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年中休業うつらうつら日記(2023年1月21日~27日)

今週はいろいろ精神的重圧があったため、かなり気絶して過ごしてました。無理な時は無理をするなというのが心療内科医のポリシーです。イヤなことがあっても私だけが悪いんじゃない、世界中の悪いことの責任を取るほどの人物ではないのだから、落ち着いて「いい人」でいてみましょう。

23年1月21日

昨夜の定例ZOOM飲み会の話から。
そこそこ穏やかに進んでいたところに、在野のマンガ研究科X氏の話に。
彼は年に1回出る「今年の面白かった・話題になったマンガ」をランクづけする本に毎年寄稿している。
「何を基準に選んでいるのか?」
「普段どういうものを読んでいるのか?」といった質問に対し、あまり期待するような答えを出してくれなかった。

「いろんな視点がありますからねぇ」
「読まなきゃいけないんですが、最近はあまり読んでませんね」など。
「少女マンガ研究家」だそうなので、「去年最終50巻で終わった『ちはやふる』ぐらいは読んでるよね?」と聞くと、
「作品の評判は入ってきますから、読まなくてもだいたいの感じはわかるでしょう」と言われた。

「ジョジョとかも読んでないの?」と言っていたSくんも、「『ちはやふる』を読んでなきゃダメでしょう」とあきれていた。
「お金があれば読みますよ」と言われたのにもびっくりした。
笑えるほど腹が立った。
ZOOMを出てから「ひゃひゃひゃひゃっ!」と笑いながら部屋中をアヒル歩き(腰をかがめて低い姿勢で歩く運動の一種。うさぎ跳びと同じぐらい普段は絶対しない)してしまうぐらい腹が立った。
「ちはやふる」ぐらい読んでくれ!
どんなにあらすじを知っていたとしても、50巻という物量と熱量を読み切った人にしかわからないことがある。読まずに

「お願い 誰も 息を しないで」

のセリフにこめられた願いがわかるわけない。
ネットを開けば誰でもが一見印刷されたような文字で好き勝手を言える世の中だが、年に1回刊行される本に活字で載る意見を言える立場、ってのをバカにしちゃいけない。
読んでいると思えばこそ、何を読めばいいか教えてくれると思うからこそ、読者はその本を買って指針としてマンガを読むのだ。

こういう料簡で寄稿している人がいる以上、今年からその本を買わないか、「御社の方針に賛成できません」とメールを送って意見を聞いてみたいところだ。

さて、ZOOM会はそんな感じで「とにかく『ちはやふる』読め!」であったが、翌日は昼から親戚の家を訪問する用事があった。
おととし母の従弟に当たるおじちゃんが亡くなって、彼以上に母と親しくしていた従弟の奥さんが今は1人で暮らしている。
そう遠くないし、一度お線香をあげに行こう。

せいうちくんと2人で歩きついたらちょうど釜飯の出前を届けてくれたおにーさんと応対しているおばさんに会った。
「あらー、久しぶりね。ちょうどいいところに来たわ。お昼にしましょう」と招じ入れられ、まずはおじちゃんにお線香をあげてご挨拶。
鹿島建設にずっと務めていた、古いタイプのサラリーマンで土建屋の鑑のような人だった。
奥さんも社交的で、私は小さい頃から何度もこの家に来ていて、母の叔母夫婦が住んでいた頃、二世帯住居に建て替えて長男である従弟が夫婦で同居し始めた頃、私にとっては大叔父に当たるおじいちゃんが階下で1人住まいをし二階でおじさん一家が暮らしていた頃、そしておじいちゃんが亡くなって名実ともに母の従弟一家の暮らす家になった頃、それから子供たちが結婚して家を出て、おじちゃんも亡くなっておばちゃんが1人で暮らしているのが今の状況だ。
もっともクリスチャンで社交的な彼女はジムに行ったり自宅で絵を描く会を開いたり各種ボランティアをしたり子供たちが孫たちを連れて遊びに来たり、退屈している暇はないらしい。
黒猫まで飼っている。

このおばちゃんと話していると、「あなたのお母さんは寂しくてかわいそうな人生だったんだから、許してあげなさい」とよく言われる。
私に対して毒親であったこと、姉と差別し、私の人格を認めなかったことの理由のすべてがその寂しい人生であり、第一子である姉を唯一の家族と思い、一体化してしまったのが原因なのだと。
「それでも私の、自分を否定するような孤独は消えません」と訴えたら、
「うさちゃん、あなたは少し欲張りなんじゃないかしら。お母さんはお母さんなりにあなたを愛していたんだし、愛されたいと求めるばかりじゃなくてこちらから愛を与える気持ちになってみては?」と言われた。
クリスチャンの彼女らしい解決法だ。

しかし毒親からは逃げるしかない。
「あの人にもいろいろ事情が」と思い始めると逃げ足が鈍る。
結果、「わかってあげられなかった」「何もしてあげられなかった」自分まで責めることになる。
毒親はそういう「どうせ私が全部悪いんでしょう。そう思えばいいじゃない」と絡みつくようなトラップを仕掛ける。

おばちゃんの言うことは母にそっくりで、「わがままだ」「自分ばかりがつらいと思っている」と責められた思いがフラッシュバックした。
わっと泣き始めた私の代わりにせいうちくんが、
「彼女は人格が破壊されてしまっていて、悪いのは何もかも自分だと思い込まされているんです。『自分から与えたら』というようなアドバイスは『与えられない自分を責めているメッセージ』になってしまうので、やめてあげてください」とかばってくれた。
彼もまだよくわからないらしいが、母との関係を見ていて、私が猛烈なバイアスの中で育てられ、思考の根底から母の方法に染まっているのにはずいぶん慣れたらしい。

そのあとはまあ普通の話をして、せいうちくんが夕方から中高の同窓会に出席するのでおいとまする。
電車に乗って途中の駅で別れ、私は家に帰った。

22時ごろ帰ってきたせいうちくんは「楽しかった。行くように勧めてくれてありがとう」と言っていた。
中高にあまり馴染めなかったし友達もできなかったとよく言っているが、それでも青春の6年間を過ごした場所を再評価してきたのには意味があったようだ。
いろいろ楽しい話を聞けて面白かったが、40年以上のちの同窓会で、「自分が米国ペントハウス無修正(雑誌)を持ってきたことをクラス全員が覚えている」って目に合うのはどんな気分だろう。
男子校同窓会あるある?(もちろんせいうちくんではない人だよ笑)

でも、その晩から具合が悪くなってきた。
泣いたりわめいたりしてた。
間の悪いことに息子が泊まりに来たいと言うから、泣き腫らした目を冷やし、彼の前では普通の顔。
でも、
「おばさんとこ行ったら少し具合悪くなっちゃった」と言ってしまう。
「そうなの?大丈夫?」
「うん、もう大丈夫」
明日も舞台の練習で早く出るって言ってる人に心配かけてもしょうがないもんなぁ。

姉の息子も入籍したらしい、東京に住んでるのに姉は東京に来て母の従弟の妻には会いに来ても息子に会いに行かないらしい、「突き放してるのよ」と言ってるらしいが、行けばいいのにね、とおばさんが話していたのをぼんやり口にしたら、息子はちょっと意味ありげな口調で、
「彼の方で、会いたくないんだとは思わないのかな」とぽそっとつぶやいた。
「何か聞いてるの?」
「ううん、言ってみただけ」
なんか気になる言い方するなぁ。
半年ぐらい前に息子のライブハウスに来てくれたそうだから、芸能の道を目指す2人はなにか話したのかもしれないな。

23年1月22日

息子を送り出したあと、よく考えたら息子と会って話した記憶がほとんどない。
それだけ薬が強いのだろう。

1日ぼんやり過ごしたけど、まだ不調。
時々思い出したように泣いたり怒ったりしている。
これまでつらかったことをまた幾度もせいうちくん相手に語ったり、急にガバッと起き直って「もしかして私が悪かったの?私がいなければよかったの?」と問い詰める、それからまた少し落ち着く、そんなことの繰り返しだった。

言いようのない淋しさと悔しさが襲ってきて、せいうちくんの腕の中でだらだらと涙を流しても流しても泣き止めない。
前回の心療内科の診察の日にもらっておいた頓服の抗不安薬を飲んでやっとひと落ち着きした。
「お薬、飲んでおきなよ」とせいうちくんが私の掌の上にいくつか乗せてくれる錠剤を、ぶんと部屋の隅へ投げてしまう。
カランカランと錠剤があちこちに跳ね返る音がして胸がスッとした。
せいうちくんはとても偉くて、
「投げて気がすむなら何度でも投げなさい。拾ってくるから」と3回ぐらい投げたけど本当に全部拾ってきてくれた。
「今、赤ちゃんな気分なんだね。『悪くないもん!』って。キミは悪くないよ。悪いのはお母さんとお姉さんとついでにおばさんだよ」とずっと添い寝をしてくれていた。

ていうか、抱きしめてもらっていないと無茶苦茶暴れる。
手足を振り回し、ベッドを叩き、転げまわってうおううおうと叫び声をあげる。
ぎゅっと抱きしめられてその力に反発するのにくたびれて、やっと大人しくなるのだ。
せいうちくんがトイレに行ったり姿が見えなくなると床の上で猛烈に地団太を踏んでしまう。
「いないっ、いないっ!どうしていないの!」と叫ぶ。
薬が効いて私が眠るまで、大変だっただろう、せいうちくん。

おばさんと話して新しく気がついたのは、私は実家では大人の構成員として認められたことがないってところ。
父が生きているころから父の給料や家の経済状態については話してもらえなかった。
子供の頃に「パパのお給料いくら?」と聞いて、
「うさちゃんは子供だから、およそでしゃべっちゃうから教えない」と言われたのと同じように、成人しても自分で稼いで暮らすようになっても教えてもらえなかった。

母と姉は運命共同体で一緒に暮らして姉の息子を育てていたから、ローンの組める姉の名義で母親が不動産を買い、生活を共にしているということで生活費の援助をして姉の名義の財産を作った、これはわかる。
家族単位での蓄財の話だ。
でも、それなら私にも話してくれればよかったじゃないか。
「うさちゃんがマンション買う時は頭金出してあげる」と言っていたのがいざ買おうとしたら「出せない」と言われパニックに陥ったことがあるが、それは「実家の蓄財事情上、今はうさちゃんの援助をするだけの余裕がない」んだろうからそう言ってくれればよかった。
「自分で買えないならマンションなんか買うべきではない」
「そんなに気が弱くてはマンションなんか買えない」と説教するのはおかしいだろう。
言われるからあてにしてた、購入資金の一部に組み込んであった、それだけだ。
嘲り笑われるようなことではないと思っている。今でも。

このように、母と姉が私に対して財産隠しをし、姉の名義の資産を増やしていたこと自体は腹は立たない。
母と暮らしている姉、父親のいない息子を育てていく姉には母の援助と金銭的バックボーンが必要だっただろう。
ただ、それについてひとことも相談がなかったのが悔しい。
確かに私は自分で稼いではいても実家にお金を入れたことは一度もないから、経済的には実家の外にいる人間だったかもしれない。
でも、父が死んだら、母が死んだら相続をすることになる者として財産の全貌さえ知らされないで二度とも放棄の書類に判をつかされたのはあんまりだと思う。

「うさちゃんは子供だから」
「うさちゃんの気持ち、わかるわ」
「うさちゃんが一番大事」
「うさちゃんの満足のいくようにしてあげたい」
「うさちゃんを心から愛している」
こんな気持ち悪い言葉に、いまだにからめとられて身動きが取れない。
吐き気がするような空虚で実体のない「愛情」。

今夜も絶好調に薬をもらっては投げ散らかしていっとき童心に返って遊んでいる。
せいうちくん、本当にありがとう。

23年1月23日

これはマジでヤバい、と思えてきたので2週間したら会う予定のドクターに今週会う予定を入れてもらった。
その間に田村由美の「7SEEDS」を読んでいる。
息子も「読んだことないけど、有名だねぇ」と言っていた。
少女マンガなのに彼が知ってるぐらいなのか。

土砂崩れで下半身が埋まって逃げられなくなった少女が言う。
「もう腰から下が何も感じなくなってきた。今は痛みはないから大丈夫」
そこでぶわっと涙が出た。
獣のようにうわおううわおうと咆哮した。

たぶん、私は「もう何も感じなく」なりたいんだと思う。
「今は痛みがない」状態になりたい。
たとえそれが「死」への一本道だとしても。
それほど、今は、痛い。苦しい。

死に惹かれるのはそういう時だ。
今のこのめんどくさい悩みや苦しみの数々、軌跡だけがようやく見えるほどのスピードで頭の中を飛び交う負の思念たち、「愛されていないかった」「一人前に思ってもらったことなどなかった」という、心臓をつかみ出して握りつぶしたいほどの怒りと悲しさは、死んだら消えるんだろうか。
最近では「でも死ぬともったいないから」と思うようになった。
息子が結婚式を終えるまでは死ねない、とか、せいうちくんとゆっくり「毎日が日曜日」を体験するまでは、とか、いろんな蜘蛛の糸が私をこの世界につなぎとめている。

23年1月24日

今日はせいうちくん、テレワークに切り替えてそばにいてくれた。
毎日毎日あまりに荒れるので、ついに姉に電話をしてみることにした。
せいうちくんが「僕がかけるよ。キミと話させたくない。気分が悪くなるだけだよ。本当に嘘つきで適当なこと言う人だから」と代わりに話してくれた。
最初に「せいうちです。今、お時間大丈夫ですか?」と聞いた時は機嫌よく「ええ、大丈夫よ」と言っていた姉だが、遺産の問題についていまだに私が気がすんでいないという話題になったら警戒心丸出しにし始めた。
相続がもう終わって、何も文句つけようがないことはこっちもよくわかってるって言ってるんだから、母の遺言通りにしたって言うなら相続の総額を教えてくれてもいいじゃないか。

すぐにあわて始め、
「そういう話なら、少し時間をもらって考えを整理したいわ。実は今、ZOOM中なの。ちょっと抜けてきたのよ。せいうちさんの名前だったから、うさちゃんが死んだか何かしたのかと思ってね。出かけなきゃいけないし、また来週にでもお話しさせてください」と話は終えられてしまった。
最初に「お時間いいですか」って聞いた時はゆとりで「大丈夫です」だったのになぁ。

「やっぱりあなたじゃ伝わらないニュアンスがある。私がかけるよ」と通話時間無制限のせいうちくんの電話を借りて姉にかけると、「ただいま電話に出られません」のメッセージ。
「逃げやがった~」と叫びながら、せいうちくんがしつこくかけたと思われてもナンだから、私から改めて話がしたい、とメッセージ送ったら、「そういうことなら今夜今から大丈夫です」と返事が来た。

話して、変わらないなと思うのは姉が上からしかものを言わないこと。
母にひどい目に遭ったきょうだいとして、同じ被害者の目線では話せない。
姉も「ママにはずいぶん苦労させられたわ」と言うものの、彼女にとって苦労したのは彼女だけで、私は同じ母に苦労させられた被害者ではなく、母を困らせることで間接的に姉に迷惑をかけた人間であるらしい。
「同じ子供でも、あなたと私は立場が違うわよ。私はずっとあの人といたんだから」ってのもわからんではないが、その分母に頼りにもされたし人間扱いしてもらえたろう。
私は18歳で家を出てからずっと母の影響下にあり続け、死なれてもなおその呪いから抜け出せずにいるのだ。
「うさちゃんはお母さんに子供として可愛がられていたもの。私は大変だったのよ」じゃなくて、「2人ともひどい目に遭ったね」ってところから始められないだろうか。

その話がらちが明かないと思ったので、ずっと気になってることを訊いた。
「ママのお葬式の時、参列者の人たちとお茶を飲みながら、『妹夫婦がお金を出してくれたら母を老人施設に入れられたんですけど、結局私が看るしかなかったんです』って言ってたじゃない。あれ、どういう意味?私たち、そんな話になってるって知らなくて、相談もされてなけれなば断わった覚えもないんだけど」

さあ、少しは恐れ入るかと思ったら、答えは「そんなこと、私が言うわけないじゃない。もちろんあなたたちにそんな話はしてないわよ。だって入ろうと思えばママの財産で入れたもの。なんで私がそんなこと言った話になってるの?」だった。
まったく、1ミリも覚えがないそうだ。
せいうちくんと私、その場で聴いて顔を見合わせて驚き、その後も何度も話してたことなんだけど。

あと、「うさちゃんにはせいうちさんみたいな立派な人がついてるから安心してるわ」と言われたのでついでに、
「でもこないだ、『あなたたち夫婦は依存し合ってるけど、私と今のパートナーはそれぞれ自立したうえで一緒にいるの』って言ってたでしょう。あれ、悪口?」と聞くと、またしても、
「そんなこと言ってないわよ。思ってないもの。言ったはずがないわ」。

姉はしみじみと言っていた。
「ママがよく、言ったことをすっかり忘れて『そんなこと言ってない』『それはあなたの思い違い』って主張してたのよね。そういう時に『じゃあその時に言い返せばよかったのに』って逆切れしてたけど、私も今、そう言いたい気分だわ。『その時に言ってちょうだいよ』って」

それは、ママの気持ちがわかったってことでもなさそうだし、「忘れた」「そんなはずない」と言われる私の気持ちがわかるって意味でもなさそうだね。
要するに「攻撃するな」ってやり返し方を、あなたはママからしっかり学んじゃったんだね。

「うさちゃんから『もう姉妹とは思わない。連絡しない』って言われて私も傷つくのよ。それが急にこんな風に電話かかってくるでしょう。うさちゃんが死んじゃったのかと思って慌てて出たのよ」
うん、そこんところはこちらの態度が不明瞭で、「探さないでください」って家出して三日ごとに連絡してくるやつみたいになってるのは認める。
今後は本当に連絡しないよ。話通じないのわかったし、あなたの愛と私の愛は違うのもわかったから。
「私が死んでも連絡は行かないから安心して」
「えっ、お知らせこないの?」
「うん、特に知らせない」
「じゃあ、どこからか風の噂で聞くわけね」
「そうなるね。じゃあ、元気で」

これで、親もきょうだいもいない人になれたのかなぁ。
毒親の家庭を生き残って、健康な子供をこの世に送り出せただけで十分だ。
姉は、やはり自分の息子とうまくいっていないらしい。
「あの子もちょっとおかしいのよ。これは、お父さんの家とお母さんの家の、血ね」と言っていたが、私は特段そんなに犬神家の一族みたいな気分にはならないな。
単純に親子関係がもつれてるだけで、個人個人に異常な血が潜んでいたり重大な精神疾患が隠れていたりはしないと思う。

23年1月25日

予約を入れておいたので午後に心療内科のドクターに会えた。
せいうちくんも午後の仕事を片づけてついてきてくれたよ。
「今日は主人も一緒です」
「さて、何か困ったことがあったかな?」という会話の後、私が猛烈な勢いで、
・土曜に親戚のおばさんと会い、「甘えてる」と言われて泣いてしまったこと
・相続の話をちらっとしたため、余計に気になってきてしまったこと
・姉に対する不満や疑心が募ってきて、日常生活が送れないほど混乱していたこと
・姉に電話をして話したこと
をぶわーっとしゃべった。
ドクターは「うわあ」とか「うーん」とか言いながら、時々PCでメモを取って聞いていた。

ひと息ついて、「というわけなんですが、どうでしょう?」と聞いたら、開口一番、
「しかしまあ、おせっかいなおばさんだね!」。
いや、おばちゃんの名誉のために言うと、良かれと思って言ってることだし、何しろクリスチャンだし。
「おばさんは大した登場人物ではありませんから」と言い訳すると、
「まあお母さんやお姉さんも含めていろんな考えがあるんだろうけど、ひと言で言って、私たちの考えとは違いますね」と断言。
「私たち」、こういうのをさりげなく入れてくるところがカウンセラーの神髄だよな。
「ラポールの形成」をごく自然にやってのける。

「お姉さんは欲張りで、後ろめたいんですよ!」
ほぼそれでまとめられた。
先生もおととしお母さんが亡くなってきょうだいで相続をしたらしいんだけど、お兄さんが全部持ってっちゃって、「おまえに300万だけやるから取りに来い」って言われたんだって。
「税金もめんどくさいし、こういうの受け取っちゃうと向こうの気がすんじゃうから、特に取りに行かないですけどね」
「あれって、良心ってやつですかね。ほんのちょっと、寄こすんですよね(母の生命保険600万で手を打たされた女の体験記)」
まあ精神科医は、こういう時に使うための偽の親子きょうだいや親戚をたくさん持ってると疑ってるので、先生のこれが実話かどうかはわからないが、びっくりするほど気が楽になるのは事実だ。
おそるべし、ラポール。

「とにかく今回、よく来てくれました。すぐに来る選択をしてくれたのが一番よかった!あなたは悪くない。ヘンな家から逃げ出して、しっかりやってる。あなたの一番偉いところはね、次の世代に毒を伝えなかったことなんですよ。泥水を真水に変えたようなもんです。毒から、綺麗な水を作ったんです。そのことは、本当に偉かったですよ!」とほめられて、2週間後の予約はそのまま残しておくことにして、頓服用に少しもらっていた抗不安薬を2週間分びっちりもらうことにして終了。

せいうちくんが、
「減薬がなかなか進まないで今回も増えちゃいましたけど、本人真面目に頑張ってますので」と言葉添えしてくれたら、
「わかってます。よくやってらっしゃると思います。ダンナさんも支えてあげてください。今はこれ以上頑張る必要はありません」と言ってくれた。
「しかし、お姉さんもナンだねぇ、『うさちゃんが死んだかと思って』って、死ぬの待ってる感じだねぇ。胸のつかえがとれるからねぇ。あなたももう、上の世代の人が全員死ぬのを待ってていいですよ」と気さくに言ってくれるドクターでありがたい。

こうして診療も終わり、家に帰って薬のんで寝るだけだ。
さすがに強い薬を毎食後に飲んでるもんだから少しふらふらする。
昔みたいだ。

23年1月26日

日曜日に息子と奥さんのMちゃんと下北沢で会おうと言っていたところ、今日息子から連絡があって、土曜に会ってその晩の公演後、2人でこちらに泊まりに来てもいいか、と聞かれた。
そうか、土曜日にいつものライブハウスじゃないとこ(でも下北)で演劇のパフォーマンスがあるんだ。
Mちゃんがそれ観に行くから、そのあと2人で来たいってことね。
その場合、日曜の午後から珉亭に行く話はどうなる?

てなことを息子と電話で相談した結果、土曜の午後に喫茶店で待ち合わせてラーメン食べに行って、そのあと我々もMちゃんと一緒に公演観て、そこからはMちゃんが息子を待って一緒に来るのか我々が勝手にお持ち帰りしちゃっていいのかわからないまま、とにかく土曜に会おうって結論になった。
日曜日も遊んで行ってくれるのかな。
「ジーザス・クライスト・スーパースター」の舞台版DVD観る時間あるかな。わくわく。

Mちゃんの方から泊まりに行きたいと言ってくれたような雰囲気で、とても嬉しい。
Gくんあたりから、
「パーティションで区切れる部屋に床暖房つけたとかエアコンつけたとか言ったって、息子とその嫁なんかめったに来ないぞ。せいぜい年に1回か2回だ!」と毒づかれたが、今年に入って早くも2回目だよーん。
息子の可愛い配偶者とひとつ屋根の下で寝るのは格別だぞ!

23年1月27日

ここ数日、非常に寒い。
せいうちくんが中学の頃、ラフカディオ・ハーンの副読本を使っていたらしく、「Terrible Daikan came.」という一文があったそうだ。
「ひどく寒い大寒が来た」の意だろうと今は思うのだが、その時「恐ろしい代官がやってきた」と訳してしまったというクラスメートの存在も忘れないでいてあげたい。

日陰では氷が張ってる

今日が終われば週末だ。
息子たちにも会えるし、またタラモサラダ作ろう。
悲しい時には山ほどのタラモサラダを作ってどんどん食べるとたいそう精神衛生に良い。
ただし、身体、特に体重には非常に悪い。
キロ単位で太り直しながら、今日も今日のタラモサラダを食べるんだ。
悲しいぐらい身体に悪いことはないからね。まずは精神の健康から。

友達からマンガが山ほど返ってきたので、腕まくりしてスキャンに励んでいる。
やっと「チェンソーマン」をもう1度じっくり読めるわけだ。
登場人物は多いわ、死んでの入れ替わりが激しいわ、生死のシステムが難しいわでなかなか全貌がつかめない。
とりあえず「マキマさん、最強」とか言っとくといいらしい。

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