月から?週に5日働くよ。でも3日はリモートの予定を守るから』って言われたって、私が期待してたのは週に1回ぐらいしか働かない日々で、時々長い休暇も取っちゃうような生活だったんです」
「うん、僕もそう思ってた。じゃあ、今週も薬は余分にいるの?」
「はい、お願いします。夫は次回一緒に来て、先生に状況を説明するそうです。それですら、『じゃあ、再来週の水曜の午後だから』と言ったらスケジュールも見ずに『水曜は出社だなぁ。先生に頼んで、日を変えてもらえない?』と来たんですよ。全然やりくりするアタマがないんです」
「うーん、それは僕からもかなり言いたいことがあるなぁ。とりあえず薬は出すから、次回、ダンナと一緒に来て。14時ごろは…かなり厄介な案件が入ってるから、14時半、いや、14時45分に来て」
「はい、わかりました。私はこれからの2週間、どうやって過ごせばいいんでしょうか」
「ダンナが僕に怒られるのを楽しみにして、ゆったり過ごして」
以上で面談は終わり。
その日の14時ごろにはまた1人、人生の重荷を預けに初診の患者さんが来るのかな。

自転車で帰り、家のそばの薬局にアプリ送信しておいた薬を受け取ったら、電動自転車のバッテリーが残り11%になっていた。
これは、例えば100回充電すると機能が落ちてしまうので、充電はできるだけ回数を少なく、つまりギリギリまで使ってゼロに近くなってから充電すればするほど長持ちする可能性が高いらしい。
しかし今週末はせいうちくんと一緒に胃の内視鏡やら皮膚科やらに自転車で出かけるつもりで、11%はいくらなんでも心細い。
寿命が短くなるとしても、ここで充電して満タンにしておこう。

帰り着いたらせいうちくんは会社からは帰っていて、テレ会議の真っ最中だった。
終わったらすぐベッドに来て、「どうだった?先生はなんて言ってた?」と聞く。
「怒ってたよ~。今度、一緒に来たらお説教してくれるって」
「そうか、怒るよね。無理もないよ。僕が自分でできるって言ったことが全然今んとこやれてないうえ、キミが不安になるようなことばかり言っちゃったからね。甘んじて受けるよ。悪かったね、つらい思いをさせて」と謝ってくれた。


週が明けたら4月だが、さて、どうなるんだろう。
とりあえず薬を多めにのんで寝ようと思うが、最近大人買いしたコトヤマの「よふかしのうた」全20巻が面白すぎる。
またひとつ、人間と吸血鬼の物語を見つけてしまった。
イケメンの詩人に勧められた藤田和日郎の「うしおととら」も読まなきゃだし、2週間は張り切ってマンガに溺れるか。
実際、コトヤマにはかなり溺れた。溺死するかと思った。
いいマンガはまだまだ星の数ほどありそうだ。

せいうちくんとケンカしたせいか、生きてる気力がわかないんだが、希死念慮を押し殺し、自傷もぐっとガマンする。
そもそもそんなことを口走ったり実行しかけたりしながら還暦過ぎまで生きていること自体、非常に恥ずかしい。
「死ぬ死ぬ詐欺」で通してきたってことだからだ。現にまだ生きてる。
ただ、次に救急車に乗ることがあったら嫌も応もなく措置入院が待っていて、吾妻ひでおもアル中の治療で入っていたというH病院しか行先はなく、出てこられるかどうかわからない、と主治医には脅されている。
せいうちくんと暮らすためには、精神的に健康に生き続けるしかないのだ。

24年3月28日

せいうちくんが4月中に車中泊の旅行を入れてくれそうだ。
私が「花の咲き乱れている場所を見たい」と言ったので、北関東の花畑で有名なところをいくつか調べてくれたのだ。
予定を入れようと「キャラバン予約簿」をGoogleカレンダーで見たら、ちょうどそのへんはGくんの甥っ子がサークルの合宿に行くのに使うようだ。

もっとも、我々もそこの週末に息子のコントグループの公演が入っているのをすっかり忘れていたのと、月末に近くなるほど花がたくさん見られる可能性が上がる。
予定を立て直して、現在ソロ車中泊中で豊橋に向かっているらしいGくんに連絡を取って一緒に行こう、と誘ったら、この2日ほど、花見の客の渋滞でちっとも目的地に進めないので、「花がたくさんあって人がたくさん集まるところには戦々恐々w」と返事をよこした。
まあ、これは行かんでもないぞ、という答えだと勝手に解釈して、彼の帰りと甥っ子の合宿が無事終わるのを待とうと思う。
まったく、遊ばなければやっていけないよ!

先日の「りんけん寄席」で知り合ったモデルさんの名前をググってみたら、ウィキにも乗ってるほどのランクのモデルらしい。
写真も載っていた。(その場では、容姿でギャラがとれるほどの人に写真を撮らせてくださいとは言えなかったのだが)
あらためて、美人だ。
こんな美人が本当にうちに来たらどうしよう。
息子はこういう人ともフランクにつきあっているのか、と有名人に弱い私は感心している。


その時、やはり美男子の詩人から勧められた藤田和日郎の「うしおととら」を読み始めた。
30巻以上あるのでいつ読み終われるかわからない。
少年マンガらしい、定めを持った少年と魔物との冒険譚で、いかにもジャンプっぽかったが、実はサンデーコミックスであった。
自炊を始めたころに息子が持っていたのを頼み込んでスキャンさせてもらっていてよかった。(今日まで読まなかったのは怠慢としか言いようがないが、うちにはそんなマンガが山ほどある)
面白かったら詩人にお礼を言わねば。 

24年3月29日

せいうちくんの今の役職としては最後の仕事の日だ。
テレワークで、本人は「すべて他人に渡し終わった」心持ちでぼうっとしてるみたい。
「キミには伝わってないかもしれないけど、責任がほとんどなくなったのが本当に楽だ。よく5年間もこんな綱渡り状態で仕事を続けてこられたものだと思う。キミの精神状態がこの5年で悪化したのも無理からぬことだった。これからは2人で静かに平和に暮らそう」と言ってくれた。

せいうちくんのお母さんなら「このまま役員を続けていれば、いつかは社長にだって」と野望をたぎらせるところかもしれないが、ここまでが精一杯、いや、運が良すぎたってことは本人と私がよくわかってる。
そもそも出世欲がまったくない珍しいサラリーマンなんだから。
実際の引退はまだ数年後になるだろうが、できるだけ負担の少ない仕事をしてほしい。
せいうちくんの精神状態はそのまま私のそれに直結するんだから。


コトヤマの「よふかしのうた」全20巻を一気に読んだ。
大好きな吸血鬼話に、またひとつ名作が加わったよ。
貸し出してあった「推しの子」既刊13巻も返ってきたことだし、さっそくスキャンして読もう。
今、自炊予定本の棚がちょっと大変なことになっているのだ。
花畑ドライブを夢にみながら、少しずつでもこの山を切り崩していかねば。

ああ、今の自分が幸せだって母に伝えてわかってもらえたらなぁ。
お墓の下にいるから無理、という以上に、やはり母は私の幸せを認めないだろう。
「また変なこと始めて」「すぐ手首切ったりダテ包帯をしてみたりする。人に見せつけたいんでしょう」と切って捨てられるだけだと思うよ。
最後に姉と話した時、
「うさちゃんはね、困った子だったわね。うさちゃんが自殺しようとしたりすると、ママが混乱して大変になって、結局私がなんとかしなきゃいけなくなるから」と言われた。
「どうして死にたくなるの?」「なにがそんなにつらいの?」とはひと言も聞いてくれなかった。
それでいて、「うさちゃんが一番大事で、可愛い存在」と言うだけは言う。
私が他人の言葉を信じられなくなるのも無理からぬ生活環境だった、と今は自分でもしみじみわかる。
でも、わかることと腑に落ちることは違うんだよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?