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マンガ読みの年中休業うつらうつら日記(2022年11月5日~11月11日)

寒くなってきました。インフルエンザに加えてコロナのワクチンも打つ我々。息子の公演が中止になるなど、コロナの第8波がやってきているようです。人と集まることが多かった最近ですが、また自粛しないといけないかも。とりあえず抗体検査キットが少し安くなった隙に買っておきます。

22年11月5日

前夜のZOOM飲み会にHくんが現れた。
例の、私に怒ってるって話をあらためて聞いてみたが、
「今さら蒸し返してもなんですから」と言うので、
「じゃあもう怒ってないんだね?」と話は終わった。
本当はもうちょっと続いたんだが、まあ人のケンカの話なんか長々してもしょうがないから。

と、ZOOMには参加しないでお休みしていたせいうちくんが書斎に飛び込んできた。
「大変だ!」
何事かと思ったら、「手巻き寿司パーティー」で使うつもりで先週買った寿司飯を入れる桶、つまり「飯台」に隙間が空いているのだと言う。
確かに側面に5mm幅ほどの空間がある。
どうやら文字通り「タガが外れて」いたらしい。
もともとあるべき場所にタガのあとがついている。2本の赤銅色のタガが、両方とも下にずれていたようだ。
一瞬、タガをドライバーと金づちでとんとん叩いてずらせば直るかと思ったが、買ってまだ1回も使っていないのだから返品して同じものに替えてもらうのが一番穏当だというところに落ち着いた。

その間、ZOOM中の人々に飯台の隙間を見せていたら、いろんな反応があった。
と言ってもほぼ同じ内容。つまり猛烈にクレームを入れろと。
「店に電話して新しいのを持ってこさせる。ヨドバシのケーブルは新しいやつを持ってきてもらえた」
「責任者を出せ、と電話する」
「どこでもいいから関係会社に連絡すれば、しかるべきお客様センターにつないでもらえる」
みんな、けっこう物騒な客なのね。
私はかつて電機会社の海外お客様相談部署にいたことがあり、基本的にクレームをつける側には回りたくない。
メーカーが気持ちよい対応をしたいのと同様,お客様も穏やかでいてくれるのが一番面倒がないからだ。
そもそも明日の朝早く出かけなくてはならず、新しい飯台を持ってきてくれるとしても受け取ってるヒマがない。
レシートも残ってることだし近所の店だから、朝の出発を30分遅らせて店に寄って取り換えてから行くのが流れとしてはスムーズだ。

なのでクレーマー予備軍の方々をなだめ、「明日の朝、取り換えに行くから」と納得してもらった。
「準備が遅れたり不愉快になった分を取り返さないんですか?」と聞かれたが、クレーマーになる精神的重圧の方が重い。
さくっと取り換えてもらうのがいいと思う。

なのでZOOMは早めに落ち、翌日に備えて寝た。せいうちくんはさらに早く寝ている。
今朝、枕元のIPhoneが鳴るので目を覚ましたら、もうせいうちくんがレンタカーを借りに行き、そのついでに駅前の店で新しい飯台に替えてもらったあとだった。
「今からレンタカー屋さんを出るよ」
ってことは5分もかからずにマンション下に来ちゃうんだ。
自慢じゃないが私の身支度は速い。
「40秒で支度しな」と言われたパズー少年のようにあっという間に着替え、鳩を逃がし(これはウソ)、カバンをひったくるように持って玄関先にあった台車をかついで5分後には下に降りる。
すでにせいうちくんが待っていた。
ちょっと待たせちゃったかな。

朝早くからすべての仕事をこなしてくれたせいうちくんにお礼を言いながら持って来たIPodを接続して中島みゆきをエンドレスにかけて、ドライブの始まりだ。
今日はお客さん2人乗っけて連れて来て手巻き寿司パーティーまで行くよ。
ちょっと忙しくて目が回る。

まずNさんちに行って段ボール10箱近くを積み込む。
それからK子ちゃんちに寄って小さめの段ボール2箱を受け取り、本と人間たちを乗せてうちまで戻ってきた。14時ぐらいのことだった。

裏門のわきに段ボールの山を降ろすとせいうちくんはすぐに車を返しに行き、その間にNさんが台車で何往復もして部屋まで運んでくれた。
K子ちゃんと私は女性なので何もしない。
腕力のない私たち。
Nさんが最後の箱の山を運んでくる時に下で会ったのだろう、せいうちくんも一緒だった。
ベランダにすべての荷をいったん置き、お疲れさまでした。
すみやかに宴会に入るよ。

Nさんはビールと刺身を少し持ってきてくれていた。
せいうちくんが買ってきた「わさび漬け」みたいなのと卵焼きに大根おろし(K子ちゃんがおろしてくれた)、それに味のりとNさんが持ってきてくれたアジのたたきをつまみにいろんな種類のビールの飲み比べを始める人たち。
私は今日は飲めそうにないなぁ。
アルコールが入るとぐだぐだになりそうなんだもん。

皆が飲んでる間に水を張っておいた飯台で酢飯作り。
せいうちくんによると元々は大きいサイズの飯台を買ったんだが、今朝、同じものは品切れだったそうで、同じ値段で小さなしゃもじが2本と「巻き簀」のついてくるひとまわり小さい方ですませたって。
酢飯4合を混ぜるのに少し小さくはあったがさほど無理でもなく、食卓に乗せてみたらこのサイズの方が正解だった。

せいうちくんが切ってくれた刺身の数々(まぐろ、いか、サーモン)、いくらのしょうゆ漬け、卵焼き、貝割れ大根、大葉、のりを並べ、手巻き寿司の開始。
これが本当に大好評だった。
「手巻き、いいねー!」
「実は最強じゃない?」
「それぞれ勝手に作って食べられるとこがいいよね!」と和気あいあいで、これからお母さんと同居し、東京に住む妹さんたちと食事する機会も増えるであろうNさんは「俺んちでもやってみよう!」と大乗り気。
引っ越し祝いは飯台にするかな。

「手巻き寿司」というと、どうしても思い出してしまう黒歴史がある。
親戚の家で大勢が手巻き寿司を囲んでいたところ、私は手元でもたもたとご飯粒をこぼしていた。
どうにもまとまらなくて、焦っていた。
おじさんの1人が言った。
「うさちゃん、ごはんを乗せすぎなんだよ」
一座の皆の注目が集まり、別に意地悪でもなんでもなく笑いが起こった。
そのとたん、ぽろぽろと泣き出してしまったのだ。
隣に座っていた母親が驚いて「うさちゃん、どうしたの?」と聞くと、泣きじゃくりながら、
「みんなが見る…」とさらに泣き続ける私。
問題は、その時すでに20歳だったってことだよなぁ。
自意識過剰で緊張しいの「ガラスのハタチ」であった。
ああ、今思い出しても恥ずかしい。

今回はそのように緊張することはなかったが、やはりなんとなく手巻き寿司に苦手感があるのはその事件のせいだろう。
なんであんなに精神的にもろかったのかしらん。
誰でも自意識の高い時期ではあろうが、ちょっと度を越えていたと今では思う。
ただ、その頃とあまり変わらないほどの勝手な緊張感をなかなか拭い去れない。

話題はなんだか東大のまわりをぐるぐる回っていた。
学生時代の思い出、東大卒の文化人や教授の話、親の期待度の話などなど。
私の大学は卒業人数が少ないのでそういう派手な話は全然ない。
そんなことをこぼしたら、さらに少数精鋭の大学出身のK子ちゃんから、
「G大卒の人間の前で、それを言うかね」と笑われた。
いずれにせよ、東大に入ってしまうというのは人生の大変な重荷であるとよくよくわかった。
息子のように名の知れた私大あたりが気楽でいいと思う。
もっともNさんもK子ちゃんも「早稲田閥、ってのは確かにある。あんまりいいもんじゃない」とアンチ早稲田の立場だった。
親はどうすればいいんだ。

Nさんの携帯に女子Yちゃんから電話がかかるひと幕があった。
昨日のZOOMに彼女もいて、飯台のタガが外れてた話題で盛り上がった時にクレームの入れ方を伝授してくれていたんだが、その時手巻き寿司パーティーの話をしなかったっけ?
「今、せいうち家にいるんだよ」と答えるNさんに驚いている様子だった。
いろんな人に電凸するという噂の実態はこれだったか。
Yちゃんの人間関係はよくわからない。そっとしておこう。

おなかいっぱい手巻き寿司を食べて、そのあとは残った刺身をつまみにビールをじゃんじゃん飲み、Nさんとせいうちくんは日本酒に移行し、実に楽しい会になった。
Nさんは新生活の始まり、20年住んだ部屋の引っ越しでそうとうハイになっていた。
一族のホープとして育ち、ついには母親と同居する孝行息子の誕生だ。
いつも以上にテンション高くしゃべりまくり、何度か「ちょっと、抑えよう。ヒートアップしてるよ」と声をかけるたびに、
N「あ、ごめん。俺ばっかりしゃべってるよね。うさちゃんに『Nさんはしゃべりすぎだ』ってよく注意されるよね」
私「それは単に私のしゃべる時間が少なくなるから言ってるだけ。宇宙船の残り少ない酸素を奪い合うように、しゃべる時間を奪い合ってる」
K子「人はそんなにしゃべりたいものなのか…聞いてるだけでも十分楽しいけどなぁ」
といった流れになっていた。

デザートに買っておいたチーズケーキと紅茶を出し、宴会が終わったのは20時。なんて健全なんだ!
始まりが早かったからね。これでも5時間ぐらいは飲み食いしてしゃべってたよ。
途中で息子から「コントグループのメンバーにコロナ陽性が出たので、明日の公演は中止になったよ。ごめんね」と連絡があり、今日は全員の抗体検査をキット惜しんでやらなかったなぁ、まあ大丈夫でしょう、って空気の中でなごやかにおしまい。
駅へ向かうだろう2人を戸口で見送って、さて、この2人はくっつかないだろうかと淡い期待をして旅行や落語観賞会を催してきた過去を思い出す。
この頃ようやくわかったよ。
「1人が好きな人間」を2人一緒にしておいたからって、彼らの間には何の引力も磁力も発生しないのだ。
ただ、そういう人間が2人いるってだけ。
「人はパートナーを求めてしまう」ってのは恋愛至上主義の既婚者が勝手に持ってる幻想だ。

でも友達と会えるのはいいね。
引っ越しがすんだらNさんとK子ちゃんはわりと近くなる。
また一緒に食事をしたり遊んだりしよう。
さっそく喬太郎さんの落語会のチケット売り出しがあるから、また頑張って4人分の席をゲットするよ。
アルフィーのコンサートに申し込んだことはないが、開始から10分間PCがつながらなくてつながった時には完売している、ってあたりは似ているんだと思う。
ちょっと規模が違うだけできっと雰囲気は同じ。
毎回毎回、すべり込みでなんとか4枚取れているのが奇跡のようだ。

うっかり今年初めに自分に課してしまった「1日1マンガ紹介」がここに至って重荷になり始めている。
最初は紹介したいイマイマのマンガがあふれていたのに、読む量にも買う量にも限りがあるせいで、もう手持ちのカードがなくなりつつあるのだ。
同じ作者の別の作品、とかシバリを緩めればまだまだあるんだが、なるべく同じ作者は避けたい。
あと50日ばかり、続けられるだろうか(涙)

今週のマンガは名作少女マンガという大鉱脈に手をつけ、「王道」で行こうと思う。
今さら勧めるまでもなく皆さんがよく知っているであろう作品ばかりだ。
読み返して感動しちゃったんだからしょうがない。
単なる懐古趣味かもしれないが、昔、天才マンガ家は少女たちの神だった。


まずは池田理代子「ベルサイユのばら」愛蔵版全2巻+3巻、外伝全2巻。
1755年、ヨーロッパの3つの国に、のちにベルサイユで運命的な出会いをする3人が生まれた。
オーストリア皇女、のちのフランス王妃マリー・アントワネット、フランスの近衛将軍の娘オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、スウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。
女ばかりの末に生まれたオスカルは父親によって男性として育てられ、近衛兵団に入隊する。
国王の孫ルイ16世の花嫁としてオーストリアからやってきたマリー・アントワネットの護衛につき、一方マリーは謁見に現れたフェルゼンと運命的な恋に落ちる。
やがて王妃になる彼女を愛することは許されない。
2人を危うい思いで見守りながら、オスカルもまたフェルゼンを愛していた。
そんなオスカルを見つめ続けたフランソワ家の使用人でオスカルの幼なじみアンドレの想い。
フランス革命の中、愛を確かめ合うマリーとフェルゼン、そして自分の想いに気づいたオスカルとアンドレ。
物語はすべての登場人物に死を与えていく。
いやー、ドラマチック。
少女マンガ界に最初に訪れた大きなヌーベルバーグではあるまいか。
文化人としてマンガを描くのは手塚治虫がもうやっていたが、池田理代子ものちにそんな道を歩んでいる。
せいうちくんは学習塾でボランティアをした時、イマドキの中学生の歴史のプリント、フランス革命のところに「ベルばら」の絵を乗せた。
当然生徒たちには全然通じず、泣きながら帰ってきたよ。
いくら何でも流行ってもんがあるからね。

22年11月6日

メンバーの1人にコロナ陽性患者が出たため、今夜の息子の公演は中止になった。
正直、ありがたかった。忙しかったから。
息子もいろいろ頑張りながら突っ走っている。少し休んだらよかろう。

1日、本当にゆっくり過ごした。
午前中はもらった本の手入れと整理をし、午後はレンタルDVDで映画を観る。
「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」は未見だと思っていたら去年映画館まで行って観た作品だった。
すっかり忘れていたのでこれはこれで楽しめた。
「ザ・ファブル」の第2作、「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」は勇んで借りたのにNetfrixで無料で観られる。
もちろん意地でもDVDで観た。
面白かった。日本映画でこれほどのアクションシーンをきちんと撮れるものなのか。
お気に入りの平手友梨奈も見られたし、2人で大変盛り上がった。

自転車でDVDを返しに行き、帰りにはブックオフに寄る。
今、私の上に神のように降りてきている中村明日美子を買いまくった。
これはどうしても高画質で取り直したい。
その前にできればマンガ友達のミセスAに回したい。この情熱が「布教」というものか。
自分自身がどう評価されるかはあまり視野に入ってきていない、危険な状態。


今日のマンガは大作シリーズ、庄司陽子の「生徒諸君!」。
教師志望のスーパー少女ナッキーが「悪たれ団」を結成して大活躍する中学生時代の本編が全24巻、中学教師になってからの「教師編」が全25巻、自分で学園を作ってしまう「最終章・旅立ち」編が全30巻、おまけに今でも彼女の双子の子供の話「Kids編」が続いていて既刊10巻。
これを全部持っていようと思ったら電子でないと無理だよ。100巻近いんだもん。
正直、運動神経がむちゃくちゃに良く、成績もトップ、大きなホテルチェーン社長令嬢であり、双子の姉をめぐる複雑ないきさつからほどほどに不幸でもあるナッキーは、主人公として出来過ぎだ。
いち中学教諭の限界を感じ、村おこしをして学園都市を作り、それでも気がすまずに海外で恵まれない子供たちの教育に携わるナッキー。
万能だ。いくら失恋しても、これなら青春に悔いはあるまい。
そこに感情移入できないにもかかわらず、ストーリーの熱量とボリュームに圧倒される。
さすがに「最終章・旅立ち」のあたりからは自炊する手間も惜しんでKindleで買う程度の熱の入れ方ではあるのだが、そしてその頃からの絵の乱れはひどいものだと思ってはいるが、端倪すべからざる作者のエネルギー。
せいうちくんの男子校でさえ、授業中に「わっ!」と小さく叫んだ男子がおり、休み時間に聞いてみたら机の下で読んでいた連載の中で「マールが死んだ」のだそうだった。
誰でも一度はどこかしらで読んでる話だと思う。
人生でもう一度、今回は全部読んでみるのはいかがだろうか?

22年11月7日

母の夢をみた。
初めて、老人になった母が出てきた。
まんがくらぶの友人たちを集めた宴会で、母が全裸で歌い踊っていた。
皆は「ご老人だからね」と温かく見ている。
「ウルトラマン音頭を歌います!」と母が言った時は「すわ、ウルトラマンならば」と全員座り直して一緒に歌う姿勢になったが、全然知らない歌だったので、どっと崩れていた。

ひとしきり母が楽しんだあと、隣の部屋の布団に連れて行く。
「疲れたろうから、もう寝なくちゃね。お医者さんやお姉ちゃんに怒られちゃうよ」と言うと素直に布団で寝た。
母を完全に下に見て、優しく甘やかしてあげたのは本当に初めての体験だ。
もしかしたら、夢の中とは言え私は母を超えられたのだろうか。
常に私の行動を縛り、価値観を歪めてきた母を「わからないだろうから優しく言ってあげよう」となだめすかす。
姉は現実にそういう日々を暮らしたのかもしれないが、私にとっては人生で経験したことのない境地だった。


今日のマンガは山岸凉子の「アラベスク」第一部全4巻、第二部全4巻。
身長が高すぎてパートナーがなかなか見つからないうえ、バレエ教師の母から上手な姉と比較されて委縮しているバレリーナ、ノンナ。
そんな彼女の前に現れたのは「ソビエトの星」と呼ばれる天才ダンス・ノーブル(男性舞踏家)のユーリ・ミロノフだった。
彼によって型にはまらない新しいバレリーナの姿を見出されたノンナは、新作バレエ「アラベスク」でデビューして一大センセーションを巻き起こす。
要するに「エースをねらえ!」のような「師弟モノ」なわけだ。
天才少女ラーラとのバレエ映画主役争いに負け、バレエ学校の寄宿舎から姿を消すノンナ。
田舎の劇場でかつての天才バレリーナ、オリガと知り合い、そこでバレエを続ける。
「本当に私たちの世界は厳しい。若い頃は技術を磨くのに一生懸命で、バレエの情緒性が理解できるようになった今では身体がいうことをきかないとはね」と語るオリガ先生に、「私は私のバレエを踊ろう。私だけの情緒の世界を」と再びラーラに挑むノンナはついに勝利する。
第二部ではミロノフ先生から「私に頼り切ってはいけない」と配慮され、彼が新しい魅力を持ったバレリーナと踊るのを目の前にする。
ストレスから足が動かなくなったノンナを、ミロノフのライバルでダンス・ノーブルになれずキャラクターダンサーとして踊るエーディクは亡命に誘う。
ギリギリの瞬間に立ち上がってミロノフの元に戻る彼女だが、失った恋人の代わりにノンナを愛する女バレエ・ピアニスト、カレン・ルービツの逆恨みからノンナをかばってミロノフは銃弾に倒れる。
目覚めた時に彼がノンナに贈る言葉は…と期待させてエンド。
地味に努力する天才の物語、って点でも「エースをねらえ!」に似ている。
「私なんて」と思ってる全国の女の子の胸をうったんだろうな。
努力はキライだが実は自分には才能があるのでは、とひそかに思い、何にもトライしない私のようなタイプにも流れ弾が当たったよ。
さすが少女マンガの王道だ。

22年11月8日

夜中になると気が焦る。
やりたいことがあれもこれもあり、あまりに時間が足りなく思えるのだ。
今読んでいるこざき亜衣の「あさひなぐ」が面白くて、できれば今晩中に読みたい、と焦る。
昨日「ファンタスティックビースト ダンブルドアの秘密」を観たせいでハリー・ポッターも読み返したい。
日記も書いておきたい。
こんなにやりたいこといっぱいでじたばたするのに、昼に1人になると「やらなきゃいけないこと」を何か放り出して遊んでいるような気がしてきて、安定剤を多めにのんで寝てしまう。
夕方起き出してきて、「ああ、また1日無駄に過ごした」と猛反省する。
そんな日々の繰り返しだ。

もう子供も育て上げて還暦過ぎてるんだから何もする必要はない、とせいうちくんは言う。
「好きなことを好きなようにやればいいんだよ」
それがこれほど難しいなんて、どうしたらいいんだろう。


今日のマンガは、大和和紀の「はいからさんが通る」全7巻。
袴をはいて自転車に乗る「はいから女学生」の紅緒がこけて知り合うのが帝国陸軍の「少尉」だった。
よくある展開で、実は紅緒のいいなずけとわかる。
互いの祖父母が引き裂かれた恋人同士で、いつか子供か孫を結婚させたいと強く願っていたのだ。
いつの日も老人のロマンで迷惑をこうむるのは若者。
幸い両想いになったからいいようなものの、ならなかったらまた別の悲劇を生むじゃないか。
紅緒を慕う隣の蘭丸くんや同級生の環も交えてのラブコメディだが時代はやがて風雲急を告げ、少尉はシベリア戦線へ。そして戦死の知らせ。
少尉への愛に気づいた紅緒は彼の家に嫁として入り、婦人記者になり働いて生計を立てようと努力する。
そんな中、亡き少尉にうりふたつの亡命ロシア貴族ミハイロフ侯爵と出会う。
夫人のラリサと幼なじみだと写真を見せられ、人違いだとわかってがっかりする紅緒。
しかしラリサの夫は亡くなっており、亡命中に亡夫そっくりな記憶をなくした日本人と出会ったライザは彼を夫と偽っていたのだった。
次第に記憶を取り戻すが結核にかかったラリサを見捨てるわけにもいかず、夫としてそばにい続ける少尉。
しかしラリサは2人の未来を祈りながら亡くなり、関東大震災の中で紅緒を助け出す少尉。
ハッピーエンドだ。
せいうちくんによれば、この頃の少女マンガにロシア貴族がよく出てくるのはロシア革命で亡命する貴族がたくさんいたからで、「魔法使いサリーちゃん」のように「町はずれに異人の家族が越してくる」ってパタンは満州から日本人が持ち帰った記憶ではないか、だそうだ。
日本人は革命を経験しないまま明治維新、戦争、敗戦をくぐり抜けたため、「フランス革命」や「ロシア革命」に興味や憧れがあるのではないだろうかとも言っていた。
橋本治の「江戸にフランス革命を」とかね。
あいかわらず彼の話は勉強になるなぁ。
しかし「あんなに何度も読んだ『はいからさん』を全然覚えていない。『つくねのタワー』以外、全部忘れた」というあたりは誰しもおんなじらしい。

22年11月9日

せいうちくんは接待で遅い。
いろいろマンガを読んでいるとむやみに興奮してきちゃう。

「オルフェウスの窓」、10年近く前に自炊したものを読み返してみたら当時は気にしてなかったスキャン失敗の「縦筋」がたくさん入っていた。
「きゃー!」となって、幸いまだ市場に出ていたので即座に買い直し、ついでに新型に替わったスキャナで画質アップして取った。
データ量にしてなんと1冊2千キロバイトほど。
元の愛蔵版の10倍近いデータ量だ。
普通のマンガも、最初は50キロバイトぐらいで取っていたが、今や300、500は当たり前。
早晩、我が家のHDは破裂するぞ。

せいうちくんが大好きだ。
結婚して33年も経つのにまだ夫が大好きだなんて、珍しいと思いたい。
でもせいうちくんは「どこの夫婦もきっと愛し合っているよ。少なくとも僕らの世代ではね」というのが持論。
「普通、が一番。特別だとか珍しいと思うと、失いそうで怖い。普通にみんなが持っているものが安心できる」んだって。
ママ友たちに「いつも仲いいわね。家で『愛してる』とか言うんでしょ」とからかわれて、大真面目に「言うよ。大好きだもん」と答えたら大笑いされ、「あー、あついあつい!」と中坊みたいにはやし立てられるのに。
人に言うからいけないのかなぁ。

今回、古い少女マンガを読み返してしみじみと思った。
物語によって私たちはそれぞれの愛を生きる。
どんなに平凡な生活を送っていても、劇的な瞬間を体験し空間的にも時間的にも遥か彼方へ行くことができる。
自分の心の中に「物語のための場所」を作っておくだけでいい。
若い頃の自分を再体験した。
50年が経っていてもまぶしい光をいまだに全身に感じられた。
今、自分が持っている愛の豊かさに圧倒され、これまでを支えてくれたすべての物語に深く深く頭を垂れる。


今日のマンガは水野英子の「ファイヤー!」全4巻。
サンコミックスがいいマンガを出していた時代だったよ。
ふとした運命のいたずらから感化院(今の少年院)に入れられた少年アロンは、ギターに魂をぶつける青年ファイヤー・ウルフと出会う。
自由を求める彼の壮絶な死にざまを目の当たりにしたアロンは、出所してミュージシャンのジョンと出会い、彼からギターのテクニックを教わる。
豊かな感性と繊細な心を持ったアロンは、独自の音楽を生み出し、彼のファンは急激に膨れ上がっていった。
しかしヒッピー時代の社会の動きの中で、彼は救世主のようにあがめられることに疲れてしまった。
アロンの活動は行き詰まり、やがて彼自身のガラスのような精神は現実に耐え切れず壊れてしまう。
当時の水野英子の絵の迫力にはすっかりやられた。
ギターを弾き、自分でも歌を作りたいと思い、2曲ぐらい作ってみた。
うっかりせいうちくんに聞かせたもんだから、今でも覚えてる。ヤなヤツ!
「歌を作るなんて、スゴイねー!」と無邪気に感心されるのでいいけどね。
黒歴史は人に開陳してはいけない。

22年11月10日

せいうちくんがテレワークの日なので、隣でK子ちゃんからもらったマンガを自炊して過ごす。
さすがK子ちゃんで、ニッチなところで私の蔵書とかぶる傾向。
最近自炊したものはこれ以上画質の上がりようもないのでブックオフへ持っていくかもしれない。
古いものは数年前導入したスキャナの性能がいいので新しく取り直しても無駄にはならない。
自炊作業自体、かなり手慣れてきて、ベタのところに光学的に「ゴミや本の糊の残り」で赤やら緑やらの縦線が入ってしまう事故も防げるようになったからね。
悲しいことにたいてい一番好きなマンガ、大事なマンガからスキャンを始めているため、そういう事故物件が多い。
新たに全巻ドットコムやAmazonでそろいを買い直し、新しく高画質でスキャンしている時、自分は何か間違ったループに入っている気はするのだ、うん。

しかしここに至るまであまり考えていなかったが、人がマンガを処分しようと思う時、それは「そろっていなくて途中まで」とか「全数巻にどこかしら抜けがある」場合が多いと思い知った。
コンプリート癖のある人間としてはいずれブックオフで空白を埋めねばならないだろう。
それでも他人のセレクションってのは面白く、一気に世界が広がる感じ。
長編好きのNさんの山に取り掛かるのが楽しみ。
ただ彼も、「途中で読むのやめちゃったり、どこかで読んだから買わなかったり、あるいはすでに捨てちゃった山に入ってるかも」と言ってるぐらいで、第28巻とか第30巻とかのあるマンガが全部そろうのはまずない僥倖と言っていいだろう。
今週末、最後の山をもらったらこのジグソーパズルを完成させるべく、これまでもらった山と突き合わせてみるつもりだ。

問題は、最後の山は実は最後ではなく、まだまだ残りそうだがこの作業自体をそろそろ終わりにしようと思い、最終便になる予定な点。
欠落だらけの長編たちを前に、「最後に残った分にこれの15巻から19巻が入っていたかもなぁ」と悩む未来の私が見える。
まあ、面白かったらブックオフでそろえるのもまた楽しい作業になると信じたい。

せいうちくんセレクションの方はマンガでも単巻モノが多いので問題ないうえ、「文字の本」が文字通り宝の山らしく、たいへん嬉しそう。
長いこと憧れだった「Nさんの書棚」だからなぁ。
ホコリも汚れも何のその、バリバリと自炊を進めている。
いずれは私もお世話になるかもしれない、煌めくような小説や評論集だ。
いいもんねー、こっちはこっちでK子ちゃんの蔵書とのかぶり加減に勝手に萌えてるんだもん。


今日のマンガは昭和から続く名作だが大迷惑作でもある美内すずえの「ガラスの仮面」既刊49巻。
なにが大迷惑かって、途中でつっかえ始め、10年前に新巻が出たのを最後にちっとも終わらないんだ!
今の演劇をやる若い人たちも読んでるって言うのに!
ドジで平凡で何のとりえもない貧しい少女北島マヤ。
演劇に出会い、「やりたい!」と強く思う。
彼女には役柄という「仮面」をかぶって役になり切る才能があったのだ。
かつての大女優・月影先生はそんなマヤの素質を見抜き、俳優養成所を作ってマヤを育てようとする。
月影先生の大当たり役で、恋人だった作者から上演権を移譲されている芝居の主役「紅天女」を演じられる若い才能を捜していたのだった。
演出家の父と女優の母を持ち、演劇界のサラブレッドと呼ばれる姫川亜弓もこの役に強く惹かれ、演劇の階梯を登ってくるマヤと戦い続ける。
「紫のバラの人」で一世を風靡した速水社長は密かにマヤを愛しているが、クールな実業家の仮面を外せず、陰からマヤを応援し続ける。
そして今、物語はクライマックスでいよいよ月影先生が天才・マヤとサラブレッド・亜弓、どちらに紅天女を演じさせるかを決めようとしている大ヤマ。
話は止まったままだ。
美内すずえと山本鈴美香は少女マンガ界の二大迷惑マンガ家である。
読者は続きを読みたいのに、本人たちが描いてくれない。
教祖さまとしてお山にこもってしまった山本鈴美香はともかく、美内すずえはいちおう現役のマンガ家なのに、このままだと我々はストーリーの終わりを知らずに作者の寿命を迎えてしまいそうだ。
なんならこっちが先に死ぬかも。
どっちなんですか、月影先生そして美内すずえ先生!

22年11月11日

アカギの「アイスチョコバー」20本と「ガツンと、みかん」バーひと箱買っても2千円行かない。
ケーキ屋さんのプリン・ア・ラ・モードを2つ買うとそれだけで軽く千円超えるのに。
甘いものが食べたい時はアイスにしておこう。
室内の気温が上げられるようになってからこっち、冬でもアイスがよく売れるらしい。
ものによっては冬場の方が売れるかもな。
濃いバニラアイスとか、汗がだらだら出る季節にはそれほど食べたいもんじゃないからね。

それにしても我々は毎日毎日飽きずによくアイスバーばかり食べるなぁ。
きちんと食べるのは晩ごはんぐらいで、あとは飲み物とアイスバーで生きている。
体重が減らないってことはこの食生活は間違っているんだろうに…


今日のマンガは、これを出さずに昭和の少女マンガは語れない問題作、竹宮恵子の「風と木の詩」全17巻。
今はマンガ家ではなく京都精華大学の学長になってしまった彼女が、若い頃にタブー破りで社会に少年愛を問うた作品だ。
ジプシーと白人の混血少年、純情で誠実なセルジュは、寄宿学校に入って異端児ジルベールと出会う。
学生仲間や教授、果てには学長とまで肉体関係を持つ透明感あるジルベールは、育ての親オーギュストに知性と教養、そして快楽のすべてを叩きこまれていた。
彼の人格を否定するようなオーギュストの思惑とはうらはらに、少年は誇り高く挑戦的な性格に育つ。
それでも愛を求めてオーギュストに従うジルベールを、セルジュは肉体を通して触れ合い、魂を救いたいと願う。
その結果の学校からの逃避行、うらぶれた生活、荒れるジルベール、そして訪れる彼の狂気と死。
セルジュも精神の平衡を失い、やがて音楽に救われるまで魂の彷徨いを経験する。
「人は熱い皮膚を通してしか理解し合えない」と、BL全盛の今からは考えられなかった50年前に、この作品は生まれた。
その後も時代を二分する人気マンガ家、萩尾望都とすったもんだしながら、竹宮恵子はもう作品を描かないのだろう。
今でもよしながふみが「ジルベール」を広めてくれてるのになぁ。

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